会長の”三行日記”

2013.10.04

ちょっと良い話その111 No.2469

 キリギリスの幸せと題した、ちょっと良い話が投稿されていました。とかく歳をとってくると自分の居場所がなく、存在感を失うものです。そうした類の人が見つけた自分の居場所の話です。

自由に飛び回る働き蜂に憧れながら、私は働き蜂として生きてきた。高度成長期の日本にさほど貢献したわけではないが、その恩恵は享受した幸福な蟻人生だった。母の面倒をみるため、55歳で退職。3年後、母は逝った。

天涯孤独となった悲嘆の底で、ふと目にしたボランティアという言葉の定義の一節が、心に灯をともしてくれた。「できること、得意なことを長く持続させて行うこと」

天啓の如くひらめいたのは、ずうずうしいにもほどがあるが、老人ホ-ムでの歌のボランティアである。我流のピアノでも唱歌の伴奏ぐらいは...。悪声だが音痴じゃないし...と勝手な理論武装をし、音楽セラピストよろしく企画書を作成し、近くの老人ホ-ムを訪ねた。

音楽の力、恐るべし。無表情な方に笑顔が戻り、涙ぐむ人も。現場の介助者の方々も驚くほどだ。そして、「キリギリス」に変身した私自身もしっかり楽しんでいる。

私の心の支えは、不慣れな当初、失敗で落ち込んだ私を慰めてくれた入居者の言葉である。「あなたがピアノを弾いてくれるから、今日、私たちは歌えるのよ」

このように自分が誰かのお役に立っていると感ずることができれば、生きがいも生まれるし、繰り返しやって来る日も楽しくなるものです。同じように私たち会社も、どんなに小さなところでも人々のお役立ちができ、助かっていると感じてもらえば企業としての存在価値が生まれるものです。

やはりこれなしでは、企業として世の中に存在している意味はありません。そしてただ自己の利益だけを追求しているだけでは、やがては淘汰されてしまうものです。そんなことのないよう、企業としての経営理念をしっかり持ち続け、少しでもよいから「あの会社があったからよかった。本当に助かった」と言ってもらえるような、お客様の笑顔が描ける会社を目指さなければと思っています。