会長の”三行日記”

2013.07.17

守成は難し No.2430

創業の心を忘れたとき企業の衰退が始まり、道を踏み外していくと言われています。そんな私も至らない後継者の一人ですが、「創業は易く、守成は難し」と言われていても、やはり創業者の強い思いがいつまでも感じられる企業でなければと思っています。

「創業は易く、守成は難し」という言葉は、新たに事業を起こすよりも、事業を維持、発展させることのほうがむずかしいという意味ですが、元々は中国の史書『十八史略』のなかにあり、唐時代の太宗の問いに答えた臣下のものと言われています。下記のように解説しています。

唐の国が興隆から衰亡と向かう分かれ道は、玄宗皇帝時代に起きた反乱にあったとされる。いつの時代にも大小の乱はあるものだが、興隆の時にはむしろ、それらさえ国を強くする方向に動く。これに対して玄宗皇帝時代の乱が致命的な打撃になるまで広がった背景には、唐の政治が草創の息吹を失っていたという事実があった。

そこには実力主義ではなく情実主義、賞罰主義でなく無責任主義が蔓延していたのだ。情実主義は甘えの温床となり、発展への厳しい姿勢を腐敗させてしまう。無責任となり自ら律することを忘れたときには、堕落がはじまることはいうまでもない。

つまり、要領よく立ち回った官僚たちだけが、いい思いをする。これでは誰も懸命に働こうという気力はなくなる。皆、国の繁栄に尽くすよりも、国から何を得るかだけを考えるようになっていた。「全員が創業者」という精神とは、まったく逆の姿であった。

このように聞くと、歴史は繰り返すではないのですが、過去の唐の時代から引き継いでいる現在の某国の実情とよく似ています。役人の多くは汚職などにまみれ、皆、私腹を肥やそうとしています。そしてシャドウバンキングなどと呼ばれる陰の金融機関の破綻も間近だと言われています。

話が少し横道に逸れましたが、「創業」も「守成」も、どちらも簡単なわけがありません。「創業」には無からの立ち上げだけに予期せぬ困難に立ち向かわなければならないでしょうし、「守成」とは継続することであって、発展し続けなければなりません。

こうした栄枯盛衰は企業につきものですが、要はやはり人の問題に尽きるのではないでしょうか。玄宗皇帝に示されるように、創業の心を忘れたリーダーに率いられた組織は、結局は衰退していくのです。それは政治の世界でも同じことが言えます。

官僚主義的で組織がどんどんと大きくなり、中央集権的となった結果、私たち消費者や社員の声も届かなくなり、その声を圧力で抑えるようになってはリ-ダ-の心が完全に離れてしまうことになるわけです。

それは血液の循環が悪い不健康な体のようなものです。ねじれ解消などと声高に叫んでいる、今回の参議院選挙ですが、ある意味、良識の府である機関のチェック作用がなければ、この国はどこに進んでいくのか不安になるものです。独占とか驕りほど危険極まりないものはないわけです。