会長の”三行日記”
2013.06.11
一所懸命 No.2408
この歳になって初めて知らされたことがあります。以前から「一所懸命」という語句を目にすると、「一生懸命」の間違いだと、正直思っていました。ところがどちらの言葉も、実際に使われていることを知ったのです。
調べてみたら一所懸命とは、賜った一か所の領地を生活の頼みとし、その所領安堵に命をかけた鎌倉武士の姿からきたものだと言われています。 ですからそこから転じて、物事を命がけでまじめに努力するという意味になるということです。
一方、一生懸命とは、意味としては物事を一心にするさまということで、一所懸命と同じ使われ方をしていますが、元々は「一所懸命」から来た言葉だと言いますから、むしろこちらの表現の方が正しい意味なのです。
読み方は前者が「いっしょけんめい」というのに対し、後者は「いっしょうけんめい」と異なった発音となります。ですから「いっしょけんめい」と言われて、一生懸命と表記するのは誤まりですが、言葉としてはどちらを使ってもよいみたいです。
元々、「いっしょけんめい」と言われていたのを、その発音と命がけでという意味から、だんだん一生懸命という言葉に自然に変わっていったのではないでしょうか。こんなことを調べていたら、次に挙げるような素敵な例え話に遭遇できました。
数年前、あるお婆さんのお葬式にお参りした時のことです。遺族の方が謝辞の中で、亡きお母さんとの思い出話を述べられました。まだ子どもの頃、畑でお母さんの草取りを手伝っていた時のお話でした。
ギラギラと照りつける太陽の下、暑さと苦しさにたまりかねて何度か立ち上がっては、あとどのくらいあるかと見ていると、お母さんが、「そんなに先ばかり見ていては仕事がつらくなるばかりだ。しっかり手もとを見て頑張っていれば、いつかつらい仕事も終わるものだ。」と、さとされたという内容でした。
また続けてこんなことも書かれていました。平安時代の能書家、小野道風が書の修行で壁につきあたり、深い物思いにふけりながら小雨の中を歩いていると、いっぴきの蛙が柳の小枝に飛びつこうとして何度も失敗し、最後にとうとう飛びついたのを見て、迷いからさめたという話は有名です。
最終のゴールにばかり目がいっていては、そこまでの道のりの遠さ、つらさばかりが目について気が遠くなるばかりでしょう。千本、万本の雑草も、手もとの一本の草を抜くことの積み重ねと念じ、ただ黙々と努力を傾けてゆかねばならないということです。
まさにその通りですね。積み重ねも満足に行わないうちから、結果ばかり求めたくなるものです。「ロ-マは一日にして成らず」とか、「千里の道も一歩から」という同義語もあります。まず目先のことからしっかりとやり続けなさい、との教えではないでしょうか。