会長の”三行日記”

2013.04.16

スーさんの死 No.2379

鈴木建設の社長・スーさんが亡くなってしまいました。ご存知、映画・釣りバカ日誌でこの役柄で親しまれていた、三国連太郎さんなのですが、あの何とも言えない飄々とした演技が心地よかっただけに、寂しい気持ちになるものです。

でもこの役柄は特別だったのでしょう。どちらかと言うと、新聞にも取り上げられていた孤高の人というイメージが強かった方です。スケールの大きい役者で凄みさえ感じられたものです。それだけに全然そのイメージと違ったスーさんは、面白かったとも言えるわけです。

初期の映画作品での役名だった、三国連太郎という名をそのまま芸名につけたということですが、とにかく自分の演技には厳しく、役に忠実だったと言われています。老け役を演じた「異母兄弟」では自分の前歯をすべて抜いて挑んだとのことです。

それから手を抜けない役者で、共演した有馬稲子さんの話では彼女を殴るシーンがあり、本番前のテストから本気で殴るため、顔が腫れ上がってしまうということもあったそうです。そのくらい、いざ芝居に入ると熱中してわけがわからなくなってしまったと言います。

息子である佐藤浩市さんとの関係も普通ではありません。離婚して母方で彼が育てられたとはいえ、三国さんは「おまえ」と呼び、彼は父を「あなた」と呼びかける、普通の親子の会話ではなく、お互い役者としての間柄だったようです。

それも自分で明かした被差別部落出身の生い立ちや、俳優やスターという存在に常々疑問を持ち、世評へも無欲だったという姿勢からのものではないでしょうか。また木下恵介監督から教えられた「いかなる人物を演じても、庶民を忘れてはいけない」という思いがいつも根付いていたと言います。

そうした庶民に寄り添い、演技でも挑戦し続けた三国さんの信念のようなものが、ある意味ではスーさんという役柄に表われていたのかもしれません。我が町・沼津市に住んでいたことから、市の観光大使のような役目も長年にわたり、務めていただきました。

スーさんと絶妙のコンビを組んでいた、浜ちゃんこと・西田敏行さんが話していたように、90歳にもなることから、いつかはこんな日が来ると覚悟していたとはいえ、やはり寂しく感ずるものです。スーさんの死を惜しみながらも、凛という表現がピッタリの三国さんのご冥福をお祈りいたします。