会長の”三行日記”

2013.04.02

親に恩返し No.2371

昨日の選抜高校野球・対高知戦で惜しくも敗れてしまった仙台育英高ですが、このチームのエースとして頑張っていたのが3年生の鈴木天斗(たかと)選手です。この鈴木君、実は2年前の大地震の津波で自宅が損壊していた被災者の一人だったのです。

ですから一時はこの進学さえ、ためらっていたみたいです。自宅は宮城県松島町の海岸そばで、津波で1階部分が泥やがれきで埋まり、震災で親類3人が亡くなりました。そして両親、兄弟とともに祖父母宅に移り住んでいたわけですが、既に同校への進学が決まっていた鈴木君は、目の前の惨状にこのまま野球を続けていいのだろうかと迷いました。

でもその背中を押してくれたのが父の浩市さんです。「好きなことをやったらいい」という言葉のお陰で決心が固まり、がれきの中から見つかった泥だらけのスパイクを磨いて練習を再開したのです。

ですから周囲に支えられていることを片時も忘れたことはないと言います。何よりも苦しい状況に置かれながらも、野球をやれる環境を作ってくれた家族への感謝の気持ちが強く、苦しいマウンドでもそうした気持ちに支えられていたのではないでしょうか。

私も震災後、数ヶ月経ってから出かけた東北へのボランティアの途中で、この松島の海岸線を通りかかったのですが、その被害状況はとても軽いものではありませんでした。それだけに私たちの想像以上に、自分だけ野球をやっていていいのだろうかという気持ちが強かったものと思われます。

この地と同じように傷めつけられた東北の各地の中に、いわき市の海岸線があります。それはかつて「いわき七浜」と呼ばれ愛された景観地ですが、今は除染土を詰めた袋状の黒いバッグや、家々の基礎だけが残る殺伐とした、見るも無残に破壊された光景になっています。

寄せられた投稿に、そんな殺伐とした風景のあちこちにパンジーなどの花が咲いていると載っていました。がれきに花を咲かせる運動を進めているボランティア団体によるものです。そこには「この花を皆で育てましょう。心あらば水をあげてください」というメッセージが添えられているそうです。

そしてその投稿には次のような記述が加えられていました。復興の進まぬ、荒涼としたこの地を見た目に、なんとも温かいものがあふれてきた。いつの日か、この地が昔の姿を取り戻すのを暗示するような、ささやかな、しかし地道で苦労の多いこの運動が、この地で暮らしてきた人々に与える希望は、決して小さくはない

このように私たちには計り知れない苦労がまだまだ続いている被災各地ですが、絶対にその支援の芽を摘んではいけません。そしていち早く元通りの姿に戻ることを祈りながら、風化することのない、このような温かい支援活動や、めげないで精進を積む若者に精一杯応援したいものです。