会長の”三行日記”
2012.03.12
あの日から1年 No.2172
木、金と2日間、全国大会参加のため、少しカキコミの間が空いてしまいました。大きな感動をいただいてきた、この内容については、また後日触れたいと思いますが、福島は想像した以上に、苦境の中、頑張っていることを知らされました。
昨日で未曾有の大震災から、ちょうど1年が過ぎ去りました。まだまだあの惨劇が昨日のことのように思い出されるほど、被災者の蒙った傷はとても癒えてはいません。
そんな中、東京の国立劇場はじめ、各地で犠牲になった方々のご冥福を祈り、追悼式典が行われました。政府主催の国立劇場での式典には、先日心臓の手術をしたばかりの天皇陛下も、ご本人の強い希望で皇后陛下を伴い参列されていました。
本当に優しい人なのでしょう。お二人で深々と頭を下げられた後、述べられたお言葉にも、慈愛と心からのお悔やみの気持ちが満ち溢れているように思えました。
また皇后陛下も、しっかりと正装された、和服での喪服に身を包まれての参列でした。お言葉は出掛けていた車のラジオで聴いたのですが、消防団員はじめ、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事し亡くなられた方々への配慮も忘れてはいませんでした。
これは震災直後から、何度も被災地にご自身の足で訪れているとおり、お二人の犠牲者への思いが強く滲み出ているからでしょう。
こうした天皇陛下のお言葉に比べたら、その前に主催者を代表して行った野田首相の挨拶が極めてありきたりのようで、被災者への労わりの思いがいまいち感じられなかったのは、決して私だけでもないでしょう。
この1周忌のことを仏門では「小祥忌」と呼ぶそうです。亡くなって1年経つ頃には、同じ季節が巡ってくるため、喪失感がひときわ強くなります。そんな時期に営む法要で、大きな区切りをつけ、それ以降は新たな一歩を前向きに踏み出そうとするのがこの儀式らしいのです。
でも政府が取ろうとしている復興政策には、特に原発周辺の町村に見られるように、全くこの先目指すべき方向やどう対処していくのかが不明です。これでは被災者の抱える不安はいつまで経っても一向に消え去ることがないのです。
ですからいち早く、被災者の方々の心に区切りをつけ、「小祥忌」の言葉同様、新たな再出発の一歩を踏み出せるものにしていかなければなりません。それには決して生まれ育った故郷を簡単に切り捨てるのではなく、新たな地域の仕組みや連帯を生み出していくものを早急に考え出すことが求められているものです。