会長の”三行日記”
2012.02.08
今日限りの人生 No.2152
もし今日一日しか生きられないとしたらどうでしょうか。おそらくやり残しのないよう、精一杯この日を努めることでしょう。ある書にこんなことが書かれていました。
1日が30日重なると1ヶ月、1ヶ月が12重なると1年、そして1年が数十回重なると人間の一生であります。人間の一生をこう考えてみますと、所謂一日一日の積み重ねであります。
この一日をどう生きるか、どう過ごすかがそれぞれの人生の全体像ではないかと言われているのです。またお釈迦様について次のようなことが書かれていました。
お釈迦様が弟子達に向かって「人生とは、どの位の長さだろうか」とおっしゃいました。ある弟子が即座に「50年」と答えました。インドでは、当時50年が平均的寿命だったのでしょう。
お釈迦様は「ちがう」と申します。「40年」「30年」「20年」と短くしていきましたが、いずれも首を縦にふりませんでした。最後に「1時間」というと、やはり首を縦にふりませんでした。
お釈迦様は、「一呼吸の間だけ」と示されました。無意識で呼吸していますが、吸う息、吐く息が勝負なのです。この片方どちらかがストップしたらそれで人生はもう終わりです。
私の人生「80年」と自分で決めたところで誰が保障してくれましょう。そんな保険会社はどこにも存在しません。
まさに今生きている一瞬一瞬が勝負だと言われるのです。ですからこの与えられた、”たった一瞬の命”を決して粗末にはできないのです。
そして感謝の心で、この一瞬の積み重ねである一日を送ることができれば、仏への道の第一歩とも言われています。
先日、龍澤寺を訪れ栄山老師のお話を伺っているとき、私もときどき出掛けている座禅について、ちょっと質問をしてみました。「たかだか30分ぐらいの間なのですが、いろいろな雑念が次から次へと浮かび上がってくるのですが、いかがなものでしょうか」と。
「至極当たり前のことで、なかなか無念無想の境地には達せられないものです。でも呼吸を整え、できる限りゆっくりと呼吸することを心がけなさい」とその答えが返ってきました。
そして何とその境地に達すると、1分間に1回だけの呼吸で済むと教えていただいたのです。上記でも挙げられているように、この呼吸がしっかりと生きていくことに密接な関係があるのですね。