会長の”三行日記”
2012.01.11
生涯現役 No.2133
昨年の暮れ、プロゴルファ-の杉原輝雄さんが亡くなられました。プロゴルフ界のドンと呼ばれた方で、1957年プロ入り後、54年間にわたって試合に出場し続け、生涯現役を貫き通した人です。
しかし98年に前立腺がんが発覚し、切れば試合に出られなくなるからといって、現役続行を決意して、外科的手術に頼らず、ホルモン注射などの投与治療をしながら現役を続けていたのです。
でも昨年3月には、リンパへの転移が見つかってしまいました。幸い、それから悪化はしていないということでしたが、治療に専念し、いつでも試合に出れるような準備をしていたのですが、とうとうそれも叶わず帰らぬ人となってしまったのです。
今でも思い出されるのがジャンボや青木選手の全盛の頃、時々クラブを投げつけたりしてマナ-の悪さを見せると、一緒にプレ-していた杉原さんが叩くなら自分の頭を叩けと、テレビでも歯に衣を着せぬ苦言を呈していたことです。
そのくらい、飛ぶ鳥を落とすような勢いだった両選手でも、この人だけは少しも遠慮せずモノが言えるくらい、やはり実力者であり、一目置かれていた存在だったのでしょう。
また同選手の周りにはユ-モアがいつも溢れていました。この病気が怖くないかと問い掛けられると、「怖いよ」と言っていながら、、「だから、聞きたいことがあったらなんでも聞いといてや。明日、電話してくれてももう出られへんかもしれんなんてこともあるかもしれへん。今のうちやで」と、いたづらっぽく語ってもいました。
そのくらい、プロ意識に徹していたのでしょう。ト-ナメントのティ-グランドではいつもギャラリ-に語り掛け、笑わせていました。ですからむっつりと愛想もなくプレーする若手には、一言言わなくては気が済まなかったようです。
石川遼くんがゴルフだけではなく、あれだけきっちりとしたコメントを語るのを引き合いに出し、ゴルフの腕で負けてもしゃべりでは負けないよう、若手にはもっとはっぱを掛けたかったみたいです。
また「病気のおかげで新しい出会いがあった」とも杉原さんは言っています。身に起きた不幸も不幸ととらえず、むしろ「成長するための糧」として前向きに捉えているのです。
こうでなければ、かつての青木・尾崎「AO」のあれだけの飛ばしに対しても、いくらアプローチ、パットの達人でいても、気持ちが怯んでしまって、とても太刀打ちできなかったのではないでしょうか。
そんな杉原さんが残したのは次の言葉です。ゴルフとは一人で戦うものだ。そしてゴルフとはボールを自分が止めたいところに止めるゲームだ、ということです。
「生涯現役」言葉ではたやすいかもしれませんが、杉原さんのように自ら実践し、貫き通すことは大変なことです。天国から注がれている、あの笑顔を思い浮かべることができるくらい、いつまでも忘れることのできない人です。ご冥福をお祈りします。