会長の”三行日記”

2011.10.07

責任を感ずる東電社員 No.2087

朝日新聞に連載されている震災特集「南相馬日記」にこんな話が書かれていました。東電ばかりが罪悪人のように言われていますが、このような社員がいることに少し驚いています。
 
津波で建物が消えた海岸近くの集落。毎朝6時、そこに来る作業着の男性がいる。家の跡に設けられた祭壇の前にしゃがみ、手を合わせ、目を閉じる。立ち上がると別の祭壇へ。1時間ほどかけて約20カ所を巡る。

遺族ではない。地元の人でもない。けれど毎朝、欠かさず同じ場所にくる。仕事ではなく、個人としての思いから、だという。男性は東京電力の社員だ。事故があった福島第一原発から、5月の連休明けに南相馬に派遣された。

それから日々、住民の怒りと向き合っている。掛かってくる電話に答え、賠償の説明に回る。なぜ、津波の犠牲者のために祈るのか。男性は答えた。

「原発事故で、すぐに捜してもらえなかった人がいる。火葬に立ち会えなかった遺族がいる。私にできるのは、手を合わせることぐらい」

祈る合間、倒れた花瓶を直し、雑草を抜く。砂に埋もれたおもちゃを掘り出す。ある日は、たくさんのボ-ルを見つけた。「毎日来ていると、元にあった生活が見えてくる気がする」と男性は言う。

東電社員としての責任を、男性はこう語った。「約束した安全と安心を裏切り、心から申し訳ないと思う」。東京の記者会見で繰り返される言葉と同じでも、このときは違って聞こえた。

9月27日、早朝の被災地通いが100回目を迎えたその日、私も付き添った。祭壇に向かう男性に、心の中で頭を下げた。

 
こうした方がやはりいるのですね。実際のこの事故への非難や追及はどうしても、こうした社員の方々にかかってきます。それだけに毎日が針のむしろのようではないかと思われますが、考えてみれば、こうした社員レベルの人たちにほとんど責任はありません。
 
むしろ、原子力に頼ったエネルギ-政策を進めた政府と、東電幹部、それに原子力安全委員会にあるわけです。先日も官僚の多くが東電に天下っている現状が暴露されました。こうした、政官一体となったズクズクの癒着体質が招いた事故とも言えるわけです。
 
少しでもそうした人たちに、この南相馬の社員の方のような気持ちがあれば、もっと事態は好転していくはずです。ついでに言わせて頂ければ、野党になって、さも他人事のように、盛んに政府の責任を追及しているだけの自民党・谷垣総裁も、自分たちの政権当時の過大なる責任をもっと自覚すべきです。
 
でもそうした人たちにとっては、所詮は他人事のような話なのでしょう。原発に泣かされているのは被災者のみならず、真面目に働く東電社員の中にもいることを知らされたものです。