会長の”三行日記”

2011.08.24

富士山登頂 No.2060

この連休工事でカキコミのお休みをいただく少し前、初めての富士山登頂に挑戦しました。無事、登頂は極めたものの、こんなはずではなかったという結末は、少しあとで述べさせていただきます。
 
夕食を終えて自宅を出発したのが午後10時頃、友人と二人で富士宮口か須走口か迷った挙げ句、比較的空いているだろうと読み、須走口から登ることにしました。
 
と言っても、2台でそれぞれ移動し、1台は御殿場口の駐車場に留め、もう1台で二人が須走口まで向かったのです。でも到着した須走口の駐車場は既に満車となっており、引き返してきて皆が停めている路肩しか留める所かありませんでした。
 
それでも須走口がこんなでは、富士宮口ではとても留める所はなかっただろうと、二人で胸を撫で下ろしたものです。そして車を停めた後、少し仮眠を取り、午前2時過ぎにいよいよ出発したのです。
 
でも眠れたのは私だけで、友人はほとんど眠ることができず、ただただ私のいびきを耳にしていただけと言っていましたが...そんなわけで風もなく絶好のお天気の中、出発できたのです。
 
富士山の4つの登山ル-トのうち、この須走口が標高2000m、そして一番高い所にあり登り易いと言われている富士宮口が2400m、またツア-客などが多く押し寄せる、山梨県側にある富士吉田口が2300mと言われています。
 
従って昨年挑戦して失敗した御殿場口は何と標高1400mと言われていますから、ずっと下方に当たるわけで、その過酷さはやはり初めてでは無理だったんでしょうね。

こうしてまさに晴天のお陰で、星が降ってくるような、近年眺めたことのないような素適な星空を眺めながら、一路山頂を目指したのです。途中、6合目を過ぎた当たりだったでしょうか、山中湖を眼下に見下ろすその先から綺麗な日の出も拝むことができました。

そして8合目からは、今までのまばらな登山客が打って変わって急に賑やかになりだしました。これはここで富士吉田口からのル-トと合流する為です。

静かにいろいろと物思いに耽りながら、叙情的に歩いていた今までとは違い、急に俗化したような人々の群れに入りながら、今度はついて行くしかありません。こうして9合目過ぎあたりからの岩場が続く、最後の難関を乗り越え、何とか頂上にたどり着いたのです。

時は10時45分、須走5合目を出発してちょうど8時間半の所要時間です。ですから途中、朝食を含む休憩を何度か入れたにしても、そんなに早いペ-スではありません。これは初めての富士山でもあるし、慌てて登って起こるという高山病を気に掛けていたからです。

やれやれ、ならなくて済んだと安心して昼食をとり、そろそろ帰り支度をするかと思い始めた頃、ちょっと変なのです。何か少しムカムカするような感じがしてきました。
 
気のせいだろうと、あまり気に掛けず、帰りのル-トにつき下り始めました。帰りは御殿場口に抜ける、途中7合目から大砂走りを通るコ-スです。ですから3時間もあれば下まで着いてしまうのではないでしょうか。

よし、早めに帰れるかもと思いながら下山していた途中、比較的ゆっくり歩を進めていたとは言え、脚は重くなるし、気持ちはどんどん悪くなってきたのです。そして頭が痛くなってきたわけですから、そうです、これが高山病なのです。
 
従って歩いては休み、また一歩きしては休むという、牛歩の歩みになってしまい、友人には大変迷惑を掛けてしまいました。そして大砂走りも、とても一気にとはいかず、何回か休んだ後、6合目ぐらいだったでしょうか、いよいよたまらなくなって吐いてしまったのです。
 
でも不思議ですね。吐いた後のほうが少し楽になってきたのです。それにしても体調の良い時ならまだしも、大砂走りの長い距離はこたえました。こうして重い脚に鞭を入れながら何とか、5合目まで辿り着いたのです。時既に5時半を回り、辺りはうっすらと暗くなり始めていました。
 
まさに高山病の症状そのもので、5合目ではほとんど何でもないのです。こうして紹介が少し長くなってしまいましたが、富士山への初登頂は一番気にしていた高山病との戦いという、思ってもみない結末となったのです。でもこれで怯んでは癪ですから、再度、万全の備えで、捲土重来を期したいと思っています。