会長の”三行日記”

2011.07.06

お粗末な言動 No.2040

大臣在任9日間ですか、何とも短すぎる就任期間でした。でも、あそこまで好き勝手なことを話したら、もう居られないでしょうね。本当にお粗末な復興相の言動でした。
 
誰もがそのように感じた中で、少しうがった見方をすると、なぜあの人はあそこまでの言動を繰り返したのかを考えてみました。
 
少し考え過ぎかもしれませんが、1つには菅政権の幕を引く為に、わざとあのような放言を行い、揺さぶりをかけたということです。聞くと、松本さんはその就任を当初から固辞していたようです。
 
それは昨日の後任の人事で、なかなか決まらなかったと同様に、今のいつ壊れるか判らないような内閣には、誰しも就きたくはないものでしょう。
 
そして就任直後でも、内閣に在りながら唯一人、菅首相は6月一杯までに退陣するだろうと、会見しているくらいです。このように少しこの方に特異な部分を感じましたので、調べてみました。
 
松本さんは衆院当選7回で、旧社会党から社民党を経て民主党に入りました。祖父、父はともに旧社会党参院議員で、祖父の治一郎氏は「部落解放の父」として知られています。

また政界有数の資産家でもあり、4日に公開された衆参両院議員の昨年1年間の所得も民主党で2番目に多いものでした。党では長年、主要ポストには就きませんでしたが、昨年9月に環境相兼防災相として初入閣を果たしたのです。

この環境相当時、昨年10月に開かれた国連生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)では議長を務め、名古屋議定書の採択などで、うまく成功に導いています。

また「各国代表の意見を議長の権威で突っぱねることもできたが、その選択をせず、丁寧に声を拾い上げる手法をとった」と、その粘り強さを評価する意見まであったくらいです。

 
そして思ったことを率直に口にし、周囲の目を気にしないタイプで、いわゆる親分肌の政治家で、部下に仕事を任せ責任は俺が持つという姿勢から、周囲ではとても仕事がやりやすかったようです。
 
こう聞くと、ずいぶんと惜しいことをしたような気がします。でも、いくら旧知の仲でも、カメラの入っているような場での、上から目線の発言はいただけません。それに何よりも被災者を愚弄するようにも聞こえる、発言はもっての他です。
 
やはり今までの人生を順風満帆に、不自由なく過ごしてきたツケが出てしまったのでしょう。苦労を少しでも知っていれば、今、私たちの想像を超える劣悪な環境の中に居る、被災者の方々の気持ちを逆撫でにするような言葉は、とても出てこないものです。
 
そしていつも言うことなのですが、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の姿勢です。それは万人から注目を集める立場に就いていれば、尚更のことではないでしょうか。お粗末過ぎます。