会長の”三行日記”
2011.06.29
言葉は大切に No.2035
「残り少ない日々、言葉は大切に」という、ちょっと身につまされるような投稿文を読みましたので、紹介させていただきます。
珍しく夫が私のジャケットを褒めてくれた。それも、洗濯を終えてハンガ-につるしたときにである。「京都の着物のような柄でとてもいいよ。センスがいいね」だって。「着ているときにそれを言ってよ」と言って大笑いした。
夫の言うとおり縮緬柄。でも正絹ではなく、ポリエステル100%の安物である。手触りと柄は本物そっくりで高価に見えるため、外出の時にはインナ-を替えて楽しんだ。
夫は老妻が日常どんなものを着ているかなど気にもしていないだろうと思っていたのに、ちゃんと目にとめていたのか、と嬉しかった。
お互いに高齢者。残された日々の言葉も限られてくる。いたわり励まし合うためにこそ言葉は使いたい。物忘れが進んでも「ありがとう」「おしあわせに」だけは覚えていたい。
今朝も趣味の山に出かける夫に、私は「ヨッ、万年青年、気をつけて行ってらっしゃい」と声をかけた。
何とも、ほのぼのした夫婦の情感が伝わってきます。糟糠の妻という言葉があります。永年苦労して連れ添ったくれた妻のことを、そう呼ぶそうです。
投稿文のような、とても円熟した域にまで達してはいない当方ですが、教えられるところは少なくありません。まずお互い相手に関心を持つ会話についてです。
上記のように、相手がどんな出で立ちなのか、まず関心を持つことはもちろんですが、相手の変化に対しても見逃してはなりません。
例えば美容院に行って髪をきれいにしてきた後とか、目新しい料理を作ってくれたときの、こちらの対応についてです。まず気がついたら声に出して伝えなければなりません。
それが男というものは、気がついていてもなかなか口には出さないものです。永年連れ添っている、テレみたいなものがあるためでしょうか。「おお、ちょっと今日は綺麗だな」と思っていても、重い口が開きません。
これがまずいのですね。口に出さなくても、相手は分かってくれているだろうという思いは大間違いなのです。お相手はやはり、私には無関心なのだと思うしかないのです。
こちらはまだまだ、残り少ないというほどではないにしても、「いつまであると思うな、親と金」ではないのですが、我慢して連れ添ってもらっている間に、そろそろ、こちらも今までの習慣を改めなければなりません。
言葉に出しながら、ちょっとした気遣いをみせる、例えば親しき仲にも「ありがとう」という言葉を掛け合うことなどが、夫婦円満の秘訣ではないでしょうか。反省すること然りです。