会長の”三行日記”
2011.05.24
不運と不幸は別のもの No.2013
新聞に作家の津島佑子さんが書かれた「不運と不幸は別のもの」という記事が載っていました。被災地の皆さんへという欄で書かれたものですが、津島さんはあの太宰治さんの次女にも当たる方です。
太宰さんが亡くなったのは、津島さんが生まれてすぐ1歳の時というから、父親の顔も知らないで育ったのでしょう。ですからその文にも示されるとおり、母親の生き様から表題にある思いが一層強いものと思われます。
その記事を紹介します。人間は自分の経験の枠から大きくはみ出たことはなかなか想像できないと言われますが、私も自分の経験したことを足がかりにして、今度の大震災で被災した方々の思いに近づくことしかできないようです。
私は30年近くも前に8歳だった息子を失っているのですが、これだけの年月がたってもその存在は薄れることがないし、悔いも消えません。それが自分に与えられた生なのだろう、といつの間にか思うようになっています。当時、母から言われた言葉が今でも私を支えてくれています。
どんな不運に見舞われても、不幸になっちゃいけないよ。
この言葉を聞いたとき、私は奇妙なことに、ふと気が楽になったのでした。そうか、不運と不幸はちがうんだ、人間の力の及ばない不運はいくらでも起こりうる、だからといって、その人間が必ず不幸だと決めつけることはできない、と。
私の亡母は、夫の水死を経験している人でした。夫の遺体を見届けることなく、それから3人の幼い子供を育てなければならなかった母もまた、不運にぼうぜんとしていたとき、だれかに同じことを言われたのかもしれません。
ですから私も被災した方々にこの言葉をお伝えしたくなりました。どのような不運のなかにも、私たち人間にとって、不思議な希望はひそんでいるらしい、ということを。
津島さんは昭和22年3月30日の生まれです。翌年である6月13日の夜、父親の太宰治さんはご存知の通り、玉川上水に身を投じて亡くなったのです。
どんな不運に遭遇してもそれが不幸だと思ってはいけない、意味の深い重い言葉だと思います。津島さんは生まれつきの不運を乗り越え、顔も知らない父の力も借りることなく、その後、谷崎潤一郎賞や野間文芸賞を受賞するまで、立派に作家として活躍されています。
やはりあきらめてはいけませんね。昨夜もテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組で、被災地である石巻を訪れていました。以前やはりこの番組で石巻を訪れたことがあり、そのときの人たちの様子も心配されていたのです。
壊滅的被害を受け、店をもう1回やろうかどうか迷っていたお寿司屋さんの一人に、鶴瓶さんは「やり始めたら真っ先に飛んでくるから」と言って励ましていました。じっとしていても何も生まれません。辛くて本当に大変でしょうが、是非一歩前に踏み出してもらいたいと願っています。