会長の”三行日記”
2011.05.20
リ-ダ-不在 No.2012
月に1回送っていただいているレポ-トに、こう書かれていました。「日本人は民族として優秀な素質を持っていて、頭もよく気力もあり、仕事ができる。しかし指導者とか音頭取り、自分を率いてくれる者がいなければ何も決断、断行できない」と。
優れた思想家であった孟子は、その最大の特徴として、堂々たる生き方を示して後進を励ましたと伝えられています。以下のような言葉があります。
「孟子曰く、文王(ぶんのう)を待ちて、しかる後に興(おこ)る者は凡民なり。かの豪傑の士のごときは、文王なしといえども猶(なお)興る」
これに次のような解説がありました。文王は周の基礎をつくった聖王です。孟子が言いました。周の文王のような名君の指導を待って初めて感奮興起するのは凡庸な人民である。かの人並みはずれた豪傑の士などは、文王の指導と教化がなくても、自ら独力で興起するものである。
文王はトップリ-ダ-の代名詞です。その出現を待ってそれに引きずられて立ち上がるような、誰かが音頭をとって初めて動くのは凡民、一般大衆であると言います。
本当に優れた人物は、こうした率いてくれる人がいなくても自ら立ち上がるものである。よく政界に人材がいないのを嘆き、「自民党や民主党の若手に、これはという政治家はいませんか」と聞かれると言います。
その答えに、あの安岡正篤先生が50年前にこう論じているそうです。「古くは神武天皇に率いられて大和の国を平定し、地方豪族が馳せ参じ武門政治を勃興した。
源氏、北條、足利、織田、豊臣、徳川。その果てに錦の御旗を押し立てて明治維新をやった。すなわち日本民族の歴史はずっと『文王を待って』興ってきた。その意味では国民として凡民だ」
そして冒頭の一説に続くわけです。ということは明治以来、我が国の歴史に刻むような優秀な指導者、人物は出現していないということになります。
これでは参議院議長である西岡さんが、いくら菅降ろしを一生懸命唱えてみたところで、これに続く人がいないわけです。確かに政府の今回の未曾有の災害に対しての、初期動作やその処置に問題がないとは言えません。
でも慣れていない民主党では、極論からすれば、誰がやっても同じだったのではないでしょうか。伝えるとことによると、西岡さんの菅憎しというのも、公的な立場というよりは、地元選挙区である諫早湾干拓問題の開門に関しての私的な事情もはらんでいると言います。
これだから今の政治家は小粒だと言われるのです。もっと日本の将来を大きく見据え、大局的見地から我が国がこの窮地をいかに脱し、どのような展開を進めていくか明らかにしてもらいたいものです。
ですからある意味では、この大災害に救われたとも言われる菅政権を倒すうんぬんより、政権同様、今できることに精一杯、全力投球してもらいたいものです。それが少なくない報酬を得る政治家としての使命と責務ではないでしょうか。