会長の”三行日記”

2011.05.19

ちょっと良い話part77 No.2011

久しぶりのちょっと良い話です。「10円玉の詰まった巾着」という話ですが、母の愛の大きさを感じさせてくれるものです。
 
携帯電話も、留守番電話もまだない黒電話時代。今から振り返って考えれば、想像を絶するような不便な時代も、それが当たり前と思って過ごしていた。そんな時代に青春時代を過ごした私の忘れられない思い出の中に、次のようなものがある。

その日は、朝から時雨の降る寒い寒い日で、私の志望校の入試日だった。一番苦手な科目が、午前の一科目めにある。終わった後、「もう、あかん・・。」と思った。「残りの科目、どんなに頑張っても、一科目めの失敗の挽回は、到底できへんやろう。」と思い、荷物をまとめて帰ろうとすら思った。

外の時雨は、いつしか牡丹雪に変わっていた。筆箱を鞄にしまいかけた私の目に弁当袋が留まった。「あんたの好物満載弁当、大傑作の出来栄えやから、絶対食べるんやで~!」

そう言って笑顔で送り出してくれた母の顔が目に浮かび、「弁当は、食べて帰るか・・。」と、弁当袋に手を伸ばした私は弁当箱の上に一通の封筒がのっているのに気がついた。

封筒の中に便箋が一枚。「母さんの声が聞きたなったら、いつでも電話しいや。今日は一日、電話の前に座ってるさかい。カバンの底の巾着のお金、好きなだけ使いなさい。見た目通りの太っ腹母より」

見れば、いつの間にか、カバンの底に小さな巾着が忍び込ませてあった。持ち上げると、ずしりと結構重い。開けてみると、よくこれだけ集めたな~、という程10円玉が入っている。そして、ここにもメッセージの紙切れが入っていた。

「試験、おつかれさま。10円玉になって、ついてきちゃったよ。母より」私は弁当箱の蓋を閉めることも忘れて、公衆電話に走った。

呼び出し音が、一回鳴るか、鳴らないかのうちに受話器をあげる音がし、母の「は~い、もしもし。」と、いつもの優しい声が耳いっぱい聞こえた途端、もう止まらなかった。涙も。一科目めの大失敗の話も・・。

母は、何も意見を挟まず、私が話している間中、ただ、「うん、うん。」と私の話を聞いてくれた。話し終わった後、もう、帰ろうと思っていた気持ちが不思議な位、綺麗さっぱり消えて無くなっていた。

そして、気がつけば、母に、「昼からの二科目め、頑張るわ。」と伝えていた。その言葉の後、ずーっと電話の向こうで沈黙が続いたので、聞こえなかったのかな、と、もう一度声を掛けようとしたちょうどその時、「祈ってるから・・。大丈夫。あんたは絶対、大丈夫。なんてったって、私の娘やもんな。」と、力強い母の声が耳に届いた。

今、思い返し、よく考えれば、「私の娘やから、大丈夫」なんて、無茶苦茶な根拠である。しかし、当時の私にとってはこれ以上ない程に力を与えられた言葉だった。

そして、私は敗者復活戦に臨むがごとく二科目め、三科目め、と力の全てを出し切り、その二ヶ月後、母と共に、その学校の入学式に涙で、臨んでいた。

あの時の、電話の向こうの母が聞かせてくれた、力強い声とは裏腹に、ほんの微かに聞こえてきた涙をこらえて、母が鼻を啜る音が、私の入試の勝敗を分けたように思う。

いや、実際のところ、10円玉の巾着を手にした時点で、もう完全に「諦め」の気持ちは私の中からノックアウトされていて「へこたれへん!」という気持ちのスイッチが入った、というほうが、正しいかもしれない。10円玉の詰まった巾着は、母の気持ちがそのまま詰まった巾着だった。

もう、かなり前の出来事なのに、昨日のことのように鮮明に思い出すのは、この時の出来事が、今でも、いろいろな困難に直面する度、私を支えてくれているからに他ならない。私自身、「母」となった今、とりわけ、あの時の、母の「強さ」と「優しさ」を身にしみて感じている。 

 
「10円玉になって、ついてきちゃったよ」という表現に、私たち男親では絶対真似のできない、母の無限の愛を感ずるものです。これが産みの苦しみを経て掴んだ、体を分け合ったものへの強さなんでしょうね。口惜しいけど、とても真似ができません。