会長の”三行日記”
2011.05.16
同友会の立ち上がり No.2008
昨日の日曜日は五月晴れの好い天気で、さぞかし皆さん楽しまれたのではないでしょうか。私も富士川河川敷でソフトボ-ルの試合が2試合もあり、十分堪能してきました。
決して自慢ではないのですが、今シ-ズンより外野にフェンスを想定した白線が引いてあり、それを超えるとホ-ムランなのですが、まぐれで何とその白線越えを放つことができました。
その白線が引かれてから、もう本塁打は無理だなと思っていたのですが、どうしてどうして、まだまだその気にさせてもらえるものです。でもそれは私の力ではなく、芯に当たると異常に飛ぶ、最近の高性能のバットのお陰だと思っています。
さて、同友会の仲間からこんな便りが届いています。少し省略してあるところもありますが、紹介させて下さい。
「そろそろ新鮮な魚や肉、生野菜が食べたいな」「あの店の蕎麦、もう一回食べてみたいな」「亡くなった方へ花を手向けたいが、生花がない」・・・大震災から約一ヶ月が経過した頃、まだ水の出ない陸前高田の被災地の方々は、我慢してきたそれぞれの心の奥底にある想いを出し始めていました。
「地域の声に黙っているわけにはいかんだろう。今こそ地域にお世話になってきた恩を返す番だ」岩手同友会気仙支部の数名が高田ドライビングスクールに集い、自然に話が進んでいきました。
元来商売は必要な人達がいて、その人に応えたくて店ができ、街が形成されてきたもの。街が消えてしまった陸前高田もまた、“商店"への欲求が高まっていました。
「支援される側から、早く自分の足で立って選ぶ側に立ちたい」地域の方々の想いは日々変化していました。 けせん“朝市"構想はそこから生まれました。
店も冷蔵ケースも全て失ってしまった精肉店の社長は、「早く商売がしたいけれど、金も道具も何にもない。建てる場所だって高田にはない。どうしていいか分からない」・・・そこで日常の生鮮品が揃う、皆が集い語り合える拠り所をつくろう、と動き始めました。
まず小売店の経営者が「その気」になるまでが、容易ではありませんでした。橋詰社長が一人ひとりの気持ちを全て聴き説得し、鮮魚は魚卸の小松さん。「避難所でじっとしていられない」あてもなく市内を動き回っていた社長を口説き、卸ルートを確保。
生花は商工会の婦人部から立候補の声があがるなど、噂を聞きつけ、次第に商店街の店主が集ってきました。 陸前高田市内には、かつて11店の飲食店がありましたが、跡形もありません。3店の醤油醸造元があり、それぞれの飲食店ではどれを使うか、こだわりがありました。
昼時はいつも入れないほどの、ある人気蕎麦店。「朝市で一日復活店をやってみないか」。最初「気力がわかない」という反応。それくらい、自分の日常が突然失われた衝撃は、まだ尾を引いています。
しかし周りの商店の状況を聴いて、「今動かないと益々動けなくなる。じっとしていたら商売勘だって、気力だって減退してしまう。完璧じゃないけどやってみる」。こうして一人、また一人と声をかけ、励まし、一緒にやろうと握手する。
そんな積み重ねで10店の小売店と、日替わりで出店する飲食店11店が、けせん“朝市"に臨むことになりました。 「無いなら創る」のが同友会。被災地では今、小さなプレハブは手に入りません。決めたはいいが、飲食店の入る小さな店舗が見つからず、急きょ「同友ハウス」をつくることを決めました。
昨年、共に生きる部会でつくった、手作り小屋がヒントになりました。住工房森の音 桜田社長が中心になり、地元木材を使い、みんなが関わりみんなで建てることのできるオリジナル工法で、たった一日で、屋根まで立ち上げました。
県内各地から屋根瓦業、庭師、浄化槽業・・・入れ替わり立ち替わり総勢20名を越える同友会のメンバーが、集いました。「格好いい。みんな目が輝いている。みんな光っている」こんなに純粋な気持ちで集ったことがあっただろうか。
地域再興への想いは皆同じです。 いよいよ明日、群馬同友会の方が、風力とソーラーのスタンド型発電機を届けに高田を訪れます。同友ハウスとのジョイントです。そして30日には、三重同友会から、ビタミンみえのソーラークッカーが到着。けせん“朝市"に結集します。
今までつくろう、つくろう、と藻掻いてもうまくいかなかった新しい仕事づくり。いつの間にか自然に、地域を越えて繋がり、生まれ始めています。
少し長くなりましたが、さすがは同友会の仲間達です。じっとうずくまっていては何も生まれません。また全国各地から差し伸べられている仲間の協力と支援も見事です。そんな爛々と輝いている目を私も眺めて見たいと思いました。