会長の”三行日記”

2011.04.05

天才書家・金澤翔子さん No.1984

金澤翔子さんのことをテレビで知りました。ダウン症として生まれてきたのですが、その道の専門家も驚くほどの女流書家として、今あちこちで活躍されている人です。
 
その母・泰子さんの手により、ここまで立派に育て上げられたわけですが、障害を持って生まれてきたことを知ったとき、泰子さんは絶望から死まで考えたと言います。
 
そして父の死や彼女の普通学級から養護施設への強制転校など、いくつもの試練を乗り越えてきて今日があるわけです。
 
そんな23年間の苦闘を経て、今の至福のときを迎えられている泰子さんは、今でも娘に対し心の中で謝り続けていることがあるそうです。
 
彼女がこの世に生まれてきて初めて見たのが、泰子さんの泣き顔だったからです。23年前は自分だけが不幸だと思って神を呪い、まったく育てる自信がなかったのです。
 
そんな泣きながら我が子を育ててしまったことを、もう取り返しがつかず、いつも心の中で「ごめんね」と謝り続けていると言います。
 
でも翔子さんが書を5歳のときから習い始めたのも、元々は泰子さんが書家で九段の腕前を持つ人だったからです。そのご主人は亡くなる半年前、「女房を日本一の書家にしてください」とその師に言い残したくらいです。
 
こうして母の厳しい指導や、現在の翔子さんの師である柳田泰山先生のお陰で、現在の書家・翔子さんが存在するわけです。
 
テレビから映し出される姿を眺めても、翔子さんは料理がとても好きみたいで、朝早くから起きて食事の支度をしてお母さんを起こす係りのようです。
 
そして随所にその優しさがふんだんと表われているわけですが、いざ書に向かうときはガラッと毅然とした表情に変わっています。それがあの力強い作品に表われているのでしょうか。
 
とにかく泰子さんと翔子さん親子の、しっかりとした強い生き方に、あきらめず、いつも希望を持って生きなければいけないことを教えられます。
 
かつてのクラスメ-トが道で出会ったとき。こう言ったそうです。「いつもビリだった翔子がトップになっちゃったね」人生は絶対あきらめてはいけないものです。