会長の”三行日記”
2011.01.11
新年初の座禅修養会から No.1934
昨日久しぶりに出掛けた座禅の修養会で、龍卓寺の老師・後藤栄山さんが話されていた1つに次のようなことがありました。「親切」という言葉についてです。
この「親切」は文字だけ読んだら、親を切るということですからちょっと大変なことのようにも受け取られますが、そんな意味ではなく、親しくなり切るというように解釈すればよいみたいです。
ですから親切という行為で、それを施した人間と、そうされた方が一体となるわけで、親しくなり切る関係を結ぶことができるのです。
また他人にはこの「親切」が、自分自身に対しては「辛切(しんせつ)」と書いて、甘えを許さず自分に厳しく辛口に対処せよと話されていました。
それからもう一つ、法や定めに対しては「親切」を「深切」と読み替え、深く捉えて行動を慎まなければと説いていました。
またその他、法話の中では1ヶ月1回のこの座禅だけではなく、1日10分か15分でいいから家の中で座禅を組んで、瞑想し自分自身を振り返ることも必要だと話されていました。
やはり現在の忙しさにただ流されるだけではなく、短い時間でもゆっくりと自分を見つめ直すことが求められているということでしょう。
我が社の新年早々の朝礼で、当番の女子社員からこんな素敵な話を聞くことができました。昨年の暮れ、他の者は全員出張に出ていた関係で、一人会社の留守を守ってくれていたわけですが、28日の最終日に郵便屋さんが訪ねてきたそうです。
いつもは下の郵便箱に入れていってもらうのですが、その日は速達か何かあったのでしょう。事務所のある2階まで上がってきて、こう話されたそうです。
「今日でこの辺の配達は全て終わります。1年間いろいろと有難うございました。来年もよろしくお願いいたします。」この丁寧な挨拶に続いて「良いお年を!」の言葉まで付け加えたそうです。
この言葉で女子社員はすっかり嬉しくなったそうです。これで1年気持ちよく締めくくることができると感じたのでしょう。まさにこれが老師の言われる、言葉の親切ではないでしょうか。もっともっとこの狭い日本、こうした素敵な関わりが持てることができたらと願っています。