会長の”三行日記”

2011.01.06

年頭に当たってのあれこれ No.1932

連日のお客様への年始挨拶回りで、大変カキコミが遅くなってしまいました。それにしても今年は日程的に、仕事始めからすぐ8日の土曜日が来てしまう関係で、挨拶回りも含め、少しスタ-トが切りにくいところがあったように思えます。
 
従って例年では3日間掛かるところを2日で済ませなければならず、挨拶回りも強行軍にせざるを得ませんでした。東京へのその最中、気がついたのは普通、軒先に掲げるお飾りと呼ばれる、品物が少なく写真のような張り紙で済ませていることです。

     

これも今の時代を反映してか、簡素化していることのようですが、ちょっと寂しいような気がするものです。また東京に出掛けて感ずるのは、どこも歩く距離が長いことです。錦糸町と東京、浜松町、そして大崎と回ってきたのですが、知らない間に、とてつもなく歩いていることに気がつきました。
 
ですから私たち田舎に住んでいる者の方が、普段車を利用することが多く、door to door でかえって歩いてはいないものです。これなどは田舎と都会の逆転現象のようで、意外なことでもあるわけですね。
 
それからいつも感ずることながら、都会人は歩くのが速いことです。また駅などには階段も多く、エスカレ-タ-を使わなければ、日常的にシェイプアップできる要素が揃っていることです。
 
喪中とのこともあり、毎年恒例の元日からのソフトボ-ルの集まりを自粛したりした関係で、ただ飲んで食べて寝る繰り返しで、少し体は自由がきかず、だらしなくなってしまったようです。油断大敵ですね。
 
でも昨年の暮れにはいつもは、のほほんと眺めている紅白を観ることもなく、工事現場にこもっていました。予定では元旦まで掛かると言われていたのですが、試運転も順調に進み、年明け早々には仕事も片付くことができました。
 
そして帰路、灯りがほとんど消えていた広い工場の敷地を進み、通用門での守衛さんに挨拶を済ませて帰ろうとした際、投げ掛けてくれた言葉が嬉しかったですね。
 
遅くまでお疲れ様でした」。この言葉は、心底言ってくれているように感じたものです。ですから単細胞のこちらは、その言葉だけで、ルンルン気分で家路につけたものです。
 
昨年暮れにも話しましたが、正月早々仕事にありつけることができたのも、喜ばなければいけません。そんなわけで、ちょっぴりでも今年は良い年になるような気がするし、また是非そうしたいと思っています。本年も変わらぬご交誼をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。