株式会社 アイソー




2010年06月の日記

日本快勝

[2010年06月25日(金曜日)|No.1845]

いやあ−、注目のデンマ−ク戦、日本の快勝です。日本中の多くの人達が大きな感動に包まれ、溜飲を下げているのではないでしょうか。
 
昨夜は会合があり、その流れで少しお付き合いして帰ったのですが、朝3時に目覚ましをセットした通りに起きることができ、このデンマ−ク戦のテレビにかじり付きました。
 
前半17分、かなり距離があったと思うのですが、本田選手の見事なフリ−キックでまず日本が先制したのです。そして30分にも、今度は遠藤選手がこれも見事なフリ−キックで2点目の追加点を挙げました。
 
そう言ったら怒られるかもしれませんが、どちらのシュ−トも日本人離れしているように思えたほど、キ−パ−が全然追い付けない強烈なシュ−トでした。
 
2点目は最初、先に得点を挙げた本田選手が蹴るのかなと思ったのですが、蹴ったのは遠藤選手でした。VTRで見ても、相手の壁を右からうまくよけながらカ−ブの軌道を描き、ゴ−ルネットに突き刺さっています。
 
また本田選手のフリ−キックは無回転と言うのでしょうか、これも絶妙にコントロ−ルされたゴ−ルがネットに吸い込まれたのです。まさに2本とも胸のすくような見事なゴ−ルだったと言えます。
 
こうして2−0で迎えた後半、逃げに回ったら嫌だなと思っていたのですが、そんな心配が全く不要なほど、日本は積極的にプレ−していたように思えます。少し厳しいなと思えた判定による、長谷部選手の反則で与えられたPKで1点を挙げられたものの、すかさず岡崎選手の駄目押しとも言えるゴ−ルで、勝利をほぼ手中に収めたのです。
 
これは岡崎選手のワ−ルドカップ初ゴ−ルと言われていましたが、この得点に強く胸を打たれたのです。それは観ていた人なら誰もがそう感じたと思うのですが、決定的となった本田選手が自らシュ−トするのではなく、しっかり視線に入っていた右の岡崎選手へ、絶妙のアシストとなるパスを出したのです。
 
このアシストになぜか感動したのです。マスコミに影響されてか、とかくビッグマウスとか何とか言われている本田選手に対し、実態は知らないものの、我が道を行く自分勝手な選手ではないかと思っていたからです。
 
でもこのアシストにはそういったものではない、凄く彼の持つ優しさを感ずることができたのです。試合後のインタビュ−でも、ちょうど同じくらいの年齢になるのでしょうか、「オカにも決めさせてやりたかった」と述べていました。
 
そして勝ちが決まった後の日本チ−ムもよかったですね。控えを含む全員が肩を組んで円陣を張り、1つになって喜びを分かち合っていました。眺めていても本当に気持ちがよかったものです。
 
これで目標の予選リ−グ突破を果たすことができました。戦前は3試合全敗でお帰りとか、ずいぶん酷いことを言われていましたが、岡田監督の面目躍如たるところで、少しは鬱憤を晴らすことができたのではないでしょうか。
 
これからは勝てば官軍で、手のひらを返したような周囲の豹変さに、さぞ複雑な思いのことと思われますが、決勝ト−ナメントの結果がどうであれ、胸を張って帰って来ることができます。私も以前この欄で、そう願っていたとおりの結果となり大満足です。
 
来週の28〜29日はここでまた、お引き合いを頂いたモノレ−ルの工事のため、軽井沢に出張します。カキコミは休ませて頂きますので、よろしくお願い致します。


大相撲の野球賭博

[2010年06月24日(木曜日)|No.1844]

日本列島、今日だけは梅雨も中休みでお天気になりそうです。でも昨日あたりは東名を走っていて前が見えないくらいの豪雨でした。被害が出ている九州など、これ以上拡大しないことを祈っています。
 
さて大相撲はどうなる?ことでしょうか。開催が危ぶまれている名古屋場所うんぬんより、もっと根っこの部分にメスを入れなければいけないように思っています。
 
大相撲の開催をよく興行と呼ばれているくらいですから、野球賭博に限らず、もっとその付き合いは以前からで、根深いものではないでしょうか。
 
この名古屋場所にしたって、昨年は二人の親方が暴力団の組長らに、土俵下の維持員席で観戦できるように、便宜を図ったことが既に明らかになっています。きっと、こんなことなどに留まらない深い付き合いがあるものと思われます。
 
そうでなければ、親方衆まで賭博に関与しているような体質が生まれるはずがありません。今回の不祥事を受けて、NHKは7月4日の理事会においての開催決議を待たなくても、名古屋場所のテレビ中継を中止するかもしれないとの声明を出しました。
 
いよいよ大相撲のピンチです。国技ということにかまけて、旧態依然とした体質で進めてきた、永年のつけがここでドッと出たのでしょう。従って、ここは今までの甘えた体質に楔を打ち、うみを出し切るときではないでしょうか。
 
ですから場所の開催など、所詮は無理な話ではないでしょうか。でも貴乃花親方のように、こうした古い体質を変えなければ大相撲の前途はないといった、その改革を真剣に考えている人も少なくありません。
 
こうした人たちのためにも、前向きな改革をしなければいけない時のような気がします。それには言われているように、旧力士だけによる協会の運営はもう限界ではないでしょうか。勇気ある決断を望みたいところです。
 
余分な話ですが、賭博に関与した琴光喜関を恐喝した暴力団関係の人間は、かなり自身の身の危険を感じているのではないでしょうか。望ましいことなのですが、恐らくこれで相撲界の野球賭博が根絶することになれば、暴力団は自分で自分の首を絞めることになるわけです。
 
そういった意味でも、そこまで考えていなかったかもしれませんが、あまり利口な手口ではありません。やはり自業自得ですね。


ちょっと良い話part62

[2010年06月22日(火曜日)|No.1843]

東京のある中学校に、10秒ほどで終わる「伝統行事」があり、先輩から後輩へ受け継がれ38年続いているそうです。このちょっと良い話を紹介したいと思います。
 
一部省略してあります。「おーい」「行ってらっしゃい」黄色や青のポンポンを持った1、2年生がフェンスに張り付き、通過する新幹線に向かって声を上げた。
 
19日朝、東京都の品川区立荏原第3中学校の屋上。京都への修学旅行に向かう3年生を乗せた新幹線はビル街を抜け、徐々にスピードを上げながら学校の前を走り抜ける。38年続く、ほんの10秒ほどの伝統行事だ。
 
新幹線までは、ほぼ100m。行き過ぎる車窓から、「見えてるよ」というように、合図のカメラのフラッシュが一斉に光った。
 
始まりは修学旅行専用列車「ひので」号から新幹線に切り替わった直後の1973年。当時、音楽を教えていた山田敦子さんはそれまで教室の窓から見送っていたが、「新幹線は速くて見にくい」と数人の生徒と屋上に上がって旗を振った。
 
そんなささやかな見送りが先輩から後輩へ受け継がれ、いつしか学校行事となって父母も加わった。1、2年生が見送り、3年生になると見送られる。
 
卒業生の中には「同じ経験をさせたい」と横浜市内から娘を入学させた父親もいる。「荏原3中の皆さん、左手をご覧ください」という車内アナウンスが流れたこともある。
 
19日朝、雨上がりの屋上には山田さんの姿があった。学校が統廃合の対象になり、今の校舎での見送りは今年が最後。統合後の校舎もほぼ同じ場所に建て替えられるが、4階建てから3階建てになるため、同じように見送りができるかどうかはわからない。
 
「生徒は減り、ビルが増えて、屋上からの眺めも変わった。だけど、親が子どもを思う気持ちも、先輩から後輩に引き継がれた思いも変わっていないなあ。どんな形でも続けてほしい」そう言って、目を細めた。

 
同じ席になった相手が嫌だと、女子生徒がナイフで同級生を刺す、殺伐とした今の世の中にあって、何かほのぼのとさせられる伝統行事です。
 
たったの10秒かもしれませんが、見送ってもらった方の、嬉しい感謝の気持ちは一生忘れることのない出来事になるのではないでしょうか。是非、続けてもらいたいものです。
 
明日は一日、出張で会社を留守するため、カキコミは休ませていただきます。


日本善戦

[2010年06月21日(月曜日)|No.1842]

海の向こうからは宮里藍ちゃんの今季4勝目のニュ−スが飛び込んできました。全米オ−プンの決勝に残り頑張っている石川遼君同様、日本人選手もしっかりと結果を残すようになっています。梅雨の天気でどっぷりと沈むような天気ですが、こうした活躍に少しでも元気を頂いていきたいものです。
 
さて土曜日の夜は日本中、盛り上がったのではないでしょうか。ワ−ルドカップ、日本対オランダ戦があり、翌日も日曜日で多くの人が休みだった関係で、テレビの中継にかじりついた人が多かったのではないでしょうか。
 
試合は惜しくも0−1で日本が敗れてしまいました。でもよくやったと言えるのではないでしょうか。対するは優勝候補とも言われているオランダです。前半の45分などは特に決定的な危ない場面もなかったように思えます。
 
試合後、関係者は口を揃えて、もう少し引いているばかりではなく、前線を上げてプレ−した方がよかったなどと言っていますが、果たしてどうでしょう。
 
明らかに攻撃陣が日本と違って強力なオランダだけに、あそこまで守れていたかどうか判りません。それは後半に先制された後、日本が少し上げて攻撃に回った際、ゴ−ルキ−パ−・川島の好セ−ブに救われたのですが、決定的な再三のピンチに見舞われたことでも言えるのではないでしょうか。
 
やはりオランダとは明らかに実力が違うのです。それだけに前半ほとんど決定的な場面を相手に与えなかったことは日本の善戦と言えるのではないでしょうか。
 
それにしても我らの俊輔さんはちょっと迫力がなかったですね。サッカ−をよく知らない私達はなぜエ−スである、中村選手を出さないのか、よく解らなかったのですが、この試合で少し解ったような気がします。
 
やはり走れないし、守れないのですね。本当に数少ないチャンスだけに、突進力のある選手でなければならないように思えます。また岡崎選手の決定的な場面が終盤あったのですが、あれがもしオランダ選手であれば決められていたでしょうね。
 
身体的能力の大きな差のような気がします。しかし、この日本選手の頑張りで、最終戦まで望みを繋げてくれました。デンマ−ク戦での更なる健闘を祈りたいと思います。


高速・有料道路無料化実施

[2010年06月18日(金曜日)|No.1841]

今月28日から一部高速や有料道路の無料化が実施されます。社会実験ということで来年の3月までの予定となっています。
 
自分たちが直接影響の出てくる所としては、箱根新道(山崎IC−箱根峠IC、14キロ)と西湘バイパス(西湘二宮IC−箱根口IC・石橋IC、15キロ)がその対象となっています。
 
その実施期間中、通行にいくつかの注意点が必要だとの記事が載っていました。ETC搭載車は今までどおりの通行で、料金が徴収されない仕組みで何も問題ないのですが、問題は未搭載車についてです。
 
無料になったからと言って、そのまま素通りできるのではなく、一般レーンの入り口で通行券を受け取り、出口で通行券を渡して無料化区分を差し引いた料金を支払うと言われているのです。
 
前記の箱根新道などは料金所が下りの入口と上りの出口を兼ねた1箇所しかないため、これは必要ないものと思われますが、一部高速などの無料化区間だけを走行する場合でも、必ず通行券を受け取る必要があるとのことです。
 
ただ料金所が1箇所だけの所でも、交通量を調べるための利用証明書というものを受け取らなければいけないため、停止しないで突っ切ることはできないそうです。
 
この無料化の目的やめざす効果については、物流コストの引き下げや観光振興などへの好影響とのことですが、果たしてどうなるものなのでしょうか。
 
私どもの勝手な理屈を言わせていただくと、箱根新道と西湘バイパスはどちらも1回250円の通行料金です。この道路に併走している無料道路として、箱根の旧道と国道1号線旧道路があるのですが、有料道路を使用する私達は、この250円で安全と安心を買っているとも言えるのです。
 
休日や通勤時間帯など無料の道路は(そればかりの理由ではないのですが)渋滞で到着時間が読めないため、仕事上、安全サイドで考え、ある程度は到着時間が読める有料道路を使用しているのです。
 
ところがどうでしょう。無料化になった途端、多くの車、少なくとも今まで以上の車が押し寄せることになるものと思われます。これでは遊びで使用するのならいざ知らず、仕事で利用する場合、お客様との約束を十分果たせなくなる怖れも出てくるのです。
 
こんなわけで、実施される無料化の社会実験には賛成しかねるのです。言い方が適切ではないかもしれませんが、250円で安心と安全が買えるのなら安いものです。
 
さて今月末からの実施結果はどうなることでしょうか。今までどおり、安心して小田原まで1時間ちょっと、平塚にしても1時間半も掛からず行けるように、ただただ願うものです。


選挙戦突入

[2010年06月17日(木曜日)|No.1840]

今日は梅雨の合い間の一日で、朝からお日様がギラギラと照りつけ、暑い一日になりそうです。しかし予報では明日からはまた崩れると言いますから、週末の良いお天気は期待できそうもないですね。
 
国会が昨日で閉会となり、いよいよ7月11日の参議院選挙に向けて突入しました。我が同級生である土田博和氏も昨年補選で議員となったものの、残り任期が1年しかなかった関係で、ここでまた選挙の洗礼を受けなければなりません。
 
しかし民主党の前議員・藤本氏との関係もあって、今度は地方区から全国比例区に回ることになりました。本人の話ではこの全国区というのがなかなか大変のようです。
 
衆議院の全国区と異なり、投票用紙にも民主党とただ書いただけでは本人の票には繋がらないとのことです。ですから候補者自身の名前を書かなければいけないのです。
 
候補者自身の名前と党への投票の合計した票数が、それぞれの党の当選ラインを決める振り分けになるのですが、党の中での候補者の当選順位は個人への得票がその基準になるからです。
 
ですから衆議院のときのように、予め名簿順位が決まっているわけではないので、全国区でも個人への投票がなければいけないのです。これでは全国的に知名度の高いタレント議員などに敵うわけがないのです。
 
それから日教組とか各組合などの組織票がなければ、なかなか厳しいのです。こんなわけですので、全国的に票を集めるというのはかなり、しんどいみたいです。
 
そして地方区と違って、全国区は身近に感じないところから、地元の選挙民の注目を集めることも難しいようです。従って前回の補選のように、1議席を自民か民主かという選択でもありませんから、彼にとって今回の選挙はかなり厳しいものになるとのことです。
 
しかし折角、同級生の中で唯一国会議員になれた彼ですから、何とかその地位を守ってやりたいものです。地元御殿場ではノ−と言わず、いつどんなときでも診てくれる病院として、彼が病院長となっているフジ虎ノ門整形外科病院と彼の人気は絶大なものです。
 
先日も知り合いのサッカ−をやる子が試合中、大ケガをしてこの病院に運ばれたのですが、何とか一命を取留めてもらったようで、胸を撫で下ろしています。
 
あまり政治家らしいハッタリがきいたり、派手なパフォーマンスがなく、医療の未来を見据え、地元への貢献を地道に図っている彼だけに、何とかこの選挙にも勝たしてあげたいと願っています。


はやぶさの快挙

[2010年06月16日(水曜日)|No.1839]

ワ−ルドカップのカメル−ン戦勝利に沸く国内ですが、もう一つ信じられないような快挙が「はやぶさ」の帰還です。
 
この小惑星探査機の「はやぶさ」が13日、7年にわたる約60億キロの旅を終えて無事帰還しました。オ−ストラリアの中南部の砂漠地帯に、本体から切り離されたカプセルが、パラシュ−トを開きながらほぼ想定通りの場所に落下したのです。
 
この本体は残念ながら大気圏に突入した途端、高熱のため燃え尽きてしまいましたが、月以外の小惑星「イトカワ」で採取したかもしれない試料の可能性を残したカプセルを切り離し、その長い役目を果たしたのです。
 
それにしても、2003年5月の打ち上げから7年も掛かり、予定より3年長引いた旅の総距離は、月への往復8000回に相当する約60億キロと言われるから、何とも凄いものです。
 
またこの帰還に至るまでは、奇跡的な3つの危機を乗り越えているのです。  1つは通信の途絶えです。打ち上げから2年4ヶ月掛かって「イトカワ」に着陸した後、11月の離陸時、姿勢制御用の化学エンジンがまさかの燃料漏れを起こし、その反動で姿勢が乱れ、通信も途絶え行方不明となったのです。
 
この姿勢というものは探査機にとって生命線と言われ、アンテナが地球に向かなければ交信できないのです。それから微弱な信号をとらえるのに7週間も掛かり、意地と忍耐と神頼みの日々だったと言われています。
 
それから2つ目の危機はその燃料漏れで、推進力の強い化学エンジン12基がすべて故障したことです。このため長距離航行用のイオンエンジンで代用し、何とか瞬発力を得て危機を脱したのですが、当初予定した帰還軌道に乗り損ね、3年間の遅れが生じたのです。
 
従ってその分、部品劣化も進んだ関係で、復路は寿命との闘いだったとのことです。でも地上から指令した以上の働きをしてくれた、と言われているほどの活躍を見せていたのです。
 
そしてもう1つはその懸念が現実となり、頼みの4基中3基目のイオンエンジンが故障したのです。それは帰還が絶望視される故障だったのですが、故障個所の違う2基をつなぎ合わせて1基分にするという、賭けとも言える試みの結果、見事成功したのです。
 
こうしたまさに満身創痍とも言える3つの危機を乗り越えての帰還は、研究者の粘りと日本の技術が生み出したもので、「不死鳥」とも呼ばれる所以でしょう。今回の帰還に大活躍した、NECの作ったイオンエンジンなどは、日本が世界に誇る技術を立証し面目躍如たるところです。
 
そして電気推進エンジン分野で、今後の世界市場を大きく賑やかすことになるでしょう。月以外の探査成功は世界で初めての快挙です。どんなときでもあきらめない、この「不死鳥」とも言える「はやぶさ」は閉塞する日本に大きな勇気と感動を与えてくれました。
 
少しでも夢と希望を持ち続けたいため、地球帰還への旅とその活躍を描いた映画の上映されている、プラネタリウム博物館に是非足を運んでみたいと思っています。


W杯価値ある1勝

[2010年06月15日(火曜日)|No.1838]

日本がカメル−ンを破りました。今日はやはりこの話題抜きには語れないでしょう。学校に通う小学生までが「日本勝ったね」と、笑顔で友達に話し掛けていたくらいです。
 
また会社の横には他社の駐車場があるのですが、出勤の人達から窓越しに聞こえてくるのは昨夜のこの話題ばかりです。お陰でいつもは愛犬と5時半には散歩に家を出るのですが、今朝は夕べの余韻がたたって、出るのが6時過ぎになってしまいました。
 
それでも勝ったので寝覚めは心地良いものでした。それにしても昨夜の日本はよく勝ったと思います。いつもなら夜11時過ぎになると目がふさがってしまい、とても起きてはいられないものですが、何とか試合開始まで引っ張ることができました。
 
そして始まってしまえば、もう眠いなんて言っていられないゲ-ムだったように思われます。まず出だしの15分は解説の山本昌邦さんが言われていたように、要注意の時間帯でしたので、こちらまで注意して目を凝らしていたものです。
 
幸い選手たちは変にギクシャクもせず、良い立ち上がりを切れたように見えました。バックもしっかり守っていたから、そんなに危ない場面もなかったように思います。
 
そして前半39分、ワントップで起用された本田選手が、松井選手からの絶好のセンタリングを素早いトラップで処理し、得意の左足で見事なゴ−ルを決めたのです。
 
素早くシュ−トに繋げた本田選手の個人技も見事でしたが、好調と呼ばれていた松井、大久保両選手の動きがやはり良かったですね。いつもこうしたゴ−ル前では、日本人選手のモタモタしている場面が多く見られたものですが、久しぶりにスカッとさせてもらった得点でした。
 
しかし1−0で前半を終え、迎えた後半は何ともしんどいものでした。途中からはこちらの攻撃が鳴りを潜め、防戦一方に回ってしまいました。しかし相手のシュ−トが辛うじてゴ−ルポストに当たったりして救われたものです。
 
この勝利はワ−ルドカップにおける岡田監督と、日本チ−ムの国外開催での初勝利と言われています。次は強豪・オランダとの対戦です。この勢いで欲を言えば撃破してもらえば言うことありませんが、何とか引き分けぐらいの試合をやってくれたらと望みます。
 
それにしても勝つということが、こんなにも盛り上げるのですね。この1勝だけで日本の経済効果は結構高まったものと思われます。次のオランダ戦に私の好きな選手でもある、中村俊輔選手の出場と活躍を是非とも願いたいものです。


語り継ぐ大切さ

[2010年06月14日(月曜日)|No.1837]

沼津市長の父君である、栗原祐幸氏のお別れ会に行ってまいりました。その開式には陸上自衛隊による儀じょうと呼ぶのでしょうか、全員が整列して行進しながら現われ、指揮官の号令の下、一挙手一投足が寸分も狂いのない、敬礼や回れ右などの礼式動作を観ることができました。
 
初めて観たのですが、ちょっぴり感動しました。やはり訓練の賜物なのでしょうか、故栗原祐幸氏がかつて防衛庁長官を2期務めたことに対しての、敬意を表してのことと聞きました。
 
この自衛隊のことではないのですが、先日の地元新聞への投稿に、次世代に平和について考えてもらうため、戦争体験の悲惨さを伝えていかなければならないとの記事が載っていました。
 
11歳の小学6年生の夏休み宿題から、端を発してのことで、以下投稿文の要約です。
 
10年ほど前、当時1小の6年生だったN君にインタビュ-を受けたことがある。彼は夏休みの宿題の自由研究に、昭和の時代、ことに戦争中、自分と同じ11歳の子ども達がどうしていたか、それを知りたくて課題に選んだ。
 
教科書や先生、母親に聞いても答えは見つからなかった。こうして当時11歳ぐらいの人ということで、私ともう一人がインタビュ-を受けることになった。
 
二人とも昭和9年生まれ、小学校が国民学校と改称され、軍事教育を受けた同期の桜のような間柄。特に11歳の頃のこととなれば、沼津は丸焼け、そして終戦と、戦禍をくぐり抜けた記憶を忘れることはない。
 
食糧不足でサツマイモのつるや、すいとんを食べ、ひもじさを我慢し、日本は神国で神風が吹いて敵をやっつけ、必ず勝つと信じ、「欲しがりません、勝つまでは」と空腹でやせ細っていても、気持ちだけは元気だったことなどを話した。N君は夏休みの宿題として、その感想を立派にまとめて発表した。
 
そしてそれがきっかけとなり、1小の6年生に戦争体験を話すことになった。もう一人のKさんは、空襲におびえながらの学校生活、軍歌を大声で歌いながらの登下校、空襲で一面焼け野原になって沼津駅から海が見えたこと、友達の死、そして終戦。焼け跡に新校舎が落成した喜びなど、時々声を詰まらせながら話した。
 
「戦争はしてはいけない」その答えをしっかり受け止めてくれたことを、子ども達の頬に伝わる涙の中に実感。11歳の諸君に11歳だった私達2人が、戦争の怖さを伝えることができたことを今も感謝している。

 
そしてこの続きを読んでびっくりしたのが、当時11歳だったN君が今では20歳、そして現在は防衛大学の2年生で、白い制服がまぶしいくらいの青年に成長していたとの記述がありました。
 
日本の場合、防衛大学イコ−ル自衛隊という繋がりがほとんどでしょうが、自衛隊イコ−ル戦争ではないことを冒頭の儀じょうによる感動からも感じ取りました。
 
筆者同様、20歳の彼があくまでも平和の原点に立って、日本の為に働いてくれることを願っています。そして貴重な戦争体験を語り継いでいただくことで、平和について改めて見つめ直し、沖縄の基地問題なども、私達が身近な問題として考えていかなければいけないのではないでしょうか。


人気の波紋

[2010年06月11日(金曜日)|No.1836]

ゴルフの石川遼くん人気が思わぬ波紋を広げているとの記事です。先頃、ギネスにも認定されたという、58の驚異的なスコアを出した遼君ですが、その人気は益々拍車が掛かっているようです。
 
何しろ遼君見たさに、その観戦がとどまるところを知らないのです。傍若無人な一部のファンや、そのプレーを1打でも撮りこぼすまいと、追いかけている報道陣も、これまでは被害があっても、その組内だけで済んでいました。
 
ところが過熱した最近では、前後の組までその影響が出てきました。彼目当ての長い列がそのホールだけでは収まりきれず、その前後にまで伸びてしまうのです。
 
しかしそれは仕方ないとしても、問題はそのはみ出した方達の観戦マナーや撮影方法だと言われています。より良い観戦場所を求めて、前のホールに先回りした人たちが、前の組のプレーにもお構いなしに走り出してしまうのです。
 
また撮影場所を確保しようとして、カメラクルーもせわしなく動くため、その度に前の組のプレ−ヤ−は仕切り直しとなります。従って彼らは集中できないことから、スコアにも影響が出始め、怒りも爆発することになるのです。
 
それはイライラする方が悪いと言われるかもしれませんが、以下のような反論を挙げていました。
 
たとえば、あなた主催の演奏会を開いたとしよう。しかし、前列の客がまったく演奏を聴かず、勝手なお喋りを始めたとしたらどうか。もしくは映画を観に行って、後ろの客が無遠慮にせんべいをかじり始めたら、どう思うか。
 
聴く気がないならば、または静かに観るというマナーが守れないならば、この場から出て行って欲しいと思うのが人間だろう。誰も、文句を言う側に「あなたには忍耐が足りない」とは思わない。それと同じではないだろうか。

 
選手たちが怒るのはそれだけではなく、もっと以前から常々ファンにお願いしてきたことで、マナ−を呼びかけたり、報道陣向けの勉強会も開いてきたと言います。
 
でも毎週のようにト−ナメント会場が変わると、ギャラリ−はもちろん、報道陣の顔ぶれもガラっと変わるから元の木阿弥で少しも改善されないからです。
 
選手たちも分からず屋ではなく、我慢している選手も多いと言います。中には「僕は、遼クンみたいに人気がないからしょうがない」と言って、「むしろ、こんな大勢の前でプレー出来るなんて幸せ」と考えるようにして耐えている人もいるようです。
 
と同時に、「遼クン以外の選手のことは、みんなどうでもいいんだろうなあ」と、冗談交じりに言いながら、内心は深く傷ついている選手もいるみたいです。
 
これではそうした選手たちはもちろんのことですが、人気の中心にいる遼君自身まで傷ついてしまうことになります。テレビでも彼が自分のプレ−以外のときに、神経をよく遣っている場面を見掛けるものです。
 
最後に以下のようにファンにもう一度呼び掛けていました。もはや国民的アイドルとなっている“遼クン”は、逃げたりしない。コースに来ていただければいつだって、18歳は堂々とそこにいる。慌てて先回りしなくても、奇跡のプレーをみなさんに、存分に披露してくれるはずだ。
 
出来るだけ大勢が気持ち良く過ごせるように、いつもあなたが家族や友人にしているように“遼クン”にも、そしてそれを取り巻く他の選手たちにも、ほんの少し思いやりを持って接していただければ有り難い。

 
このゴルフもそうですが、遼君一人でプレ−をしているわけではありません。「ひいきの引き倒し」という言葉があります。ひいきし過ぎると、かえって当人を甘やかしたり、大成を妨げたり、迷惑を掛ける結果になるというものです。何年に一度出るかどうかの逸材だけに、そうならないよう、周囲がル−ルを守り温かく見守っていきたいものです。


御巣鷹山での心無い仕打ち

[2010年06月10日(木曜日)|No.1835]

ずいぶんと、ひどいことをする人がいるものです。日航ジャンボ機が墜落した群馬県の御巣鷹山で、遺族らがメッセージを記した短冊や千羽鶴が切り刻まれるなど、「昇魂之碑」の周辺を荒らす行為が頻発しているそうです。
 
あの事故から今年の8月で25年を迎えようとしています。18時羽田発、日本航空123便のジャンボジェット機が突然レ−ダ−から消え、テレビのニュ−ス速報が慌ただしく伝えていたのを憶えています。
 
ちょうどお盆の時期で帰省客も多く、夕方のラッシュも重なり、機内は満員の乗客で溢れかえっていたと言います。奇跡的な4人の生存者の他は、乗員乗客520人もの多くの人がその犠牲になってしまいました。
 
犠牲者の中には「上を向いて歩こう」などのヒットで知られた、国民的歌手であった坂本九さんもいました。今でもあの人懐っこい笑顔がしっかりと思い出されるものです。
 
この事故原因はその後解明され、同機がそれ以前、大阪の伊丹空港で着陸の際に起こした、しりもち事故による、機体尾部の破損した圧力隔壁の修理が、ボ−イング社により十分為されていなかったことによるものと言われています。
 
そして事故前に何度か、この飛行機が使用されていたのですが、機体の歪から後部トイレや収納ドアの開閉がうまくいかなかったことも伝えられています。でも後の祭りで、多くの尊い命は戻らないものです。
 
この大事故を知ってか知らずか、このような遺族を冒とくする行為は不届き千万なことで、とても許されるものではありません。
 
月命日の12日などには遺族らが多く訪れ、慰霊の言葉を綴った短冊を棒に結わえ付けているそうです。そして墓標に供えられた千羽鶴は風雨を避けるためビニ−ルで覆われています。
 
このビニ−ルの袋が破られたうえ、ひもが何箇所も切られて千羽鶴が地面に散乱し、短冊の多くも切り落とされていたと言います。
 
またこうした、心無いいたずらは3年前の末頃から目に付くようになってきたそうです。ひどいのは遺族の神経を逆なでするような言葉が書かれた短冊まで見つかっているのです。
 
本当に人間として、やって良いことと悪いことの区別がつかない輩がいるようです。この日航機御巣鷹山墜落事故を描いた映画も、2008年には我が同級生でもある、原田眞人監督の「クライマ−ズ・ハイ」、そして昨年は山崎豊子さんの同盟小説を映画化した「沈まぬ太陽」が上映されました。
 
これらの映画が公開されたこともあって、それからは登山者も増えているとのことです。同映画の監督や作者にしたって、鎮魂のベ−スの中に、二度とこうした未曾有な悲劇が繰り返されてはならないという、無念な思いと悲痛な叫びを描いていたはずです。
 
あれから4半世紀、事故から立ち直り、やっと新たな道を見つけ始めた遺族に、これ以上の仕打ちはあんまりと言うものです。物見遊山でただこの山に登るのではなく、犠牲者の無念の思いをしっかりと感じ取らなければなりません。
 
個人的にもちょうどこの時期、大きな節目にもなったことから、いつまでもこの大事故は忘れようにもとても忘れられるものではありません。


夏の大会に向けて

[2010年06月09日(水曜日)|No.1834]

新しく発足した菅内閣を称して奇兵隊内閣と呼んで下さいと会見で述べていました。山口県生まれの首相にとっては、自身も尊敬している、郷土の英雄・高杉晋作を強く意識してのことでしょう。
 
草の根運動出身の自らを例に挙げ、世襲ではなく一介のサラリ-マンの息子である庶民でも、志を持ち努力を重ねれば、こうして政治の社会でもしっかりと活躍できると述べていました。
 
マスコミは選挙用内閣とか9月の代表選までの暫定内閣など、勝手なことを書き立てていますが、実務をそれなりにやってくれるのではないかと、期待をして見守っていきたいと思っています。
 
さてこの前の日曜日、夏の選手権大会まであと1ヶ月余りと迫ったこの時期、恒例の沼商−東高定期戦がありました。我が方が9−5と、昨年の雪辱を果たし、勝つには勝ちましたが、なかなか課題の多いゲ−ムだったように思えます。
 
この試合にはエ-スや主力である捕手など、故障で出ることができませんでした。またエ-スだけでなく、二番手、三番手の投手まで投げることができないとのことです。
 
あと1ヶ月ぐらいしかなくて、いったいどうするのだろうと思ったのですが、何とか大会本番までは間に合うと聞き、少し胸を撫で下ろしたものです。
 
それにしても、一瞬の走塁の判断や外野手からの内野への中継プレ−、また外野手の球の追い方など、まだまだ甘さが残るものです。それからバッティングにしても、コ−スに逆らわないで打っている人間が少ないような気がしました。
 
ですから全体的にはセンタ-方向へ打ち返すというよりは、引っ張る打者が多いのです。これでは少し球威のある投手に遭ったら、打てるものではありません。
 
やはり、そこそこのチ-ムならともかくとして、強いチ−ムに対処するのにはこれでは心もたないものです。今一度、自分たちのテ−マをしっかりと考え、残り時間は少なくなりましたが、その課題を追求していってもらいたいと思っています。
 
付け加えれば、ただ野球をやっているだけのチ−ムに勝つには、もっともっと考える野球に徹して、ここ一番の集中力を高めなければいけない必要を強く感ずるものです。周囲の大きな期待に十分応えられる、母校の一層の躍進を願っています。


せめてもの救い

[2010年06月08日(火曜日)|No.1833]

口蹄疫問題で大変な宮崎に1つだけ明るい話題が出てきました。エ-ス級の種牛5頭が遺伝子の精密検査の結果、陰性だとのことで殺処分から免れたのです。
 
先にこの問題が発生してから、感染中心地より特別に避難隔離されていたこの6頭の種牛のうち、最も優秀だと言われていた「忠富士」の感染が認められ、殺処分されたことから残るこの5頭にも心配が及んでいたからです。
 
何しろ同県の家畜改良事業団で管理されている種牛は、この5頭を含む55頭なのですが、既に50頭が処分され残りはこの5頭の種牛だけだったからです。
 
そしてこの宮崎産子牛が出荷されている先は、ブランド牛として名高い松阪牛や近江牛などです。それだけに各地からは宮崎の種牛の全滅を危惧する声が少なくなかったからです。
 
このエ-ス級種牛は宮崎が数十年掛けて作り上げた、宮崎の宝でもあるわけです。5頭のうち、最も冷凍精液が高値の牛、「福之国」は0.5CC入りの精液ストロ−(管)1本が5000円と言われ、今年度の採取予定は3万500本とのことですから、この1頭だけで事業団に1億5250万円もの収入が入るのです。
 
そして過去10年間に生まれたその子牛は約19万頭とも言われ、1頭平均が約38万ですから、「福之国」という1頭だけで718億円の売上げをもたらしたことになります。まさに金の宝ですね。
 
これでは殺処分という悲しい結果に、もしなったとしたら、泣くに泣けないものと思われます。とにかく生き延びることができて何よりだと思っています。
 
今朝の新聞に、手塩にかけた我が牛が殺処分に掛けられるときの気持ちを、むざむざ命を取られる戦地に我が子を送り出すような断腸の思いとのコメントが載っていました。
 
こうした圏内のほとんどの畜産家は牛豚1頭たりとも残っておらず、まさに手足をもがれた状態です。これから先、いくらかの保護があると言っても、全てを無からのやり直しとなるわけです。
 
一朝一夕にはとても元の状態に戻ることができないことから、自身の気力を立て直すところから始めなければなりません。本当にお気の毒で、言葉もありません。少しでも早い復興を心より願ってやみません。


菅新総理の誕生

[2010年06月07日(月曜日)|No.1832]

菅新総理の誕生です。先日の鳩山政権崩壊の欄で、次に予想されている人ではあまり期待できないかもと危惧したのですが、少し謝らなければいけないかもしれません。
 
明日にも誕生すると見られる内閣や、党役員人事の顔ぶれを見る限りでは思い切った手を打たれているようです。まさに巷で言われている陰の実力者・小沢さんの影響を、一切排除しているように見受けられるものです。
 
反小沢派と言われる仙谷さんが内閣の要である官房長官に、また党の最重要ポストの幹事長に同じく小沢さんとは正反対の枝野さんが就任しました。まさに脱小沢の決意の表明です。
 
そして今度の代表選で、菅さんの対立候補として出馬した樽床さんを国会対策委員長に任命するという、懐の深いところも見せています。
 
そして私たち庶民にとって何よりも嬉しいのは、世襲世代が続いた歴代総理大臣に、新たな市民派首相が誕生したことです。短命政権と呼ばれた、ここ4代の首相には安倍、福田、麻生、鳩山という、かつての首相経験者の子や孫である方が就任していました。
 
そして4人とも、わずか1年前後で政権を放り出してしまったのはご存知の通りです。いわゆる、おぼっちゃまではない方が総理の座に就いたのです。
 
菅さんは普通のサラリ−マン家庭に育ち、東工大に学んでから市民運動に首を突っ込むことになります。いわゆる団塊世代の走りですが、社会党の婦人運動家として知られていた、故市川房枝さんの選挙参謀を務めたことから政界をめざすきっかけとなるわけです。
 
しかし地盤・看板・かばんの3点セットを持たなかった同氏は、その後選挙には3回続けて落選し、初当選は1980年、34歳のときです。天声人語に記された面白い話では、中学の同級生が開いた会で同氏が落選回数に触れたところ、生徒会の副会長選挙にも落ちたことを告げられ、爆笑だったとのことです。
 
このように菅さんは苦労人でもあり、草の根運動からついには権力の座を射止めた人でもあるわけです。ですから理想主義の鳩山前首相とは異なり、正反対の現実主義者として生きる道を切り開いてきたとも言えます。
 
こうした菅新首相に市民目線の政治を是非、期待したいものです。付け加えればよく言われている”イラ菅”はここできっぱりと封印し、冷静沈着で良識ある政治を望みたいものです。また爽やかな弁舌同様、歯切れよく思い切った手法で、日本の置かれている財政再建と経済成長に着手することを願っています。


もったいない その7

[2010年06月04日(金曜日)|No.1831]

新聞に投稿のあった”もったいない”話を紹介します。
 
我が家では3年ほど前から家電製品の故障が続いている。メ−カ−の長期保証が切れたとたん、テレビとデジカメが故障した。
 
いずれも修理をすれば十分使えるし、何より資源を考えると処分するのはもったいない。しかし、販売店に相談すると修理代が高く、仕方なく買い換えた。
 
その後も洗濯機、冷蔵庫、エアコンが相次いで故障したが、長期保証期間内で修理代は無償だった。保証がなければ相当な金額だったと思う。メ−カ−は安価かつ迅速な修理態勢を考えて頂きたい。
 
昔の家電製品はもっと強かった。最近はなぜこんなにも早く壊れるのだろう。早めの買い替えを促すため部品の質を落としているのではと、うがった見方さえしてしまう。
 
春の新製品が発表され始めたが、消費者としては新機能を競うより故障しにくい製品をお願いしたい。私は資源の無駄をなくすべきだと思うし、買った製品は愛着を持って長く使いたいのです。

 
言われているとおり、全く同感です。どうしてすぐ壊れやすくなっているのでしょうか。確かに内部に使われているコンデンサなどの素子には寿命があります。5年ぐらい持てばよいとのことですから、昔みたいに10年も15年ももつようなことは異例です。
 
そして昔の品物に比べ、こうした電子機器を基板に並べたパ−ツが多いことも、その原因に考えられます。でもそうしたものばかりでなく、故障にはスイッチやハ−ド的な組立作業の粗雑さによるものもあります。
 
これなども安い労働力を頼りとした、海外での生産のためかもしれません。そうした意味では昔の製品は本当に頑丈で壊れにくくてよかったと言えるものです。
 
投稿された方の言われるとおり、まだ使えるようなものまでゴミとして出され、街には使い捨て文化が氾濫しています。長く使った物には自然に愛着が湧くものです。資源の無駄をなくすと共に、今一度、メイドインジャパンの信頼を回復したいものです。


鳩山政権崩壊

[2010年06月03日(木曜日)|No.1830]

ついに鳩山首相が辞任しました。しかも小沢幹事長を伴っての退陣です。現民主党の参議院議員をやっている同級生の友人から、5月末にはサプライズがあるよと言われていましたが、2日遅れとはいえ、その言葉どおりの結果となりました。
 
正直、何か複雑な思いに駆られています。1つには鳩山さんが今までになかった首相のタイプだからです。確かに今朝の天声人語にも書かれているとおり、政治は形容詞ではなく、動詞でしなければいけないという、言葉どおりのことと思います。
 
美しいとかキラリと光るとか、友愛などの形容詞でやるものではなく、何をやるかという、絵に描いた餅ではなく行動を起こさなければいけない、中曽根元首相が言われるとおりのものです。
 
しかしそうした決断力に乏しく、また美辞麗句に走りすぎて少し言葉が軽かった鳩山首相だったのですが、今までの宰相と異なり、なぜか憎めなかった人だったと思われます。
 
思うにその育ちの良さが災いしてか、政治家には向いていないような気がします。理想主義者ですから当初の普天間問題にしても、最低でも移転基地は県外か国外と言った言葉に、ご本人は嘘がなかったものと思われます。
 
ですが蓋を開けてみると、そんなに簡単に済まされる問題ではないという現実に直面し、結局は沖縄県民を裏切る形になったものでしょう。
 
ですからそういった意味では、理想に走り現実を直視する目を持たなかったと言えるものです。この理想主義に社民党が同調したのですが、最初からこうなることは目に見えていたのかもしれません。
 
とにかく、一国の宰相だったのですが影の実力者・小沢さんに何かと振り回されていたのでしょう。クリ-ンなイメ−ジを回復する為には、小沢さんを道連れに辞めたのはせめてもの罪滅ぼしではなかったかと思われます。
 
それにしてもこれで自民党政権から連続して4期の短命内閣ですか。国際的にも日本の信用を大きく損なえるものです。巷で言われている次の首相ではなく、世の中を画期的に変えてくれる、誰か新進気鋭の救世主はいないものなのでしょうか。


オシムの指摘

[2010年06月02日(水曜日)|No.1829]

プロ野球もこう巨人ばかり勝っていると興味がなくなるものです。交流戦が始まり、昨日、一昨日はロッテに完敗し、少しモタモタしているようですが、セリーグのペナントレースはこのまま波乱がなく進むのではないでしょうか。
 
我が愛するヤクルト球団は最悪のチーム状態で、成績不振の責任をとり、高田監督が辞めざるを得なくなってしまいました。小川監督代行に代わってからも、やっと交流戦1勝したものの、前途多難のようです。
 
こうしたプロ野球に嫌気がさしたわけではありませんが、ワールドカップまで後2週間足らずとなったサッカー・岡田ジャパンについてです。
 
先日のイングランド戦は意外と言っては叱られるかもしれませんが、なかなか善戦したようです。前半7分にDF闘莉王のゴールで日本が先制し、後半の中盤まで日本がリードしていたくらいです。
 
このイングランドと言えば、優勝候補の一角とも言われているくらいですから、試合は1ー2で結局負けたと言うものの、善戦と呼べるのではないでしょうか。
 
この試合について、前日本代表監督のオシムさんがその戦いぶりを評価してくれたみたいです。時間帯によってはどちらがイングランドなのか、判らないプレーまでしていたとも言われています。
 
ただそれも70分までで、残り20分保たなかったのが惜しまれると言っています。これも前に前に走って取られてまた戻るということを何度も繰り返していた戦術を指摘しています。
 
これでは90分保たないということなのでしょうか。試合のペース配分に問題があったという指摘です。ただでさえ体力のない日本ですから、オシムさんの指摘通り、力をセーブするところはセーブするようなテンポの変化で、90分フルに戦える力を付けて欲しいものです。
 
さてこのイングランド戦が言われるとおり、日本にとって明るい兆しとなることができるものなのでしょうか。泣いても笑ってもワールドカップはすぐやってきます。胸を張って帰って来れる戦いぶりを是非望みたいものです。


報徳の教え

[2010年06月01日(火曜日)|No.1828]

いよいよ今日から6月です。昨日の5月31日で弊社の前期決算を締めたのですが、あまり芳しい数字を残すことができませんでした。よく小企業の決算書は社長の成績表そのものだと言われていますが、学生時代同様、良い成績を取れないものです。
 
さあ新しい期のスタ−トです。褌を引き締め、心機一転巻き直して、今日から再スタ−トを切らなければなりません。心して取り組むつもりです。
 
さて先週の金曜日、地域の異業種交流会である片浜産業クラブの総会がありました。その第2部として、「報徳を実践すれば必ず業績は向上する」と題し、大日本報徳社・堀内永人さんから講演をして頂きました。
 
社団法人の名前からして、ちょっと右翼的な響きを感じないわけではなかったのですが、実際のところは全然違ったもので、二宮尊徳(金次郎)さんの教えを現在の実践哲学に置き換えたものでした。
 
講師の堀内さんは1930年生まれと言いますから、御年80歳になられるのでしょうが、そんな風には全然感じられないほど、精力的に私たちに語り掛けてくれました。
 
講演の主旨は、経営者が事業を営むに当たって利益を追求することは当然としても、社会の利益を無視しての己の利益目的だけでは論外で、道徳を忘れた会社には決して発展がもたらされるものではないというものです。
 
逆説的に言えば、題目の言葉どおり、社会秩序維持のための道徳を守り、その実践を心がければ会社は必ず上向くものという内容です。
 
報徳の精神の起源である二宮尊徳は全国各地で財政再建の仕法として、徳治経営・利他・兼愛といった道徳心を活用していき、その世話になった所は600町村を超えるとまで言われています。
 
講演ではこうした教えを真っ先に実践し、業績を上げている会社の代表として、長野県の伊那食品工業を紹介していました。私も見学をさせていただいたこともあるし、最近では知人から社長である塚越さんの書かれた「リストラなしの年輪経営」という本を頂いたばかりです。
 
まさに文句なしの良い会社です。私たち自身が心がけていかなければいけない項目を次のように挙げていました。
 
① 社長が道徳を実践し、周囲に広めていく(会社に急成長は不要で、少しずつゆっくり伸びていけばよい
 
② 社長の仕事は社員にやる気を起こさせることである
 
③ 社員の幸せを最優先とし、将来の希望を持たなければならない
 
④ 利益を公平に分配し、目先の利益を追わないことである

 
また報徳とは一度死ぬことなりとも言われていました。旧態依然とした体質の変革を目指さなければいけないとのことです。お聴きした直後は大いに啓発されるものですが、何よりも実践を心がけなければと、強く言い聞かせなければいけないことばかりでした。