株式会社 アイソー




2010年03月の日記

政治の花冷え

[2010年03月31日(水曜日)|No.1794]

いよいよ今年度の最後の日を迎えました。早いもので明日からは4月、桜花爛漫の季節と言いたいところですが、このところ花冷えと言うのでしょうか、少し冷え込んでいて咲き出し始めた桜がちょっぴり躊躇しているようにも思えます。
 
さて鳩山内閣の足並みが乱れています。郵政改革法案見直しで亀井大臣の独走ぶりが目立っているようで、先日のサンデ−プロジェクト最終回でも、この亀井大臣と菅副総理が言った、言わないの低次元の醜いバトルを繰り返していました。
 
結局、昨日の閣僚懇談会で郵貯預け入れ限度額を1000万円から2000万円に、またかんぽ生命保険の加入限度額を1300万円から2500万円に引き上げるという、当初の亀井案がそのまま通ったような形になりました。
 
でも元々小泉さんの独断と偏見で強引に執行するようになった郵政民営化なのですが、官のままでは親方日の丸で、ぬるま湯に浸かった体質から抜け出すことができないというのも、国民の大多数の総意ではなかったかと思われます。
 
そう考えると今回の見直しについても、日本郵政側の保護だけに力を注いでいるようで少し疑問を感じています。まず限度額の引き上げで、大手銀行はさておき、地元に密着した信用金庫やJAなどへの預け入れ資金がこの郵貯へと流れ出すのではないかという懸念です。
 
その見通しとしては、現在の300兆とも言われる郵政グル−プの金融資産はこの先500兆円にも上るとも言われています。また地域に密着した信金やJAと違って、日本郵政は企業や個人への金融貸付を行っていません。
 
従ってその資金の流れ先はほとんど国債の運用です。ということは市場にその金が出回らないことにもなるわけです。一方、高齢者を中心とした良質な預け入れが減ると思われる地元金融機関は、益々資金吸収が大変となり、いわゆる民業圧迫にも繋がるというものです。
 
聞くところによると、郵政民営化で少なからず影響を受けた特定郵便局長関連の選挙票は、全国で50万票もあると言われています。
 
どうもその票欲しさに、亀井さんをはじめとした国民新党は擦り寄っているような気がしてなりません。それと”江戸の仇は長崎で”ではないのですが、小泉さんに刺客まで仕向けられた怨念を今になって晴らそうとしているようにも思えます。
 
とにかく言論統制があるかのような民主党内部の異常な沈黙に相反して、内閣の中では好き勝手にバラバラな議論が飛び交っているようにも感じます。
 
やはり八方美人的な鳩山首相のリ−ダ−シップの欠如なのでしょうか。政権獲得後、既に半年以上経過しているのだから、そろそろ強い統率力を発揮して結果を出してもらわねばなりません。
 
それがいつまでも不鮮明では、国民は背中を向けてしまいます。新政権への期待が大きかっただけに、少しも変わらないとなると、反作用はもっと大きくなるというか、極度の政治不信に陥る、悲劇的な結果になるのではないでしょうか。


度重なる不幸から

[2010年03月30日(火曜日)|No.1793]

昨日は朝から近親者の葬儀に参列し、出棺、火葬、告別式、初七日法要、精進落しと一日会社を留守することになったため、カキコミができず失礼致しました。
 
それにしてもこのところ不幸が重なっています。先々週の小豆島の葬儀から戻って、昨日の葬儀と、やはり夜行われた別件のお通夜を併せ、4件も数えています。
 
昨日の葬儀に至っては、来る4日に予定されていたお祝い事が、突然の逝去でそんなどころではなくなってしまったのです。諸行無常、生者必滅と言われていますが、人生63年はあまりにも短いものです。
 
一家の大黒柱を突然失い、残された遺族のご心中を察すると、あまりにもえげつない仕打ちのようにも感じたものです。私もこれから一緒にお酒を楽しく酌み交わす、新しいお仲間ができると思っていた矢先だけに誠に残念で口惜しく思っています。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 
それから先週の水曜日に参列したお通夜も痛ましいものでした。取引先の常務のご子息が24歳で亡くなってしまったのです。
 
聞くと、やはりこちらの方も突然の心不全とのことです。日頃は高校のサッカ−部コ−チとしても活躍していたとも言われていましたので、普段から体を動かしていた人がなぜとも思ったものです。
 
ちょうどその席で同友会のお仲間でもあり、故人が大学卒業後2年間勤めていたという会社の専務にもお会いし、尋ねてみたところ、礼儀正しく本当に良い青年で、会社にとっても大きな損失だと言われていました。
 
こんなわけですから、昨日の葬儀や前日のお通夜も同様だったのですが、このお通夜にも入りきれないほどの多くの方々が詰め掛けていたものです。
 
このように死というものは全く無情で、こちらの都合など何も構ってくれません。また少しぐらいその予兆が見えれば周囲も準備できるというものですが、突然の死はそれも適わず、恨めしくさせ思えるものです。
 
故人には失礼ですが、どんなに良い人だったとしても、亡くなっては家族にもう何もしてあげられることができません。それだけに今生きている自分たちにとっては、自分をより大切に、健康で生き延びていかなければいけない責任を強く感じたものです。
 


プロ野球シ−ズン開幕

[2010年03月26日(金曜日)|No.1792]

火曜日から降り続いていた雨がようやく止んで、今日は久しぶりにお天道様が顔を見せてくれました。梅雨でもないのに毎日雨では少し気分も湿ってしまうものです。やはり晴れてもらった方がいいものです。
 
それにしても先週の土・日曜日の黄砂は凄かったですね。日曜日、60歳の新人で入らせていただいたシニアソフトボ−ルの試合があり、浜松まで出掛けたのですが、とにかく守っていて風が半端ではありませんでした。
 
でも大先輩たちはこの強風をものともせず、元気がよいので感心させられます。これでは60はまだまだ、ひよっ子と言われても仕方がありません。考えてみればソフトボ−ルの隆盛もこの方たちが築いているのですね。70歳近くてもしっかりと走り、素晴らしいピッチングをする方もいて大いに刺激を受けています。
 
さて、いよいよ今日からプロ野球・セリ−グが開幕します。メンバ−を見る限りでは巨人が大きく抜けているようにも感じますが、他の5球団がいかに巨人を苦しめるかにあるように思えます。
 
つまり5球団が常に巨人戦に対して、エ−スをぶつけていくようなロ−テ−ションで回していかないと巨人の優位は動かないのではないでしょうか。
 
そんな中、見ものは阪神に入った城島選手です。要の捕手だけにバッティングだけでなく、リ−ド面でも徹底した内角攻めなど、相手が嫌がるしつこいリ−ドを是非見せてもらいたいものです。
 
わが愛するヤクルト球団は開幕戦からこの巨人と当たることになっています。昨年は5勝か6勝しかしていない、いわゆるお客さんになってしまいましたが、さて今年はどうなることでしょうか。
 
しかしながら戦力はそう大きく変わっていないだけに、機動力などをふんだんに使っていかなければ昨年の二の舞にもなりかねません。一層の奮起を期待したいものです。
 
それにしても巨人の打線は凄いですね。聞くところによると、阿部、高橋由両選手が7,8番を打つと言います。他球団に行けば文句なしにクリ−ンアップを打つ人だけに、何とも贅沢な布陣です。
 
期待の長野選手もスタメンこそ逃したものの、文句なしの1軍で、いつでも出られるように手ぐすねを引いているようです。さあ、この巨人豪華軍団に他の球団がいかに向かっていくのでしょうか。ペナントレ−スが盛り上がり、楽しみが終盤まで続くように、他チ−ムの健闘を願っています。


嬉しいお便り

[2010年03月24日(水曜日)|No.1791]

お客様からこんな嬉しいお便りをいただきました。原文のまま紹介させて頂きます。
 
ごぶさたしております。
 
昨年はモータータイマーの工事をしていただき、誠にありがとうございました。その後の経過報告なのですが、劇的に動力費が下がりました。
 
これまでだいたい月30万円前後の動力費がかかっていたのですが、工事後、平均するとほぼ毎月5万円くらいのコスト削減になっています。この分でいくとすぐに工事のモトがとれそうです。
 
ご紹介いただいたときにあまりコストのお話をされていなかったように記憶しているのですが、このあたりを切り口に営業されてもよいのではないでしょうか?
 
製造現場でもこれまでのように、「どこを止める」などの申し送りミスもなくなり非常に便利です。
 
今後もまた良い方法がありましたらご紹介ください。
 
取り急ぎご報告までにて失礼いたします。

 
やあ、こう言っていただくと本当に嬉しくなります。お客様の利益に繋がり、喜んでいただければやった甲斐があるというものです。
 
そのご指摘どおり、制御の自動化がこうしたコストの節約にも繋がることも、もっとアピ−ルしてもよいかもしれません。とにかく、このようにお客様が喜んでいただけることが、何よりも明日に繋がっていくものです。
 
明日25日は一日、工事で出張のため、カキコミは休ませていただきます。


21世紀枠問題発言

[2010年03月23日(火曜日)|No.1790]

月曜日の甲子園で敗れた、島根・開星高校の野球部監督の談話が物議を醸し出しています。21世紀枠推薦出場の和歌山代表・向陽高校に1−2で敗れた試合後のことです。
 
「もう野球を辞めたい。腹を切りたい。こんな試合にしかならないのは監督の力が足りないということ。21世紀枠に負けたのは末代までの恥。死にたい」という発言です。
 
聞きようによっては21世紀枠出場のチ-ムを見下し、侮辱しているような発言にも受け取れます。この試合、休みの日ということもあって、私もテレビで観戦していました。
 
対する開星高は中国地方優勝校として臨んでいましたので、判官びいきのこともあって、もちろん私は21世紀枠出場の向陽高校をしっかりと応援していました。
 
またスタンドもそういう雰囲気が漂う中、変なプレッシャ−に負けることなく、向陽高は伸び伸びとプレ−していたように思えたし、投手もうまいピッチングで相手校をかわしていました。
 
ですから、かえって開星の選手の方が硬くなってしまったのではないでしょうか。その結果、開星高にとっては不本意な結果で少し冷静さを欠いていたかもしれませんが、この発言はいただけません。
 
何よりも21世紀枠出場校に対して失礼です。そもそも高校野球の場合、監督が選手たち全員を全ての面でコントロ−ルしているのですから、監督自身に相手を見下したような思いが少しでもあると、それはそのまま選手に繋がる恐れがあります。
 
こうした油断や隙がなかったとも言えません。そして21世紀枠といえども、甲子園出場が決まってからはそれに備えしっかりと練習を積み重ねてきているはずです。
 
また向陽高は36年ぶりの出場と言っても、知る人ぞ知る、かつては昔の甲子園を沸かせた、名門・海草中学です。ですから伝統はあるし、とても侮る相手ではないのです。
 
ただ野球を専門にやっているだけの学校で、高校野球は本当に良いのでしょうか。いつもこの疑問が頭から離れないのですが、我が母校にとっても甲子園への一番の近道はこの21世紀枠です。
 
それだけに何か21世紀枠そのものが馬鹿にされ、否定されたようで、正直複雑な思いに駆られています。でも結果が示すとおり、向陽高のように堂々と真正面からぶつかって勝ったのですから、溜飲を下げることもできました。
 
今後、間違ってもこのような問題発言が一切出ないよう、21世紀枠出場チ−ムの益々の大いなる健闘をただただ祈り、願っています。


脱・安売り競争

[2010年03月19日(金曜日)|No.1789]

電化のヤマグチという会社をご存知ですか。私はその会社を扱った番組放送を観なかったのですが、観た家内から、素晴らしい取り組みの会社だと教えてもらいましたので、ちょっと紹介したいと思います。
 
東京の町田市にあるのですが、街で高齢者に聞くと大概、このお店のことを知っているそうです。そしてここから電気製品を購入している方が多いようです。
 
しかしヤマダとかコジマのように、安売りの価格競争をしているところではありません。それよりかむしろ、比較的その値段はずっと高めの販売価格だと聞きます。
 
でも町田市の高齢者はこのヤマグチから購入している方が多いようです。それはなぜでしょうか。その理由を聞いてさすがだと思わせられました。
 
近年、テレビとか洗濯機などの電化製品は、その扱いや使用方法がどんどん複雑になってきています。このためお年寄りにとっては使い方は直ぐには呑み込めません。
 
ここにこの会社は着目したのです。お店でじっくりと時間を掛けてその説明をしているのです。そして購入したからといって、家でもすぐ使い方をマスタ−できるわけではありません。
 
従って今度は家にも出掛けて行って、またじっくりと時間を掛けて教えてあげるのです。そして家に行けばお年寄りにとっては頼みたいことがいろいろと出てきます。
 
この頼まれ事にノ−と言わないのです。買い物に付き合ってあげたり、切れた電球を取り替えたりしてあげているのです。このため、そんなに大きくないこの会社でも営業が23人もいると言います。
 
ですから、いろいろな頼まれ事に付き合ってどんなに時間が掛かっても、会社は文句も言うこともなく、全て社員に任せているそうです。そのお陰もあって、営業は一人当たり500人の顧客を抱えるようになったと言われています。
 
痒い所に手の届くような、こまめなケアのお陰です。ずいぶんと今後にも繋がる大きな財産ではないでしょうか。終わりにヤマグチが掲げる、4つの”ない”を紹介しておきます。
 
① 安売りチラシを作ら”ない”
 
② セールをやら”ない”
 
③ ポイント還元が”ない”
 
④ パソコン売り場が”ない”


ひさしぶりの東京行き

[2010年03月18日(木曜日)|No.1788]

朝から東京の都立産業貿易センタ−でこの日から2日間開かれる、静岡県中小企業テクノフェアin東京という展示会に行ってまいりました。
 
浜松町から海の方に歩いて5分ほどの場所なのですが、弊社も加入している片浜産業クラブという、地元の異業種で組織されている団体が1つのブ-スを出展したからです。
 
しかしブ-スが通常の倍ほどのスペ-スと言っても、所属する49企業それぞれの製品や取り組みを紹介するわけにはいきません。
 
従って希望企業の会社案内やパンフレットを置いたり、片浜産業クラブそのものの紹介をする程度に収めなければなりません。
 
こんなことから当ブ-スはちょっと物足りないものでしたが、それでもこうした地域独自の企業連携の取り組みに興味を持って下さる方もいて、いくらかは賑わいを見せていたものです。
 
しかしものづくりではちょっと知られた静岡県、やはり興味をそそられる展示ブ-スはいくつもあるものです。すぐお隣ではお酒などのアルコ−ルを摂取した場合、しっかりとその呼気濃度をデジタルで印字され、基準以上であれば警報が出る装置を出していました。
 
警察の一斉などでは今までの風船などとは違って一目瞭然だけに、使用されれば言い逃れができなくなるものです。またソ−ラ−パネルを従来の1/10程度に抑えて同様の電力を生み出すものも展示されていました。
 
これなどは大手から言わせれば、かなり脅威の存在にもなり得るのではないでしょうか。こんなわけで、注目されていたブ−スと異なり、当ブ−スは多少手持ち無沙汰のところもありましたので、私はちょっと早めに引き上げさせていただきました。
 
やはり全体的にも来場者がいまいちだったのではないかと思われるのは、ビッグサイト等の場所と違って、開催場所と事前での周知が行き届かなかったからではないでしょうか。
 
そうした思いをいくらかでも和らげてくれたのは、昼休みにちょっと訪れた旧芝離宮恩賜庭園です。浜松町の駅のすぐ隣にこんな癒しの場所があるなんて少しも知りませんでした。
 
かつての江戸大名の庭園が昭和に引き継がれ、宮内省が買い上げ芝離宮となっていたものを、昭和天皇のご成婚記念として東京都に賜ったものです。
 
そんなに特別広くはありませんが、日本的な池や築山を持つ、ゆったりとした空間は春本番を感じさせる天気にも助けられ癒されるものでした。ここに限らず、東京には緑がないなんて言うのは嘘なんですね。


日本一の畳屋

[2010年03月16日(火曜日)|No.1787]

テレビで日本一の畳屋さんのことを紹介していました。兵庫県伊丹市にあるTTNコ−ポレ−ションという会社なのですが、この9年余りで売上げ7倍となる36億円を達成し、目ざましい急成長を遂げているところです。
 
この急成長の理由は国内唯一と言われている工場の24時間営業です。畳屋さんが24時間操業というのも、そもそも斬新な発想なのですが、バブルのはじけた後、この会社も例外でなく苦境に立たされたピンチからの、まさに発想の転換により掴んだビジネスチャンスなのです。
 
ある居酒屋さんでのこと、商売柄、たばこでの焼け焦げやボロボロになった畳がすごく気になっていたそうです。そして思い切って店主に尋ねたところ、畳を換えるために商売を休むわけにはいかないとの言葉が返ってきました。
 
そこで現会長である社長は、あることに思いついたそうです。「それならお店が閉まる夜から翌朝にかけて畳を張り替えたらよいのではないか」と。
 
こうすれば年中無休のお店にも対応ができます。こうして2001年から工場を拡張し、オ−トメ−ション化の24時間営業を開始していったのです。
 
真夜中にお客の指定した時間に畳を引き取りに行き、工場に持ち帰って畳表を張替える作業を済ませ、翌朝またお客のところに届けるという営業スタイルです。
 
そして個人ではせいぜい1年間で6000枚に過ぎない張替え作業を、機械の導入で42万枚まで可能とさせたのです。何とこの1枚の張替え時間が3分余りで済ませていると言うから驚きです。
 
こうして順調に業績を上げていけたのも現会長は、一意専心ならず一業専心のお陰だと言われています。苦境時、多くの同業者が利益の上がらない畳に見切りをつけ、リフォ−ムなどに転業を図っていきましたが、和の伝統を守っていきたいという強い思いに支えられていたからです。
 
そして息子さんに社長を譲り、現在はその4代目が活躍されているわけですが、この方の次世代畳という取り組みにも目を見張るものがあるようです。
 
ダニやカビがつきにくい和紙畳や、耐久性に優れた樹脂畳、そして本来の色や形、大きさに拘らない黒畳など、斬新なアイディアで次々と新商品を開発しています。こうした取り組みには専門家も注目し、また新たなニ−ズを生み出しているとのことです。
 
やはり若くてやる気のある経営者だから、前向きな素敵な展開がいろいろと図られているのでしょう。そして何よりも4代目社長の「世界中に畳を敷きたい」という強い経営理念があるからこそだと思います。これからも益々楽しみな会社です。
 
明日17日は工事で一日出張いたします。従ってカキコミは休ませていただきますのでご了承下さい。


土地それぞれ

[2010年03月15日(月曜日)|No.1786]

先週の金曜日は失礼致しました。小豆島の母が二人きりの姉妹なのですが、そのお姉さんの旦那さんに当たる、家内から見れば叔父さんが亡くなられました。ガンを患い、昨年末あと3ヶ月ぐらいと宣告されていたのですが、その通りになってしまいました。残念です。
 
そのお宅は佐伯家と言うのですが、今からですと、もう30年近くも経ってしまいましたが、私たちの結婚式に亡くなった叔父ご夫婦はもちろん、男ばかりの兄弟なのですが、4人のご子息全員もわざわざ遠方より出席していただきました。
 
そんなわけですので、家内にしてみれば兄弟同然の家族のようなお宅です。家内は私に遠慮してか、葬儀への参列は自分ひとりでいいと言ってくれたのですが、それでは私の気が済みません。
 
日曜日に所用があったためトンボ帰りで、あちらではゆっくりとすることができませんでしたが、金・土と2日間、通夜と葬儀に参列させていただきました。
 
この葬儀に参列してまた新たな発見がありました。所変われば品変わるのではないのですが、葬儀の中で私たちの所ではお目には掛かることのなかったものを見つけたのです。
 
まず施主の奥様に当たる方だけが皆と違い、黒の喪服ではなく、真っ白な着物を式中、羽織るのです。また和服草履を素足のまま履かれているのです。ですから一同が黒の出で立ちの中、この方だけがよく目立つことにもなります。
 
それから告別式の終わった後、出棺から火葬に向かうとき、私たちの方でも位牌や写真などを持った方々が隊列を組むお役目があるのですが、ここでは施主さんも含めお棺を持って送り出す人が全員、靴を脱ぎ素足になって草鞋を履くのです。
 
その上、頭には映画では見たことのある、死者を弔う三角の形に紐のついたものを纏うのです。ですから、ただお棺をそのまま運べばよいといったものではありません。
 
これは真っ白な着物に身を包む施主の奥様も同様で、白いベ−ルのようなもので顔は隠すのですが、この三角ずきんと素足に草鞋という出で立ちで並ばれるのです。
 
そして火葬場に到着してから、棺の近くで周囲を3回ほど回ってから最後の送り出す焼香となるのです。このときなぜかいち早く、白装束の奥様だけが皆と離れ、用意された車でその場を離れていくのです。
 
このような慣習にはやはり、その土地それぞれの独特なものを感じて興味深く見入ったものです。私たちの土地でも以前はもしかしたらこうだったのかもしれません。
 
それが永年の歳月を経て、段々今のように簡素化していったのでしょうか。しかしこのように手間暇を余分に掛けることもあって、目にした儀式は何か十分心が行き届いているようで、厳かに感じたものです。
 
こうしたその土地の持つ、まだ知られていない独特な慣習をもっともっと見てみたいものだと思いました。亡くなった叔父は小豆島でもいち早く、イチゴ作りを手掛け、その指導や栽培に功績のあった方だと聞きます。また私たちが帰省で訪れた際もいつも優しく迎えてくれました。心よりそのご冥福をお祈り申し上げます。


生涯一捕手

[2010年03月11日(木曜日)|No.1785]

BSハイビジョンでノムさんこと、野村克也さんの特集を観ました。45歳まで「生涯一捕手」として、ボロボロになってもいいとやり続けた野球人生にはやはり壮絶なものを感じました。
 
まず家が貧乏だったことです。早くから病気で父親を亡くし、母親の女手一つで兄と二人が育てられました。ですから少しでも家計を助けようと、まだ小さな頃から新聞配達をやりました。
 
そして貧乏は嫌やと言って、当時売り出し始めていた美空ひばりに憧れ、歌手を目指すのですがそれもうまく叶いません。こうしてそれならと思い、中学に入って野球をやり始めるのです。
 
高校では京都の峰山高校に入るのですが、野球ではそんなに知られた学校ではありません。従って注目されることもないことから、テスト生として当時の南海ホ-クスの試験を受け、何とかプロ入りを果たすのです。
 
しかしプロはそんなに甘いものではありません。来る日も来る日もブルペンで投手の投げる球を捕り続ける、いわゆる「カベ」としての毎日が続きます。
 
そして1年が過ぎたある日、球団に呼ばれ解雇通知を言い渡されたのです。「野球らしいことは何もまだやっていないのになぜ?」と食い下がるのですが、相手は聞く耳を持ちません。必死な思いで「給料もいらないから何とか残して下さい」と頼み込み、やっと残留できたのです。
 
こうして3年目になり、正捕手の故障でチャンスが回ってきて、それをしっかりと掴み取り今日に繋がったのです。それからはご承知のとおり、捕手という重労働に耐えながら3000試合以上に出場し、王選手に続く歴代2位の657本の本塁打を放ち、9回の本塁打王や戦後初の三冠王にも輝いています。
 
また南海でのプレイングマネ−ジャ−を経て、監督としてヤクルトや楽天という毎年最下位やBクラスに喘いでいた球団を見事、立て直しを図っていったのです。特に昨年、プレイオフで敗れ、楽天の監督をこの日で辞めるとき、楽天のみならず日ハムの選手まで全員で胴上げしたシ−ンは今でも爽やかに憶えているところです。
 
番組の中で特に印象的だったのは母親に対する感謝の気持ちです。自分たち二人を育てていたとき、病気で母親が入院することになります。そして退院でその母を駅まで迎えに行ったときのことは今でもしっかりと脳裏にこびりついていると言っています。
 
今と違って車などは使えない当時、駅までリヤカ−を下げて母親を迎えに行ったのですが、そこで見た母親の顔はいつになく真っ白で生気が感じられなかったのです。
 
そのときに改めて母親への感謝と有難さを強く思ったと言います。そしてプロ入りしてからも少ない給料の中から毎月1000円ずつ送り続けたのですが、母親はその金に一切手をつけず、貯金して息子の万が一のときに備えていたのです。
 
こうした母親を「楽しいことは何も知らず、ただ苦労する為に生まれてきただけの人生だった」と野村さんは涙ながらに語るのですが、亡くなった後、遺品を調べていたら野村さんの選手当時の活躍を記した切抜きをしっかりと集めてまとめてあったと言います。
 
やはり息子の活躍が生きる支えであり、生きがいにもなっていたのでしょう。改めてこうして自分自身が存在するのは誰のお陰か、野村さんのように、しっかりと感謝の気持ちを持ち続けたからこそ今を迎えられると、教えられたものでした。
 
明日12日は家内の実家の親戚に不幸があり、通夜・葬儀に出席の為、出掛けますのでカキコミは休ませていただきます。


米軍基地移転の日野原提案

[2010年03月10日(水曜日)|No.1784]

98歳にもなる、聖路加国際病院理事長の日野原重明先生が、米軍の基地移転について新聞に書かれていました。5月までは移転先を決着すると言う政府が、ここにきて沖縄・普天間飛行場の移転先候補として、辺野古陸上案をどうやら推し進めたいような動きを感じます。
 
それに対し、日野原先生は環境問題や地元の大反対などもあり、決着の見通しが立たないこの問題に、次のような提案をしています。
 
10年後に国内の米軍基地をなくす条約を日米間で結び、それを機に日本は「平和の国」として世界に宣言しようというものです。
 
もちろんこれまで基地があることで他国の脅威から守られてきました。それと引き換えに在日米軍の施設を提供することで、日米安保条約が成り立っており、今すぐにそれをなくすことはできません。
 
ですから10年後に基地をよそに移す代わりに、移設費用に関してはこれまでの経緯に感謝して日本側が負担するという約束を交わすのです。
 
また、10年後以降はその駐留経費として日本側が負担してきた「思いやり予算」を、先日のハイチ大地震のような天災が起こった場合、自衛隊を国際社会の平和を守る存在として位置づけ、内外問わず迅速に派遣する予算に回すというものです。
 
そして永年多大な負担を強いられてきた普天間の人たちには、最高の楽園を作ることを約束し、あと10年の猶予をいただくという提案です。
 
先生が言われるように、今の日本の状況ではどこに持っていっても少なからずその弊害が生じます。それゆえ、普天間の人たちには気の毒ですがあと10年我慢してもらい、その後を綺麗さっぱり無くすというものであれば夢がないこともありません。
 
そこにも書かれていましたが、日本は世界の国々と違って軍隊を持たない、平和の国として独自な道を歩んでいくのが賢明な選択だと考えます。先生はこれを「休戦」ではなく、カントの言う「非戦」の精神と呼んでいます。
 
98歳の日野原先生がこんなに素敵なプランを提案されるのですから、政府はもっともっと先の先まで読み通した、日本の賢明なる選択肢を考えていかなければなりません。
 
今朝のニュ-スでも騒がれていた、旧政府のとんでもない核の持ち込みの密約からしても、現政府が独自の日米外交をもう少し打ち出していってもよいのではないでしょうか。


長野選手

[2010年03月09日(火曜日)|No.1783]

ジャイアンツがドラフト1位で獲得した長野(ちょうの)選手がオ−プン戦で素晴らしい成績を挙げています。チ−ム初めてのホ−ムランも、ド派手に満塁本塁打を放った、この長野選手です。
 
元々脚が速く、走力と守備は一級品との折り紙付でしたが、打力はいまいち物足りないという評価でした。ところがプロ入りしてからの打撃指導も実を結び、オ−プン戦の成績ながら打率4割、9打点と文句のない成績を残しています。
 
関係者の間では、とにかく積極的なバッティングが新人離れしてよいとの評価です。これまでの20打席では何と15打席もファ−ストストライクから果敢に打って出ています。
 
この思い切りの良さと、投手の配球の読みに優れているのでしょう。ということで、ここまで来たら開幕スタメンが身近に見えてきたものです。
 
ところが巨人の外野陣と言ったら、半端でない競争率です。レフトに4番のラミレスがいます。オ−プン戦いまいちの成績ですが、守備に不安があるといえども、まさかこの人は外せないでしょう。
 
そして中堅には昨年活躍した松本と脚の速い鈴木両選手がいます。それからWBCですっかり自信をつけた亀井選手や、勝負強いヤワラちゃんの旦那である谷選手もいます。
 
またそれに加え、今シ−ズンは故障から復帰した好打者・高橋吉伸選手の打撃も捨てられないものです。長野選手を加え、この7人で3つのポジションを争うことになるわけです。
 
何とも贅沢な布陣ではないでしょうか。他のチ−ムに行けばそれぞれがそのままレギュラ−です。高橋選手は一塁手という選択もありますが、それでは高給取りのイ・スンヨプがはじかれてしまいますので、もったいないところです。
 
こうなるといったい開幕の先発を誰が獲得するのか、興味津々で目が離せないものです。でも巨人ならではのことでしょうね。それでは力のある選手を温存したまま、殺すことにもなるのではないかという懸念が働きます。
 
この疑問に答え、球団関係者があるとき、このように述べていました。「殺すことになるかもしれないが、他のチ−ムで働かれるよりまし」これが財政豊かな巨人球団の戦略なのです。
 
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、かつてあの長嶋さんの陰に隠れた難波選手とか、ワンちゃんがいる関係で出場機会の乏しかった木次選手など、有望選手が日の目を見ないまま消えていったことが、まさにこれに当てはまることです。
 
長野選手も恋焦がれて意中の球団にやっと入れたわけですから、こんなことのないよう、しっかりと生き延びてレギュラ−を掴んで欲しいものです。そのルックスからしても、十分看板選手になる要素は大きいものです。
 
蛇足ながら、こんな贅沢な巨人の獲得戦略に似たようなケ−スが、私たちの身近な高校野球にもあるように感じました。早くから青田買いのように選手を獲得しながら、その選手が3年経ってもなかなか出場機会に恵まれていないのです。これでは別のところで思う存分実力を発揮した方がいいように思うのですが...


ライオンキング

[2010年03月08日(月曜日)|No.1782]

弊社創立記念日である啓蟄の日も過ぎました。地面の中の虫たちがうごめき、そろそろ地上に這い上がろうとする季節です。しかしながら休日で出掛けた昨日の東京は寒い一日でした。
 
取引のある金融機関の仲間同士で作られている、同友会の観劇会で東京まで出掛けたのです。でも以前から楽しみにしていた劇団四季の「ライオンキング」は、そんな寒さを物ともしないほど、多くの熱気に包まれた感動ある素晴らしいものでした。
 
一度観てみたいと思っていた劇団四季の公演をやっと観ることが叶いました。何しろ人気が高く、なかなかそのチケットが手に入らないからです。初めて観てやはりその人気の高さは頷けるものでした。
 
この「ライオンキング」は珍しい構成なのですが、人間が一切そこには関わっていない、動物たちだけの物語です。ざっとそのあらすじを紹介すると、アフリカの広大なサバンナにライオンを王とする動物たちの王国がありました。
 
そこに行く末は王を継承する一人の王子が誕生しました。この誕生で跡継ぎの座を失った、現国王の弟であるスカ−という弟ライオンの陰謀が始まります。
 
そして兄でもある王様を殺し、跡継ぎの王子まで国外に追い出してしまうのです。こうしてイボイノシシとミ−アキャットに助けられた王子はやがては元の王国に戻り、悪い叔父のスカ−をやっつけ、王国は元の平和と静けさを取り戻すというものです。
 
このような単なる動物たちのスト−リ−にすぎないのですが、その底辺には人間の持つ嫉みとか野望が招く悲劇、そして自己中心の世界でなく、いろいろなものとの共存共栄が成長を支えていくという、人間社会そっくりに描かれているものです。
 
こうしたあらすじより何より、何と言ってもミュ−ジカルですから、素晴らしい歌と踊り、それからきらびやかな舞台や衣装がビジュアルの観点で強いインパクトを私たちに放つわけです。
 
また眺めたのが良い席だったからかもしれませんが、客席からのステ−ジへの登場や客席を巻き込んだ踊りなどの演出や企画が一層臨場感を高め、盛り上げてくれたものと思われます。
 
それに浅利慶太さんという、一切の妥協を許さない演出があるがゆえ、更にステ−ジを重厚に支えているのでしょう。とにかく四季劇場で初めて観たこのミュ−ジカルの熱演には、心ウキウキ、ワクワク、大いに楽しませていただきました。
 
やはりホンモノを観なければいけませんね。最後に何度も何度も繰り返されるカ−テンコ−ルは、まさに私たちの気持ちを全て表わしていたようでした。


素敵な82歳

[2010年03月05日(金曜日)|No.1781]

こんな82歳だったらいいなと思った、ユニ−クな投稿記事を紹介したいと思います。「82歳のつれづれなる日常」と題した面白いものです。
 
82歳になった。オジイサンと言われてもむっとしなくなった。久しぶりに会った友人知人が老けているのに驚く。
 
年賀状が転居先不明で戻ってくるのが多くなった。あの世までは届かないらしい。新しく来た年賀状は一枚もなかった。
 
家内は女学校時代、県大会で優勝したバレ−の選手だった。今、小柄なバアサンである。家内の顔をつくづくと見るのはやめた。
 
景色がどんより見えるので黄砂か光化学スモッグだと思っていたら、眼科の医者から白内障で濁りがひどいと言われた。
 
病院の受付で少し耳が遠いのでよろしくと言ったら、以後すべて筆談だった。待合室に座っていたら、看護婦さんが来て、「昨日申し上げたはずですが、あなたの治療は昨日で終わっています」。
 
電車の後ろの方に立っていると、前の方でしきりに手招きする人がいるので、知人かと思って近づいたら、席を譲ってくれる人だった。

 
82歳のお歳で、ユ−モアたっぷりの、この感性を持てているのが何とも素晴らしいものです。どうでしょうか、この真似ができるでしょうか。できたらこの方同様、体は老いても頭が爽やかな、こんな素敵な晩年が送れたらと願っています。


浪人で切り開いた人生

[2010年03月04日(木曜日)|No.1780]

「投げる精密機械」と呼ばれていた、ロッテ・小宮山投手が昨年で現役生活にピリオドを打ちました。やはり本拠地最後の采配となる、ボビ−・バレンタイン監督の意向でマウンドに送り出された小宮山投手は、たった1球で打者を打ち取り、プロ野球最年長セ−ブという珍記録で現役生活を締めくくることにもなったわけです。
 
この小宮山投手が結構異色な野球人生を送っていることを知りました。出身の千葉・芝浦工業大学柏高校の野球部はとても甲子園を狙えるレベルの学校ではありませんでした。
 
でもテレビで観た早慶戦に憧れ、2浪までして早大に入学します。その2年間はほとんどトレ-ニングをしていませんでしたが、持ち前のコントロ−ルの良さを買われてすぐレギュラ−組に入れたのです。
 
そして3年になる時、人生の師と仰ぐ石井連蔵さんが監督になり、東京六大学リ−グ通算20勝10敗の堂々たる成績を挙げることになるわけです。石井さんから学生野球の本分である精神野球を叩き込まれた成果とも言われています。
 
こうしてドラフト1位でロッテ入団を果たすのですが、入団後6年目でその人生を大きく動かす2人目の人物と出会います。それがバレンタイン監督なのです。
 
ちょうどその前年、右ひじの故障でシ−ズンの半分を棒に振っていた小宮山投手に、監督はこう語りかけました。「私が監督をやるからには絶対に故障はさせない。痛みがあれば言って欲しい。そうすればシ−ズン通して投げることができる
 
そしてその言葉を信じて投げたお陰で、その年は好成績を挙げるのですが、バレンタインは球団との確執で1年で解任されることになります。
 
もう一度ボビ−と野球がしたいという願いは、それから7年後に実現することになります。36歳となった小宮山投手が持っていた大リ−グへの挑戦という夢を、メッツの監督であったバレンタインが叶えてくれたのです。
 
しかし大リ−グのパワ−に圧倒され、その年0勝3敗に終わった彼を日本でも獲得する球団はありませんでした。こうして現役投手という肩書きを残したまま、評論家生活をその年送ったのです。
 
そしてその彼を翌年再び呼び戻してくれたのが、9年ぶりにロッテ監督に返り咲いたバレンタイン監督だったのです。再びロッテの現役投手にカムバックした小宮山投手は、こうしてそれから6年もの間、プレ−することができたのです。
 
大学に入る前の2年間と、大リ−グから帰ってきてどこにもお呼びでなかった1年間の評論家時代を併せると、3年の浪人生活があるわけです。そうした遠回りをしても、夢を信じ、人を信じて自分の野球人生を切り開くことができました。
 
まさに人との素晴らしい出会いがそこにはあるわけですが、人生あきらめてはいけないものですね。山あり谷ありの人生に小宮山投手は次のようなアドバイスを送っています。
 
大学を2浪したお陰だろうね。だから俺はいろんな人に浪人を勧めている。人生80年。そのうちの1、2年なんて、たいした問題じゃないからね


おはようの挨拶

[2010年03月03日(水曜日)|No.1779]

「おはよう」の挨拶を家族の中で言わなくなったという投稿記事がありました。一人息子が中学に入学した頃からとのことです。
 
親離れした息子が、その成長の過程で母親を軽蔑するようになり、戸惑って当たり障りのない接し方をしているうちに、夫婦の会話すらないような、家族で会話もなく過ごす日々になっていったと言います。
 
それが今では息子も30代、親に頼ることなく自立して、家族が荒れたことも良い思い出のようになりました。それでも未だに夫婦間で「おはよう」の挨拶がないという、次の記述には笑いをもらいました。
 
「行ってらっしゃい」「おかえり」「おやすみ」の言葉はあるのに・・・お互いに無言の朝。これではいけないと、1ヶ月前の朝、思い切って「あー、うー」と大声を出してみた。
 
「どうしたの?」といぶかしげな夫に、照れ隠しに「おなかの筋肉を鍛えているの」とか「元気を出しているの」と答えた。数週間後、やっと「おはよう」が言えるようになった。夫も小声でこたえる。
 
でもまだ恥ずかしくて、「おはようちゃん」や「おはようでござる」や「オッハー」とおどけてしまう。がやはり朝は、笑顔で一言あった方が、気持ちの切り替えにもなり、一日の気分が盛り上がると思う。

 
お互いに「おはよう」の挨拶を交わす習慣がなければ、やはりこうなるものでしょうか。私は幸い家内や子どもたちともこんなことがなく、元気な朝の挨拶を交わすことができています。
 
しかし毎朝の散歩の最中、行き交う人に「おはようございます」と、積極的に言葉を掛けるのですが、中には全く反応のない人がいます。
 
聞こえなかったと思い、思わずもう一度声を掛けたくなってしまうものです。前にも話しましたが、挨拶は他人にするものではなく、自分自身のためにするものです。
 
それがこちらの予想以上に、元気な気持ちよい挨拶が返ってくると、とても嬉しくなるものです。そして朝だけに、その日、一日が何か素敵な良いことが起こりそうで、気持ちよいスタートを切れることができます。
 
やはり朝は元気が一番、朝からウジウジしていたら一日良い事も逃げていってしまうものです。


ちょっと良い話part57

[2010年03月02日(火曜日)|No.1778]

受験シ−ズンはまだまだ続いています。今年の大学受験の傾向は安い、近い、少ないというのが1つのパタ−ンのようです。
 
この時代を反映してか、国立などの授業料などが安い大学を対象に、また近くてできれば自宅から通える所、そして受験はできるだけ絞って志望校を少なくするというのが、その傾向のようです。
 
新聞の投稿にあった、合格に父の声が震えていたという、ちょっと良い話を紹介したいと思います。
 
毎年この時期になると、高校3年だったあの冬の日のことを思い出します。父が運転する車で大学の合格発表を見に行きました。
 
到着すると、急に父は「車で待っている」と言い出したのです。私は1人で掲示板のあるところへ向かいました。
 
自分の受験番号を発見、一刻も早く父に伝えようと急いで車に戻ると、父はボンネットを開けて車の点検をしていたのです。
 
「こんなときに何を」と不審に思いながらも、合格を伝えました。父は、「良かったな」と一言。しかし、その声は震えており、父が泣いていることはすぐに分かりました。
 
厳格な父は、私に涙を見せるのが嫌で点検のふりをしてボンネットで顔を隠していたのです。後にも先にも、父のそんな声を聞いたことがありません。
 
文字通り親身になって私の受験を心配してくれていたのだと痛感した瞬間でした。

 
まさに「親思う子どもの心に優る親心」でしょうね。大阪の友人もブログで、お嬢さんの第一志望の大学合格のことを喜んでいました。自分自身の事以上に何かと気になることでもあります。
 
合格を心から祝福したいと思いますが、シャイで不器用な父親という存在がちょっぴり、いじらしく感じられました。


もう1つの銀メダル

[2010年03月01日(月曜日)|No.1777]

チリで起こった大地震の影響で、1日中、津波に対する警戒が日本列島全体を覆い尽くしました。幸い人的被害はなかったように聞きほっとしていますが、避難を求められた人たちは、とんだ休日になってしまったのではないでしょうか。
 
また嬉しいニュ−スもありました。朝起きて気になっていた結果を観ようとテレビを点けた瞬間、女子パシュ−トという、スピ−ドスケ−ト団体追い抜き戦のちょうど真っ最中でした。残り1周を残し、日本チ−ムが1秒以上リ−ド、このまま逃げ切って欲しいと、すがるような思いで見守ったゴ−ル判定の結果、何と2/100秒差で負けたのです。
 
本当に僅差の結果に国民のほとんどが口惜しい思いをしたのではないでしょうか。それでも立派な銀メダルです。0.02秒届かなかった口惜しい思いは、15歳の高木美帆ちゃんらに引継ぎ、きっと次の五輪では大きな花を咲かせてくれるのではないでしょうか。
 
ところでこの団体追い抜きに出場した3選手のうち、田畑真紀選手と穂積雅子選手の所属は富山市にある、「ダイチ」という社員40人余りの中小企業と聞きました。
 
この会社は公共事業の予定地でボーリング調査などを行う地質調査会社です。スケ−ト部は1995年に発足し、現社長の父である会長の田中実さんという方が、国体の地元開催に向け、地元への恩返しの意味で選手育成の支援を始めたと言われています。
 
こうして富士急を辞めた後、受け入れ先のなかった田畑選手が入社し、翌年高校の後輩である穂積選手も加わり、五輪に向けた本格的な活動を開始したのです。
 
ところがこの会社も例外ではなく、ここ数年景気悪化や公共事業の削減で年商は最盛期の半分以下になってしまいました。二人の経費は年間2000〜3000万円にもなると言われ、その負担はずっしりと会社にも響きます。
 
しかし、会長・社長の田中さん親子は「小さい会社でもやれるんだ」という強い思いから、自分たちの報酬を削ってその経費を捻出していたとのことです。
 
そうした涙ぐましい陰の支援もあり、この日の華やかな結果にも繋がっていったのです。田中社長はテレビにかじりつき、社員と共に声援を送ったのですが、「こんな小さな会社でもメダリストを送り出せた。誇りに思う」と目を潤ませて答えていたそうです。
 
もちろん、田畑、穂積両選手の頑張りがなければこの結果はもたらさないわけですが、苦しい中、執念とも言える、この中小企業のオヤジの後押しがなければとも考えさせられます。
 
やはり人と関わったら途中では放り出せない、人間尊重の精神が中小企業にはしっかりと備わっているものです。苦しくてもそれをやり抜いた、このダイチ経営者にも、もう一つの銀メダルを差し上げたいと思います。