株式会社 アイソー




2009年08月の日記

厳しい国民の審判

[2009年08月31日(月曜日)|No.1680]

私たちの想像以上の大きな改革の波が押し寄せる結果となりました。マスコミは戦前、早々とこの結果を予想し書き立てていましたが、本当にその通りの結果です。改めて今の事前調査や選挙分析等、情報の正確さや素晴らしい仕組みを感じています。
 
我が静岡県でも、注目された7区以外は全て民主党がその議席を獲得しました。この地元6区でも渡辺周氏が自民党の対立候補に、約10万票の大差をつけているのですから、全国の結果同様、圧勝と言えるのではないでしょうか。
 
また注目の7区では郵政民営化に反対の意思を貫き、前回僅差で苦汁をなめた城内実氏が宿敵・片山さつき氏と民主党新人を寄せ付けず、ここだけは全国の民主への風を吹かせることなく、名誉挽回とも言える堂々たる勝利を収めました。
 
無所属での立候補で、他の選挙区に見られるような、比例復活も許されない背水の陣でひた向きに挑んでいる城内氏の誠実さに対して、この7区に限らない、静岡県人の優しさのようなものを感じた選挙区でした。まさに4年間の苦労が実ったとも言えるのではないでしょうか。
 
全国では予想された通り、大モノと呼ばれる人たちがやはり苦戦を強いられました。落選した中には海部元首相、山崎拓氏などの派閥の領主、笹川総務会長、また朦朧会見の中川昭一氏なども含まれています。
 
また公明党はもっと悲惨で、太田党委員長、北側幹事長、冬柴元国土交通相などの党幹部が相次いで討ち死にしています。この方たちは比例重複立候補をしていない関係で、議員としての資格もなくなるわけです。
 
他にも比例で復活当選はしたものの、小池百合子、町村信孝、伊吹文明、武部勤、額賀福志郎、与謝野馨、中川秀直、野田聖子の各氏など、数え切れない名ある人たちが厳しい審判を受けたわけです。
 
このように思いのほか、政権政党の自公両党には厳しい有権者の判断が下されたわけですが、とにかく現状を何とか変えて欲しいとの、国民の素直な声だったのではないでしょうか。
 
それは決して民主党が素晴らしく良いからということではなく、極端に言うと誰でもよいから現在の仕組みを変え、新しい日本を作ってくれとの願いであると思われます。
 
人によってはもう民主党が勝ち過ぎたという意見が出されていますが、選択をした以上、それに期待し賭けなければなりません。こうなった以上、後戻りはできないわけですし、しっかりと政策運営を果たしてもらわなければなりません。
 
とにかくオバマさんのアメリカと同じように、この日本でも新しい風を人々は求めています。是非、その期待を裏切らないように、公約どおり、国民の方を絶えず向き続けた政治を貫いて欲しいと願っています。


いよいよ総選挙

[2009年08月28日(金曜日)|No.1679]

いよいよ明後日は衆議院選挙の投票日です。前回は国民に郵政民営化の是非を問う、いわばコップの中の嵐のようなものでしたが、それとは違い、今回の選挙は政権選択そのものを大きく問われる、重大な選挙となりました。
 
マスコミは結構先走りしていて、一部には民主党が既に300議席を超える勢いなどと、早々に大きく書き立てています。またいわゆる自民党などの大モノ、例えば森元首相や古賀誠さん、また山崎拓、伊吹文明、町村信孝氏など、派閥の領袖と呼ばれる人たちまで、苦戦を強いられドブ板選挙を続けていると伝えられています。
 
果たしてその結果はどうでしょうか。こうした大モノたちがもし大量に落ちるようなことがあれば、政界再編制は急速的に進むのではないでしょうか。
 
また比例の投票先は民主党が自民党の2倍にまで達したとも報道されています。勢いの止まらないその流れに、少し水を差すような動きにも感じられる気がして、どこまで信憑性の高いものか、判断に苦しむところがありますが、少なくても投票率はずっと高くなるのではないでしょうか。
 
今日も伝えられているところですが、文部科学省からこの5年間で天下った幹部職員OB162人のうち、3分の1を超える57人が私学(学校法人)に再就職しているとのことです。
 
かつて言われた、旧建設省OBがゼネコンに天下っているようなものです。偉そうなことを言っていても、やっていることは我田引水と呼ばれても仕方のないところです。
 
やはり官僚天下と言われる、こうした日本の旧来からのシステムを大きく見直すチャンスかもしれません。とにかく、やれるかどうかは判らないが、現在の閉塞した社会や政治、制度を一回は替えてみたいというのが、国民大半の思っているところではないでしょうか。
 
しかしながら期待されている交代の主・民主党にとっても決して磐石なものではありません。かつて大きな目玉として、公約で出したことから引っ込めることができなくなった高速道路無料化や暫定税率廃止のマニュフェストにしても、財源が大きく問われています。
 
新たな国民の負担になり兼ねないからです。自動車を運転する人はよいかもしれませんが、関係ない人までその税金対象にされたら不公平の問題まで発生します。
 
それと高速道路が無料化となり、渋滞が蔓延化したらその機能を果たすことができず、運送業界からすれば死活問題にまで発展するからです。
 
とにかく明後日の結果次第でどうなるか判らないものですが、もし民主党政権になっても上記のことも踏まえた柔軟な政策をとっていってもらいたいものです。
 
それにしても、かつて一度も投票に行ったことのない(と言っても21歳ですが)息子までが、今回の投票には必ず行くと言っているくらいですから、今までになく投票率は高く、人々の注目を集めるのではないでしょうか。とにかく日曜日の夜は目を離せなくなるものです。 


介護の現実

[2009年08月27日(木曜日)|No.1678]

大便を触りたがるあなたに/大便に触りたくない私が/「おれの母さんだろう」と叫んだ日
 
殺せばあなたのこの認知症という病も/そして私のこの苦しみも/跡形もなくなってしまう
 
だからあなたを殺してしまおうかと/思ってしまったことがあった

 
唐突に紹介したこの詩は、認知症の母親の介護体験をもとに詩作を続けている、児童文学作家で詩人の藤川幸之助さんの詩「そんなときがあった」の一節です。
 
失禁しても無表情な母親を見て、これが自分の母親なのかと困惑し、ののしりながらノ−トやチラシの裏に書き殴ったのがその始まりと言われます。そして続けているうちに、世間から思われている自分とは全く違う自分を確認し、安心感を得て救われたと話します。
 
今朝も朝4時ぐらいから部屋の中を動き回り、そのうちにどこかに躓いて倒れたのでしょう。「痛い、いたい」と喚いている、自分の母親の声を聞き、飛び起きた我が家にも、決して他人事ではないものを感じています。
 
倒れている母親を眺め、その認知症が進むきっかけとなった、また大腿骨の骨折かと懸念して、慌てて2階で休んでいる家内を起こしに行ったのですが、幸いにも手を貸せば自分で起き上がることができましたので、何ともないものとほっとしています。
 
ですが、その足下を見ると、部屋の中だというのに靴を履いているのです。きっとトイレが分からなくて探し回ったのではないかと思われます。
 
汚い話で恐縮ですが、つい先日も便秘になった母親の便を、自分の指までその中に入れて取り出そうとしている家内の姿を眺め、愕然とした思いになったことがありました。
 
聞くと、もう何回もやってくれていると言うのです。自分の母親だと言うのに、不潔感が先にたち、近寄りもしない私とは雲泥の差です。改めてこれが介護の現実だと知らされ、自身の無能力さと、家内の献身的介護に対して畏敬の念を覚えているしだいです。
 
藤川さんは、この介護には太陽と月の2通りの方法があると言われています。失われた体の機能支援など積極的な関わりが太陽で、これは介護保険などのサ−ビスに任せると言います。
 
そして月の介護は一緒に横になったり、見守ったり、手を握ったりすることです。どちらが欠けても不十分とのことですが、家族の主要な役割は月であるそうです。そのためにも、本音で吐き出す作業を怠らないでほしいと言われています。
 
施設に入れたのでは私たちのことも含め、周囲がすぐ解らなくなってしまうと思われることから、自分の可能な限り面倒を見ると言ってくれる家内には、ただただ尊敬の思いで頭が上がらない自分ですが、時には本音で吐き出してもらう、彼女への精神的なサポ−トを決して怠ってはいけないと、自分自身にただただ言い聞かせています。


終わろうとしている夏の前に

[2009年08月25日(火曜日)|No.1677]

球児たちの暑い夏がとうとう終わってしまいました。今大会前、優勝候補の筆頭と目されていた愛知・中京高が、やはり全国4041校の頂点に立ったのです。前評判どおり、きっちりとその結果を残すわけですから大したものです。
 
それにしても、堂林くんを中心とした、このクリ−ンアップの破壊力は凄まじいものです。惜しくも決勝戦で敗れた、対する日本文理の打線も目を見張るものがありました。5番の好打者、高橋義人くんはこの日も4打数3安打、5試合全て完投の伊藤投手と併せ、申し分のない活躍だったと思います。
 
仕事の関係で、今年の甲子園の試合は満足に見ることができませんでしたが、例年にも増して好試合が多かったようです。決勝戦でも9回2死ランナ−なしから5点を奪い、あわや同点かの驚異的な粘りを見せた日本文理の攻撃が、まさに今大会を象徴していたのではないでしょうか。準優勝でも胸を張って新潟に帰ってもらいたいものです。
 
さて20〜21日の大阪での全国交流会の後、足をもう少し延ばして、小豆島の家内の実家へと帰省させていただきました。家内を同伴しないのに帰省という表現もおかしなものですが、まさに私にとってもいつ訪れても癒される、第2の故郷とも言えるところだからです。
 
そこにはいつも変わらぬ、ご両親はじめ家内の家族の温かいおもてなしがあります。またそれに風光明媚な、のんびりとした土地柄が加わり、いつ行っても何とも言えない、素敵な情緒を醸し出してくれています。ですから掛けてしまう迷惑も顧みず、ついついこちらの勝手な都合で出掛けてしまうのです。
 
そんなわけで今回もすっかりご迷惑を掛けてしまったわけですが、小豆島を立つ際、その玄関とも言える土庄港の入口に観光用の黄色い自転車が2台置かれているのを目にしました。
 
この小豆島を舞台にした映画「ぼくとママの黄色い自転車」が、ちょうど今月22日に封切られたばかりだからです。この映画は新堂冬樹さんのベストセラ−「僕の行く道」を原作にして作られています。
 
私も高速艇や新幹線の帰路、娘から借りたその本を読み耽りましたが、爽やかな感動を与えていただきました。小学3年の男の子が、まだ見ぬ母を求めて、居ると思われる小豆島までやってくる愛と感動の物語です。
 
途中、温かい親切な人々との出会いが描かれ、作者の持つ人間的な部分がさりげなく表われているような気がします。原作では可愛い猫を唯一の伴侶として、新幹線や船などでやってくるのですが、映画ではこれを犬に、また黄色い自転車に乗って捜し求めてやってくるようです。
 
また原作にはこの小豆島の、一度は訪れてみたい良き所を美しく随所に表現しています。きっと映画でも、鈴木京香さんをはじめとした役者の、素敵な演技でこの土地の良さを盛り上げているのではないでしょうか。
 
私もまだ観たことのない映画ですが、原作を読む限りではこの終わろうとしている夏、一番のお奨めとも思われます。一度ご覧になると、私同様、この島の持つ素敵な魅力に虜(とりこ)になるのではないでしょうか。
 
明日26日は一日、所用で会社を留守にするため、カキコミを休ませていただきます。


空白の10日間余りから

[2009年08月24日(月曜日)|No.1676]

久しぶりのカキコミとなります。10日間以上休ませて頂いていたわけですが、カキコミがほぼライフワ−クとなっている関係で、この間何かやり残したような気持ちになっていました。人間の習慣というものは不思議なものです。
 
さてこの10日余りの間、いろいろなことがありました。まず11日、駿河湾地震と名づけられたみたいですが、早朝5時7分、この地方を大きな地震が襲いました。我が沼津では震度5弱、静岡県中部では震度6弱のところもあり、当初被害は軽微のように伝えられていましたが、日が経つにつれ、瓦や外壁の損傷など、決して少なくないようでした。
 
私も当日、工事で平塚出張の予定でしたので5時に起床したのですが、起きるや否や、この大きな揺れがやってきました。およそ15秒ぐらいだったでしょうか、比較的長い時間揺れ続けていましたので、正直「いよいよ来たか」と生きた心地がしませんでした。
 
おそらく今まで体験した中で一番の地震ではなかったでしょうか。大きな東海地震が来る来ると言われ続けている地域ゆえに、もうこの世の終わりかと思ったほどです。事後何件か、心配して頂いて電話等のお問い合わせも頂いたのですが、お陰様で当地方はほとんどそれらしい被害はありませんでした。
 
それにしても、この地震に関してはさすがにその対策を言われ続けている地域だけのことはあります。焼津にある磯自慢という酒造会社では、日本酒を入れたケ−スを積み重ねて貯蔵しているのですが、これを日頃からロ−プでしっかりと結んでいた作業が功を奏しました。
 
お陰でケ−スは1つも倒れることなく、大きな被害を免れたのです。改めて防災の大切さを知らされたわけです。またこの日、普通どおりに平塚の工事に入ったわけですが、お客様の方で「よく来られましたね」と驚いていたものです。
 
それから12日に一部地元のお客様の工事を午前中に済ませ、夜からは翌日より控える工事に備え、浜松に社員と共に移動しました。地震の影響で東名高速が静岡−袋井の間、通行止めの関係で、迂回する一般道もやはり混んでいましたが、何とかその日の内に着くことができました。
 
こうして13日から始まった長期の連休工事でしたが、ようやく今日午後になって、社員も無事作業を終えて戻ってまいりました。私も19日までは一緒にこの作業に加わっていたわけですが、夏の期間、こうした作業はなかなか大変なものです。
 
でもお客様の方で、熱中症対策にいろいろと配慮していただき、休憩所には冷蔵庫で冷えたポカリスウェットをいっぱい用意してくれていました。入場者が一時3〜400人を超えると言われた大人数でしたので、用意する数も大変なものと思われましたが、本当に有難いものです。
 
それにしても何事もなく工事が済んでほっとしています。こうしたスケジュ−ルで動いていると、天災と言えども、ちょっとした予定の狂いが後に響くものです。またお盆のこの期間、幸いにも何も他の予定がなく、社員と共に久しぶりの長期の工事に加わったわけですが、その連帯感を少しでも育むといった面でもやはり必要なものです。
 
社員だけ働かせて自分は遊んでいるといった経営者も決して少なくないと思うのですが、20〜21日に大阪で開かれた中小企業家同友会経営労働問題全国交流会でも学んできたように、激変の時代、やはり社長が変わらなければ会社は何も変わるものではありません。経営の多くのヒントは自分自身の中にあるのではないでしょうか。


思わぬ渋滞

[2009年08月10日(月曜日)|No.1675]

やっと夏の本格的工事が始まりました。11日、12日の自社分を除き、あとは他社のお手伝いで長期出張となるわけですが、贅沢は言っていられません。仕事のあることは有難いことです。
 
そんなわけで社員はいち早く、7日の夕方から浜松へ移動してくれているわけですが、私はその日の午後からちょっとお休みを頂いて、同級生が誘ってくれた”還暦記念尾瀬ハイキング”へと出掛けさせてもらいました。
 
新宿を8日(土)の朝8時にバスが出る関係で、朝早くて大変なことから前日の宿泊を決め込んでいたのです。またいろいろと物入りで大変だろうから少しでも浮かそうと、前日の新宿までの移動は東名バスを利用しようということになっていました。
 
出発地が沼津でその各所から乗り込むことができ、こちらからその日に予定していたのが5人ということもあって、割引回数券をうまく利用すると、一人1620円という格安料金で新宿まで行けるからです。
 
楽しかった8〜9日の、この尾瀬旅行は写真も交えて、またゆっくりと後日紹介したいと思っていますが、前日のこの東京行きが大変なことになるとは、一同夢にも思っていないことでした。
 
始発の沼津の営業所を出発したのが午後2時55分でした。私はここが会社から近いこともあって、メンバ−の中で真っ先に乗り込んだわけですが、それでもその1時間後には最後のメンバ−も乗り込み、一同、和気藹々と目的地へと向かったのでした。
 
そして裾野ICから入ったわけですが、時間的には16時30分頃だったでしょうか。同級生でお互い気兼ねもないことから、明日からの前夜祭と称して、新宿に着いたら賑やかに一杯やるつもりでした。
 
それに備えて別の人間はもう現地入りしているとのメ−ルも入ってきて、この日がETC1000円割引の該当日に当たっているとしても、予定の18時20分着に遅れても1時間かそれくらいだろうと踏んでいました。
 
ところが御殿場を過ぎた辺りから、電光掲示板に少し気になる表示が出てきたのです。秦野中井−厚木間、事故渋滞8kmの看板です。でも、まあ、うまくいけば事故の回収も済んでいるかもしれないし、8kmぐらいなら少し時間が掛かっても何とかなるだろう、ぐらいにしか思っていませんでした。
 
ところがこの読みが大きく外れてしまったのです。渋滞現場に差し掛かったのが17時頃だったと思います。そしてここから8km〜10数kmの渋滞区間を抜けるのに、何と5時間近く掛かってしまったのです。
 
ちょうど厚木ICの出口と入口の間の本線上で起こった、事故現場を横目で眺めて通り過ぎるとき、やっとその訳が分かったのですが、厚木ICの料金所から一旦全部の車が出されてしまい、改めてUタ−ンして再入場させられていたのです。
 
ですから1時間掛けても、2kmぐらいしか進まない、超ノロノロだったわけです。こんなわけで目的地新宿に着いたのが何と、バスに乗ってからの8時間後の23時、とても前夜祭どころではなくなってしまったのです。
 
でも良い経験をしました。翌日尾瀬に向かう関越道はやはり連休の影響があって、朝から多くの車が出て混んでいました。しかしながら、とても前日の比ではなく、少しも気になるものではありませんでした。
 
一度このような経験をしておくと、自分への人間修養まで、できるってものです。それにしても私たちが乗ったバスの運転手は立派なものでした。まだ若いように見えたのですが、このような予期せぬことがあっても、少しも運転にイラつくこともなく、降りる際も乗客に迷惑を詫び、丁寧な言葉を掛けていました。
 
思わずこちらも、「運転手さん大変お疲れ様でした。ありがとうございました」の言葉が素直に出てきたものです。そんなわけで初めて東名バスを利用したのですが、やはり時間に余裕がないと、ちょっと使いにくいかもしれませんね。
 
冒頭触れましたように、明日11日から23日まで連休工事等で会社を留守に致します。申し訳ありませんが、この間カキコミは休ませて頂きますのでご了承下さい。


けなげなロボットの大きな挑戦

[2009年08月07日(金曜日)|No.1674]

先日テレビでエボルタくんという電池式ロボットが、世界の3大レ−スの1つである、ル・マン24時間レ−スのコ−スに挑戦するという取り組みが紹介されていました。
 
パナソニックの単三型乾電池・エボルタを2本動力源としたロボットですが、昨日がそのトライアルする日に当たっていました。そしてとうとう、このル・マンの1周4185メートルのコースを、5周半回り、ト−タル23.726キロを走り抜いたのです。
 
このロボットはこれより先にも、530mもあるグランドキャニオンの登頂に見事成功する映像が紹介されていました。乾電池2本で実に7時間足らずの時間を掛け、登りきったのです。
 
そして今度はこのル・マン挑戦ということで、ただ真っ直ぐ上がっていくのとは違い、起伏がありカ−ブも多いコ−スをどのように制覇できるのか、興味を持っていたところです。
 
ですから自力だけではコ−スセッティングが不可能のため、走行する前に赤外線で誘導する車を置いての挑戦となったわけです。
 
それでもコ−スには急な下りもあることから、テストの段階では暴走してしまい、ブレ−キを付けるなどの考慮も施さなければいけなかったようです。
 
また24時間ですから、夜間には点灯するライトも装備するなど、いろいろとご苦労があったみたいです。それでもいざ出発となると、三輪車に乗った愛くるしい姿や、左右に揺れながら自転車をこぐ、けなげな姿に人々の目が釘付けになったようです。
 
とにかく、全長30センチ、幅20センチ、高さ20センチの、この小さなロボットの果敢なチャレンジは、こうして無事成功し、ギネスにも登録されるほどの偉業となったわけです。
 
夢のある、こうしたチャレンジ精神は私たちにも勇気や明るい希望をもたらしてくれるものです。小さな可愛いロボットですが、とても大きな明るい話題を提供してくれました。それにしても単三の乾電池2本で、こんなにも可能性が膨らむものなのですね。


広島原爆記念日

[2009年08月06日(木曜日)|No.1673]

優雅な方々と違い、こちらは工事で軽井沢に出掛けたわけですが、外気温はそんなに高くなく、やはり過ごしやすいものです。平日とは言っても、若い人をはじめ多くの方々がこの避暑に詰め掛けていました。なんだかんだと言っても余裕のある人は少なくないものです。
 
さて毎年触れていることですが、今日8月6日は原爆が広島に投下された日です。64年もの歳月が流れ去りました。8時15分、我が地域でも犠牲者の黙祷のため、平和の鐘が鳴らされました。実に14万人もの方が亡くなられたのです。
 
平和公園で開催された慰霊式典には、今まで以上の多くの国からの参列があったのですが、今年もそこには投下国のアメリカの姿はありませんでした。
 
ご存知のとおり、今年4月オバマ大統領がプラハ演説で述べた「核兵器を使った唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任がある」という言葉は、核のない世界をめざして世界中に大きな期待をもたらしてくれました。
 
このことからご自身が被爆者であったのにもかかわらず、沈黙を守ってきたイッセイ・ミヤケさんが重い口を開き、「語ることに気乗りしなかった、自分の内側の深い場所に埋もれていた何かを呼び覚ました」と、初めて自らの被爆体験を公表し、大統領の広島訪問を呼びかけたのです。
 
また昨日のテレビでは90歳にもなる高齢のご婦人が、被爆後今日まで欠かさず毎日、水を慰霊碑に供える姿を映し出していました。
 
被爆直後、顔が焼け爛れたり、だらんと手の皮が伸び、その形が変わってしまった多くの人が、苦しみもがく場所に居合わせ、水を哀願する姿に直面したのです。
 
そのため水を探して持ってくるからと約束し、その場を一旦は離れました。そして探し求めた水を持って帰ろうとしたとき、出会った男性に呼び止められました。「ここにある全ての水はもう飲めるものではない。その水を与えたら大変なことになる」と。
 
こうして、そのご婦人は水を持ち帰るといった約束をとうとう果たせなかったわけですが、60猶予年経ってもいまだにそのことが心に引っ掛かっているわけです。
 
こうして以来、その人たちの気持ちを思って、永年、自らの手で水を滝から大型のペットボトルに汲み取り、数箇所の慰霊碑に供えているのです。
 
このように原爆は今でも人々の心に癒されない傷となって残っているのです。一瞬の内に人間が虫けらのように死んでいく姿を見せつけられると、何とも言えない強い憤りと、深い悲しみに襲われます。二度とこんな悲劇は起こしてはいけません。
 
この核の悲劇を世界中に知ってもらうため、また核のない世界を実現するため、何年経っても風化させることなく、唯一の被爆国である、私たち日本人の果たす責任は決して小さくないように思えるものです。


若田光一さん

[2009年08月04日(火曜日)|No.1672]

宇宙から若田光一さんが帰ってきました。無事生還できて本当に良かったと思っています。エンデバ−という戦闘機みたいな帰還船で戻ってきたのですが、何も知らないこちらは、洋上にパラシュ−トをつけて落下するものと思っていました。
 
宇宙からあのような乗り物で直接帰還できるのですから、いくら時代が進んでいるからと言って、やはり目を見張るものがありました。
 
さてこの若田さん、見るからに性格も温厚で、好人物との印象が自然に伝わってくる方です。あるブログによると、宇宙飛行士になるための条件はいろいろとあることでしょうが、何よりも人柄が重視されるのではないかと触れていました。
 
なぜかというと、あのように長い期間、窮屈な空間に生活しなければいけないクル−にとって、もし性格の悪い人が混じっていたなら、たちまちの内にその和が乱されるからです。
 
またそうした若田さんの素直な性格も、朝日新聞の夕刊の「天才の育て方」という欄に掲載されていた通り、小さな時からの厳格な親の教育によるものと紹介していました。
 
それによると、光一少年がまだ小学2年生の頃、ザリガニ釣りに熱中し、暗くなってから帰ってくることが何度か続いたとのことです。堪忍袋の緒が切れた父親は、息子を家の外の物置に閉じ込めました。
 
「お願いですから、出して下さい」「絶対に明るいうちに帰ってきます」と、少年は叫び続けましたが、父親は一切構わないことから、母親タカヨさんは心配で仕方ないのですが手を出せません。
 
でも気が気でない母親が物置の様子を伺うと、静かになっているのです。寝ちゃったのかなと思い、父親を呼びに行くのですが、父親もいません。
 
そして30分ぐらい経ってから、物置の扉をそっと開けてみました。そうしたところ、うす暗い中で父親と息子が向き合っている姿を見つけたのです。
 
あとでタカヨさんは、この二人の姿をみて、怒ってもあとで納得のいくように説明する「これが教育だなあ」と思ったそうです。
 
こうして光一少年は、その後ザリガニ釣りに行くときは、隣のおばちゃんから入学祝でもらった、ディズニーの置き時計を風呂敷包に包んで持っていくようになったそうです。時間がわかれば暗くなる前に帰れるからです。
 
素直な性格はこんなところからも育まれたのではないでしょうか。それにしても、宇宙から戻って直ぐに自分の足で歩くということは、とても大変なことだと言われています。
 
しばらくは歩けない飛行士が多い中、若田さんは難なくクリヤ−して、自力で記者会見の場にも臨みました。宇宙での狭い空間の中でも、しっかりとこうした対策を考え、器具による体力づくりの運動や、平時の10倍も進むといわれている骨粗しょう症などの対策を施してきた結果です。
 
でも想像以上に宇宙での138日にも及ぶ活動は過酷なものです。今後は45日間かけて、毎日、マッサージや水中運動などのリハビリに励むと言われています。宇宙での将来、人類が健康に暮らすための秘訣を探るための今回の活動には、ただただ敬意を表したいところです。とにかく、しばらくはゆっくり休んでもらいたいものです。
 
明日5日は早朝より、軽井沢にモノレ−ルの工事のため出張しますので、カキコミは休ませていただきます。


ちょっと良い話part51

[2009年08月03日(月曜日)|No.1671]

何日かぶりで良いお天気となりました。今日は富士山もバッチリ拝むことができます。このように天気が良いのは心まで晴れ渡るような気がするのですが、8月に入ったというのに梅雨明け宣言も出されないのは、異常気象とも言えるのではないでしょうか。
 
昨夜は夜遅くまで、悲願のメジャ−制覇を狙う、宮里藍ちゃんの応援にテレビにかじりついていたのですが、惜しかったですね。あと一歩のところまで行ったのですが、終盤で崩れてしまいました。でもこの様子なら、ツア−1勝もしたことですし、近い将来間違いなく手が届くのではないでしょうか。
 
さて、いつも定期的にお送り下さる、オリジン・コ−ポレ−ションの杉井保之様の会報に、こんな素敵な話が載っていましたので紹介いたします。
 
ある地方に講演で出掛けたとき、乗り合わせたタクシ−の運転手さんの話です。たまたま通りがかったタクシ−だったのですが、乗ろうとしたとき、車から慌てて出てきて乗車するドアを開けてくれ、乗り込むと嬉しそうな表情で、「ありがとうございます」と言って頭を下げてくれたのです。
 
そしてカ−ブでもお客様の体が左右に振られないような、気遣いのある運転をしてくれ、お互いの会話が始まり信号で停車すると、やおらメモ帳を取り出したのです。
 
杉井さんが何を書きとめているのですかと尋ねると、「お客様との会話を書きとめています。次にまた乗っていただいたとき、話の続きができますから」と答えたそうです。
 
また差し出した名刺にはカ−ドが添えられ、1ヶ月先の出勤予定や自分の携帯番号が記されていて、裏には「表に記載されている出勤日に関係なく出勤します」とまで書かれていたとのことです。
 
筆者がなぜそこまでやるのですかと尋ねると、決意に満ちた声で次の言葉が返ってきました。「この会社を日本一にしたいんです」と。
 
そして「そのために、まず私が日本一の運転手になり、やっていることを他の社員にも伝えて、日本一のタクシ−会社を作るのです。それが私の夢なんです」とまでの言葉が返ってきました。
 
やがて目的の講演会場に着き、その素敵な運転手さんにまた、わざわざドアを開けてもらい、別れるのですが、話はそれで終わりません。筆者が早速、当日の講演で、この素敵な運転手さんの話に触れると、聴衆の方々が是非、その方に会ってみたいということになりました。
 
そのため講演の休憩時間になってから、頂いたカ−ドの電話番号に連絡して、帰りも迎えに来てもらうことになったのです。
 
こうして、講演を聴いた方々が一目会おうと玄関に集まる中、笑顔の運転手がまた会場にやってきたのです。少し離れた正門にその車が見えただけで、歓声と拍手が沸き起こり、近づくに連れてそれは大きくなっていきました。
 
この素敵な運転手さんはちょっと驚いた表情を見せますが、満面の笑顔で、車から降り一礼するといつもの通り、杉井さんのためにドアを開けてくれたのでした。
 
とても素晴らしい話です。自分の仕事に誇りを持ち、楽しく仕事ができれば人生がより豊かになります。筆者も最後に結んでいるように、自分の人生の素晴らしさ、面白さは、自分の仕事や人生に対する態度によって決まるものなのですね。