株式会社 アイソー




2008年12月の日記

10代の躍進

[2008年12月26日(金曜日)|No.1549]

今週の運勢によると、年末年始の私のみずがめ座は不用なものの整理が大吉とし、仕事は最終確認をしっかりやり、きっちり終わらせることが重要となっています。
 
運勢の良いことだけを信じている私は、そんなわけではないのですが、明日はいよいよ会社の大掃除です。どうしてもいつまで経っても整理し尽せない荷物を、何とか片付けなくてはと思っています。
 
また恥ずかしながら今ではこの大掃除の日だけとなってしまった、1年に1回のトイレ掃除をしっかり務めたいと思います。従って今日は今年最後のカキコミとなります。
 
今年を振り返ってみますと、スポ-ツ界では何と言っても10代の躍進ということが言えるのではないでしょうか。まず石川遼くんです。過日も触れたとおり、17歳という史上最年少でその獲得賞金が1億円を超えました。
 
そしてこの華々しい活躍により、一昨日は本年度日本プロスポ-ツ大賞なるものも頂きました。ここで結んだ、スポンサ−となる各メ−カ−との来年度契約が27億円を超えたという遼君ですから、文句なしの受賞だったものと思われます。
 
いつまでもその謙虚さを忘れず、これからどんどん勝ち進んでいくでしょうが、驕らず誰からも愛されるプロを目指していってもらいたいと願っています。
 
次は浅田真央ちゃんでしょう。過日もこの欄で応援したとおり、グランプリファイナルでは見事、女子では史上初のトリプルアクセルを2回決め、堂々たる優勝を飾りました。キム・ヨナ選手といつまでもよきライバル関係を続けながら、さらに技術的にも人間的にも大きく飛躍していってもらいたいと願います。
 
それからテニスの錦織圭選手の活躍にも目を惹かれました。18歳で2月にはツア−初優勝を飾り、9月の全米オ-プンでも世界4位のフェレールを下し、堂々の16強入りを果たしています。
 
最近では卓球の愛ちゃんとの交際をしつこく追い回されているみたいですが、温かく見守ってやってあげたらと思っています。
 
その他競馬界にも、新人騎手の年間最多勝記録を大幅に更新した、18歳の新星・三浦皇成(こうせい)騎手が現れました。天才と呼ばれている武豊騎手の記録を大幅に破っているから大したものです。
 
このように若き10代の選手たちの活躍が目立った年でもあります。これに慢心することなく、それぞれの才能を大きく伸ばしていってもらいたいと願うものです。
 
先日、こんな言葉が目に留まりました。「人を羨むならばその人の苦労を欲しがって下さい」華やかな舞台の裏に回れば、人知れない血のにじむ努力の積み重ねがあるものでしょう。
 
また「夜明け前の闇は最も深い」とも言われています。一筋の光明を見出していくのにはやはりそれなりのものが求められるものです。こうした混沌とした時代だからこそ、他人や周囲を当てにすることなく、やはり一層の自助努力が求められるものではないでしょうか。
 
本年に賜りましたご愛顧、ご交誼に深く感謝申し上げます。来る年が皆様方にとって素晴らしい年になりますよう祈念申し上げます。ありがとうございました。
 
新年のカキコミは7日から開始いたします。どうぞよろしくお願い申し上げます。


孤独死

[2008年12月25日(木曜日)|No.1548]

6日ぶりのカキコミとなります。私たちの業種は電気が止まってから工事をやらなければならない為、どうしても休日とか、5月、8月、そして年末年始という長期休業期間に仕事が組まれることが多いものです。
 
今年の暮れも昨日で作業が終わったところが29日に試験チェック、そして年明けの6日に総合試運転調整の予定になっております。
 
またこの他にも28日が小田原で一日改造作業、年明けの正月3日、4日とその関連作業が予定されています。正月早々で社員も気の毒なところもありますが、厳しい環境の下、これも少しでも他社との差別化で、付加価値を上げるという意味でも、喜んでやらなければと思っております。
 
さて、先日のニュ-スで孤独死ということが報道されていました。昨日も女優の飯島愛さんがマンションで急死していたと、今朝のニュ-スではこの話題で持ちきりでしたが、これも孤独死のようなものかもしれません。
 
先日の報道分は、この年の瀬になって、ビルのはざまにある東京・代々木の借家から、男性の白骨遺体が見つかったということです。しかもなんと、死後6年以上も経っていて、その間誰にも気づかれなかったというのです。
 
まさに大都会の無関心を象徴しているような出来事なのですが、こんなこともあるのですね。それも妻子との幸せな家庭だったのが、離婚した途端、行方不明となり、この借家は誰も住んでいなかったはずなのですが、いつか人知れず戻っていたというのです。
 
侘しい話ですね。今年になって父親から借家を遺産相続した地権者が、新たに立て替えようとこの借家を訪れて、散乱している衣類などの中から、服を着たままの白骨遺体を見つけたとのことです。
 
報道では、「孤独死は近代都市生活の盲点だ。人付き合いをわずらわしいと感じる若年層が増加傾向にある現状では、孤独死はひとり暮らしの高齢者だけの問題ではないといえる」と結んでいました。
 
まさにぶつかってもというか、こちらから投げ掛けても挨拶が返ってこない人が少なくない、今の世の中ですから、晩年のこうした事態をしっかりと想定していなければならないものと思われます。
 
昨夜のクリスマスイブには娘たちも帰ってきて、賑やかな時間も過ごすことができ、お金がなくても幸せな満ち足りた気分に浸りました。
 
飯島愛さんにしたって、今までのその華やかな人生の割には最後がとても侘しいものに感じられます。人間の幸せって何だろうかと考えさせられました。また亡くなってみて、改めて多くの人に愛されていたんだなと実感しました。そのご冥福をお祈りします。


イルミネ−ション

[2008年12月19日(金曜日)|No.1547]

来週はもうクリスマスです。街にはきらびやかな様々な電飾が施され、賑わいを一層引き立たせています。巷では人員削減、操業停止等、明るい話題が少なくなり、ちょっと世の中全体が沈みがちになっていますが、色とりどりのイルミネ−ションのように、元気で明るくなりたいものです。
 
さてこのイルミネ−ションの飾られている木々など、夜道でも明るく安心して歩けるわけですが、木にとってはどうなのかという話が新聞に載っていました。
 
結論はやはり木にとっても睡眠が欲しいみたいで、暗闇が必要とのことです。街灯のそばの木は落葉が遅いとも言われています。この紅葉とか落葉は日の長さ(夜の長さ)に関係しているというのです。
 
木は日が短くなるにつれて、体が凍らないように糖の濃度を高め、必要なものを回収してから葉を落とし、寒い冬を乗り切る準備をしていくそうです。
 
また翌年の芽を作ったり、花を咲かせて子孫(タネ)をつくったりという大事な行為も、この夜の長さに依存していて、植物は人間が考えている以上に正確に夜の長さを測っているみたいです。
 
それから紅葉なども木にとっては必要なことで、適切になされないと、木の健康が損なわれ病虫害に遭いやすくなってしまうようです。またこの都市部で害虫と呼ばれる虫が大発生するのも、街灯が明るすぎるという影響があるかもしれないと言われています。
 
そうしてみると、やはり必要以上に明るすぎたり、一晩中こうこうと辺りを照らしておくというのも考えものです。またこの時期、クリスマスに向けて一般の家にも飾り付けられている電飾も、美しいのは大変結構なものですが、時間制限とか設けて周囲への環境に配慮した工夫が求められるものではないでしょうか。
 
新聞のこの記事でも最後に挙げているとおり、夜はやっぱり眠らなければいけません。そして人間だけが生きているわけではないですから、こうした植物等との共生はしっかりと考えていきたいものです。
 
来週の22〜24日は工事で出張のため、カキコミは休ませていただきます。


ドラフト入団拒否

[2008年12月18日(木曜日)|No.1546]

プロ野球ロッテからドラフト2位で指名された、ホンダの長野(ちょうの)外野手がどうやら入団を拒否する模様です。
 
これは日大時代の2年前、同じパリ−グの日本ハムから指名されて断ったのに続いての、同じ結果となりそうです。これには巨人入りを熱望する本人の強い意志が働いています。
 
近年、この巨人入りを強く望む選手は以前に比べ、めっきりと少なくなりましたが、やはりまだまだいるのですね。かつては大投手・江川さんとか元木選手など、空白の1日とか言って大騒ぎをしたのが思い出されます。
 
でもどうなんでしょう。これで拒否すると大学卒業後、ノンプロで野球をやっているとは言え、3年間もプロで本格的な野球につけないことになります。ワ−ルドカップでも日本代表の3番打者を務め、大きな可能性を秘めた有望な外野手だけに、もったいないようにも思えます。
 
こうした大学卒の3年間と言ったら、もう立派に即戦力ですし、選手によってはこの期間でしっかりとチ−ムの主力として定着してくる人もいないわけではありません。
 
またもう1年待ったからと言って、必ず、あこがれる巨人軍からのドラフト指名という保証もないというものです。状況は日々一刻々変わってくるからです。またケガとか予期せぬアクシデントなど、本人にとってもいつまでも高く売れるという保障もないものです。
 
それと、どちらかと言うと、こうしたゴネてプロに入団したりするケ−スでは、相手投手にこいつにだけは絶対打たせたくないという気持ちを強く持たせることにもなります。
 
従って必要以上な戦闘意識を敵に持たせることにもなることから、それだけ余分で本人にとってはよいことはありません。
 
このプロ野球のドラフトは、職業選択の自由といった観点では、必ずしも問題が全くないということもありません、しかし各球団の力均衡を考え、プロ野球をより面白くしようとして生み出された措置でもあります。
 
やはりそうした意味では作られたル−ルの中で動かざるを得ないのではないでしょうか。ゴネ得という言葉もありますが、私は今回の件に関しては、ゴネ損で貧乏くじを引かなければよいがと思われるものです。


小が大に代わる

[2008年12月17日(水曜日)|No.1545]

月々送られてくるレポ−トにこんな話が載っていました。古来中国での孟子の教えを綴ったものです。
 
斉の宣王という人がいます。孟子にあるとき、「将(まさ)に吾が大いに欲するところを求めんとするなり」自分には大望があると告げました。
 
その大望が何かを当てて、孟子は次のように答えました。「王の大望とは、領土を広げ、強国の秦や楚に朝貢させて臣下とし、中国に君臨することですね。しかし戦争によってその望みを果たそうとすることは、木に登って魚を取ろうとするようなものです」
 
「木に縁(よ)りて魚を求む」という格言の出典たるところです。王がそれほど馬鹿げたことかと尋ねると、「いやそれ以上です。木に登って魚を取ろうとしても、魚が取れないだけで災難は招かない。王のやり方では全力を尽くしたあげく、災難にあうのが落ちです」
 
なぜだろうかと問い質す王に、「もし小国の鄒(すう)と大国の楚が戦えばどちらが勝つと思いますか」と尋ねます。楚が勝つと答えると孟子は次のように諭します。
 
「そうです。つまり小は大にかなわない。寡はもとより衆に、弱は強に敵することはできない。いま中国で千里四方の大国が9つあります。お国はそのうちの一国にすぎません。
 
その一国が八国をを征服しようとするのは、鄒が楚を相手に戦うのと同じではありませんか。それより政治の根本に戻ること。仁政を施せば、仕官を望むものは皆、王の朝廷に仕えたいと願い、農民はお国で耕したい、商人はお国で商売をしたいと他国から移ってくる。
 
旅人はご領内を通ろうとし、自国の君主に不満を抱く者は、こぞって王のところに訴えに来るでしょう。こうなれば王に手向かう者は一人もなくなります」

 
まさに小が大に、弱が強に対する極意のようなものです。今、大企業は虫けらのように、生産調整で要らなくなったからと人々を切り捨てています。日本を代表するリ−ディングカンパニ−であるトヨタが、また経団連の会長を務めている企業までもが、こぞって右に倣いです。
 
いったい企業の社会的責任というものは何なのでしょうか。一方、私たち中小零細はそんなに苦しいからと言って、リストラなどは簡単に行うものではなく、役員の報酬を減らしてでもギリギリまで雇用確保に努めています。
 
まさにこれが同友会の言っている、人を生かす人間尊重の経営なのです。一社あたりの雇用数はとても大企業の比ではありませんが、企業数では圧倒的な数を誇る、私たち中小企業が頑張って雇用を継続できるように努めることが、社会的にもとても重要な役割ではないでしょうか。
 
また延いてはそれが人間本来の持つ、やる気とか自己の持つ能力を最大限に引き出すことに繋がっていくものと思われます。まさに小が大に代わって、躍進できるチャンスとも捉えて、再度自社や業界の分析を行っていかなければならない時期でもあるわけです。


21世紀枠外れる

[2008年12月16日(火曜日)|No.1544]

残念ながら我が母校・沼津東高は全国でノミネ−トされた21世紀枠9校には選ばれませんでした。半ば予想したとおりの結果だったのですが、あわよくばと一抹の望みも残されていたわけで、それも見事に絶たれてしまいました。
 
でも負け惜しみではないのですが、これでよかったのではないかと思われます。今だからこそ話せるところですが、実は秋の大会前、現監督から「秋は少し目をつぶっていてもらいたい」と話されていたからです。
 
今年の夏の大会で甲子園でも活躍し、準優勝した常葉菊川高を、静岡県予選3回戦で3−4と善戦し、苦しめたときのメンバ−はほとんど3年生でした。その3年生が抜け、それからのスタ−トを切った新チ−ムの前途は必ずしも洋々とは言えなかったものです。
 
それが何とか東部大会5位の成績で県大会出場を果たしてから、一戦一戦地力をつけ始め、ベスト8まで勝ち進んだのです。ですからよくやったと言うことはできても、21世紀枠に選ばれても少しも恥ずかしくないとまでは言い切ることはできなかったのです。
 
しかし、今回の21世紀枠静岡県代表に選ばれたことは、これからの母校躍進にとって、大きな励みになったものと思われます。秋の大会で少なくとも県のベスト4、また東海4県出場でも果たせばぐっとその夢が近づいてくるからです。
 
その日を夢みて、今はしっかりと基礎体力をつける時でもあります。そして夏の大会でも勝ち進めばもちろん文句ないのですが、負けてもまた次の選抜へのチャンスが待っています。
 
今回の秋の結果にしても、やればできるんだという、3年生が夏の大会で残した教訓が、少なからず下級生に刺激となってもたらしたものと思われます。ということは、とにかく次に繋がる価値ある試合を続けていくことです。
 
余談ですが、家内の出身校である、小豆島の土庄高が全国21世紀枠の中に選ばれています。21世紀枠選考基準を満たしていることはもちろんですが、他の地域の力は一切借りず、島出身の人間だけで頑張っているからです。
 
小豆島は最近、テレビの連続ドラマなどでも映し出されている、潮の満ち干きで島が繋がったり離れたりする、天使の散歩道(エンジェルロ−ド)などでもまた注目を集め出しています。こうなったら私もご縁の深い、第2の故郷とも言える小豆島の土庄高に是非最後まで残って、選抜出場を果たしてもらいたいと願っています。


ブレないこと

[2008年12月15日(月曜日)|No.1543]

我が日本丸の船長の評判がガタ落ちです。その前の二人もの総理の政権投げ出しを受けて、確か自民党は選挙用の顔として、この麻生さんを送り出したはずです。
 
ですから登板して時を置かずして解散・総選挙となるはずでした。それがいつまで経っても腰を上げず、とうとう、これから先やっても、とても勝てっこない事態にまで追い込まれる羽目となりました。
 
いくつかの原因が挙げられるでしょうが、やはりトップである麻生さんの、総理としての資質の問題ではないでしょうか。1つはブレがひどいことです。景気対策を理由に挙げて総選挙を引き伸ばしながら、第2次補正予算案を出さなかったことはまず言い逃れができないことでしょう。
 
これには中小企業の資金繰りの厳しさを見通して、まず第1次補正で緊急信用枠保証を6兆円としました。しかしそれだけでは足りず、20兆円までしなければ万全ではないと言っていたにもかかわらず、第2次を出さない理由として、緊急対策を必要としていることは第1次でかなりの部分、まかなえているなどと言い逃れていることです。
 
また軽はずみな言葉があまりにも目立ちすぎます。全国知事会議の席上での「医師には社会的常識が欠落している人が多い」とか、「たらたら飲んで食べて何もしない人の分の医療費を何で私が払うんだ」等々です。
 
トップダウン風にいろいろとメッセ−ジを挙げるのですが、抵抗にあうとすぐに簡単にその言葉を撤回しています。言ってみれば用意周到な根回しもなく、ただの思いつきで発言していると言われても仕方がないのです。
 
それから官僚の書いた原稿を読むだけですから、そんなに難しいことはないはずなのですが、十分な準備を怠っているせいか漢字の誤読まで引き起こしています。
 
詳細をヨウサイ、焦眉をシュウビ、未曾有をミゾユウとは、ちょっと如何せん恥ずかし過ぎるのではないでしょうか。ある人は漢字が読めないから漫画を読んでいるのかと、言い出す始末です。
 
このようにトップとはいろいろな要素が求められるものです。また一番大切なのはブレないことではないでしょうか。ですからこのブレないためには、絶えず人心を把握し、用意周到な準備の中から確固たる信念を築き上げていなければなりません。
 
そういった意味からすれば、一時的なやむを得ない措置だったかもしれませんが、弱者への配慮に欠けた、庶民感覚のない、上から目線的なこのような人をリ−ダ−に選んだ自民党の構造的体質に問題があるのかもしれません。


学校を捨てた

[2008年12月11日(木曜日)|No.1542]

ゆとりの反動、学校を捨てた親」という衝撃的なタイトルが雑誌AERAに記載されていました。内容の触りの部分を以下に示しますが、なかなか興味深い記事です。
 
ゆとり教育の反動から再び「お受験」が過熱している。だが、受験エリートが社会で通用するとは限らない。教育に携わる親たちがわが子の選択肢から「学校」を捨てた。
 
都内の私立大学教授のAさんの長男(8)が通う学校は、東京・杉並区の緑豊かな蚕糸の森公園を抜けた先にあった。見た目は普通の一軒家。午前8時半になると、19人の子どもたちが畳の部屋に集まり、一人の大人を車座に囲む。
 
「おっちゃん」と呼ばれる大人が、「休みの日は何をしてた?」ある子が柔道の試合に出場した話をすると、別の子が、「大外刈りって何?」そこで実際、技をかけた。
 
この学校は2004年8月に開校した東京コミュニティスクール(以下TCS)。「おっちゃん」は校長の市川力さん(45)。人の話を聞くとともに好奇心のキッカケを作る「おっちゃんの部屋」は、朝の会の目玉だ。時事問題が上がることも多い。
 
TCSは学校教育法で定められた小学校ではない。籍を置く地元の公立学校にTCSでの学習状況を伝えることで、公的な出席記録や卒業認定がされる。
 
Aさんは長男が2歳の頃から、いろんな小学校を見学した結果、TCSを選んだ。「自分が受けてきた教育への批判を込めた。息子にはいい教育を受けさせてあげたい」
 
一方的な伝達形式の日本の教育では世界に通用しない——。根底には大学院時代、アメリカへの留学体験がある。語学力以前に、プレゼンスキルがなく、議論に参加できない。悔しかった。相手に伝える力、主体的に学ぶ力が最も重要だと感じた。

 
このAさんは大学教授として目の前の学生の質の低下も肌で感じているそうです。世も末というくらいの言葉の意味も解らず、世の中への関心も低く、消えた年金問題すら知らない。
 
本も新聞もろくに読まない彼らは何しに大学に来ているのか解らない。来て選択肢が広がると言っても、やりたいこともわからないのに、いくら選択肢があっても仕方がない。TCSを選んだのにはこうした背景が存在しているのです。
 
また高校教諭のBさんも、長男(8)をTCSに入れた。年間72万円の学費は苦しいが、何物にも代えがたい体験を積む息子の成長に満足している。
 
小学校1年生で富士山に登頂し、北海道では水揚げされる生きた魚も見た。今夏、長野での農作業体験では、雨の中、一日中ゴザを被って過ごしたという。「将来ホームレスでも生きていけるな」「うん」と、息子は微笑んだ。
 
1年前にあれほど欲しがっていた「ニンテンドーDS」も、今は欲しいとは言わない。
 
理事長の久保一之さん(42)は初等教育をこう考えている。「大事なのは学ぶ意欲。それが続く限り人は成長します。小学生は一番大きな好奇心を持っている。好奇心は作るものじゃなく、大人が潰さないようにサポートするのが重要なんです」

 
Bさんは21世紀に生き残る人材として、自主的に学ぶ力を育む体験型学習が必要と感じ、好奇心の種を摘み取られたくないと思い、このTCSを選んだのです。
 
記事の中でも触れていますが、自分のやりたいことをやっているときは、子どもはいろんな発想をし、その中で試行錯誤するという、大きな学びを受けます。
 
やはり単なる詰め込み式の教育ではなく、その子を絶えず見守り続けてやりながら、個性に一番合ったよいものを見つけてやるのが初等教育ではないでしょうか。
 
記事の一番最後にあった大学生の残した言葉がとても印象的です。「もう一度、ちゃんと子どもをやりたい」...
 
先日も触れましたが、明日12日は弊社の忘年会を兼ねた小旅行で会社を留守にします。関係先には大変ご迷惑をお掛けすることと思われますが、ご容赦いただき、何卒よろしくお願い申し上げます。


新型インフルエンザ

[2008年12月10日(水曜日)|No.1541]

昨夜来の雨の影響か、今朝は温かい朝を迎えましたが、このところ厳しい寒さが到来しています。そのためか周囲には風邪をひいている方を多く見受けます。
 
なかにはいち早くインフルエンザで学級閉鎖などとの声も聞かれる昨今です。このインフルエンザなのですが、昨年猛威を振るったのがAソ連型というものです。今年はそれより早いペ−スで流行が広がる可能性があると指摘されています。
 
また脅威に感じている鳥インフルエンザがもし人間に感染し、それが人間同士に感染が広がったら、えらいことになると言われています。いわゆる新型インフルエンザです。発生すれば日本で17万〜64万人が死亡するとも推定されているのです。
 
これについて、国立感染症研究所の研究員が、国内での発生後に人々が外出を自粛すると、患者数を大幅に抑えることができるとの試算をはじき出したとのことです。
 
その試算によると、以下のように伝えられています。国内の新型インフルエンザ患者第1号を「東京の八王子市在住、丸の内で勤務するビジネスマン」と想定。
 
海外出張先で新型インフルエンザに感染して帰国したが気付かず2日出勤した−と仮定し、学校閉鎖や企業の事業縮小などの感染拡大防止策を取る場合と、何も対策を講じない場合とで、首都圏で感染者の増加がどう違うかをコンピューターによるシミュレーションで比べた。
 
すると感染拡大防止策を講じ、電車の利用など外出者が普段の6割程度にまで減った場合、国内第1号の患者帰国から1週間後(第1号の感染10日目)の感染者数は8154人と、何もしなかった場合の想定12万6591人のおよそ15分の1に抑えられるとの結果が出た。

 
このように新型インフルエンザが発生すれば、人間には免疫がないため大流行になると恐れられています。現段階では、学校を休校にしたり、人が多く集まるイベントを中止したりして、唯一、この外出を控えるのが最善の方法だと言われているのです。
 
先日もこの感染を完全にシャットアウトするマスクなども、テレビで紹介されていました。でも蔓延すればやはり限界があるものです。触らぬ神に祟りなしではないのですが、感染者に近づかないのが採るべき最良の防止策なのです。
 
それにしても、生態系のやはり異変なのでしょうね。これも人間が自ら招いてしまったツケのような気がします。とにかく外出して戻ったら、手をよく洗い、うがいをしっかりして、自らの体調管理にしっかり努めることです。自分の体はやはり自分しか守れないものです。



おせち料理

[2008年12月09日(火曜日)|No.1540]

今年は例年にも増して、おせち料理の販売競争が激化しているようにも思えます。またス−パ−や百貨店などではその予約が順調に推移しているとも聞きます。ということはだんだん家でこのおせち料理を作らなくなってきたということでしょうか。
 
何か寂しいような気がしています。おせち料理と言えば、大晦日まで目一杯掛かって、かつては母親が、そして今では家内が作ってお正月を迎える準備をする、いわば暮れの風物詩のようなものです。
 
また、それぞれの家庭での独特な料理嗜好があり、地域によっても様々なバラエティ−に富んでいたものです。益々衰えを知らない不景気風の影響もあって、今年は暮れから正月に掛けての旅行も控え目で、自宅で過ごす人々が多いことから、この予約が増えているとのことです。
 
確かに売り出しているものは、値段もそれなりに安くはないことから、見た目には色とりどりで豪華です。また一部中華も含む和洋折衷のような、きらびやかな料理が並んでいます。
 
でもへそ曲がりかもしれませんが、私は家で家内が作ってくれた料理の方がずっと好きです。なぜかと言うと、そこには我が家でなくては出せない家庭の味があるからです。
 
このきらびやかな売り出しているおせちですが、では食べる家が変われば味は変わるでしょうか。ほとんど、大差はないのではないでしょうか。いわゆる売られているものというのは、どんなに豪華であっても、やはり画一的なものに過ぎないのです。
 
このように時代が変わってくると、人はだんだんその労をおしんで、手っ取り早い方法を選ぶものです。でもまだそうしたものに染められていない田舎は、依然として昔の良さを残しています。
 
どちらがいいかと言えば、やはり私は昔の良さを選びます。ニッポンの味がするからです。もちろん家庭の味も売り物に負けず劣らずで、決して捨てたものではありませんが、味より何より作り手の苦労がそこに偲ばれるからです。
 
そんなことを言っている私は、今の多様化の時代にはとてもついてはいけない門外漢なのでしょうか。どうも歳のせいか、昔のニッポンの味がいつまでも忘れられない私です。 


ちょっと良い話part42

[2008年12月08日(月曜日)|No.1539]

一昨日あたりから冬らしい厳しい寒さの到来です。我が地元・沼津もこの時期の季節風が吹かなければ誠に温かくて良い所なのですが、これも北国の人からすれば贅沢というものなのでしょうね。
 
さて、意外な天使というちょっと良い話を紹介します。
 
主人を亡くしたショックで、心臓神経症とうつ病になっていた私。ある日のこと、病院へ行く途中に目まいがおこり、水たまりで転んで、スカ−トを泥んこにしてしまいました。このままでは、病院へも行けません。
 
朝のラッシュ時で、大勢の通行人の中からは、くすくすと笑う声も聞こえ、持病の不安がつのり、脈拍は1分間に150も打つほどで、冷や汗がたらたらと流れ気が遠くなりかけた時、突然、番長風の女子高生が「おばさん、これはきなよ」と言って、私をガレ−ジの陰へ連れて行ってくれ、紺色のひだスカ−トをスルリと脱いで、私にはかせてくれました。
 
「うち、このスカ−ト嫌いやねん。おばさん、返してくれてもいらないよ。今度は気をつけなよ」と言って、ズタ袋みたいな物の中から短パンを出してはき、靴のかかとを踏んで走り去って行きました。
 
私はただただ嬉しくて涙がこぼれ、ボ−ッとしてしまい、名前を聞くのも忘れてしまいました。きれいに着飾ってさっそうと歩いている人達が、見て見ぬふりをして通り過ぎるなか、この言葉の荒っぽい女子高生の親切を受けた私は、人は見かけによらないものだと、つくづく感じました。
 
自分の受けたご恩を他の人に返したいと思いつつ、今日もあの場所を通って病院へ行く私です。

 
大勢の人の中で、果敢な行動に出ることはとても勇気の要ることと思います。それゆえ、見て見ぬ人の中には、決して薄情な人ばかりではなく、何かしてあげたくても行動に移せないでいる人もいるかもしれません。
 
それだけにこのような勇気ある行動はとても価値があることです。人間見た目だけではなかなかその実態は判らないものです。外見だけで判断するのではなく、人間の価値を決めるものはやはり心奥に潜むもの次第ではないでしょうか。


優良従業員表彰

[2008年12月04日(木曜日)|No.1538]

今週は週明けと週末に出張工事の予定のため、何かと気ぜわしい毎日です。やはり師走ともなると、何となく落ち着かなくなってくるものです。
 
さて、先週、沼津商工会議所主催の優良従業員表彰があり、弊社でも安中さんが勤続10年の表彰を受けられました。私がうっかりしていたのですが、実は昨年既にその該当資格を持っていたのにもかかわらず、手続きを怠ってしまったのです。
 
こうして1年遅れの表彰で申し訳なかったのですが、晴れて、今年表彰を受けられたのです。一口に10年と言っても、その積み重ねはなかなか大変なものだと思われます。
 
特に私どものような中小企業の場合には報酬にしたって十分ではないでしょうし、福利厚生といった点ではとても大企業の比ではありません。私の立場からすればよく我慢していただいていると言った方が適切かもしれません。
 
そういった意味からすれば、この10年に感謝しなければいけないものです。振り返ってみますと、彼女は弊社にとって初めての新卒とも言える形で11年前の春、入社してきました。もう一人の工業高校卒の男子と併せて2名、その年は採用させてもらったのです。
 
その時の男子社員はもうすでに退社し、彼の2級先輩の彼女だけが今でも残ってくれているわけですが、今日までの勤務ぶりは申し分ないといった表現がぴったり当てはまるものです。
 
ただ黙々という表現の方がもっとぴったりくるかもしれません。また弊社に電話を一度でも掛けていただいた方なら既にお分かりのことと思われますが、とても丁寧で感じのよい応対だと受け止めていただいているのではないでしょうか。
 
こんな彼女ですから、会社としてはいつまでも今のまま勤めていてもらいたいのですが、女の幸せは〇〇と言われるように、本人のためにはそちらの方も進めなければなりません。
 
ということで、早く決まっていいのか悪いのか、複雑な想いを抱いているわけですが、とにかく決して商工会議所が主催してる名目上のものだけではなく、弊社にとっては立派に勤めていただいている優良従業員です。
 
来週の金曜日には忘年会を兼ねた会社の小旅行があります。その席で、ささやかな気持ちとしてのお祝いを是非届けて敬意を表したいと思っています。 
 
明日5日は終日工事で出張のため、カキコミは休ませていただきます。


スケ-トの華

[2008年12月03日(水曜日)|No.1537]

一昨日は工事で一日、秦野に出張しました。そんなには人数が要らなかったのですが、ちょっと仕事が薄くなっている関係で、研修生・実習生まで引き連れて5人で行ってまいりました。
 
私もこの出張工事に出掛けるのは嫌いではなく、余程のことがない限り、あまり現地での戦力にはならなくても、一緒に出掛けるようにしています。というのは体を動かすのも嫌いではありませんが、こうして出張に出ると何らかのお引き合いを頂くことが多いからです。
 
改めて訪れて何か仕事ありませんかというよりは、こちらの方がずっとスマ−トですよね。工事にはこのように次の工事へのチャンスがいつも潜んでいるのです。厳しい経済環境の中、こうした温かいお引き合いはとても嬉しいものです。
 
さて先週の土曜日の夜、女子フィギィアスケ−トのNHK杯を観ました。久しぶりにゆっくりのテレビ観戦でしたが、日本選手の活躍に心躍りました。結果は浅田真央、鈴木明子、中野友加里の3選手が1,2,3位独占の大活躍でした。
 
観ていてジャンプなどは本当にキレがよいものです。3選手ともほとんどミスらしいミスもなく、完璧な演技だったように思えます。
 
特に優勝した真央ちゃんが素晴らしく、未だ女子選手で成功したことがないという、トリプルアクセル(3回転半)のジャンプを2回跳び、見事成功したように思えたのですが、2回目の分が回転不足と判定され、惜しくも初の快挙とはなりませんでした。でも素人目には十分だったようにも見えたものです。
 
聞くとこのトリプルアクセルというジャンプは難度が高いばかりではなく、脚に体重の3倍もの負担がかかるため、ケガにも繋がりやすいと言われています。でも真央ちゃんの今回にかける気迫というものは凄いものがあったようです。
 
事前での練習でも何と40数回も跳んでいたそうです。フランス大会のあともその不本意な成績から、日本に帰ってくる予定を急遽変更し、コ-チの住むロシアに飛びこの大会に賭けていたようです。
 
顔は本当に可愛らしいのですが、この選手の負けず嫌いの性格は相当激しいようです。またそれでこそ世界一をめざす選手とも言えるのです。
 
これでグランプリのファイナルに出場できるのが日本選手ではこの真央ちゃんと安藤、中野の3選手です。奇しくも3人とも愛知県出身ということなのですが、この土地にやはり何かしらそれなりの理由が潜んでいるのでしょう。
 
是非ファイナルで、今度は文句なしに認められる、トリプルアクセル2回の快挙が達成されることを願っています。きっとやってくれるのではないでしょうか。


素敵なお店その4

[2008年12月02日(火曜日)|No.1536]

久しぶりに素敵なお店を紹介したいと思います。素敵といってもおいしいとか安いといった類ではありません。店長の対応がとても素敵に感じられたのです。
 
自分の持つ携帯電話が故障したときの話です。ちょうど2週間前になりますか、軽井沢に工事で出張したとき、いつものように右のズボンのポケットに入れたまま作業をしていました。
 
そして帰りがけになって電話を手にしたら液晶の画面がおかしいのです。現地でも日中、電話が掛かってきたりしていて、支障は何もなく、特に落としたりぶつけるとか画面に圧力を掛けたような覚えもありませんでした。
 
こうして帰りの車の中で、時間が経つにつれ、その画面が全く見えなくなってしまったのです。液晶画面が見えなくなって初めて分かったことですが、携帯電話って画面が見えなくなると、着信はできるのですが発信にはその機能が活かせなくなるものです。
 
ディスプレ−が見えないと登録の電話帳も開けないし、着信記録や自分が操作する番号すら表示できないからです。こうして出張の翌日、慌ててドコモショップに飛び込んだのでありました。
 
しかしながらこのお店での対応は十分ではありませんでした。おざなりに症状を聞いただけで、それなら何とか保障というものを使いますが、お客様の過失ということで、5250円だけは負担してもらわなければいけないと言うのです。
 
そして新しい物に取替えできますが、なぜそうなったのかという、こちらの知りたい原因は知らせてもらえないとのことです。ちょっと納得できる話ではなかったのですが、22日のイベントを控え、どうしても携帯が必要なことから、渋々その話を飲まざるを得ませんでした。
 
そして代替の品物が翌日届いたことから、その設定に今度は別のドコモショップを訪ねました。ドコモショップ原店という所ですが、家内が店長をよく知っていたことから同行してもらったのです。
 
私自身が今回の件に関し、こちらにそんなに落ち度がないと思っていて、いまいち納得がいかなかったことから、新しく届いた品物の設定の前に、この店長に今までの経緯をお話しさせていただきました。
 
そしたら嬉しいことに、それならこの携帯を修理に出しましょう、そしてお急ぎで携帯が必要なら無料で機種貸し出しというサ-ビスもありますから、今すぐ貸出機に電話帳等を設定しますという、思ってもみなかった返事が返ってきたのです。
 
もちろん修理に出してこちらの落ち度が認められたら、以前どおり5250円を払うという前提のもとにです。そして1週間後、この店長から電話を頂きました。こちらの過失がないことも認められ、携帯も完全に修理され届きましたからという連絡です。
 
嬉しかったですね。金額より何より、なぜそうなったのか解らなければこれからの対策もできないからです。この店長に会ってなければ、そのままドコモ側の言うとおり、過失かどうか判らずじまいで5250円払って終わるところでした。
 
長々と述べてきましたが、要は納得のいかないものはやはりあきらめず、食い下がることです。そうすればこの店長のように、素敵な出会いがないとも限りません。それにしても、携帯のようなものに、いつの間にか振り回されている自分たちは、ずいぶんと恨めしい存在になり下がったものだとつくづく感じています。