株式会社 アイソー




2007年07月の日記

暑い夏を乗り切るには

[2007年07月31日(火曜日)|No.1262]

何となく選挙も終わって落ち着いたような気分になっています。この地方も先日、梅雨明け宣言が出てようやく本格的な夏の訪れです。
 
この日曜日もソフトボ−ルの試合があり、暑い最中、2試合もやり続けてきました。57歳、いい歳でよくやるよと言われそうですが、できれば生涯現役を貫きたいと思っています。
 
この日の早朝、沼津夏祭りの後の街通りを、ボランティアとして清掃活動することになっており、私も参加する約束をしていたのですが、不覚にも寝過ごしてしまい、行けずじまいとなってしまいました。疲れが溜まっていたかもしれませんが、言い訳にはなりません。情けないものです。
 
さて、この暑い夏を事故もなく快適に過ごしたいと思っている一人ですが、過日の新聞に水分補給を十分にとるなど、注意事項が載っていましたのでお知らせしておきます。
 
まず中高年に人気のある山登りですが、脳梗塞や心臓発作で亡くなるケ−スが目立っているそうです。登る前に体調を整え、血液が濃くならないように水分をとり、体調の変化に応じて休むことが必要と言われています。
 
30分に1回、スポ−ツドリンクでも、水1リットルに耳かき1杯の塩を混ぜたもので構わないから飲むとよいそうです。お茶やただの水より効果があるのですね。
 
自分も試合中、できる限りこの水分補給には気を遣っています。つい昔の癖で(私達が高校時代は練習中、1滴の水も飲ませてもらえなかった悪習)飲むのを忘れていたりすると、耳の中がおかしくなったりするものです。
 
特に前日に飲みすぎたりしていると、血液が必要以上に濃くなっているのでしょう、その傾向は顕著に表われてくるものです。つい先日も保育園児を車の中に残しているのに気がつかず、熱中症で亡くなるという不祥事が起きたばかりですが、この暑さ対策には十分配慮し、気をつけたいものです。
 
また薄手の長袖や帽子がやはり良いと言われています。自分の体は自分で守るしかありません。夏風邪をひかれている方もときどき見掛けますが、暑いからと言って、必要以上の冷気に当たりすぎるのもかえって逆効果です。とにかく、これからどんどん暑い夏に向かいます。くれぐれもご自愛下さい。
 


国民の審判下る

[2007年07月30日(月曜日)|No.1261]

国民の審判が下りました。思っていたよりずっと厳しい審判で、ある意味ではほっとしています。いつもならテレビでの開票速報に、眠たい目をこすりながら釘付けになっているところですが、昨夜は自民党の歴史的惨敗が早々に伝えられていたことから、11時にはもう布団の中に入ることができました。
 
国民の目がまともだったということではないでしょうか。年金記録の5000万件にも及ぶ社保庁の失態、また一連の事務所問題、それから「しょうがない」などの閣僚の大失言等、数重なる政府の至らない諸問題を見逃すわけがありません。
 
それからこうした度重なる事態が続いても、相変わらずの総理を中心とした強気の発言や姿勢に、はっきりと「ノ−」を突きつけたものと思われます。惨敗後の記者会見でも、依然続投を表明し、平静を装っている首相の目が、なぜかおぼつかず潤んでいたのが気になるところです。
 
しかし、だからと言って圧倒的勝利を収めた民主党が、必ずしも国民から信任されたというわけではありません。今回の選挙はそれより何より、自民党の今の政治ではダメだという強い意思表示にすぎません。
 
ですからこれからの同党の役目は、今まで以上に重要な役割を占めるのではないでしょうか。ある意味では自民党をこらしめるといったものの選挙だったわけですから、勢いに乗じて軽々に衆議院解散総選挙などに持ち込んでも、必ずしも同様な結果が出るとも限りません。心して政局運営に努めてもらいたいものです。
 
地方区に出た同級生の候補が、力足りず落選の憂き目を見てしまいました。公示日10日前になって、やおら出馬に踏み切ったわけですから致し方ないものと思いますが、一点だけ注目できることは地元・御殿場では5人の候補の中でトップの得票をあげていることです。
 
残念ながら法定得票までいまいち及びませんでしたが、地元での彼の貢献ぶりやしっかりと地域に根ざしているものを感じました。準備期間さえ十分あったらと悔やまれるところです。
 
余分な話ですが、いつも選挙などどっちでもいい、娘達二人や、認知症に少しかかっている母親まで繰り出し、総勢7人で投票所まで出かけた、今回問われた選挙の意義は決して少なくなく、無駄にはならないものと思われます。友人の勇気ある行動に敬意を表します。そしてお世話になった皆様に、この場を借りて心よりお礼申し上げます。


頑張った後輩たち

[2007年07月27日(金曜日)|No.1260]

今日、島田球場の第2試合で行われた、高校野球静岡県大会4回戦・対静清工戦に惜しくも2−4で敗れたものの、母校・沼津東はよく頑張りました。
 
勝てば久しぶりのベスト8でしたが、これも致し方ありません。この試合は応援に行けず、出張中のラジオの放送で耳にしたのですが、つまらないミスが出て逆転されたようです。この前の試合、3回戦・浜松南戦を眺めたのですが、主戦・松浦君の何気なく出してしまう四球の多さが、ちょっと気になったものです。
 
でもこのエ−ス・松浦君や主将の村松君を中心に、よくチ−ムがまとまっていたものと思います。やはり就任2年目の羽切監督の手腕によるものです。選手が監督を信頼しきっている姿が、しっかりとこちらまで伝わってきました。
 
対静清工戦、相手は最近メキメキ力を付けてきた私学の強豪、実力的にはやはりこちらより上ですが、結果論ですが決して勝てない試合ではありませんでした。格上のチ−ムと対するときは、こちらのミスが出てはいけません。ノ−ミスでやっと勝機を見つけることができるのです。
 
覆水盆に返らず、残念ですが悔やんでも仕方がありません。まだまだ永年の悲願達成にはほど遠いものですが、今年は少しその足掛かりができたものと思っています。
 
せいぜい2回戦ぐらいで勝つか負けているチ−ムがいきなり優勝することはありません。何度かベスト16やベスト8、4を繰り返してやっと栄冠を掴むものです。そうした意味でも3回勝って、あわよくばベスト8にもなりそこねた今年はそれなりに意義があったものと思われます。
 
またこちらが少し力をつけたとも言えるかもしれませんが、強豪校との力の差が狭まったようにも感じます。例の特待生問題が今後どう展開していくか判りませんが、そんな時だけにそうしたものに無縁なこちらにとっても、チャンスがないとも言えません。母校の益々の健闘と更なる飛躍を祈っています。


親の教育

[2007年07月26日(木曜日)|No.1259]

夕刊にこんな記事を見つけました。
 
子供のころ母親から「人間怠けたらだめだ」とよく言われてきた。特に「若いうちは、人の嫌がる仕事を先に立ってやりなさい」としつけられた。
 
実家では大変な手伝いが多かった。小学生の時はヤギのえさにする草刈り、薪割り、風呂焚きが私の仕事で、友達と遊びたくても、手伝いを終えないと、出掛けることができなかった。親に逆らうことができず、つらかったし、恨めしく思ったこともあったが、働くことの大切さや意味、家族の役割を身をもって感じることができた。
 
最近、友人から気になる話を聞いた。息子が成績優秀で難関大学を卒業し、大企業に就職したという。友人は息子を不自由させないために、なりふり構わず働いて、苦しい生活の中から仕送りを続けた。しばらくして息子は結婚したが、田舎の両親のことはまったく眼中になく、音沙汰もないと寂しげに語っていた。
 
今思うと、教育とは、平素の中で自然に身につけていくものだ。構えて教えても、表面的になってしまう。私の場合、豊かとは言えない環境の中、苦労して手伝いをした経験が、自分の労働観や親を大切にする心を培った。

 
言われるとおりです。これもこの時代の豊かさのつけのようなものですが、筆者も最後に書いているとおり、学校に教育を押しつける家庭が増えていますが、しつけはやはり親の義務です。
 
しっかりとその生きている背中を見せなければなりません。30数年前、別のめざしたい道があった私ですが、家業を手伝う中、夜遅くまで黙々と働く父の背中を見せつけられたとき、何とも寂しそうな、愛おしい、運命的なものを感じたものです。
 
よく言われている、「苦労は買ってでもしろ」との言葉どおり、必要以上の豊かさを敢えて与えず、家族の中でもしっかりとした役目を与えることが必要のように思います。それには何よりも、社会的にも親のしっかりした姿勢を見せていることが前提ですが...


高シェア部品メ−カ−

[2007年07月25日(水曜日)|No.1258]

先日も少し触れましたが、中越地震で被災した、リケンという部品会社からの供給がストップしたため、国内のほとんどの自動車メ−カ−の生産が停止するという事態が生じました。
 
たった1社の部品供給がストップしただけで、トヨタ、日産など国内の全ての自動車メ−カ−の生産ができなくなるというのも、何とも凄い話です。
 
エンジン部分のピストンリング等を生産している会社なのですが、シェアは50〜60%と言われています。また更に凄いのは、この各自動車メ−カ−からリケンの復旧支援に駆けつけた技術者の数が何と700人と伝えられていました。
 
それだけ、この1企業の存在が大手自動車メ−カ−の心臓部というか、なくてはならないものだったわけです。こうした大量の技術者の派遣で、ほぼ1週間もかからず、リケンは一部操業を開始できました。
 
外国ではこうした例はほとんど見ないそうです。各メ−カ−の専門性の高い技術公開等にも繋がる恐れがあるからです。またここが日本の日本たるところでもあるわけです。
 
元々、こうした事態はカンバン方式とかジャストインタイム方式とも呼ばれる、在庫を持たず、必要なものを必要なだけタイムリーに作るやり方に起因しています。
 
いわゆる完全受注生産方式で、無駄を一切排除しているやり方ですが、元々はトヨタ自動車で考案されたものです。無駄を無くそうと考え出されたものが、在庫がなくなったばかりに、その生産まで停止せざるを得ない事態まで追い込まれてしまうというのも、何とも皮肉なものです。
 
このリケンの他にも、ヘッドランプの小糸製作所など、高シェア部品メ−カ−は少なくないと言われています。私達に言わせれば、それこそ理想的な目指すべき企業のあり方とも言えるものですが、日本全体の経済的観点からは、こうしたリスク管理にしっかりと対処していかなければいけないとも言えます。
 
災害のもたらした影響で、思わぬ日本経済のアキレスのようなものを発見したわけですが、1地方企業の操業停止で、日本を代表する大手メ−カ−が生産停止に追い込まれるという現実を知り、羨ましいような、少し大企業いじめのようで心地よい、複雑な気持ちにさせられたものです。リケンのいち早い完全操業復帰を祈念します。


技能五輪国際大会に向けてその2

[2007年07月24日(火曜日)|No.1257]

2日前の日曜日、第2回目の清掃活動を行いました。先日も触れた、11月に沼津で開かれる技能五輪国際大会に向けて、我ら中小企業家同友会沼津支部がやれることからまず実行に移していこうとの趣旨で始まったものです。
 
新聞にも事後大きく取り上げていただきましたが、この日は沼津駅南口に集合し、駅南を蛇松線(昔は沼津港まで線路が引かれ貨車が行き来していました)沿いに、港まで清掃するものでした。
 
相変わらず、タバコ等のポイ捨ての多さは目立ったものの、蛇松線沿いはやはり地域住民の意識が高いのでしょう、思ったより捨てられていたゴミは多くなかったものです。参加者は約30名、夫婦で参加していただける人もいますし、会社の社員さんが進んで参加してくれていた企業もあります。
 
梅雨空もどこかに消え、お天気も良かったお陰で、それは気持ちのよいものです。やはり、さも無いことでも、世の中のお役に立てているといった気持ちがあるからでしょう、ゴミを拾った後を眺めても清々しい思いになれるものです。もちろん、終わった後は皆でおいしく喉を潤しました。
 
この蛇松線沿いの道を歩きながら、もう一回、この道に電車を通せないものかと考えました。最近では港が週末になると人々(特に他県の方々)で賑わいを増しているからです。それこそ、チンチン電車のような観光的なものが走ったら、どんなにか素敵ではないかと考えたものです。
 
この風光明媚な沼津の地の利を活かさないこともありません。沿線には四季折々の花が咲き乱れ、終点に近づくに連れ、白砂青松の千本浜を望みながら、お目当てのグルメの港に着くというコ-スです。
 
何となく、沼津らしい優しさがあるようにも思えます。駅高架一本やりの行政も発想をもう少し転換して、費用対効果に見合った、こうした素敵なプランを考えていただきたいものです。でも頭が硬いからやっぱり無理でしょうね。


ちょっと良い話part21

[2007年07月23日(月曜日)|No.1256 ]

ひと言の魅力という本の中から、ときどきは周りが笑顔で一杯になるような話をお届けしたいと思います。
 
先日、駅前からタクシ-を利用した。都内の初乗り運賃は660円だ。「近くて悪いけど...」と恐縮しながら乗ったら、明るい声が返ってきた。「いいですよ、お客さん、お金は1円から、タクシ-は660円からです。それに近距離だと道を覚えるから都合がいいんです。」松山から上京して2ヶ月目のドライバ−だった。
 
NHKの著名なアナウンサ−だった、長谷川肇さんからいいお話を聞きました。
昨日タクシ−に乗ったら、20代の運転手だった。アクセルとブレ−キの扱いのみごとさ。客との対応の明るさ。精気に満ちた姿。さわやかな若者と、感心して働く動機を聞いた。
 
「車が好きで好きでたまらない。実家は私鉄沿線で家具屋をしている。商売柄、車は数台あるが1日中乗れない。そこでこの商売を選んだ。好きでなったからには、運転技術、サ-ビス、稼ぎも日本一になりたい。だから、いつ、どこで、どんなお客様を、という記録をつけている」こう答えて、若い運転手はそのノ−トを大事そうに見せてくれた。
 
長谷川さんはこの話の終わりに、
人生はその人の考え方ひとつと言い添えて下さった。
 
仕事にかけるモチベ-ション次第で、何気ないことでもこんなにも自分の毎日を輝かせることができる、素晴らしい話です。本当にその考え方一つで世界がガラッと変わります。発想の転換とか、当たり前でない差別化されたものがそれぞれに求められています。
 
話はちょっと逸れますが、この欄でも差別化という言葉を何気なく使用していました。それが先日、小豆島の父に指摘されてハッと気づかされたことがあります。差別化という言葉は、偏見とか分け隔てといった、どちらかと言うと悪い意味での区別にも繋がるように聞こえるとのことです。
 
同友会の中で何気なく使っていた私達にとっては、新しい発見で、もっとその意味を丁寧に紐解いていかなければいけない必要を感じたものです。念のため、日頃使っている差別化とは、人の持たない考えとか、新しいサ-ビスや発想を前向きに展開していく意味で使用していますので、ご了承下さい。


中越沖地震より

[2007年07月20日(金曜日)|No.1255]

被災地から続々と悲惨な情報が伝えられています。本当にお気の毒な話です。
 
聞くと救援物資はほぼ足りて、それを整理する人間が足りず、受け付けできない状態にあるとのことです。ですから食料等は十分満ち足れていて安心しましたが、飲料水ではなく生活必需品としての水等の確保に大変なようです。
 
避難所での顔を洗うことや歯を磨くにしても、貴重な水が介在します。日頃は何も気にすることなく使っているものですが、改めて水の大切さを知らされています。お風呂もしかりです。一部のところでは臨時入浴所が開設されたとも聞きましたが、まだ全てには行き届かないものでしょう。ゴルフ場でもお風呂を提供するなどとも聞きましたが、そこまで出かける足の問題もあるわけです。
 
これから本格的な暑い夏を迎えるわけですが、3年前の中越地震のときのような寒さへの対策とはまた変わって、衛生面や暑さ対策等、抱える問題も少なくありません
 
トイレの問題もあります。今一番人々が困っているのがこのことです。トイレに行くたびに気分的にも憂鬱になるのではないでしょうか。またお年寄りはトイレが近いこともあります。多くを抱える避難所では、何回も人々の間を掻き分けてトイレに行かなければいけないため、気遣ってか、我慢して別の病気も誘発しやすいと聞きます。ここにもプライバシ−の問題が関わってくるわけです。
 
また一方では自動車会社の生産がストップする事態も生じています。柏崎にある自動車部品会社が被災し、そのシェアが50〜60%占めていることから起こっている事態です。効率を重視した、在庫を置かないジャストインシステムがかえって災いしているようで皮肉な現象とも言えるものです。
 
とにかく、これからこの避難所での被災者生活を余儀なく求められるものですが、これ以上の災害が被災者に及ばないことを切に願っています。この機会を前向きに捉えて、私達も被災者の立場になった、様々な支援や差し伸べる温かい手が求められています。決して他人事ではないものと思われます。


おもてなしの心

[2007年07月19日(木曜日)|No.1254]

身内の話題で恐縮ですが、改めて人を温かく迎え入れる、おもてなしの心を学びました。高松での全国総会の後、高速艇に乗って小豆島に渡りました。何回もお伝えしているように、ここは家内の実家のある所です。
 
沼津支部から全国総会に一緒に参加したお二人と、静岡同友会で沼津を担当してくれている事務局の方の計3名をお連れしました。生憎、高松を出るときは小雨まじりのお天気でしたが、小豆島の玄関・土庄港に着く頃はもうすっかり上がっていたというか、元々この土地は雨の少ないためか、両親がわざわざ四人に用意してくれた傘はほとんど要らないような状態でした。
 
高松を出るときに電話を入れていたのですが、港ではいつも変わらない温かい笑顔で、愛車を飛ばしてきた父が迎えてくれました。早速、父の案内で港からそんなに離れていない、うどん屋さんに立ち寄り、おいしいうどんにありつけました。以前訪れたときは見かけなかったお店ですが、ここにも新しい波が押し寄せているのでしょう。大型ス-パ-の一角に構えている、このお店で昼食にあやかりましたが、空腹も手伝ってか、出るもの全てがメチャクチャおいしかったものです。
 
すっかり父にご馳走になり、十分にお腹が満たされたので、今度は島巡りの観光です。何回も行って知り尽くしていることから、運転を私に代わってもらい、父にはガイド役をお願いしました。元々教職を永年やり続けて退職した人ですから、歴史や風土、またそれにまつわる話などはお手のものです。
 
島の先端に位置する、二十四の瞳の舞台となった岬の分教場や映画村(田中裕子主演の同映画のオ−プンセットを観光用に残したもの)に始まり、オリ−ブ公園、寒霞渓と回ったのですが、初めての方にはそれなりに見所があるものと思われます。
 
しかし残念なことに日本三大渓谷の一つでもある、寒霞渓は生憎、霧のためほとんど眺めることのできない状態でしたが、すぐ近くの四方指(その名の通り、山の頂から四方の風景を眺めることができる)に移動して、ほんの少しの間、綺麗な景色を望むことができました。
 
こうして父の至れり尽くせりの丁寧な説明であちこち回った後、夕方、その日の皆さんの宿となる実家に向かいました。いつまでも若々しい母と兄嫁が一行を待ちかねたのように、温かく迎え入れてくれました。皆さんがびっくりしたように、そこには新調したパジャマや歯ブラシまで揃えてくれていたものです。
 
こんなわけですから、用意してくれたご馳走を前に、夜遅くまで盛り上がったのは言うまでもありません。不覚にも飲みすぎ早々に寝込んでしまった私以外は、帰宅した教師を務める兄まで加えて、深夜まで熱い討論を交わしていたと聞きました。
 
よく人に、自分の実家でもない奥さんの家に、彼女も連れて行かず、よくそうして行けますねと聞かれることがあります。なるほど言われてみればそうかもしれませんが、そんなことには全く構わず、気にしないで振舞えるのが有り難いところです。
 
何よりも両親の温かい、おもてなしの心のお陰です。「何にもできないが、来ていただいた方々にはせめて来て良かったと思っていただきたい」、これが両親の口癖です。これに本当にのんびりとした土地柄が加わって増幅されるものと思われます。お陰で私もいつ来ても、ゆったりとした気持ちになり癒されます。
 
改めて感謝するとともに、人を迎え入れるのはいつもこうでありたいと、深く感じさせていただけるものです。


参議院議員選挙に向けて

[2007年07月18日(水曜日)|No.1253]

参議院議員選挙が公示され、早1週間が経ちました。29日の投票日に向け、各党必死にその攻防を繰り返していますが、さて結果はどうなることでしょう。
 
今回の選挙は年金問題ばかりがクロ-ズアップされますが、他にも憲法改正問題など、重要課題が控えています。先にも触れましたが、ここで参議院が本来の役目を果たすためにも、与党の安定多数ということではなく、有権者の良識を求めたいところです。
 
先の国会最終日、最後のお務めを終えた、扇参議院議長が言われていたように、衆議院の付属物的なものではなく、政治判断の公正さや良識を問う府としての大きな役目が課せられています。ですから何でも強行採決、そして形勢が不利と見るや国会延長など、与党の勝手な運営がまかり通ってはなりません。
 
そう言っても、やはり無理でしょうね。参議院そのものの役目など理解している政治家も多くはありません。前回の衆議院選挙に落選した人が出てみたり、何でもありの現状です。
 
そういった意味でも参議院議員選挙への出馬資格なども見直してみる必要もあるように思えます。私のいる地方区でも、高校の同級生である友人が土壇場になって出馬に踏み切りました。
 
こうした現状を嘆いてのことでしょう。公示日、高校のよき時代を過ごさせて頂いた思い出の地とのことで、静岡でその手続きが終わるや否や、沼津駅前で第一声をあげました。年金、医療改革、そして教育と訴える声には熱い想いがほとばしる中、この参議院で求められる一般人としての良識が感じられたものです。
 
残念ながら突然の出馬ですので、どこまで票を伸ばせるか定かではありませんが、陰ながら私もしっかりと応援しようと思っています。とにかく参議院は当たり前の政治家がまかり通るところではありません。党利党略は棚に上げて、日本の将来を大きく見据え、しっかりとした展望を持った良識の府でなければなりません。と確か数十年前、社会科の授業で教わったはずでしたが...


いつ何が起こるか判らない

[2007年07月17日(火曜日)|No.1252]

季節はずれの台風が、海岸線をなめていくかのように日本列島を縦断して、やっと通り過ぎたと思っていた矢先、今度は新潟で大きな地震が起きてしまいました。
 
ちょうど3年前になるでしょうか、やはりこの新潟で中越地震が起こり、多大な被害がありました。多くの人たちが災害に巻き込まれた小千谷市や山古志村の名前は、今でも私達の耳にしっかりと残っています。
 
そして昨日の地震です。今度は柏崎市と刈羽村に被害が集中しました。テレビから伝えられる画像も、多くの家が倒壊したものや、日本で海に一番近い駅と称される駅のすぐ手前で起きたがけ崩れ等、惨憺たるもので見るも哀れなものばかりです。
 
昨日の避難を余儀なくされた方々は何と12000人を超える数とも言われています。また電気・水道・ガスのライフラインは完全に遮断され、多くの方が不自由と不安の中、暮らさざるを得ない状態に置かれています。
 
またややこしいのは、この土地に東京電力柏崎刈羽原子力発電所があることです。昨日も稼働中の原子炉4基が地震で自動停止はしたものの、3号機供給用の変圧器が火災を起こしたり、微量の放射性物質を含む水が床などに漏れ、海に流れ込み、いわゆる放射能漏れも起きていることです。
 
とにかく、いち早いライフラインの回復と被災者の現状復帰を願いたいものです。なぜかこの地域ばかりに集中しているようで、本当にお気の毒な話ですが、私達地域もずっと以前から言われ続けていることから他人事ではありません。被災者の方々や犠牲になられた方に心よりお見舞いとお悔やみを申し上げます。
 
余分な話ですが、14日の晩、あんまり雨が強かったので心配になって会社にやってきました。工場の床に濡れたらまずいものが何かあるのではないかと来たのですが、全て上にあげていて対策済でした。
 
以前は指示されなければやることがなく、このように気が利かなかったのが大きな変化の表われです。私は何もすることなく無駄足になったのですが、そんなことよりむしろ、心の中では少なからず嬉しい、満更でもないものがあったものです。
 


中小企業家同友会全国総会よりその2

[2007年07月13日(金曜日)|No.1251]

初日に引き続き、朝9時から約1時間半ほど分科会が行われた後、会場をサンポ−トホ−ル高松に移し全体会が開催されました。
 
今回の総会は中小企業家同友会が設立されてちょうど50周年、この節目の機会を捉えて、一時代の終焉とまた新たな流れを願いたいとの意味合いで、永年やり続けて頂いていた赤石義博会長が勇退し、新たに鋤柄幹事長が会長に就任しました。
 
この赤石義博会長の最後の会長挨拶も、いつにも変わらぬ素晴らしいものでしたが、何よりも凄かったのがこの挨拶終了後の万雷の拍手です。それは野球で見られるスタンディングオベ−ションのようなもので、立つことはなかったにせよ、会場を埋め尽くした会員からの大きな拍手がいつまでも鳴り止まぬものでした。
 
また拍手はこの赤石会長の功績を称え、心から送られているものを感じ、思わず鳥肌が立つほどの感動を覚えたものです。一挙手一頭足、全てにこの同友会理念が染み込んだ、赤石会長ならではのものを強く感じ、到底真似のできない大きなカリスマ性を覚えたものでした。
 
今後、鋤柄会長の肩に大きく移行して掛かってくるわけですが、赤石会長のカリスマ性にはすぐには近づけないものの、抜群の行動力が示すとおり、この方なら何も問題ないのではないかと思われます。
 
とにかく大きな感動を頂いた高松での全国総会でした。ただ正直、本音を話すと、いただいたものが大きいだけに、結果的には木曜日から4日間会社を空けることとなり、それなりのツケは少なくないものです。総会後、海を渡って訪れた家内の実家のある、小豆島行きはまた別の機会にお話しさせていただきます。


あっぱれ、イチロ−選手!

[2007年07月12日(木曜日)|No.1250]

あっぱれ、イチロ−選手!見事大リ−グオ−ルスタ−戦でMVPを獲得しました。3打数3安打、しかも第3打席ではこのオ−ルスタ−戦初めてとなるランニングホ−ムランを放っての快挙です。
 
とにかく凄い選手です。行われた球場がサンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地ですから、地元はメジャ−通産ホ−ムラン記録にあと4本と迫ったバリ−・ボンズ一色に染まっていたわけで、いわばアウェ−のようなものだったわけですが、そんなことは何もお構いなく、終わってみればイチロ−選手だけが輝いていたように思えます。
 
もちろん日本人初めてとなる快挙ですが、この人どこまで進化していくのでしょうか。今シ−ズンはそのヒット数も新記録のときを上回るハイペ−スと言われています。伝えられているように、今シ−ズンが終わるとフリ−エ−ジェントの権利も獲得します。
 
現在所属しているマリナ−ズから一説には、5年契約1億ドルの金額が提示されているとも伝えられています。1億ドルと言うと、約122億円ですから気が遠くなるような金額で、1年に換算すると2000万ドル(約25億円)と、大リ−グの中でもベスト5に入る年俸です。
 
いやはや大したものです。先日もこのマリナ−ズのハ−グロ−ブ監督が突然辞任したのも、不仲を伝えられていた、イチロ−選手との契約問題が少なからず影響を与えたようにも言われています。
 
ただ、今年は少しチ−ム成績が上がっているものの、例年下位に低迷しているチ−ムの成績が、イチロ−選手のモチベ−ションにも影響を及ぼしている関係で、さてどうなるものでしょうか。全ては今シ−ズンの結果次第だと思われます。
 
とにかく、こうなったらどこまでも進化し続けてもらいたいものです。1イニングを3人でぴしゃりと抑えた斉藤投手といい、日本人選手の力が確実に上がってきているものと思われます。
 
そしてイチロ−選手に代表されるように、日本人であることを誇りに思っているその生き方に、何とも言えない清々しさを感じています。日本の野球ここにありと証明する意味でも、是非いろいろな記録を塗り替えてもらいたいと願っています。


理念なき企業の行く末

[2007年07月11日(水曜日)|No.1249]

全国にあるコムスンの40数箇所の事業所が一斉に営業停止となりました。今までここでお世話いただいていた方々はいったいどうするのでしょう。
 
それが理念なく企業が利益だけを追い過ぎた結末とはいえ、あまりにも利用者にむごい仕打ちではないでしょうか。
 
かつて春山満さんという、進行性筋ジストロフィーという難病にかかり、首から下が全く動かないにもかかわらず、精力的に全国の講演活動や福祉のオリジナル商品の開発に取り組む、素晴らしい方の講演を聴く機会がありました。
 
なぜかその講演で鮮明に覚えていたのが次の言葉です。「介護という言葉を利用し、食いものにしているコムスンという会社は絶対近い将来破綻する」と言い切っていたのです。
 
全く言われるとおりの結果となりました。もう10数年も前の話になりますから、ずいぶんと先見の明があったものと思われます。言い換えれば、それだけ知る人ぞ知るで、その業界では悪名高き存在ではなかったのかとも言えるものです。
 
企業の社会的責任やその持つ倫理観という観点からすれば、介護という言葉を巧みに利用し、さんざん社員を酷使しながらあげた、その利益を一部のところで独占し、不正が見つかれば他企業に売却し、介護事業から全面撤退すればよいというので済まされるのでしょうか。
 
大きな疑問を感ずるものです。介護や福祉という分野だけに、その企業責任は大きく問われるものではないでしょうか。正義や奉仕と偽って、仮面を被っていただけにとどまらず、挙句の果ては頼る人たちを全く切り捨てるのでは何もって許されないものです。


ちょっと良い話part20

[2007年07月10日(火曜日)|No.1248 ]

ちょっと素敵な話が”致知”に載っていましたので紹介いたします。
 
その先生が5年生の担任になったとき、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
 
ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
 
2年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」3年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて教室で居眠りする」後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、4年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコ−ル依存症となり、子どもに暴力をふるう」
 
先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現われてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。
 
放課後、先生は少年に声を掛けた。「先生は夕方まで仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」少年は初めて笑顔を見せた。それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。
 
クリスマスの午後だった。小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。開けてみると香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。その一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!きょうは素敵なクリスマスだ」
 
6年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業のとき、先生に少年から1枚のカ−ドが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」
 
それから6年、またカ−ドが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」10年を経て、またカ−ドがきた。そこには先生に出会えた感謝と父親に叩かれた体験があるから、患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
 
「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生の時に担任してくださった先生です」
 
そして1年。届いたカ−ドは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。

 
何とも素敵な話で、強く胸を打たれます。その一行もカットできないくらい、全てを紹介したくなるほどの話です。人生の出会いの素晴らしさです。無数の縁がいっぱい転がっているのに、それを生かすも殺すも人間の為せるわざなのですね。
 


中小企業家同友会全国総会よりその1

[2007年07月09日(月曜日)|No.1247]

久しぶりのカキコミとなります。5,6日と高松市で中小企業家同友会全国総会が開催されました。全国ほとんどの都道府県から、約1500人もの会員がこの第39回定時総会に集まりました。
 
朝一番の新幹線で出発し、マリンライナ−で瀬戸大橋を渡り、高松に着いたのが11時半過ぎだったでしょうか、おいしいうどんを駅前でいただいた後、13時からの全体会に入り、終了後直ちに15時より各自選択した分科会に分かれました。
 
私が選んだのは第5分科会で、同友会運動の根幹は「学んで実践」=経営指針成文化運動の経験からと題した、京都同友会2名の報告者による基調報告に基づく、主に経営指針についての学びでした。
 
それぞれ40分ずつの報告の後、12グル−プ(1グル−プ10名)に分かれてのバズセッション(テ−マに基づいての話し合い)が行われました。初日は18:45まで、そして2日目は朝9時より約1時間半の設営でした。
 
全く奇遇なもので、私が選んだ分科会で、しかも同じグル−プでこのグル−プ長を務めていただいたのは、もう3,4年前になるでしょうか、やはり福岡で開かれた総会で同じグル−プに属し、それ以来親しくやりとりを始めさせていただいた、大阪同友会の知人でした。ここにも出会いの素晴らしさがあったものです。
 
このグル−プ長のスム−ズな進行のお陰で、このテ−マに基づいた学びが更に深まりました。私なりにまとめてみると、下記のようなことだと思います。
 
同友会でよく言われる経営指針の成文化のまず前に、何のために仕事をしているのかとか、やりがいのある仕事や、あるべき経営者の基本姿勢をまとめた、労使関係の見解の重要性をまず学ぶべきである。
 
そしてこの経営指針の成文化と実践の運動は、イコ−ルよい会社・よい経営者・よい経営環境を作るという、3つの目的達成に向けた同友会運動にそのまま繋がることと思われる。
 
究極の形では、私達の支部活動で一番大きなウェイトを占める、毎月の支部例会創りの求められるところは、各社がそれぞれの経営指針を持ち寄った、報告から自社に照らし合わせた検証の場になることが理想の姿ではないかとも思われる。

 
この他、やはり全国に飛び出していけば、大きな感動をいっぱいいただけるものです。続きはまた改めて紹介させていただきます。とにかくわざわざ出掛けただけのことはある、素晴らしい全国総会でした。
 


ツキを呼ぶ魔法の言葉

[2007年07月04日(水曜日)|No.1246]

先々週の土曜日だったでしょうか、沼津市民文化センタ−で五日市剛さんの講演会が開かれ、私は聴かなかったのですが、家内をこの講演会に車で送迎いたしました。
 
だからその名前は記憶にあったのですが、雑誌・致知の7月号「縁を生かす」の特集に、この五日市さんが紹介されていました。
 
「ありがとう」「感謝します」この二つの言葉が人生に好運を招くと言われています。「ありがとう」は何か嫌なことが起こったときに使ったらよしとされています。その言葉によって、不幸の鎖が断ち切れて逆によいことが起きるとのことです。なるほど、日本語で書いてみると、難が有ると書かれています。まさにピンチがチャンスをもたらすのです。
 
次に「感謝します」ですが、良いことがあったら使うことを勧めています。この言葉は願望を実現するための触媒的な作用があると言われています。つまりまだどうなるか判らないことでも、口に出せたら必ず想いが実現するとまで言われているのです。
 
一方、その言葉を口にすると、それまで積み重ねてきた徳やツキがいっぺんに吹っ飛んでしまうというものがあります。汚い言葉なのです。テメェ−とかバカヤロ−だとか死んじまえなどの言葉です。言葉には魂があるのです。
 
ですからこの言葉によって、人間はこの現実の世界で生まれ変わることができるというわけです。言い換えれば、自分の人生のシナリオは自分で書いているとも言えるのです。心の持ち方は大事です。だけどもっと大事なのは言葉の使い方だと指摘しています。
 
どんなことを口に出すかで、自分の目の前の状況が変わってくるし、心も変わってくるのです。そしてもう一つ、心がとても温かくなる魔法の言葉があります。それは「いつでも、あなたのことを思っていますよ」との言葉です。言われるとおり、素敵な言葉を使って、自分の人生をより楽しくすることが必要なのですね。そのように心がけたいものです。
 
明日、5日からは中小企業家同友会全国総会が香川県高松市で開かれます。これに参加のため、カキコミは今週中休ませていただきます。よろしくお願い申し上げます。


経営指針発表会

[2007年07月03日(火曜日)|No.1245]

事後報告となってしまいましたが、本日13時より沼津市民文化センタ−小会議室で、弊社経営指針発表会を開催しました。生憎、体調を崩して正社員が2名参加できなかったものの、弊社からは8名、地元金融機関から1名、そして指導先の会計事務所から4名、更に中小企業家同友会沼津支部から5名もの会員の方のご出席を頂き、総勢18名で行うことができました。
 
正直、この日を迎えるまではバタバタのここ数日でした。発表する経営指針の内容も、開催が決まってから十分時間があったはずですが、それはもう、その日が迫らなければエンジンのかからない私のことですから、昔のテスト前同様、直前での詰め込みは何ら変わることがありませんでした。
 
それでも何とか間に合わせて、稚拙ながら16ペ−ジの指針書が出来上がりました。以前、1回社内で発表したことがあるとはいえ、独りよがりで勝手に作成しただけですから、たぶん社員の理解を得られなかったことでしょう。それゆえ、もう少しそれに手を加え、より具体的に「私達が目指す会社とは」とか「それぞれの役割(心がけること)」の項目を付け加えました。
 
そしてできる限り、社長である私の思いをその中に詰め込む努力をしました。これは発表会の席でも私の独演会にならないよう努めたこともあります。読んである程度伝わることができれば、多くを語らなくて済むからです。また社長の独演会では折角外部の方に集まって頂いても意味がないし、面白くないからです。
 
こうした意味もあり、岩崎課長の司会で進めた発表会は、指針の発表にとどまらず、外部の方からの貴重なアドバイスやら、同友会ならではのバズセッション(テ−マに添っての話し合い)もあり、つつがなく終了することができました。途中の休憩を挟む、約3時間半もの時間でしたが、少しもその長さを感ずることのないほど、大きな収穫を頂いた意義あるものでした。
 
やはり会社外でのこうした設営でよかったと、つくづく思いました。何よりも私自身がそこから逃げられないからです。たぶん今回も以前のように社内だけの発表会では、目先の仕事の理由をつけて、きっと延ばしたり、しっかりと詰めることなく行ったのではないかと思われます。
 
このように日時・場所をしっかりと取り決め、外部の方にも案内を出して、開催すればそこからはもう逃げることができません。言い方を変えれば、こうした自分を追い込むことが、私のような人間には求められているのではないでしょうか。
 
愛媛同友会代表理事・大野栄一さんがそのブログにこう書かれていました。経営指針の成文化における効果は短期間では現われない。10年くらいのスパンで見た時に、その効果は自覚できるものとなる。
 
経営指針を成文化し、発表しただけは決してよい会社になれるわけではありません。それをいかに実践に繋げていけるかに掛かっています。やっとスタ−トラインにつけたような思いです。大切なのはこの実践と何よりも継続していくことにあるように思っています。


法人会研修旅行

[2007年07月02日(月曜日)|No.1244]

この土曜日、法人会支部の研修旅行で東京に行ってまいりました。研修旅行と言っても、ほとんど物見遊山の観光要素が占められているものですが、5月の連休時など、大勢の方が詰め掛けた秘訣を探ろうと東京の新名所を訪れました。
 
まずはオカンの東京タワ−です。この小説のお陰で、ずいぶんとその人気が復活したように思われます。私も上るのは何年ぶりになるのでしょうか、ずいぶんと久しい間を置いていたように思えます。でも以前と違って、いろいろな工夫が施されているものです。
 
中ぐらいに位置する大展望台には、足下から真下を見下ろすことのできる、ガラス張りの床があるのですね。いくら強化ガラスといっても150mもの下が覗けるわけですので、結構スリリングな感じが味わえます。それからここからの四方への眺めは最高ですね。夜のスポットとして人気があるのは頷けるところです。
 
次は六本木に位置するミッドタウンです。扱っている商品は高級なものばかりで、桁が1つも2つも違う物がひしめいているわけですが、全体的な雰囲気が落ち着いていて気に入りました。建物の外側は日本の竹をイメ−ジしたのでしょうか、また内部も日本の持つ和風イメ−ジを随所に採り入れているように感じ、お隣の六本木ヒルズとはまた違った雰囲気を醸し出しています。
 
ANAインタコンチネンタルホテルでバイキングの昼食を取った後、最後に向かったのは東京駅に位置する丸ビルと新丸ビルです。皇族が新幹線で各地に向かう時だけに使用されるという、行幸道路を真ん中に挟んで並んでいるのですが、一口に言って、ここの方が庶民的のように感じられました。
 
土曜日とあって、若者達を中心に数多くの人が繰り出していましたので、ちょっと人ごみに酔いそうな感じでした。でもガイドさんの説明にもありました通り、丸ビルの方には沼津の魚河岸すしも進出していて、地元では比較的安く食べられるおすし屋さんなのですが、ここではなかなかの値段というのですから、テナント料も馬鹿にはならないものと思われます。
 
こうして、ほとんどオノボリさん的旅行として回ってきたわけですが、人がここまで惹きつけられる秘密はいまいち理解できなかったものです。強いてあげれば、素敵な雰囲気の中、一区画で衣食住の全てが満たされる条件が揃っているからでしょうか。
 
とにかく女性と違って、私達・男にとっては結構、苦痛を伴うものです。何しろ普通のウォ−キングと違って、このショッピングで歩き回るというのは、えらく疲れるものです。7月の中旬に全く同じコ−スで、中小企業家同友会支部旅行でも出掛けます。さてどうやって時間をつぶしたらよいものでしょうか...