株式会社 アイソー




2007年01月の日記

マイ箸

[2007年01月31日(水曜日)|No.1151]

宅急便から電話があり、北海道より家内宛に何だか実行委員会からの荷物がありますが、お届けしてよろしいでしょうかとの問い合わせがありました。しかも料金着払いで40000円だとのことです。家内に聞いてみたところ頼んだ覚えがないと言っています。
 
再度、先方に送り主を聞いてみたところ、その実行委員会の字が何というか読めないと言っていましたので、いいから持って来て下さいと伝えました。こうして荷物が届けられたのですが、何だかではなく、耕せにっぽん実行委員会としっかりと書かれていました。
 
たぶん耕せの字が読めなかったのでしょう。まあそんなことはよしとして、この名前を見てしっかりと理解できました。中村文昭さんの講演後、マイ箸を頼んだのです。講演時、中村さんから売るように頼まれた荷物の中に、本やDVDと一緒にこのマイ箸がありました。
 
その語りの中でも触れられていましたが、マイ箸は北海道で活動を開始しているニ−ト君やひきこもりクンたちが作っているものです。今、世界全体で少しずつ起こっている、貴重な木材資源を少しでも守っていこうとの運動の一環です。その話に共鳴してか、講演後真っ先に売れ尽くしたのが100膳あったこのマイ箸です。綺麗な布の袋に巻かれて1膳800円で売られていたのです。
 
この話を聞いただけに、それ以後の外食時に割り箸を割って使うのに何となく抵抗があったものです。こうして買えなかった人たちからの問い合わせもあり、マイ箸を頼んであったのですが、寒いときは沖縄に活動を移していることから、ちょっと時間が開いてしまったのでしょう。
 
送られてきた箱は50膳もあるだけに、いろいろな模様の布袋に包まれたマイ箸がカラフルに詰まっていました。その中で私も一膳自分のものを選びました。これからは外での食事でもマイ箸でいただくよう心がけたいと思います。たとえ今はちっぽけな蟻の動きに過ぎないかもしれませんが、やがては大きな岩をも動かすことになるかもしれません。そう信じて、良いことは直ぐにでも実行に移していきたいものです。


北京五輪の野球

[2007年01月30日(火曜日)|No.1150]

先日、北京五輪の野球監督に星野さんが正式に就任しました。なかなか意志表示をされなかったのはその前のアテネ長嶋前監督の意向に配慮があったようです。しかし長嶋さんがその体調から辞退したのを受けて、晴れて快諾したとのことです。
 
昨日はコ−チ陣として、かつての六大学当時からのライバルでもあり盟友の田淵さんと山本浩二さんの就任を発表致しました。このゴ−ルデントライアングルと投手コ−チに大野さんを加えた布陣は、待望の金メダル獲得に向け、万全な体制が整ったのではないかと思われます。
 
この野球、北京を最後に正式種目から外れるとも聞きます。かつてオリンピックでは一度も優勝していない野球ですから、是非センタ−ポ−ルに大きな日の丸を揚げてもらいたいと願っています。そして再度その復活をアピ−ルしなければと思います。
 
こうした熱い動きに水を差すかのような一部選手の代表入り辞退発言にも、きっぱりと星野監督は「出たいくない奴は出なくて結構。子ども達に夢を与えたいと喜んで出てくれる選手にお願いしたい」と述べています。
 
昨日、法人会の講演会でたまたまお聴きした、元サッカ−日本代表・現横浜FC代表取締役の奥寺康彦さんがこう言われていました。「オシム監督も言っているように、日本は戦術などは学習して長けているが、サッカ−そのものをよく知らない。ちょうど自分達世代が、野球のように誰からも教えられなくても遊べたように、サッカ−もならなければいけない」と。
 
そうした意味でも、だんだん野球そのものができなくなっている若者達が増えてきたことからも、是非北京で大輪を咲かせ、野球ここにありというところを見せつけて頂きたいと願っています。蛇足ですが、地元輩出の小野伸二選手のことについて、この際ですから聞いてみたところ、奥寺さんからは「彼は不世出の逸材ですよ」と太鼓判を押され、とても嬉しく思った次第です。


企業は人なり

[2007年01月29日(月曜日)|No.1149]

弊社の今年の仕事始めは5日でしたが、前日の4日以降、1日も休日をとっていない社員が二人もいます。もちろん仕事が忙しく、立て込んでいるからで嬉しい悲鳴ですが、ちょっと疲れている体のことを心配して、先週末に土日のどちらか1日でも体を休めるように忠告しました。
 
ようやく一人は土曜日に休みましたが、もう一人の方は相変わらず両日とも仕事に出てくれていました。こんなわけで私のほうも、ほとんど休みなく毎日会社に詰めているわけですが、本当に有難いことです。お陰さまで自分の方の仕事も進み、今年は幸先よいスタ−トが切れているわけですが、何とか1日ぐらいでも休ませてあげたいと思っています。
 
私達のような中小零細企業では、どうしても仕事が薄くなることを考えてか、忙しいときは無理してでもやっておこうという傾向があります。これは私など経営者ばかりでなく、社員それぞれにも十分浸透しているものです。仕事のない辛さが忙しいときの辛さに比べ、どんなにか大変だか肌で感じているからです。
 
今回の休みもなく出てくれている社員も、「心配して頂きすみません。休出ということではなく、あくまでも無理なく自分のペ−スでやりますから」という嬉しい言葉が返ってきます。また中国人研修生たちもそうした社内的雰囲気に影響され、忙しいときはいつでも残業や休出を命じてくださいとの申し出もあると言います。
 
金曜日の夜も静岡で経営指針を創る会検証の会が開かれ、メンバ−からどうしても採算という観点で人の採用を躊躇するとの報告がありましたが、思い切って打つべきときには手を打たなければいけないと意見を発した一人です。自分ひとりでは限界があります。多くの人に助けられ、その力を借りて企業は存在します。やはり「企業は人なり」と言われるように、人に活かされ、前向きに突き進むことができるものです。


雑誌「致知」の対談より

[2007年01月26日(金曜日)|No.1148]

中村文昭さんの師と仰いでいる、熊本に住む田畑俊久さんと、陶芸家の北川八郎さんの対談が雑誌「致知」に掲載されていました。その中で教えられる記事が何点かありましたので紹介致します。
 
子ども達を変えるためには、その中心を食事においたらいい。昔の日本人のように姿勢を正してきっちり手を合わせて感謝しながらいただく。アメリカ人のように歩きながら食べたり、お腹が空いたからと言ってむやみに食べたり、夜中まで食べ続けたりしなければ、自然と背筋は伸びてくる。今の日本人のだらしのなさは、食べ方のだらしなさと食べ物の質の悪さがその一因。
 
また子どもの教育には大自然が必要である。半日でもこの阿蘇の大自然の中で思いっきり遊ばせてやると、それまではやれなかった子ども達が、食事の前はピッと正座して「手を合わせるぞ」と言うとスッと合わせるようになる。その素直な心は大自然が育むもので、自然の中では先生は必要ないとも言えるものである。
 
そしてこの自然を通して子ども達は、自分の都合だけでは生きられないことを学ぶ。都会では何か困ったらお金を出して、物を買って、車に乗って。一方自然には美しさと厳かさ、怖さと優しさがある。だから短時間にはものは絶対できない。陶芸のように、人の心も短時間の強い火で焼き付けようとはしないものである。時間をかけて染み渡らせてこそ、本当にその色に染まってくる。
 
何事にせよ手間暇かけることが大切。今のお母さん方は子育てに手間暇かけません。特に料理。それが子ども達の心と体の育ちに出ている。

 
そうして紹介されていたのが、今の運動会では集団ピラミッドがないことです。理由が二つあって、一番下の人間と一番上の人間を差別しているというのがはじめの理由です。次が一番下の子どもの骨が折れてしまうとの理由からであるそうです。平等という意味をはき違えているのが悲しいことですが、何をかいわんやです。
 
前回述べた「親の教育再生」と併せ、教育基本法改正うんぬんより、もっともっとそれ以前にやらなければいけないことがいっぱいあることを、この対談からは見事に指し示してくれています。手間暇かけなければいけませんね。


給食費の未払い

[2007年01月25日(木曜日)|No.1147]

全国で給食費の滞納が22億円、9万人を超えると伝えられていました。数としては1%にも当たると言われます。何ともびっくりさせられる数字です。
 
また滞納は家庭の経済事情で払えない世帯と、払えるのに払わない世帯に分かれるそうです。払えない世帯の方はともかくとして、払わない世帯の人が少なくないと言われているのが問題です。この払わない理由を調べてみましたら、第一に義務教育中は払う必要がない、また次には給食を出して欲しいとは頼んでないので払う必要がないとのことでした。
 
またまたびっくりさせられました。きっとこういう人の中には、高級な車に乗って素敵な家に住んでいる方もいることでしょう。勝手に給食を出しているのだから払わないという理屈も、ずいぶんおかしなものです。そもそも義務教育に付帯する、当然の自己責任分として承知して入学しているはずなのですが...前にも触れましたが、こういう親に限って給食費を払った途端、自分で払っているのだから「いただきます」などと言わせる必要がないなどと、訳の分からないことを言い出すのではないでしょうか。
 
とにかくこの種の親が増えているのが問題です。昔は爪に火をともしても、我が子だけにはひもじい思いはさせたくないと努めたのが親だと言われていました。自分は贅沢をしながら、屁理屈をこいて結果としては愛しい我が子に肩身の狭い思いをさせるなんて、果たしてまともな親と言えるのでしょうか。巷では今、教育問題がいろいろと騒がれていますが、それ以前に「親の教育再生」をしなければいけない時代になってきたようにも思えて甚だ残念です。
 


姿即心

[2007年01月24日(水曜日)|No.1146]

駒大の野球部監督だった太田さんがこんなことを書かれています。
姿即心(すがたすなわちこころ)
心の有りようで姿は変わる。心が崩れると姿も崩れる。どんなに着飾っても、心が乱れれば美しい姿を保つことはできない。姿と心はつながり合っているからだ。心と同様に、姿と切っても切れない関係にあるのが「声」である。姿が乱れると声も乱れる。
 
(中 略)
 
姿を正し、はっきりと聞き取れる声のあいさつは、相手の心に響き、心と心の会話を可能にする。姿の大切さをどこで学んだか。それは家庭であり、学校だ。「大きな声であいさつするんだよ」「姿が崩れたらいい仕事はできないよ」。親や先生はこんなことをあえて口にしはしなかった。日頃の言動で十分だった。その一つ一つに伝えるべきことがにじみ出ていたのだから。世の中を見渡すと、姿の乱れた人間が目についてならない。「美しい国、日本」を実現しようとするなら、まず追及すべきは姿の美しさである。

 
全くその通りです。姿かたちはやはり大事です。もちろん乱れているのは彼ら若者だけではありませんが、電車に乗り込む高校生など眺めると、よっぽど言ってやろうかと思うほどの乱れぶりです。またタメ口と言うのでしょうか、目上の人間に対しての言葉遣いもできていません。日本のこれからを背負っていく若者達だけに、私達大人がもう少し関わっていかなければといけないと強く感じているものです。
 


赤ちゃんポスト

[2007年01月23日(火曜日)|No.1145]

昨日の出張時、ラジオから拾った話題です。赤ちゃんポストなどと誰が名付けたのか、あまり良い名前ではありませんが、熊本の慈恵病院では捨てられる赤ちゃんの救済措置として、病院内の施設を改造してその受け入れを真剣に考えています。
 
この計画によると、病院の窓を外部から開けられるようにした箱型の「ポスト」を設置して、内部は保育器と同じ状態に保たれ、新生児が入れられるとナースステーションで警報が鳴る仕組みとなっているそうです。また病院側はあくまでもこれは緊急措置で、捨ててもらうのが目的ではなく、新生児の産み捨てや、不幸な中絶を少しでも減らしたいとの趣旨を説明しています。
 
いわゆる、”こうのとりのゆりかご”です。それだけ産んで捨てられる現実が少なくないのでしょう。同病院の理事長が既に導入しているドイツを視察して、準備を進めてきたと言われています。また赤ちゃんの引き取り先としては全国で登録している里親に紹介する、特別養子縁組制度の適用などを検討し、また捨てた後考え直して引き取りにきた母親に対しても、手続きを書いた紙などを同場所に用意していると言います。
 
何と高邁な取り組みではないでしょうか。このことを知った全国からは賛否両論が入り乱れ、大きな反響を呼んだとのことです。反対の一番は人間を品物のように捨ててよいものかと。また安易な産み捨てや置き去りを助長するものになると危惧することからです。
 
でも現実にはこうして捨てられている赤ちゃんの現実を考えた場合、我が子を置き去りに出来る人間は、どうしようもなく余程困っているか、または親としての資質に欠けているかのどちらかであることに違いないものと思われます。そうすると生まれてきた貴重な生命を守るといった観点でも、病院側が言っているように「迷っていると大変なことになる」かもしれません。親に選ばれなかった、生まれてくる小さな命にも生きる権利はあるというものです。私はその取り組みに敬意を表し、大賛成です。


がんばれ!そのまんま東知事

[2007年01月22日(月曜日)|No.1144 ]

宮崎県知事にそのまんま東さんが当選しました。ご存知、元たけし軍団の方です。この宮崎県は前知事が官製談合で逮捕されるという不祥事からの出直し選挙だったのですが、多くの県民が旧来からの大きな刷新を望んだ結果だったと思います。
 
同時に行われた、相変わらずの官僚出馬の旧態依然とした山梨、愛媛県知事選挙では、投票率が過去最低だったのに比べても、6ポイント近くも上げたこの選挙ではいかに県民が大きな変化を望んでいたかが窺われるものです。
 
東さんは伝えられるように、過去において未成年少女との援交や軍団後輩への暴力事件等いろいろと言われている方でもあります。でも援交にしたって、この営業店の経営者を逮捕したいばかりに、警察から協力を求められ快く了承したもので、自身が逮捕されたわけでもなく、しかも未成年とは知らずに及んだ行為が淫行などと大きく騒がれてしまったのです。いわゆるマスコミの餌食にされたのです。
 
この人が凄いと思ったのは、そうしたものに対しても一切言い訳をするでもなく、素直に自身の非を認めて、芸能界を干された後、早稲田大学に入学して勉強するという道を選んだことです。しかも地方自治に関心を強く示したことから、同政経学部にも再入学までしています。
 
またそうした政治に強く関心を示すようになったことが、奥さんであった女優、かとうかずこさんとの離婚の原因とも言われています。もう芸能界からはすっぱり足を洗い、地元宮崎に骨を埋めるつもりで決心したからこそ、今回の選挙でも芸能人の応援を一切求めなかったものと思われます。
 
その決意が並々ならぬものと県民に浸透したことが、今回の大差での勝利に繋がったのでしょう。当選後、徹夜で県下各市町村の支援者廻りに出掛けたとも言われています。またそれができるだけのバイタリティと若さを持ち合わせています。本名の東国原英夫(ひがしこくばる ひでお)さんで知事の職務に就くとのことです。対するはほとんど野党の議会になりますが、大いに期待できるのはないでしょうか。政治家ではなく、市民の力で是非地方を変えていってもらいたいと願っています。


がんばれ!工藤

[2007年01月19日(金曜日)|No.1143]

久しぶりに野球の話題です。選抜高校野球も今月26日にその出場校が決定されます。今年は我が県からもやっと出場できる見通しが高いだけに、今までよりずっと興味深いものとなっています。やはり地元が出ていない高校野球はつまらないものです。
 
一方、プロ野球の方に目を向けると、工藤投手の横浜入りが決まりました。年俸が何と2億円減とのことですが、それでも喜んでチ−ムのためにベストを尽くすとの嬉しい言葉が聞かれます。43歳にはなるものの、まだまだ十分現役として戦力になるものと思われます。さすが本人は出された巨人に一言も恨みがましい言葉を吐いてはいませんが、心に秘するものは小さくないものでしょう。
 
3月30日からの開幕戦はこの巨人−横浜のカ−ドが組まれており、古巣相手にこの工藤投手の変幻自在なピッチングが見られることと思われ、興味津々となりました。対する巨人はご存知のとおり左投手に弱い定評があることからも、こんなはずではなかったと思い知らされるかもしれません。
 
この工藤投手の他に、横浜はソフトバンクから寺原投手が移籍してきました。強力な大砲・田村が抜けたものの、実績のある投手陣で結構面白いのではないでしょうか。この横浜を率いるのは今シ−ズンから新監督となった知将・大矢さんです。ヤクルト捕手時代からその知られたインサイドワ−クだっただけに、今年のベイスタ−ズからは目を離せなくなるかもしれません。
 
それにしてもオリックスを自由契約となった中村選手を獲るところはないものなのでしょうか。息子が言うように、岩村が出て三塁が空いてるヤクルトなど、どうでしょうか。このまま潰しても可哀想な気がします。とにかく、今年も相も変わらずスタ−選手に拘っている一部の球団より、野球は個々の力を結集した総合力によるものと、また見せつけられるのではないかと思っています。


苦闘する夕張

[2007年01月18日(木曜日)|No.1142]

先日の成人式の日でも触れた、苦闘する夕張市の話題です。何せその財政再建計画案では360億円を約20年で返済しなければなりません。そのため、下水道使用料の大幅値上げ、バスの敬老パスの廃止、除雪基準の見直し、市民税や軽自動車税の値上げ、図書館・美術館の廃止等、市民に掛かる負担は、馬鹿にならないほどの大きなものが余儀なく求められています。
 
従って市の職員数を半減し、その給与を30%削減するという計画方針も手伝い、どんどん行政側の人間もこの町を見捨てて飛び出しているものです。また市内に11ある小中学校もそれぞれ1校に統廃合されると言われています。ですから先日の成人式の予算も全くないというのも、可哀想ですがお定まりの流れかもしれません。このように全く踏んだり蹴ったりの状況の夕張市なのです。
 
こうした中、「義を見てせざるは勇なきなり」ではないのですが、支援する人が少しずつ現れています。歌手の松山千春さんは市役所を訪れ、現金100万円をポンと寄付する他、市内の商店街で電化製品等を大量に購入し、その一部を老人ホ−ムに寄付しています。またこれからも無料コンサ−トなどを開き、市民を元気づけるとのことです。北海道に住む松山さんは他人事ではなかったのでしょう。嬉しいことです。
 
また夕張を愛する映画関係者などによっても、昨年で幕を下ろした「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」が復活されると聞きます。幸せの黄色いハンカチなど良い映画がいっぱい生まれた、かつての勢いのあった夕張再興にエ−ルを送ってのことでしょう。
 
あまり言いたくありませんが、こうした反面、つまらない政治家が何の目的か解りませんが、この街をたった1日の日帰りの短い時間で訪れています。〇〇大蔵とかいう人を団長とする一行です。テレビでも取り上げていましたが、視察という名目とのことにもかかわらず、ほとんどがバスの中から眺めるだけで、市民の声もほとんど聞くことがなかったと言われています。人々の注目をただ集めたいというだけで、どさくさに紛れ利用されては本当にかなわないところです。とにかくこうした輩はともかくとしても、市民特に若い人たちに是非この町を見捨てず、元気になってもらいたいと強く願っています。


ちょっとした親切

[2007年01月17日(水曜日)|No.1141]

今日は6500人余りの犠牲者を出した阪神大震災が起こった日です。あれから12年の歳月が流れました。今なおその後遺症で悩んでいる方も少なくないと言われています。心よりご冥福とお見舞いを申し上げます。
 
さて早いもので、恒例の年賀ハガキの抽選会も終わりました。自宅に頂いた分と会社分を併せても、今年も相変わらずのクジ運の悪さは変わりません。昨年暮れのジャンボ宝くじも、購入はいつもなら30枚どまりですが、今回は奮発して50枚にも増やしたのにもかかわらず、ため息だけが大きくなる始末です。でも年賀ハガキは4桁の2等のふるさと小包が1枚当たりましたから、贅沢は言えず、まあいいかということになるかもしれません。
 
この年賀ハガキですが、先日送り先のある所から下記のようなFAXでの連絡が送られてきました。
この度は年賀状をいただきありがとうございました。つきましては、頂いた宛名の職員は退職しておりますので、よろしくお願いします。
 

何気ないことかもしれませんが、なかなかできそうでできない、ちょっとした親切ではないでしょうか。指摘されなければいつまでも送り続けるでしょうし、お互いに無駄を繰り返すことになります。この年賀状についても、懸念していることがそれぞれにあるはずです。1つには送り先の相手について、その役職など変わっているはずなのですが、いつまでも同じ肩書きで出し続けていることがありませんか。こうした不安を持って出すより、一度先方に問い合わせをすればいいと思うのですが、なかなか実行に移せないものです。
 
それから何年もの間、顔を合わしていないのに”今年も相変わらずよろしく”という文面も、よく考えればおかしなものです。それだけ日頃疎遠になっている方への挨拶が多いはずですが、私などその最たるところで、近況も十分知らせることなく、年末バタバタとなって投函する始末です。これでは日本固有の古来からの良さでもある、年賀状の持つ特性が果たされていません。気をつけなければと思うのと共に、前述のちょっとした親切が印象に残り、少し考えさせられたものです。
 


ちょっと良い話 part12

[2007年01月16日(火曜日)|No.1140]

友人が責任者を務めている関係で、沼津市青少年教育センタ-から定期的に送ってもらえる”たより”に載っていた内容です。市内の県立高校の校長先生が書かれたものです。
 
「言葉をかけることは心をかけること」
 
朝7時20分に家を出て、学校に向かった。歩いている私を追い抜きながら、何人かの生徒が「おはようございます」と挨拶をして通り過ぎる。交差点の横断歩道を渡る生徒を少し遠目で眺めていると、歩行者用の信号が赤に変わったにもかかわらず、無理をして走り抜けた女子生徒がいた。すると、それにつられるように、赤で止まっていた自転車の男子生徒も渡り始めた。先ほど私のそばを走りぬけ、挨拶をしていった生徒である。私は「信号は赤」と大きな声を上げた。その男子生徒は横断歩道の2/3ぐらいの所で一瞬止まったが、そのまま走っていった。この二人の生徒の名前は分からなかった。
 
(中 略)
 
先生に朝の打ち合わせで、クラスへの伝達事項として交通ル-ルを守ることを訴えていただいた。2時間目の授業が終了した休み時間に、トントンと校長室の戸を叩く音が聞こえた。「どうぞ」と答えると、一人の男子生徒が引き戸を開け、「お仕事中失礼します」と会釈をして入ってきた。「私は今朝、校長先生に信号無視で注意された者です」と言う。私は招きいれ、ソファ−に座らせて話を聞いた。
 
「信号無視して申し訳ありません。それを謝りに来ました」と言う。私は(中略)ル-ルを守って、自分の命を守ることが大事であると彼に話した。「ところで、どうして校長室に来たの」と彼に聞いてみた。(担任の先生の指導があったのかなと思ったからである)すると、その生徒は「校長先生に注意されて、そのことが登校してからずっと気にかかっていました。その気持ちを引きずっているより、謝りに行こうと思ったのです」と答えてくれた。その答えを聞いて、私は感心すると同時に感激をしてしまった。
 
「自分から謝りに来るとはえらいね。自分の失敗を正面から受け止め、自分の肩に背負ったね。このことは思ってもなかなかできることではないよ」と力をこめて彼と握手をした。彼も力を込めて握手を返してくれた。掛けた言葉が心に届いた朝の出来事であった。

 
さわやかな話です。まだまだこうした若者がいるのですから、日本も満更捨てたものではありませんね。


整理・整頓

[2007年01月15日(月曜日)|No.1139]

お正月が終わり、世の中が動き出してから早1週間が過ぎ去りました。それぞれが順調なスタ-トを切られていることかと思われます。私の今年1年の行動目標で、一番心がけたいのは整理・整頓です。このようなスタイルで会社をやり出したのが昭和53年からですから、もう、かれこれ30年近くなるわけですが、やはり少人数でやっていた時代が長かった為か、この整理・整頓は一番苦手なところでもあるわけです。
 
最近になってようやく解ったのが、整理整頓一番大事なのは使ってすぐ元の場所に戻すことです。そのうちにとか考えていると、次から次へと溜まってしまいます。そして大事な書類などがそうしたものに紛れ込んでしまうのです。
 
使うときになってあちこち探し回ることがありませんか。私などはしょっちゅうです。仕事をしていてこうしたロスタイムが馬鹿になりません。少しでもその無駄を省かなければと思っております。それから捨てる勇気を持たなければなりません。自分はやはり貧乏性なのでしょうか、後で使えると思い比較的何でも残しておく傾向があります。これでは増える一方で、いつまで経っても一向に片付きません。今年は勇気を持って、思い切って捨てていきたいと思います。
 
このように私の今年の一番の課題は整理整頓を心がけることで、1年掛けても改善していくつもりです。年頭に社員一同集まった際、それぞれが誓い合いました。今年は誓いの言葉はやめ、1年経った後の変わった自分を来年のこの場で発表し合おうと。さてどれだけ変わりますことでしょうか、乞うご期待です。


雪印の二の舞

[2007年01月12日(金曜日)|No.1138]

またかよと思う、残念な事件が起こってしまいました。不二家が期限切れの牛乳を製品に使っていたことです。かつての集団食中毒を引き起こし、潰れてしまった雪印の二の舞にもなり兼ねないものです。
 
今日になって牛乳だけではなく、卵も使っていたということも発覚しました。古い牛乳を使用の際も、数10年勤めたベテランのパ-ト職員の、においを嗅いで問題なかったとの判断だけに頼っているような、しっかりした衛生管理マニュアルもなかったと言われています。
 
問題にしなければならないのは、元々この問題が発覚したのはいろいろな問題点を洗い出し、意識改革を促す目的でプロジェクトチ-ムが作成した報告書だったのですが、一般社員や外部の目に触れないよう、幹部が部外秘として隠蔽工作をした疑いがあることです。発覚した時点で経営危機に繋がる、雪印の二の舞を恐れたからです。そして最大の売上げを見込めるクリスマスシ-ズンを前にして、目先の利益に走ったことです。
 
この洋菓子では、不二家は山崎製パンと銀座コ−ジ−コ−ナ−に次いで業界第3位と言われています。また小さなお子さんからも、その誕生日にはケ-キをプレゼントしてくれるサ-ビスなどで人気が高かったお店です。それがなぜと思わせられる不祥事です。
 
覆水盆に返らずで、今更言っても仕方ありませんが、社内的にこの問題が発覚した時点で、自主的に申告して目先の利益に走らず、製品回収に努めたらどうだったでしょうか。私はここまでの問題にはならなかったと思います。それよりむしろ、食品の安全と信頼を最優先した、この企業の持つ経営理念を高く評価できたのではないでしょうか。こうした扱いを間違えると、たった1日の消費期限切れの牛乳が企業の絶対的致命傷になるかもしれません


家族とは

[2007年01月11日(木曜日)|No.1137]

家族とは果たして何なのかと考えさせられる事件が続発しています。奇しくもどちらの事件も渋谷がらみなのですが、1つは歯科医師宅で起こった予備校生の兄が実の妹の短大生を殺害した事件です。またもう1つは昨日になってようやく犯人が逮捕されたのですが、妻が夫を殺害して、自宅でバラバラに解体し、生ごみなどと一緒に捨てた事件です。
 
何とも恐ろしい話です。殺害するだけでなく、死体をバラバラに切断するなどという猟奇的な事件は、普通に考えるとよほど怨恨がひどくないと起こらないと考えてしまいます。それが血を分けた兄弟でも起きるというのが不思議なところです。もっとも夫婦は他人の始まりとか言われているように、夫婦間では積み重なるものがある限界を超えれば、可能性がないとは言い切れないものですが...
 
どちらも自己否定が絡んで殺害にまで至っていたり、のこぎりなどを使った切断方法などに共通点があるわけですが、どうしてそこまでの行為に及んでしまうのか、全く理解できないところです。
 
このような事件が起こると、家族って何だろうと、どうしても考えてしまいます。絆とは辞書を引くと、肉親間などの、絶ちがたい繋がりや深い関係と記されています。そんなにいとも簡単に切れるものでしょうか。中村文昭さんの師である田端俊久さんが雑誌「致知」にこう述べています。
 
経済と家族の絆は対極にある。贅沢をするとどうしてもお金を稼ぐことに時間を取られ、家族の絆はバラバラ、そして病気にもなる。お金のかからない生活は家族と一緒にいられる時間がたくさん取れるし、思索に費やすこともできる
 
田端さんが言われるように、世の中が昔と違い、このように殺伐としてきたのは贅を尽くし過ぎた結果がつけとして出てきているのでしょうか。そう言われてみると、貧しくても親が必死に子育てをし、その大きな背中を子どもに見せていた時代には、このような心が荒ぶ出来事は皆無だったように思えます。本当に嘆かわしい出来事です。


SCGP

[2007年01月10日(水曜日)|No.1136]

5,6,9,10日と4日間続いた年始の挨拶回りも、ようやく今日で終了して、まずはほっとしたところです。今年は実務の立ち上がりが比較的早かったので、正月気分も早々に抜け、良いスタ−トを切れたのではないかと思っています。それにしても暖かい穏やかな冬が続いているものです。
 
SCGPってご存知ですか。これだけでは一体何のことか、さっぱり判らないことと思いますが、怒るおじさんのグル−プのことです。その名を渋谷センタ−街パトロ−ル隊と呼び、主にその活動は夜が多いのですが、不良の若年グル−プや規則を守らないお店などを断固取り締まっている方々です。このセンタ−街にお店を構えている人達がボランティアで定期的に活動しているのです。
 
テレビで観たのですが、目には目をの言葉どおり、相手がどんなだろうと決してひるんではいません。ですからその言葉遣いだって半端ではありません。知らない人が聞いたらどっちがワルだか、判らなくなってしまうくらいの迫力です。
 
またお店の展示商品を平気で人々が行き交う往来に出してあったりすると、どんどん自分達で撤収してしまいます。それから何度言ってもやり続けているキャッチセ−ルスなどは、このおじさん達の顔を見た途端逃げ出す始末で、こちらもとことん追いかけて容赦はしないのです。
 
それだけ現在の渋谷の街の治安が乱れているということでしょうが、このように勇気を持って立ち向かう人達がいないと、いつまで経ってもそれは改善されません。テレビ画面からはあまりにもこのおじさん達の言葉遣いが迫力あるので、逆手に取って屁理屈をつけながら食い下がる若者も描かれていました。一触即発にもなりかねない様子で、そこには大変な労力と図太い神経が要求されているものと感じました。
 
この活動をテレビ画面で眺めただけですが、とても痛快な思いがしています。現在はこのように怒るオヤジが激減しています。自分達の子ども時代を思い出してみても、そこには必ず一人かふたり、うるさいオヤジがいたはずです。柿などを木から盗っても、いつまでも追いかけてくるオヤジがいたものです。
 
怒らないオヤジが増え、怒られない若者達が増えています。こうしたところにも、日本が変わってきた原因があるのではないでしょうか。SCGPのようなおじさん達がもっと増えなければと、つくづく感じさせられました。


1万円の成人式

[2007年01月09日(火曜日)|No.1135]

昨日とその前日は全国で新成人の集いが開かれました。わが町沼津では7日の日曜日に行われ、次女・絵莉子も強風が吹き荒れる中、少し可哀想だったのですが、元気にその集いに飛び出して行きました。
 
でも北海道・夕張に比べたらずっと幸せではないでしょうか。ご存知のとおり夕張市は財政破綻の町となりました。この為、今年からこの成人式の予算もカットされ、毎年60万円もの補助金が出ていたのですが、今年は0円で昨年の残金1万円が唯一その頼るところのものです。ですから1万円の成人式となってしまったのです。
 
これにめげず、さすがに若者らしいのが、行政が駄目なら何とか自分達の手で開催しようと、手作りの成人式を計画したのです。事前に地元業者周辺や全国にまでも協力を呼びかけ、成人式実行委員会を立ち上げ、昨年よりその準備を開始しました。こうして集まったお金が何と248万円にも達したのです。もちろんその集いは十分賄えることができ、来年度にまで繰り越せる額となったのです。
 
何とも成人を迎える若者らしく清々しい話ではないでしょうか。一方では沖縄など相変わらずの若者ではなく、ばか者達の愚行が伝えられています。また千葉では新成人が無免許でひき逃げし、自転車の男性を死亡させるという事件も起きています。そうした輩に比べても、一生に1回しかないこのイベントだけに、夕張の若者達は何とも価値ある行動ではないでしょうか。
 
お金を掛ければいいと言うものではありません。大切なのはいかに価値を見出すことではないでしょうか。こうして人に頼らず、自分達で開催した手作りの成人式ゆえに、もちろん冷やかしや不真面目な言動も一切なかったと言われています。お仕着せではなく、彼らにその開催のイニシアティブまで渡せば結構若者達がその気になるのではないかと、夕張の若者達が教えてくれました。


ス−パ−シニア

[2007年01月05日(金曜日)|No.1134]

あけましておめでとうございます
穏やかな正月でしたが、いかがお過ごしでしたでしょうか。大晦日の夕方、沈む夕日がとっても綺麗でした。ある方が初日の出より、1年の一番最後の日に沈む夕日に向かい、1年間無事過ごせたことに対して、感謝の気持ちを表わす方が大事だよと言われていました。その通りかもしれません。去る年に心から感謝し、迎えた2007年に新たなる躍進を秘かに誓ったものです。
 
日野原重明さんのことをお正月のテレビで取り上げていました。御年96歳、ご存知、聖路加国際病院名誉院長で、ス−パ−シニアとも言える方です。びっくりしたのは、人生は70歳まではまだホップ、ステップの段階であり、それを過ぎてようやくジャンプに入るのだと言い切っていることです。
 
その言葉を裏付けるかのように、このお歳でまだ1週間に1回は徹夜するそうです。その理由が子ども達から頂いた手紙を読んでいるうちに眠れなくなってしまうからと言われています。今、日野原さんは忙しい病院の院長職の合間を縫って、全国に飛び出し、子ども達に命の大切さを説かれています。実際に子どもにも聴診器を渡し、命の鼓動を聞かせて生きているということを実感させているのです。そしてこの子ども達を通して平和の大切さを強く訴えています。
 
またまた驚いたのはその使われているダイアリ−です。私が使っている1年ものとは大きく異なり、何と1冊で10年分が入っているダイアリ−です。従って、もう来年とかその次の年までの予約が書き込まれていました。まだまだ予定を残してとても死ぬわけにはいかないといった、強い意志がそこには感じられました。何とも凄いものです。
 
最後に次のような言葉を書き記していました。「幻と勇気ある行動を」。そして3つのVが必要と説かれていました。ビジョン・ベンチャ−・ビクトリ−。65歳まで仕事に邁進したら、あとは好きなことをやろうかなと思っていた小生にとっても大きな反省です。50、60はまだまだヒヨコ、ハナタレ小僧です。年頭で日野原さんの力強い素晴らしい生き方に接し、夢と勇気を教えられ、その気にさせられたものです。