株式会社 アイソー




2006年07月の日記

ゼロ金利解除

[2006年07月28日(金曜日)|No.1046]

 先日、日本銀行がおよそ5年ぶりにゼロ金利を解除しました。
政府の反対する声が多い中、前からその気持ちが強かったのか、比較的早めの実施に踏み切りました。私は福井総裁事件がかえって引き金になったような気がしています。
というのも、大多数の国民が貯金していてもほとんど利子がつかないで喘いでいる中、総裁が例のファンドで大きな蓄財を図っていたこと、言い換えれば国民に対しては、これ以上の低金利政策を続けにくいような状況が生まれてしまったことも一因になっているような気がします。
 
経済評論家の森永卓郎さんは新聞によると次のように語っています。
ゼロ金利解除は時期尚早だったと思う。第1の理由は日本経済がデフレを脱却したとはとても言えないからだ。また第2の理由は原油高などの原材料価格高騰が製品価格に転嫁できていないということだ。製造業だけでなく、タクシ−、トラック、クリ−ニング業などの非製造業も、原油高を料金に転嫁できていない。次に第3の理由は中小企業の状況がよくなっていないということだ。
中小企業は原材料価格の上昇を製品価格に転嫁できずに苦しんでいる。そこにゼロ金利解除に伴う借入金の金利負担増が加われば、経営は一層厳しくなるだろう。厳しくなるのは住宅ロ−ンを抱える家庭も同じだ。ロ−ン金利が上昇すると返済額が上昇し、それにより家計が圧迫されていくことになるのだ。
2000年8月のゼロ金利解除の際には3ヶ月後に景気が後退過程に突入した。今回も同様な可能性は否定できない。今回のゼロ金利解除は大企業を優先し、中小企業を軽視したもので、景気後退の恐れもあり、格差社会をさらに助長させる決定である。
 
同友会が言っているように、会社経営という観点ではただ横並びのものではなく、新しい戦略や差別化を目指していった結果、そこに格差が生ずるということでは否定できることではありませんが、一般社会において一生懸命頑張っている人までもが報われない社会は、いかがなものかと思われます。やはり何よりも大企業ではなく、企業の大多数を占める中小企業をまず優先し、頑張れば報われる制度を少しでも確立していってもらいたいと願っています。
 
30日より来週1週間、工事で出張いたしますので、このカキコミは休ませて頂きます。
7日より再開します。


介護について その2

[2006年07月27日(木曜日)|No.1045]

 介護疲れと生活苦から認知症の母親(当時86歳)を合意の上で殺害し、承諾殺人の罪で問われていた被告の息子に対し、執行猶予付の温情判決が言い渡されました。
 
新聞によると、11年前父を亡くし、認知症の母とアパ−トで二人暮らしの被告は、この身の回りの世話を一切引き受けていました。夜中でも母のトイレに1時間置きに付き添い、睡眠不足のまま仕事に出る生活が5年も続いたそうです。
そして母の徘徊がひどくなり退職を余儀なくされ、収入が途絶えると母に食べさせるため、自分は2日に1回しか取らないこともありました。こうして失業保険の給付が切れ、家賃も払えなくなって困窮した被告は心中を決意、今年2月にかつて歩いた京都市内を二人で回った後、承諾を得た上で母の首を絞め自殺を図ったそうです。
 
何とも身につまされる話です。ここまで介護で追い込まれている人もいるのです。こうした事情を十分考慮した判決に嬉しく爽やかなものを覚えますが、介護の辛さは当事者にしか解らず、その果てに絶望感にさいなまれる人も少なくないはずです。生活保護の受給ができないとき、被告の「死ねということか」という言葉に、生活保護の在り方を考えさせられてしまいます。
でも「もう一度、母の子に生まれたい」と公判で涙ながらに告白した被告には、人間として失ってはいけないものを教えられているようで、大きな感動を覚えました。


介護について その1

[2006年07月26日(水曜日)|No.1044]

 ようやく夏らしい天気になってきました。雨が本当に多かったですね。異常なまでの豪雨に見舞われた各地被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。
私達団塊の世代も、近い将来、やがては来ることと思われる介護のことについて、ちょっと触れてみたいと思います。
 
私の母親も大腿骨骨折後、しばらくは自分の家さえ判らないような認知症が進んでいたのですが、お陰様でここにきて、ひと頃よりはずっと正常な状態に戻りつつあります。
これも一生懸命介護に努めてくれる家内の献身的な世話によるところが大きいのですが、デイ・サ−ビスによる効果も馬鹿になりません。
 
現在、週に4日、2箇所のセンタ−にそれぞれ2日ずつ通っています。もちろんその行き帰りはセンタ−の車により送迎をしてもらっているのですが、家を一旦離れるということで、自分の家庭を再認識できているようにも思えます。聞くところによると、センタ−ではかけ算、わり算などの訓練も行うと言われています。これも使わなくなってきている脳に、少しでも刺激を与えようとしていることからだと思われます。
 
振り返ってみると、骨折し半月ぐらいの入院で、元々少しあった認知症がかなり進んだような気がします。ケガそのものの術後の経過が良かっただけに、婦長の勧めにより、無理矢理のような形で退院させました。その後のリハビリは大変だったものの、そのまま入院を続けると、鬱状態がもっとひどくなると思われたからです。従ってその後の家内のケヤ−は大変でした。家内の名前すら忘れてしまった人の面倒を見るからです。思うに、こうした段階の時、余裕のないほとんどの方々はその大変さから24時間介護の施設に入れてしまうのではないでしょうか。それは経験のある方なら、至極当たり前の話で、そのくらい大変なのです。
 
でもそうした施設に入ることにより、認知の程度が大きく改善されるということにはなりません。
このへんが考えどころではないでしょうか。確かに家で介護するということは想像以上に大変なことと思われます。ですがそれに引き替え、私の母のような現在の姿を眺めてみると、かけがえのない効果を頂いているようにも思え、これで良かったという感謝の気持ちに包まれています。


ファンの声

[2006年07月25日(火曜日)|No.1043]

 ファンの声って凄いですね。ご存知、欽ちゃんこと萩本欽一さん率いる球団・茨城ゴールデンゴールズが部員の不祥事により、一度は解散を決めたものの、ファンの必死な存続を願う声で撤回し、引き続き野球をできることになりました。
 
その声、7000人余りの署名をこの短期間に集めたというから凄いものです。それだけ、この球団が地域にしっかりと根ざしているということでしょう。元々は欽ちゃんの個人のチ−ムから、今では地元やファンのチ−ムとして定着して変わってきているのでしょう。そう考えると欽ちゃんの野球界に果たしている功績というものも少なくありません。今、高校野球に携わる生徒達が全国津々浦々で増えているとの話も聞きます。そうした話とこの欽ちゃんの役割は、決してまるっきり無関係とも言えないのではないでしょうか。また定着して来ているがゆえに責任も少なくなく、しっかりとついてまわるというものです。
 
それにしても、こうした苦境に追い込んだ張本人である、極楽とんぼのY氏もお粗末な話です。
こうした愚行により、いとも簡単に今まで苦労して積み上げてきたものを、捨て去ることができるものなのでしょうか。相方でもある加藤さんが気の毒で、その心中察するに有り余るものがあります
このように一般人ももちろんですが、社会的に名が通った人の罪というものは、より重いものがあります。月200万円を超えるその収入から、かなり派手な生活をし続けてきたようですが、こうとなってみればそうはいかないでしょう。いろいろなものを失ってみて、初めて我に返り気がつくものでしょうが、やはり「あとのまつり」ではないでしょうか。


高校野球を終えて

[2006年07月24日(月曜日)|No.1042]

 先日触れさせて頂いた、息子の高校野球が22日の対静高戦で完結いたしました。
この試合はかなり御殿場南高が善戦したのですが、9回にホ−ムランを含む、だめ押しの2点を加えられ、2−5で敗れ去りました。やはり伝統校・静高は強く、その壁は厚かったようです。
こうなったら、バッティングも基本に忠実に見事にセンタ−中心に鋭い打球を飛ばしていた、この静高に是非甲子園に行ってもらいたいものです。
 
出番はなかった息子ですが、ベンチで精一杯応援し、悔いなく高校野球を締めくくりできたのではないでしょうか。3年間野球をやってきて本当に良かったと、今はつぶさに感じ入っております。
こんなにうまく完結できたのも、本当に多くの周囲の方々のお陰です。
 
思い返してみると、野球に関わっていたその期間、何度か分岐点になるようなピンチも訪れていたようにも思います。今でこそ少し息子の野球を追っかけることができていますが、ほとんど母親任せで、父母の会の用事も満足に果たすことができませんでした。そんな2年生の夏の大会終了直後、部活をやめたいと言っていた時期がありました。この時に初めてメ−ルで息子に伝えたことがあります。「どんなに今、野球で付き合っている仲間が素晴らしくても、3年間やり通してこそ固い絆が生まれるんだよ」と。この間の初めて公式戦マウンドに立つときに備えて送ったメッセ−ジと併せ彼の野球生活の中では、私が伝えたのはこの2通だけでした。
 
それから秋の公式戦の前、20番まで付けることのできる背番号を、14人いる2年生で唯一人貰うことができませんでした。かなり腐っていたように思えます。少しその前の試合も控え投手として何試合か使ってもらっていただけに、本人にとってはとてもショックだったことと思われますが、私からすればショック療法のようにも思えました。これで腐って潰れてしまえば仕方ないが、奮起して更に励めばまた実もなるというものです。ただ一言、「口惜しかったら、走りなさい」とだけ伝えました。
 
この時に救われたのは野球部同級生の父親・母親の皆さんでした。本人の口惜しさが解るだけに口々に「秋山腐るなよ、負けるなよ」と言って励ましてくれたのです。このようにいつもこうして彼のことを温かく見守ってくれた人達が周囲にはいてくれたのです。
それからもう1人、最後の公式戦にリスクを冒してでも、彼にチャンスを与えてくれた監督さんにも感謝の気持ちがいっぱいです。私が逆の立場なら、きっと先発から彼を使うことはなかったでしょう
1回戦のゲ−ム後、いつもはそんなことをしない監督が自分の方から手を差し出し、嬉しそうに握手を求めたそうです。そして「秋山、3年間頑張ってきて本当に良かったな」と、声を掛けてくれたそうです。この一言で彼の高校野球生活が見事、集約できたのではないでしょうか。
改めて支えて頂いた多くの人達に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。


中小企業家同友会全国総会より

[2006年07月21日(金曜日)|No.1041]

 去る13,14日石川県金沢市で開かれた中小企業家全国総会に参加してまいりました。
選んだ分科会は第3分科会「リ−ダ−が本気になり、楽しく増やす」というテ−マの、会員拡大に向けた魅力ある同友会づくりをめざすものでした。
 
過去、何回かこの全国行事にも参加し、学びを深めようと努めてきましたが、ほとんどは自社経営に直接関係のあるテ−マを選び、このような会や組織そのものの活性化をめざした分科会は初めてでした。
 
今回の大きな発見は、このような自社ではなく会の充実や発展をめざすものであっても、結局は最終的にこのような活動が自社の業績に必ず繋がっていくものだと確信したことにあります。
それではなぜ会員を増やす必要があるのか、この学んできた点をあげてみます。
 
第1に新しい感覚、感性が持ち込まれ、経営の辞書のペ−ジが増える。
次に第2は新しい風、新しい流れが生まれ、全体が活性化されます。
そして第3は会員の数は良い経営環境を作っていく上で、政策提言など社会が求める課題への発言力や地位の引き上げに繋がります。
また第4として、企業の80%以上を占める我々が豊かにならなければ国が豊かになれない。
その他第5として、幅広い多彩な活動が容易になり、財政基盤も強固になり善循環が始まります。
それからもう1つ第6として、量は質を保証し、質は量を保証する関係にあります。よって初めに量が必要となります。
 
以上6点ですが、このようにリ−ダ−が率先し、会員増強を図っていくのにはリ−ダ−自らも相手から見られていることから、自社の業績との両立を目指さなければ説得力がないという指摘です。
従って会員増強は会社の売上げと一緒であり、人が減っている組織が元気であるはずがないということです。基調報告の後、2日間で3時間以上繰り広げられたグル−プ討論でも、テ−マがテ−マだけに今まで以上に参加者の意識レベルが高く、大いに啓発されるものでした。そうした中でも何よりもトップ自らが燃えなければ駄目で、同友会はお願いして入ってもらう会ではなく、その良さを知ってもらうのが務めであると、しっかりと受け止めることができました。


中村文昭さん講演その2

[2006年07月20日(木曜日)|No.1040]

 パソコンの調子が悪く、更新が遅くなってしまいました。
先日感動した中村文昭さんの講演の続きです。先に触れた4つの行動哲学について、もう少し詳しく紹介したいと思います。この行動哲学は全て中村さん自身が師と仰いでいる田端さんから、たたき込まれたものです。
 
(1) 返事を早くする
何よりも素早く返事を求められているもので、0.2秒で返事をせよと指摘されます。多くの人達は返事をする前に、言われたことにより自分の損得を考えている。仕えて自分が学んでいるときには、素直で謙虚な心を持ちなさいというものです。
道の精神で守・破・離というものがあります。この守とは、お前の都合など誰も聞いておらん、ティ−チ(教え)のみで、素直な姿勢と謙虚な返事が求められているものです。そして破の段階で弟子に意見を初めて求めます。こうして離に到達してようやく一本立ちし、離れていくのです。
 
(2) 頼まれ事は試され事
人に頼まれるということは、自分が試されていることです。頼まれ事がどんなことでも、一生懸命やっていれば必ず道は開けていくものと力説されます。皿洗いをしていたご自身の修業時代の話は説得力がありました。初めはこんな皿洗いなんか、少しもコックの修行にもならないと思っていましたが、ある時自分自身でその気持ちを切り替えました。日本一の洗い物をやってやろうと言い聞かせたのです。それからは決められた時間でいかに早く、きれいに洗えるか額に汗しながらこの皿洗いに励んだのです。そうしているうちに、それまではいてもいなくてもよい奴から皆の注目を集めだしたのです。そして良い手本となり、上司の口から「あいつすごいだろう」の言葉が出てくるようになり、認められていくのです。
 
人からものを頼まれたとき、相手の予測を上回るものが返ってきたらどうでしょう。そこには感動が生まれ、そのファンにまでなる可能性があります。私達の仕事もしかりです。ただ与えられた仕事を当たり前のように処理するだけでは何も生まれません。ここに少しでもお客様から可愛がって頂ける、私達が差別化できるヒントがあるのではないでしょうか。


娘殺害

[2006年07月19日(水曜日)|No.1039]

 大方の予想通り、彩香ちゃんは母親の手によって殺されていました。
最初、この事件が起こったばかりのとき、誰もがこの母親をおかしいと思っていたはずです。
豪憲くん殺害の供述についても二転三転していたからです。
 
それにしても自分の産んだ子どもを橋の上から突き落とすものなのでしょうか。もっと解らないのは自分が殺していて、警察が事故だと認定した途端、「事故ではない、事件なのだ」と自分から言いふらして歩く言動です。もっとも警察が1回目の死因鑑定の後、さらに詳しく死体解剖をすると言った時、もういいからと言って速やかに火葬してしまっている事実はあります。
そうすると、証拠隠滅後、追求の恐れがないと知ってからの捜査を攪乱する行動ともとれます。
また米山豪憲くんはなぜ殺さなければいけなかったか、このようにいろいろとその行動が不可解です。
 
でも母親を捨てて、いとも簡単にこのように女になれるものなのでしょうか。それは人間の仮面を被った畜生以前のものです。犬猫にしたって、生まれてから離さない限り、親の役目は放棄しません。そもそも親は子どもと、どちらか一方しか生き残れないと知ったとき、子どもを残すことに全く異存はないはずですし、進んで喜んでその選択ができます。現在の風潮に多く見られる、自分さえ良ければよいというのが、ここまで来てしまったのでしょうか。
まったく人間失格で、お粗末極まりのない話で、腹立たしい限りです。


生涯・思い出の記念日

[2006年07月18日(火曜日)|No.1038]

 時節柄、高校野球の話が続いて恐縮です。ご容赦下さい。
16日の日曜日は息子・朋秀にとって、生涯忘れることのできない1日になったのではないかと思われます。その所属する御殿場南高が1回戦・対浜松市立戦に13−3で5回コ−ルド勝ちを収めました。しかもその息子自身が先発し、5回を投げ切り、その上自らのバットでコ−ルド勝ちを決めたレフトオ−バ−の2塁打で、試合の幕を下ろしたのです。それはまさに観ていた私達にとっても夢物語のようなものでした。
 
この試合は彼にとって公式戦初出場・初登板・初先発の、全て初ものづくしのものでした。その前にちょっと本人の口より、監督から1回戦投げる準備をしておけと、言われたような言われないような話を耳にし、正直、いくら相手が創部間もない1年生チ−ムにしても、夏の大会の本番では何が起こるか判らないだけに、エ−スで手堅く行った方がよいと思っていた、半信半疑の状態でした。それでももしという場合を考えて、前夜、本人に自分の経験からも伝えておいた方がよいと思い、次のようなメッセ−ジを携えました。
 
あがるまいと思うな。誰もがこの大会の本番ではあがってしまうのだから、とことんあがってしまえましてや初めての経験だから、あがらないわけがない。要はあがった後、少しでも早く元の状態に戻れるよう努めること。それには深呼吸を何度か繰り返し、PLのように胸に手を当てて気持ちを鎮めなさい。そしてできる限りリズムをゆっくりとること。スタンドの声援は全部自分の味方に思え。自分が投げて負けたらなどとは絶対に思うな。そして投球練習の1球目は思い切ってバックネットにぶつけてみろ。こうして少し落ち着いてきたら、昨年秋の公式戦で背番号をもらえなかった口惜しさを思い出せ。そして今こうしてマウンドに立っている自分を誉めてやりなさい。その口惜しさをピッチングにぶつけ、とにかく悔いが残らないような投球をこころがけよ。健闘を祈る。
 
こんなような内容だったと思います。家内の話では当日、朝早く家を出た息子はしっかりとこのメモをバッグに入れていったとのことです。そして焼津球場の第3試合、スタ−ティングメンバ−を聞いていた私達の耳には、間違いなく投手・秋山の名前が知らされたのです。
公式戦初出場で、しかもピッチャ−です。そして相手方はバス20台1000人の大応援団です。
本人のマウンドでの気持ちが痛いように解り、とにかく立ち上がりさえ何とかいってくれたらと、ただただ願うしかありませんでした。でもまだ本人には聞いてはいませんが、こちらの予想したより見かけは少し落ち着いているように見えました。ちょっと気を回しすぎたかもしれないと思いましたが、やはり実際にはなかなか大変な、本人しか解らないプレッシャ−があったのでしょう。
 
「案ずるより生むが易し」その後、曲がりなりにも5回を投げ切ったピッチングは、決して好投とは言えるものではありませんでしたが、2回戦以降たとえ出番がなくても、自分なりに高校野球を完結できるものになったような気がします。続きはまた後日触れさせて頂きます。


息子の成長

[2006年07月11日(火曜日)|No.1037]

 またまた親バカチャンリンの話です。ご勘弁下さい。
2日前の日曜日、息子の御殿場南高と沼津東高の野球部練習試合がありました。夏の大会前、最後の調整を図る練習試合でもあるわけです。前日の同窓会の後だけに、眠い目をこすりこすり出掛けたのですが、会場に着いた途端、そんなことは言っていられなくなりました。
 
何と、レギュラ−戦である第1試合の先発に、我が息子が投げているのです。これはここのところの何試合か、エ−スの不調が続いていた為、お鉢がまわってきたのです。
以前から東高の4番を打つ父親とは、OB同士でもあり、親しくしていることから、いつの日かその対戦があればいいと言い合っていたものの、こちらは控えの投手だっただけに、せめて準レギュラ−戦での対戦があればよいとぐらいしか、思っていませんでした。
 
それが何回かランナ−を得点圏に出し、ピンチに見舞われながら、結局は8回を投げきり、無失点に抑えたのです。要所要所でスライダ−が低めに決まっていたからだと思われますが、両投手ともに無四球で見応えのある試合でした。試合は0−0で引き分けたわけですが、息子のピッチングを喜んでいいのか、ここ一番の詰めを欠いた我が母校の貧打を嘆かなければいけないのか、胸中複雑な思いでもあったわけです。
 
思い返せば、昨年の夏以降、練習試合では何回か使われていたものの、ピリッとしたところが全然なく、秋の大会は結局は14人の2年生で唯一人、背番号をもらえず、ベンチ入りも叶いませんでした。その時の荒れようは母親が今でも口にするくらい、顕著なものだったようです。ずいぶんと口惜しかったのでしょう。その口惜しさを少しでもバネとして練習に打ち込んだのではないでしょうか。
春の大会では背番号11をいただき、そして曲がりながらここまでやっと来たのです。
 
第1試合が終わり、第2試合の準レギュラ−戦の最中、試合からはあがりとなった関係で、息子の外野を走る姿がありました。もう一人、連れの1年生の走る姿に比べ、ずいぶんとそれは気合いが入っているようにも見えました。要は意識の問題です。たとえ平凡なものでも、黙々と努力を積み重ねる姿に、天は味方するようにも思えました。16日からの本番、その集大成が本人なりに満足のいくものになってくれたらと、今はただそれだけを願っています。
 
13日から2日間、石川県金沢市で中小企業家同友会全国総会が開かれます。久しぶりに全国の刺激を頂いてこようと思っています。従って、会社を留守にする関係で業務整理が多忙なことから明日から3日間、カキコミを休ませて頂きます。ご了承下さい。


同窓会

[2006年07月10日(月曜日)|No.1036]

 3年か4年に1回、開かれる高校同窓会が土曜日、熱海で開催されました。
当日は70名ぐらいの同級生と先生が集まり、同会場で2次会まで設営され、4時間以上にも及ぶ長期戦でしたが、そんなことは微塵にも感ずることのないほど、あっという間に、楽しい時間が過ぎ去っていきました。
 
やはり同級生との集まりは和気藹々で楽しいものです。やれ弁護士とか医師、教師など、先生と名の付く、地元でも著名な偉い(?)方々であっても、ここに来れば所詮は同級生に変わりありません。何かあると、日頃からいろいろと面倒見てもらっているわけですが、そんなことは棚に上げ、俺、お前の仲で通せるから、余分な気遣いもなく何よりも良いところです。
 
自分達も団塊の世代の最後、人によってはそろそろ俗世からリタイヤできる年頃です。出席メンバ−の中には、悠々自適で暮らせる富を既に築き上げた人もいることでしょう。でも人間って結構、公平にできているもので、富があっても健康に恵まれなかったり、また私のように健康そのものの人間には、お金からずいぶんと縁遠かったりするものです。また早いもので、卒業後、もう40年近い歳月が流れすぎているにもかかわらず、タイムスリップして気持ちだけはあの頃に帰ることができます。
 
そんなこんなで、最後には結局、家にも戻らず予定外の、同級生の知人が持つ湯河原の別荘にまで泊まりこむことに相成りました。もちろん深夜まで語り明かしたことは言うまでもありません。
自分はその前の晩から、2日続けて午前様だった関係で、眠たい目をこすりこすり、友人の話に耳を傾けたわけですが、同級生それぞれのしっかりと地についた生き方を、感じただけでも意義のある一日だったと思います。


急がば回れ

[2006年07月07日(金曜日)|No.1035]

 磐田にあるお客様より、7月の末から8月上旬にかけての工事の引き合いを頂いたため、今日は午後より現地での打ち合わせと現場調査に出掛けました。
出発前少しでも仕事を前詰めしておきたい関係で、早朝より出社しましたが、全部は片づきません
また夜7時からは定例の中小企業家同友会支部役員会が市民文化センタ−で開かれます。
いくつかの議題も抱え、支部長でもある立場から、予め、もしかしたら間に合わないとは言ってあるものの、やはり何とか間に合うよう帰って来たい気持ちがあるものです。
 
そんな急ぎの慌ただしい時に限って、あわや事故という、予測もしていない危険が訪れるものです
急いでいるときはやはり余裕がないのでしょうか。東名高速でいつもならそんなことのない、追い越し車線への変更で、車が来ているのにもかかわらず、何気なしに変更しようとしてしまったのです。幸い迷惑を掛けた相手車輌の大きなクラクションで、咄嗟にハンドルを切り直したから難を逃れたものの、気づきが遅ければ一触即発の大事故です。
 
思わず背筋が寒くなりました。また事故を起こす時ってこんなものかな、と考えさせれるような何か不思議な空白があるものなのです。エヤ−ポケットのような、今までの張りつめていた神経がちょっと緩み、思考能力が一瞬止まった時のようなものに思えました。
何もなくて本当に助かりました。昔からよく言われているように「急がば回れ」ですね。
折しも今日は七夕の日、心の短冊に「社員共々、少しでも良い会社になりたい」と願っていた矢先のことだけに、胸を撫で下ろし、また1つ大きな教訓を自分自身に言い聞かせました。


中田選手引退

[2006年07月06日(木曜日)|No.1034]

 サッカーの日本代表、中田英寿選手が先日、自身のHPで引退宣言を発表しました。
まだまだ29歳、これからも日本の核となってやれる選手だけに惜しいというのが、巷での多くの声です。私もこの声に異論を唱えるつもりは毛頭ありませんが、もう中田選手の時代は終わったように思え、その功績を讃え、そっとしてやったらと思っています。
 
ブラジル戦の後、選手達が去ったピッチに一人残り、しばし感傷に浸るかのように仰向けに寝そべる姿は周知の通りです。自身の今までのサッカ−人生が走馬燈のように、頭の中を駆けめぐっていたのでしょう。伝えられるところによると、今回のワ−ルドカップを最後に引退を決めていたとのことです。それゆえに今大会の日本代表の中で、誰よりも一番に走り、死力を尽くしていたのではないでしょうか。中田選手自身もよく言っているとおり、マスコミから伝えられていることだけに、その真偽は定かではなく、ニュアンスも異なっているかもしれませんが、他の選手との不仲説や一人孤高の存在のように囁かれています。
 
確かに今大会の日本の3試合を眺めていると、全てこの中田選手が指摘してるように、世界で勝ち抜くレベルには達せず、走るという基本的な体力からして劣っているように思えました。
それが同等、もしくはそれ以上だったらオ−ストラリア戦の終盤の3点もなかったでしょうし、クロアチア戦も1点はあげていたのではないでしょうか。
 
そうした意味でも日本のサッカ−そのものを見直さなければいけないような気がします。また多くの指摘どおり、個々の技術レベルの問題ではないと思います。サッカ−の基本はボ−ルを出した後ただひたする走ることにあるそうです。日本選手はへばっていましたが、相手方はそうした基本に忠実に走り抜いていた、ブラジル戦を観てのとおりです。
ここで中田選手というエ−スを失うことは大きな痛手ですが、走り抜き、またそれに耐えられる日本サッカ−を目指すという意味では、オシム新監督同様、大きく切り替わるチャンスではないでしょうか。一人のエ−スより、全員が走り抜けるサッカ−が日本に求められているものです。
新しい旅をめざす、中田選手の今後の新たな展開に期待し、ご発展を祈りたいと思います。


北の脅威

[2006年07月05日(水曜日)|No.1033]

 今朝からこのニュ−ス一色となっています。北朝鮮からミサイル3発が発射された問題です。
さらに未確認ですが、もう1発、6時過ぎにも打ち込まれたとも聞きます。
いったい何を考えているのでしょうか。
 
このミサイルが、発射しないよう再三警告を発していたテポドンかどうか定かではありませんが、多くのこうした声を無視して発射されたことには違いありません。これは4年前に両国で取り交わした、弾道ミサイル発射を凍結するという日朝平壌宣言を明らかに無視した違反行為です。
 
つい先日行われた韓国人拉致被害者・金英男さんの家族対面といい、今回のミサイル発射にしても、北朝鮮のいろいろと策を弄してもいまいち自分達の思うようにいかない、行き詰まりというか、焦りのようなものを感じます。それはまるで、幼き子が一生懸命自分の方を振り向いてもらいたいがために、イタヅラを繰り返しているようにも見えます。ここまでいろいろな意味で北朝鮮は追い込まれているのでしょうか。
 
かつて悪の枢軸と、アメリカから呼ばれたその名のとおり、世界中から孤立する道を自ら選んでいくのでしょうか。その選択如何によっては金正日政権の崩壊も遠い話ではないように思えます。
併せて、今回のミサイル騒ぎにより、憲法改正等、目には目をといった必要以上の国防論議が高まり、世界に誇る日本独自の平和路線の道が閉ざされないことを、ただただ願っています。


中村文昭さん講演その1

[2006年07月04日(火曜日)|No.1032]

 以前、先輩経営者から中村文昭さんの本は頂いていました。講演内容を講述したものだっただけに薄べったい本でしたが、中身はとても濃い、分厚く心に残るものでした。それだけに是非行きたいと心待ちにしていた講演でもありました。
 
こうして初めてお聴きした講演でしたが、ご本人が言われている(また追って紹介しますが)予測を大きく上回る、とても素晴らしいものでした。一度聴くと自分だけ聴いていては”もったいない”、次世代を担う若者達にも是非聴かせてあげたい、そう思わずにはいられない内容です。
 
ご本人の紹介はインタ−ネットでもすぐ検索できるだけに、ここでは省略させていただきますが、現在レストランと共に手掛けているブライダル事業では、挙式するカップルに「無駄な金を掛けた、普通の結婚式を挙げたければ余所へ行け、やるんだったら二人の為に忙しい中、来ていただいたお客様の心を揺さぶれ」と、心に残り、しかも披露宴が終わった後、二人のファンになってくれる、感動的な挙式の演出をされています。従って離婚率が30%を超えるのが世の常となっている現在、ここでの挙式カップルは既に数百組となっている中、何と1%未満だと言われています。
 
とにかく内容が濃いものだけに何回かに分けて紹介したいと思っていますが、初回は中村さんが学んだ4つの行動哲学のみ、お知らせしておきます。
 
(1) 返事を早くする
(2) 頼まれ事は試され事
(3) できない理由を口に出すな
(4) そのうちとは言うな
 
詳細はまた後日触れたいと思いますが、とにかく37歳と、若い方ですが凄い人です。何もできない私など、この人のファンになって、少しでも多くの方々にその熱い思いを伝えるのが使命でもあるように思えてきました。講演のタイトルでもあった「出会いを活かせば道は開ける」との通り、微力ながら、私も行動に必ず繋げていくことを約束致します。


不撓不屈

[2006年07月03日(月曜日)|No.1031]

 週末の土曜日、ひさしぶりに家内と映画に出掛けました。「不撓不屈」です。
この映画は現在、お世話になっている税理士事務所の関係ネットワ−クでもある、TKC(栃木会計センタ−)を興した創業者の物語です。事務所からの強い薦めもあり、鑑賞券を頂いたことから観に出掛けたのですが、今忘れかけている大切なものを教えてくれる意味でも、とても良い映画だったと思います。
 
主人公・飯塚税理士が7年もの長い間、国税庁と戦った実話に基づいたものであるゆえに、描かれている権力からの凄まじいほどの圧力といじめは印象的で、それにも負けず、自分の意志を貫き通した生き方は、心揺さぶられるものでした。まさにそれは題名にもある「不撓不屈」そのものです。
 
飯塚さんが扱う顧客の多くは、脆弱な経営基盤しか持たない中小企業の経営者たちです。その人達の為に少しでも円滑な経営を促すため「別段賞与」という節税制度を奨めます。違法ではないと確固たる信念を持って進めるその制度を、国税局は認めず、脱税扱いばかりか、様々な顧客まで巻き込んだ嫌がらせを繰り返し、終いには顧客の切り崩しや社員の逮捕にまで及びます。
 
こうしたものにも怯(ひる)まず、敢然と向かっていく主人公の姿には、現在忘れ去られているものを強く感じますが、それ以上に彼を支え、大きな信頼を寄せる、妻や子ども達による家族の絆が何よりも素晴らしく描かれています。また慎ましく何もないが、そこに希望や正義、情緒があった日本の家庭などの時代背景も美しく付加されていました。まさに今、私達がこの豊かさと引き替えに失ったものを教えられているようにも感じます。またお金はなくても、子ども達の成長や家族の愛には換えられないと、ちょっぴり勇気づけられ、慰められ安心したところもありました。
爽やかな良い映画だったと思います。