--------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月28日(土) NO.238 1年間の感謝を込めて     いよいよ本日が今年最後の営業日となりました。   会社としてはそうなのですが、私達はまだ29日、31日と出張工事を残しています。   とても有り難いことです。少しでもその差別化を願い、ニッチの部分で小回りを利かせたお役立ち   をと、弊社経営理念にも掲げている通りの展開です。   工事以外にも設計応援他、お客様からの引き合いを頂いています為、年末ぎりぎりまで忙しく会社   から離れられないものと思います。お客様の温かいご配慮に本当に感謝しています。   先を見通すことができない今の時代、忙しいことはとても有り難いことです。   忙しいと言って愚痴をこぼしていたら、罰が当たり、その忙しさもどこかへ逃げてしまいます。   そんな、勿体ないことはできるはずがありません。   上記に掲げた兼ね合いもあり、昨日は全員で社内の大掃除をしました。トイレの係はもちろん私の   役目です。日頃始業前に毎日社員が掃除をしてくれているのですが、やはりこうして改めて大掃除   となると大変です。1年間のつもり積もった塵を全て取り除き、すっかり綺麗になりました。   社員の皆さんが日頃の感謝の気持ちを込めて、作業して頂いた結果だと思います。   とにかくお客様に感謝! 社員の皆さんに感謝! そして仕事のあることにも感謝!   鮎という好きな詩を紹介します。          流れの中に生きている     流されないで生きている   今年も1年間、本当にお世話になりまして有り難うございました。  皆様、良いお年を! --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月27日(金) NO.237 今年もあと5日     出張時、ラジオから聞いたことをちょっとお話しします。   よく”あげまん”という言葉を耳にしますが、この言葉は、俗に言われている卑猥な意味ではなく、   あげまんのまんとは、間と書くそうです。   この間という漢字を辞書で調べると、ころあい、物事の運びぐあい、なりゆきなどの意味を持ちます   ですから物事の運びぐあいを上げ潮にさせる、つまり物事を順調に運ぶ意味を持つものと考え、    そうした意味合いを含む対象の全般に使われたのではないかと思います。   それが今では男の運気を上げるものとして、女の人だけがその対象物とされています。   これもやはり言葉の響きがもたらしたものでしょうか。   来年は羊年、何でもよいですから、大きな上昇運を掴みたいものです。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月26日(木) NO.236 NPO主催野球教室から     これも少し時間が経ってしまった話ですが、今月の7日、私の高校時代の野球部監督でもあり   恩師でもある勝又公雄先生が主催する、中学生野球教室が県営愛鷹球場で開かれました。   正式には勝又先生が理事長を務める、NPOながいずみまちづくり21が主催し、町づくりは人づく   りからという趣旨で、沼駿地区の中学生を対象とした野球教室が行われたものです。   私達中学は先日もご紹介した、PTA家本氏講演会とたまたま重なっていることから、部活担当の   先生が配慮して下さり、早々に不参加を連絡してくれていたのですが、私のところへなぜ不参加な   のか、勝又先生から問い合わせがありました。野球教室があることも知らなかった私は、その電話   で事の経緯を理解し、この講演生徒参加を強くお願いしていた、私の立場を尊重して下さった担当   顧問の配慮に感謝すると同時に、野球教室に参加できない部員達のことも気の毒に思い、何か   良い方法がないか相談してみました。その結果、午後からの参加でもいいよということになり、   講演が終わり次第、この球場に駆けつけた訳です。   沼津市・長泉町・清水町から16の中学校野球部員300人以上が参加しました。指導者としては   明治大学野球部コ-チでもあり、明治大学・埼玉大学講師を務める川口啓太氏が主にあたり、   明治大学野球部員24名がその実践指導の補助に就いてくれました。   さすがに現役の大学野球部員の模範実技は素晴らしいものがあります。生憎の雨交じりの天候   ではありましたが、中学生も1つ1つの指導に熱心に耳を傾け、真剣にその一挙手一投足に目を   凝らしていました。   こうした野球教室に参加してみると、改めて基本の大切さを教えられます。なかなかその指導者が   限られていることから、全体的に底辺拡大の意味においても、その必要性が問われています。   いつの日か、我が母校も甲子園で校歌をと、抱き続けている大きな夢を持つものですが、こうした   野球教室のような地道な活動から、レベルの底上げを図り、少しでも優秀な選手の発掘や母校入   学へのアシストに繋がるものと考えます。また一部高校でやっているような、露骨な選手の青田買   いが出来ない以上、やはりこうした地道な活動の積み重ねをやっていくしかありません。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月25日(水) NO.235 間抜けな泥棒     世の中にはずいぶん間抜けな泥棒がいるものですね。   もうちょっと古くなってしまいましたが、東京のとある稲荷神社で「男が大声で騒いでいる」との通報   があり、署員が駆けつけてみました。するとそこには、賽銭箱に手を突っ込んだまま抜けなくなって   いる男がおり、事情を問い質すと「金を取ろうとして手が抜けなくなった」とのことです。   嘘のような本当の話があるものです。きっともがいているうち、手が炎症を起こし、どんどん膨らん   でしまったのですね。これこそ神の祟りで天罰が下ったのでしょう。   悪いことはできないものです。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月24日(火) NO.234 大学の下宿紹介から     先週の土曜日は営業日だったのですが、私は一日休ませて頂き、大阪に娘の下宿探しに出掛   けました。ちょっと早いような話ですが、運良く推薦入学を10月に決めたこともあり、学校側が   斡旋する下宿紹介がこの21,22日に開催されたからです。   当日は生憎と一日中、冷たい雨が降りしきる寒い日でしたが、この下宿紹介という初めての体験を   させて頂きました。かつて自分の学生時代には、こうした手取り足取りのような学校側の世話など   もちろんありませんでした。何だかんだと言っても、やはり良き時代なのですね。   10時から15時までということでしたが、一通りの説明を聞いた後、学校近辺(周辺は田舎の様な   感じですが、学生専用に1ル-ムマンションを営む所が多い)や駅周辺(学校からはちょっと離れ   るが比較的賑やかな所)などに、それぞれ分かれて個別に見学し、交渉に当たるのです。   私達は子供が女の子でもあることから、学校近辺を選択し、その中でも比較的アットホ-ム的な   場所に決めました。いろいろな数多くマンションがあったのですが、訪れたたった2軒目の所に   早々に決めたのは下記の理由からです。   ①この下宿紹介を手伝っていた、ここに住む女子学生がとても感じが良く、管理人や建物を褒め     ていた。(入室決定後、もう既にこの先輩達とは友達関係になれるほど親しくなった)    ②喫煙者は絶対お断りとのことで、どの部屋も壁などがきれいだった。    ③身内を除き男性などの入室を固く禁じていた。   ④ほとんどの所が、部屋への出入りが外階段等で単独に行えるものであったと思うが、ここは     一見、寮形式で玄関を入って、スリッパに履き替え各室へ出入りする形状であった。    ⑤商売上手とは言えなくないが、卒業し退室する学生からのお下がりもあることから、これから運     び込む電気製品や必要品の購入はぎりぎりまで待つようになど、管理人がとてもアットホ-ムで     親切で好感を持てた。    ⑥共同玄関の関係で、そこに置かれていた、各入居者の相互連絡に使用する連絡帳の内容が     とても良かった。    ⑦契約価格も比較的安かった。    ⑧一度そこを訪れ、他を見てきた人が戻ってきて早々に契約していた。    ⑨雨が降りしきる中、あちこち廻るのはちょっとしんどかった。   ⑩何よりも本人がそこを気に入った。(個人によっては、こうした所がかえって煩わしく思う人も     いるから、親の立場だけで強制できない)   このように短時間だったかもしれませんが、決定できた要因はそれなりにあったものと思われます   こうして夜中の3時過ぎに車を飛ばし、往復800Kmの道のりを駆け抜けた、日帰りの旅でしたが   何とか本人はじめそれぞれが、納得し満足のいく成果が出て良かったと思っています。   今日は早くもクリスマス イブ。いつの間にか親の元を離れ、飛び立とうとしている娘の成長を祝い   ”Merry Christmas!” --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月20日(金) NO.233 松井のヤンキ-ス入り     松井の大リ-グ入りがやっと決まりました。当初から噂されていた、あのニュ-ヨ-ク・ヤンキ-   スです。このチ-ムは日本の巨人同様、アメリカでも実力、伝統、人気ともNO.1のチ-ムです。   そういったことから注目度の点でも、松井に頑張ってもらい、もっと日本のプロ野球の力を正当に   評価してもらう意味で、非常に興味深く、良い選択ではなかったかと思います。   3年契約で約25億4100万円と言われている契約ですが、4年目のオプションを断り、契約終了   後に再びFA権を獲得する条件を敢えて選択したそうです。   これは最初から実力発揮できれば良いのですが、不幸にして1年目にあまり満足のいく結果を残   さないと、2年目からトレ-ドに出されるというリスクも背負っています。   これを敢えて選択したのですから、松井には自分に厳しく、単年勝負として、1年目にかける決意   や自信は並々ならぬものがあるものと思います。   一部新聞でスク-プされた陰の事実として、松井がこのヤンキ-スとの契約がなかなか決まらな   かった事情が伝えられました。このヤンキ-スと業務提携のある読売・巨人首脳が、3年契約の後   は日本の球団としか契約ができないという条件を突きつけていたというのです。   もしこれが本当だとすると、巨人もずいぶん往生際が悪いものです。また松井は当初からヤンキ-   ス以外には一切関心を示さず、ヤンキ-ス一筋であこがれていたそうで、唯一この条件が引っか   かっていたのではないかということです。   この日本を代表する選手の晴れある大リ-グ入りですから、目先の小さな欲得は捨て、気持ちよく   送り出してやれば、いつの日か必ず恩返しもあったはずです。残念な気がします。   目先の小さな利益を追いかけていると、このように大局的に見ることができず、思わぬ大きな魚を   逃すことがあるものです。こんなことは抜きにしても、とにかくピンストライプの松井に大いに頑張っ   てもらいたいものです。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月19日(木) NO.232 力を合わせることの素晴らしさ     暮れも押し迫り、何となく気ぜわしく、毎日出掛けることが多くなっているこの頃です。   今日、出張先の道路で見掛けたのですが、”無事故で年末を、安心して新年を”の垂れ幕が掲げ   られていました。なるほどその通りです。残り10日間ほど、無事過ごしたいものです。   先日、テレビで30人31脚の番組をやっていました。   これは全国の小学生の子供達がそれぞれ対抗で、30人が一緒になって50mを走り、ゴ-ルする   というものです。近年、だんだんマスコミがエスカレ-トしてきているのが、気になりますが、出場し   ている子供達は純粋そのもので、見ていていつも感動させられます。   この中に、一人では50mを10秒以内で走れないのに、全員で走ると9秒24という好タイムを   出すチ-ムがありました。負けた後、先生が「あなた達は日本一のクラス」と誉め讃えていましたが   本当に全員が力を合わせることの素晴らしさを教えられました。   努力は無限、夢実現など、それぞれがTシャツなどにプリントし、お揃いのユニフォ-ムに身を包ん   でお互い志気を高めています。   何でも良いから、こうした全員で力を合わせてやるものを、私達ももっともっと見つけてやりたい   ものです。このような子供達は、きっと人の道を外れるようなことをしないはずです。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月18日(水) NO.231 日本人のブランド志向     ある雑誌に日本人のブランド好きという記事が載っていました。   東京、青山にある海外ブランドメ-カ-のオ-プンには、長蛇の列ができ、2日徹夜した人もいる   そうです。そしてこのブランド志向について、以下のように述べていました。   今どき、値上げをしても売れるのは高級ブランド品ぐらいだ。でも物を見極める目としてはどうだろ   う。じつは鑑識眼があるから選ぶのではなく、ものを選ぶ目に自信がないからである。   つまり、品質が良いから買われているのではなく、皆と同じブランドモノを身につけていれば安心だ   という日本人特有の横並び意識の表れだ。日本人の本物志向は所詮成金趣味で、中身じゃなく   ラベル志向。ラベルの名が通っていれば中身はどうだっていいのだ。   かなり厳しいご意見ですが、返す言葉がないほど的を獲ているのではないでしょうか。   お金があるなら国産の高級品を買いなさいと、筆者は最後に締めています。   このように外国産のブランドモノばかり買っているから、日本経済はいつまで経っても低迷し、景気   が良くならないのではないでしょうか。もっと日本の良いモノも見つめ直そうではありませんか。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月17日(火) NO.230 親子親睦球技大会から     2日前の日曜日、中学PTA主催で親子親睦球技大会を行いました。   幸い、お天気にも恵まれ、生徒・先生・保護者合わせて120人ぐらいの人達が参加して頂きました   一部男性を含み、女性は主にバレ-ボ-ル、そして男性はソフトボ-ルと、朝からお昼過ぎまでの   間、スポ-ツを通し、楽しい一時を過ごすことができました。   元々私自身がこうした球技が好きなことから計画したもので、こういったものを通してでも、日頃の   煩わしさから少しでも離れ、のどかに一日、先生も交えて和気あいあいと楽しむことができないか   とがその狙いです。こうして今回行事としては初めての試みでありましたが、当初の参加数をだい   ぶ上回り、また不慮のケガもなく、目的を達成したものと思われます。   受験を控えた3年生も数多く参加してくれました。彼らもただ机に向かうだけでなく、良い気分転換   になったのではないでしょうか。   先生も忙しい中、15人もの多くの方が参加して頂きました。有り難いものです。   今、子供達に生きる力を育もうと、学校・保護者・地域の連携が不可欠と言われている、総合学習   の観点からも、こうした試みが何らかの潤滑剤の役割を果たすものと考えます。   またこうした新しい試みにも、大勢の方々が目を背けることなく、いつも率先して協力して頂ける、   地域性というか、人々の協力姿勢には改めていつも感謝させられ、やって良かったとの気持ちを   抱くことができます。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月16日(月) NO.229 ちょっと良い話 part 2     新聞の夕刊コラム「窓辺」から。   タクシ-の運転手で、全国一の売上げ成績で表彰された人のお話です。   元々は植木職人だったこの人が、訳あって大阪に移り住み、タクシ-の運転手を始めました。   最初は道も分からないことから、お客様を拾うことが怖く、追い越し車線ばかり走っていましたが   とうとうお客様を乗せることになりました。大阪でも有名なホテルまで行ってくれ、ということでしたが   「分からない」と答えると、「じゃあ、おれの言う通りに走れ」。最初は不機嫌だったが、事情を説明   するうち「そうかおれは初めてのお客か」と穏やかに言ったそうです。   ホテルに着くと、今度は「ちょっとここで待ってなさい」と言って降りていったので、失礼があり叱られ   るのかと、恐る恐る待っていたら、別の人を連れて戻ってきました。   「実は私はこのホテルの料理長である。今日は初物で縁起が良かった。これはおれからの祝儀だ    」と叱られるどころか、逆に自分の新しいスタ-トにお祝いをくれたのである。   さらに続けて「それからお客さんを連れてきた。大阪駅までお送りしてくれ。地図も描いたのでこの   通りに走れば大丈夫だ。いいか頑張るんだぞ」そう言って送り出してくれたそうである。   「私はそれが嬉しくて、もうがむしゃらに仕事をしました。お陰でこのように表彰されたのです」   出会いの素晴らしさですね。このような素敵な出会いを多く望みたいところです。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月13日(金) NO.228 経済界の重鎮     伊藤忠(株)社長の丹羽宇一郎さんがとても良いですね。   先日もテレビで、産業再生機構担当という、ちょっと訳の分からない部署の大臣である谷垣禎一   さんと対談をされていましたが、何よりも言葉が意味不明でなく、はっきり仰るところが好感を持て   ます。さすがに、ちょっと傾き掛かっていた伊藤忠を社内改革し、見事に再生した当事者であるだ   けのことがあります。   小泉総理大臣に対しても、その指摘が明確で鋭いところを見せていました。   「最初はとても期待していました。でも言うばかりで結果が少しも伴っていません。私達、経済界で   このように一年もやっていて、少しも結果に反映されていなければ更迭されること、間違いありま   せん。仰るだけの結果を強く望みたいものです。」聞いていて思わず拍手を送りたくなりました。   それから、経済に対してもとても考え方が柔軟で、以下のような提案をされていました。   「新規株式取得をすれば、相続税を無税にせよ。そうすれば資産デフレの解消にも繋がり、タンス   等に眠っている資金も掘り起こされ、もう少し現在の市場は活性化される。」   なるほどと思いました。政治家にはない発想です。日本もそろそろ、こうしたホンモノの実力者の   出番で、自分達の私利私欲だけを考えた、ありきたりの政治家にはとても任せておけないという   時代認識が求められているものです。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月12日(木) NO.227 家本氏の講演から     ちょっと遅くなってしまいましたが、先日お呼びした家本賢太郎社長の講演会の報告です。   事前に地元の沼津朝日新聞に、私が投稿したこともいくらかは手伝い、当日は200人以上の   生徒・保護者が集まってくれました。   学校の体育館は少し寒かったのですが、1時間半にも及ぶ講師の熱心な生徒達への語り掛けの   お陰で、心はその寒い体と異なり、かなり熱くなったのではないでしょうか。   何よりも印象的だったのは、「自分も皆さんと同じように、まだこれから50年は生きることができ   る。その残されている時間を無駄にしないで下さい。今すぐ自分の人生において夢や、やりたいこ   とが見つからなくても、そのうちに必ず見つかるでしょう。その時、夢の到達点から逆算してくると   いつまでにはこれをやって、そしてこの時までにはせめてこの事を処理すると言った、夢に近づく   為の通過点となる目標が生まれてきます。その為にもそんなに無駄に先送りすることはできない   のです」と話されていたことです。   繰り返される毎日を無駄にすることなく、その日、一日一日を大切にしなければいけないということ   を力説されていました。これも奇跡とも言える障害からの復活体験で、私達が味わうことのできな   い、一日を迎えることのできる有り難さを実感しているからでしょう。   送迎の際、お聞きしたのですが、来年の4月から中高一貫教育として、新たにスタ-トする沼津市   立中学の開校式で、その記念講演の講師として、この家本氏が招かれているとのことです。   その意味でも、先駆けて行った私達の講演は、それなりに意義があったのではないでしょうか。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月11日(水) NO.226 朝の来ない夜はない     人間の幸福とは何でしょうか。   いくら金があったって、いくら物があったって、いくら地位があったって、ちっとも感謝できない人は   幸福になることはできない。逆に物質的にいくら不自由をしても、ありがとうという感謝の気持ちが   あれば、けっこう幸福になるものなんです。   昨日触れた境野先生も、本の中でこう言われていました。   何か嫌なことがあった時、私は人とは違い、早く寝てその嫌なことを忘れたいと思います。   そしてまた次の朝が来れば、きっと他によいことがあるだろうと期待します。   昨日よりも今日、そして今日よりも明日と、前向きに生きたいと願っています。   またこうした何か、ちょっとでももやもやがある時、素晴らしい朝がやってきて、トイレの掃除をする   と、ある意味では前向きな切替ができるものです。   このように全ては自分自身の中にあるような気がします。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月10日(火) NO.225 「日本のこころの教育」の本より、その1     昨日の出張で、その電車での行き帰りに、ある1冊の本を読みました。   境野勝悟先生が書かれた「日本のこころの教育」という本です。この本を読んでひさしぶりに心が   熱くなりました。詳細はいっぺんには無理ですので、これから少しづつ何回かに分けてご紹介させ   て頂きたいと思います。   まず今回は特に感動した、「5分間の面会の為に駆けつけた小林多喜二の母親」の部分です。   昭和初期の不幸な時代に「蟹工船」という小説を書いたことがきっかけで、憲兵に逮捕され、刑務   所に入れられてしまった小説家、小林多喜二氏の母親の話です。   刑務所でも少しは同情の涙があったらしく、北海道の小樽で、一人で多喜二の帰りを待っている母   親の元へ、「3日後に5分間だけ面会を許す。5分でよかったら東京の築地署まで出頭しなさい」   との一通の手紙が届きます。「1秒でも2秒でもいいから、生きているうちに息子に会いたい」と言   って、貧乏のどん底だったにもかかわらず、近所から往復の汽車賃のみを借り、母親はすぐ出掛   けて行きます。途中、今のように便利な時代でないことから、雪が降るとすぐ列車は立ち往生して   しまいます。それでも駅員に尋ね、次の駅に行けば列車があることを確認できると、母親は雪の   線路を次の駅まで5kmも6kmも歩き、汽車を乗り継いで東京に向かいます。   こうしてやっとの思いで面会の時間に間に合い、刑務所に着いた母親の姿があまりにも寒そうな   ので、憲兵が近くに火鉢を持っていきました。すると母親は「ああ、有り難いけど、多喜二は火に   あたってないんだから、私もいいです」と答えます。また何も食べていない様子を見かねて、残り物   のうどんを温めて差し出すと「いや、多喜二は食べていないからいいです」と言い、断ります。   そして多喜二に会えた面会でも、母親の顔も見ることが出来ず詫びる息子の姿が確認できると   「たきじ-っ」と泣き声で叫んだきり、何も話さずお互いしっかりと手を取り合います。   5分という時間が過ぎるのを見かねた憲兵が「お母さん、しっかりして下さい。あと2分ですよ。何か   言って下さい」という声にハッと気がついた 母親は残りの2分間、繰り返し繰り返し、こう言ったそう   です。「多喜二ッ。おまえの書いたものは1つも間違っておらんぞ-ッ。お母ちゃんはね、おまえを   信じとるよ-ッ」と言い続け、雪の小樽へひとり帰って行きました。   実は多喜二の母親は漢字が1つも読めず、片仮名がほんの少ししか書けないとのことで、当然   その書いた難しい小説は1行も読んでいません。にもかかわらず、自分の息子が間違っていない   そしていつまでもお前を信じていると、声を張り上げ言い続けたというお話です。   「親想う、子に優る親心」と以前にも書きましたが、母親の愛が、海よりも深く、空よりも高く、何より   も大きく感じられる素敵な場面です。また他にもいろいろと心を動かされましたが、別の機会を見   つけてお話ししたいと思います。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月 9日(月) NO.224 都会は雪には弱い     今日は打合わせ出張で船橋まで行って来たのですが、雪景色の裏にひそむ都会のもろさを垣   間見ました。この師走の積雪としては11年ぶりのことらしいのですが、例年より1ヶ月ぐらい早い   初雪が、予想外の大雪をもたらしました。   この為、交通機関はダイヤが乱れ、私が乗った電車も、駅からなかなか出発しなかったり、途中で   停車したまま、しばらく動かなかったりで、時間が全然当てにならない状態でした。   またこの通勤や通学客がまともにその影響を受けたことから、駅や電車の中のあちこちでは携帯   音が鳴り響いている、ある意味では異様とも思える光景が繰り広げられていました。   私もお客様の所へ10時という約束で、3、40分余裕を持って出掛けたはずでしたが、最寄りの駅   である南船橋駅に着いたのが、丁度その約束の時間だったほどです。駅からタクシ-を飛ばそう   にも、車が寄りつかない関係で、あきらめて2kmぐらいの雪道を歩いて向かいました。足下は   みぞれのような雪でしたので、グシャグシャで滑りやすくなっており、あまり車道に近づくとハネを   上げられてしまいます。また運悪く、お客様の所の電話番号を控えていなかったことから、駅から   電話も掛けることができません。気持ちばかりがあせり、足下はおぼつかない状態で、何とも泣き   たくなるような話でしたが、これも自分の不用意ですから致し方ありません。   いくら、このように自然が招いたことと言っても、やはり目的地の電話番号ぐらいはしっかり控えて   会社を出るべきです。幸いにお客様の方も、遅れて来られてきたから良かったものの、このような   ことはビジネスの常識として、しっかり兼ね備えておかなければいけません。   思いがけない師走の雪から学んだ1つの教訓でありました。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月 6日(金) NO.223 やる気     やる気ということについて、ちょっと考えて見ました。   今シ-ズン、ジャイアンツが最初から最後まで快進撃を続けましたが、過日もこの欄(8/30)で   触れさせて頂いた通り、原監督の采配と功績が大きかったものと思います。   それも選手が桑田を始めとして、その気になり、やる気を持った成果の現れではないでしょうか。   ジャイアンツ生え抜きの選手が”やればできる”また”頑張れば必ず認めてもらえる”という意識が   芽生えたことにより、新たな新陳代謝をもたらしたものと考えます。やはりこうした意識改革が何よ   りも大きいことを知らされました。   ところがどうでしょう。折角芽生えたそういった意識に逆行するのが、ペタジ-ニを始めとした大物   選手の獲得です。今シ-ズン自信を深めた選手の中に、「それはないでしょう」と思っている選手   が何人もいるものではないでしょうか。またプロの世界ですから、この実力勝負には違いありませ   んが、決してそれだけではなく、その気にさせるとかやる気といった要素が、小さくはないものと考   えます。   私達企業でも全く同じことが言えます。ある日突然、見ず知らずの人間が破格の待遇で、生え抜き   の社員の頭越しに、その役に就いたとしたらどうでしょうか。   一時期でもきっとやる気が失われるものと思います。だからと言って、温々とした、もたれ合いの   環境が良いわけではありませんが、この社員のやる気といった要素が会社において、かなり大き   なウェイトを占めるのではないでしょうか。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月 5日(木) NO.222 人生という木の根を生やす     私がトイレ掃除をやり始めるきっかけとなった、研修で出掛けたタニサケ塾を開いている、(株)   タニサケの松岡会長が社内報(毎月発行の定期購読しているもの)でこんなことを書いています。   平成4年から始めた、朝6時半からのトイレ掃除は、この12月で丸10年になります。   ...(中略)...この掃除は生涯の師である、イエロ-ハットの創業者の鍵山秀三郎さんより教え   られたもので、私の人生の最大の武器として大切にしています。この鍵山さんから凡事徹底という   言葉も教えられました。凡事徹底とは「平凡なことを徹底的にやり続けること」です。   結果として平凡が非凡になっていくのです。   「花の咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばす。そしてやがて大きな花を咲かせる」という名言   があります。そうしてみると、凡事とは「大きな根を作ろうとしているのだという思いで行うこと」では   ないでしょうか。人生という大きな木の根っこづくりです。しかも、大きな花が咲くという打算を持た   ないで、ただひたすらに見えないところに根を張ることだと思います。   凡事徹底の中でもトイレ掃除はとてもよくて、心を磨き、謙虚な人、気付く人になれると言われて   います。   継続は力なり、さすがにやり続けている人は違うなというのが実感です。その言葉から年輪の重み   のようなものを感じます。とにかく他人は欺けても、自分自身は誤魔化せないものです。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月 4日(水) NO.221 初冬の信州路     お客様から引き合いがあり、昨日はひさしぶりに信州の上田まで、車で出張して参りました。   こちらからですと、富士宮から精進湖を通り、山梨に出て国道141号線を北上するコ-スが一般   的です。その観光コ-スでも知られていることからも、片道5時間、200kmのちょっとした小旅行   とも言えます。   山梨に出ると中央道から右手に八ヶ岳、そして左手には北岳などの南アルプスが綺麗に望めます   この中央道を須玉ICで降り、しばらく141号を走ると清里です。今はもう初冬、閑散としているその   周囲からは、あの夏の賑わいは少しも感ずることができません。   そしてしばらく走ると高原野菜で有名な野辺山です。ここは海抜1000mを越す小海線の高原の   駅としても知られた所です。あたりは本当にひんやりとして、もう冬の準備がすっかり整っていまし   た。紅葉の見頃を過ぎてから3週間ぐらい経つのでしょうか、その気配をうっすらと残した山々を眺   めながら、更に進むと佐久に出ます。友人から、地元のうまい酒”治助”と同じ名前の蕎麦屋さん   が美味いよと聞いたことを思い出します。上田はこの佐久で突き当たる18号線を左折し、更に上   へと進みます。佐久から18号に出てしばらくすると、高峰温泉左折の看板が目に止まります。   是非一度行きたいとあこがれている所の1つで、標高2000mに唯一存在する宿は、ほのかな   ランプを使用した、味わいのあるもので俗世をすっかり忘れさせてくれると言います。   こうした、ほのかな淡い想いを抱きながら進むと、もう小諸です。いかにも信州らしくてこの小諸と   いう名の響きが良いですね。確か以前、ここにある懐古園に来た時に、どういうわけか、その中に   あったフ-テンの寅さん記念館が懐かしく想い出されます。   そして信州の小京都とも呼ばれている別所温泉はもうすぐ先です。   またここまで来ると、戦地に散っていった芸大学生達の無念の想いが偲ばれる、その遺作集が飾   られた無言館で涙した記憶も蘇ります。   このような様々な想いを馳せながらの、目的地上田への往復でしたが、仕事と言えども何となく   旅情をそそられます。これもやはり信州という一種独特の響きから来るものでしょうか。   もちろん上田ではおいしい蕎麦屋さんに入りましたし、おみやげに美味い地酒を携えてきたことは   言うまでもありません。 --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月 3日(火) NO.220 座礁船     日本の各地に放置されている外国の座礁船が増えていると言います。   先月末に火災を起こした伊豆大島の座礁船もその1つですが、このケ-ス同様、全国で漁業被害   が拡がり深刻な問題にもなっているとのことです。   また現在放置されている数は11隻にも及ぶと言われ、そのほとんどが保険にも未加入で、その撤   去責任のある船主に連絡しても知らぬ存ぜぬで、地元自治体が撤去費用を公費負担している   ケ-スが多いと言われています。   踏んだり蹴ったりの話で、何とも厚かましく腹立たしいものです。そのほとんどは北朝鮮・韓国・ロシ   アの船舶とのことです。何とかしないとそのうち、姥捨て山ならぬ、日本は世界の船捨て場になる   かもしれません。こうした環境破壊は絶対許されるものではなく、漁業を営む人にとっては死活問   題です。もう少し日本政府の、毅然とした態度が必要とも思われます。   もっとも政府そのものも、金融・経済政策が一向に進まず、暗礁に乗り上げている状態ですが... --------------------------------------------------------------------------------  ◆2002年12月 2日(月) NO.219 魚の骨抜き     テレビで言っていましたが、最近のス-パ-では骨をすっかり抜いた魚を販売しているそうです   ね。時代がいよいよここまで来たか、という感がしないわけでもないのですが、確かにこの多様化   の時代ですから、あっても不思議ではない話です。   忙しく、煩わしくて手間暇を掛けたくない現代人のことですから、当然そのニ-ズはあるものと思い   ます。でもちょっと考えてしまうのが、この骨抜きの作業を行っているのが、我が国の人間ではなく   安い労働力の中国人等の力を借りているといった点です。   このアジアの人達に骨を抜かせ、彼らの口に入るのではなく、我々日本人の口に入れてもらうとい   うのが、どうも気になるところです。それと私達が小さい頃、親から教わったように魚などの骨を取   りながら食べ、この箸の使い方がうまくなるものです。   これで良いのでしょうか、ニッポン!こうした事に甘んじていると、そのうちに文字通り、彼らから   骨抜きにされ、すっかりその立場が逆転するのではないでしょうか。