株式会社 アイソー




2010年02月の日記

永遠のライバル

[2010年02月26日(金曜日)|No.1776]

我らの真央ちゃんはあと一歩及ばず、残念ながら韓国のキムヨナ選手に敗れてしまいました。苦手なショ−トプログラム(SP)を自己最高の演技で乗り切った彼女は、その勢いのまま、この日のフリ−の演技に臨んだわけですが、如何せんキムヨナ選手が強すぎました。
 
2日前のSPでも両選手の素晴らしい演技は私たちを釘付けにしました。まさに日本と韓国の国民をほとんど虜にしたのではないでしょうか。共に自己最高とも言える出来栄えで、真央チャンはトリプルアクセル(3回転半)のジャンプをSPでは史上初めて成功し、一方のキムヨナ選手も3回転−3回転のコンビネ−ションジャンプを高く速く切れの良い演技で文句なしでした。
 
このときにも感じたのですが、真央ちゃんの完璧な演技の直ぐ後で、キムヨナ選手はプレッシャ−を感じ、かなりやりにくいものと思っていました。ところが彼女の演技が始まると、全くそんなこともお構いなく、自分の持っている技術を全てそのまま出していました。それができるのが彼女の強さです。
 
そして5点近くリ−ドしたというものの、フリ−ではどちらかというと真央ちゃんの方が得意としていたことから、セ−フティ−リ−ドではなかったわけです。また終わってみないことには何が起こるか判らないのがフィギュアの怖いところです。
 
でも結果は完璧なまでに自分の持っているものを全て出し切り、自己最高の得点での堂々たる優勝です。一方、真央ちゃんの方はトリプルアクセルを2度も決めたのはさすがでしたが、その後の細かいミスに本人も悔いが残っているようです。
 
その差は何なのか考えてみたのですが、肉薄した二人にとっては共に卓越している技術の問題ではないように思えます。やはり追い詰められたり、ここ一番というときに自分のベストを出せるか否かの精神力ではないでしょうか。
 
そこの部分で、全く同じような条件を持つ二人の中で、唯一キムヨナ選手の方が優っていたのではないでしょうか。でもバンク−バ−では負けましたが、この二人の戦いはこの先、しばらくは、少なくともソチ五輪までは続くものと思われます。
 
そうした二人の今後の戦いには目が離せられないものです。きっとお互いのライバル関係はもっと強くなるでしょうから、技術の難度も増していき、大きな刺激を受けながらもっともっと強く逞しくなっていくものでしょう。
 
フィギュアスケートがこんなに私たちを魅了するものとは思ってもみませんでした。これも二人のお陰です。真央チャンは銀メダルに喜ぶどころか、自分の演技ができなくて口惜しくて泣いていたそうです。それだからこそ次に繋がるというものです。捲土重来に期待しましょう。


運気を上げるための4つのポイント

[2010年02月25日(木曜日)|No.1775]

致知3月号に載っている 「運気を上げるための4つのポイント」について紹介したいと思います。あの雄星くんこと、菊池雄星投手を育て上げた、花巻東高野球部監督・佐々木洋さんのお話です。
 
私はずっと 「おまえは運がいい、運がいい」と言われ続けているんですね。 「菊池を獲得できて運がいい」 とか、 「棚ボタで選抜に出て準優勝した」 とか言われてですね、前は「俺だって努力しているんだ」とムッとしていました。
 
でも最近、運というのは、運をつかむために自らをコントロールしている人のもとにしか、来ないんだなと分かって、素直に喜べるようになりました。
 
では自分の何をコントロールしているかというと、1つは先ほどの
言葉です。2つ目は一緒にいる人 親は選べませんが、友人は選べますよね。 あるいは私が国分先生に会いたいといって、自分の意思で誰にでも会いに行って、刺激を受けることができるわけです。
 
3つ目が
表情、態度、姿勢、身だしなみ2つ目にも通じますが、チャラチャラした格好をしている子はやはりそういう友達と一緒にいます。
 
また野球でも逆転されてシュンとしたり、点を入れて大騒ぎしているチームにはあまり脅威を感じないんですね。逆に負けている時に笑顔でファイティングポーズとかが出るチームって怖いなと思う。
 
特に監督が不安になったりすると一瞬でチーム全体に伝染しますから、表情、態度のコントロールは常に心掛けています。そして最後はやっぱり
感謝と謙虚さですね。とにかく敵をつくらず、味方をつくることが運を呼び込んでくると思います。
 
例えば、うちのチームは宿泊したホテルから帰る時はすごくきれいに掃除させるんです。甲子園の時もホテルの方が 「花巻東の使った後はベッドメイクが要らないくらい、きれいにしてくれた」と喜ばれまして、ホテルの人たちが球場までわざわざ応援に来てくれたりしたんです。
 
彼(菊池雄星選手)は例えばゴミが落ちているのを見ると 「神様が自分を試している」と思うと話していました。そうやって、いつも神様が自分を見ていると思っているんです。
 
それから私が前にうちの選手たちに 「成功している会社の社長さんの家を探っていったら一つだけ共通項があって、どの家もトイレの蓋が閉まっていたらしい」と話したら、どこに行っても蓋を閉めて回っています(笑)。
 
もしも、態度が横柄だったり、悪口ばっかり言っているチームは人がどんどん遠ざかっていきます。謙虚にしていると味方が増え、その人たちに感謝の気持ちを伝えると、さらに応援してくれるようになる。
 
何をやってもツイている人と、何をやっても空回りする人の差はこの4つではないかと思っています。

 
やはり、なるほどと思わさせられるくらい、どれも納得させられる事柄です。言い換えれば自分の心がけ次第で、運を掴んだまま離さずに済むわけです。それにしても、雄星くんのいつも神様に試されているという考えは、まだ高校生ぐらいの若い美空で見事なものです。


自信過剰

[2010年02月24日(水曜日)|No.1774]

昨日は不覚にも熱が出てダウンしてしまいました。朝は通常通り、5時半に愛犬の散歩を済ませ、7時過ぎには出社したのですが、どうも寒気がして仕方ないのです。
 
散歩の時にもいつもより体が重く、疲れが溜まっているようで変だなとは思っていました。でもいつも通り、顔を洗って食事を取ればシャンとするものと気にも留めませんでした。
 
ところが当日は今日同様、お天気がよく気温もぐんぐん上がった日です。それにもかかわらず、スト−ブでも抱えていたいくらい寒いのです。そして仕方なく、少し仕事の残りを済ませてから早退させてもらったのです。
 
1年に1回あるかないかの、いわゆる鬼の撹乱というものです。つい先日、還暦を迎えたばかりの身ですが、内心はまだまだ体には自信がありました。でもやはり年相応で無理はできないものです。
 
ここ1週間のライフワ−クを振り返ってみますと、1週間前の火曜日の工事出張に始まり、翌日は小田原で打合せ、そしてこの日の夜から何と1日も家では食事を取っていないのです。
 
同友会支部例会、商工会議所産業クラブ役員会、静岡での同友会県理事会と続き、土曜日、日曜日には連日、還暦を祝う会を催して頂いたのです。そして日中はシニアのソフトボ−ルの試合、またお客様主催のゴルフコンペと重なっていたのです。
 
これでは若者ならともかくとして、体が悲鳴を上げるわけです。こうしたとき、自分はいつも良い方に物事を考えるタイプで、やはり無理をせず休めと言っているのだなと素直に聞くことにします。
 
仕方なく、一生懸命頑張ってくれている社員には申し訳なく思いながら、家に帰って休むことにしました。早退したのが午前10時過ぎぐらいでしたから、それからどのくらい眠ったでしょうか。
 
途中何回か目が覚めるものの、昼夜併せておそらく20時間近く眠ったのではないでしょうか。昼間に眠ったから夜寝られないということもなく、死んだように眠り続けたものでした。
 
やはり体が悲鳴を上げていたのでしょう。このぐっすりと眠ったお陰で、39度近くあった熱も今朝にはすっかり下がり楽になりました。でもその間、掻いた汗も半端ではありません。こうして長時間寝たことによる副産物の腰に痛さを伴い、今日午後からやっと出社できたのです。
 
還暦を迎えた途端、こうして不覚をとったのも何かのお告げのようです。いくらこの間頂いたヘルスメ−タ−の肉体年齢が34歳を示すからと言って、無理はできないものです。年相応に無理はせず、自信過剰はいけないものと、つくづく知らされました。


優しい青年

[2010年02月22日(月曜日)|No.1773]

服装問題でいろいろと騒がれた国母選手が日本に帰ってきました。スノ−ボ−ド・ハ−フパイプで勝負の大技、ダブルコ−クに挑んだのですが、着地に失敗し入賞はしたものの、8位に終わってしまったのです。
 
いろいろと雑音が多かったことから、何とかその大技を決めて表彰台の高い所に立って欲しいと願っていましたが、それも叶いませんでした。でも果敢に大技に挑戦し、よくやったのではないでしょうか。
 
日本のマスコミは相変わらず付きまとっていてうるさく、今度はシャツをズボンの中に入れていたと言って大騒ぎです。ほっといてもらいたいというのが本音でしょう。
 
先日も書きましたが、この国母選手について、やはり表面上だけでその人間性まで否定するような真似は絶対してはいけないことを、1つの記事を読み改めて感じました。
 
それによると、プロスノ−ボ−ド選手・荒井善正さんが強く訴えているのです。「まるで犯罪者扱いだ。そんなやつじゃないのに」と言って、国母選手について語っていました。
 
初めて出会ったのが2000年、プロを目指して練習していたニュ−ジ−ランドの雪山で、同じ宿に泊まっていたのが小学生の国母選手でした。
 
この頃からプロで活動、どんな大技もこなして「天才」と呼ばれ、海外遠征を繰り返していました。それでも荒井さんのことを兄として慕っていました。
 
そして2006年1月荒井さんの体に異変が起こったのです。骨髄移植をしなければ余命2、3年だと宣告されたのです。また資金は度重なる入院や通院で底をついており、なかなか適合するドナ−も見つかりませんでした。
 
こうしたことから、これを聞いた国母選手が取材を受けるたびに募金を呼び掛け、大会会場でもファンにドナ−登録を頼んだのです。
 
そして海外遠征などで忙しかったのにもかかわらず、移動の合間を縫って何度も見舞いに来てくれたと言うのです。こうしたお陰で荒井さんは2008年夏に骨髄移植の手術を受け、元気になることができたのです。
 
また昨年の10月には元五輪代表らが開いたイベントで、参加した子どもたち30人が応援メッセ−ジをくれたそうです。国母選手はその一人ひとりに手書きで返事を書いて送ったとのことです。
 
何とも優しい青年ではないでしょうか。そうした国母選手だけに、モヤモヤを一挙に引き飛ばすような成績を挙げて欲しいと望んだのですが、残念でした。次の五輪までとっておきたいと思います。このように人は見掛けだけで判断しては本当にいけませんね。


ちょっと良い話part56

[2010年02月19日(金曜日)|No.1772]

強い執念が実を結んだという、ちょっと良い話です。新聞の記載をそのまま載せさせていただきました。
 
埼玉県川越市の中学3年川口瑠美子さん(15)が1月、石川県輪島市にある日本航空高校石川の推薦入試に向かう途中、大雪による列車運休のため母親と2人で300キロ余りをヒッチハイクして試験会場にたどり着き受験、合格した。母娘は「よこやま」と名乗った「トラック運転手のおかげ」と感謝している。
 
瑠美子さんは1月17日の入試のため、車中泊の予定で前日に母(48)と自宅を出発。新幹線で16日深夜に新潟県のJR長岡駅まで着いたが、乗り換える予定だった夜行列車は大雪で運休に。長岡駅ホームで両手で顔を覆って泣く瑠美子さん。だが母はヒッチハイクを提案。「絶対あきらめない」とつぶやいた。
 
歩道は150センチの積雪のため、車道にできたわだちの上を歩いた。オレンジ色の傘を広げて上下に大きく振ったが、車両は次々と通り過ぎる。吹雪が強まると数メートル先の母がかすんだ。
 
2時間余りでたどり着いたガソリンスタンド。1台だけ止まっていた大型トラックの運転手に頼むと「金沢までなら」と引き受けてくれた。
 
母は車内でほとんど口を開かなかったが「子どもはいるんですか」とだけ尋ねた。「中3の娘がいる」とTシャツ姿の運転手。瑠美子さんは座席後ろの簡易ベッドで30分間眠った。
 
パイロットが瑠美子さんの夢。中学1年の時、テレビで航空自衛隊の戦闘機が飛ぶのを見てあこがれた。母は「私立は金が掛かる」と渋ったが、タクシー運転手の父(58)に「ローンの手続きをして。返済はわたしがするから」と頼み込んだ。
 
瑠美子さんが目を覚ますと、夜は白みかけ、金沢市が近づいていた。運転手は「よし、輪島まで行っちゃる」。先行車を次々と追い抜いたトラックは集合時間10分前に到着。運転手は「がんばれ」と励ました。連絡先は教えてくれなかった。
 
入試の作文は偶然にも「わたしが感動したこと」。400字詰め原稿用紙1枚に深夜のヒッチハイクと母への感謝の気持ちをつづった。自宅に合格通知が届いたのは3日後だった。高校はトラック運転手を捜し出し連絡。運転手は「ああ、良かった」と心から喜んでいる様子だったという。
 
 
300kmの道中、寒い思いもしたことでしょうが、本当に心温まる良い話ですね。思わず感動しました。世の中そんなに捨てたものではありません。
 
心優しい運転手さんがさりげなく去るのも憎いところです。また入試の作文にしても、運までしっかりと味方をしてくれました。週刊誌などの見出しによると、このお母さんは外国人とのことですが、やはり最後まであきらめてはいけませんね。


ボケないためには

[2010年02月18日(木曜日)|No.1771]

ボケについてテレビで触れていましたので少し書き留めてみました。まずボケになりやすい人は下記の方が当てはまるそうです。
 
① 生活環境が変わった人
    これには今まで一生懸命働いてきて、ここで定年を迎えてヤレヤレと
    思っている人も当てはまるかもしれません。
 
② 精神状態が不安定な人
    仕事や人間関係などにストレスを持っていてもいけないようです。
 
③ 生活習慣が不規則な人
    やはりダラダラといつまでも寝ないで起きていたり、朝起きるのがその
    日によって不規則な人もいけないのでしょう。
 
④ 食生活が偏っている人
    好き嫌いがなく、いろいろなものを適度な量をいただくのがよいのでしょ
     う。
 
⑤ 偏った性格の人
    頑固で融通が利かなかったり、几帳面過ぎたりする人もいけないよう
    です。
 
そんなことで、ボケないための法則として、7つの習慣を挙げていました。
 
① 散歩・ウォ−キングをする
    歩くと脳への血流が増えるとのことです。
 
② 新聞を声に出して読む
    声を出すと咽筋肉が活性化します。
 
③ 料理を作る
    料理はクリエイティブだからとのことですが、全く作らない自分は駄目
    ですね。
 
④ 社会と交わる
    人と交わると刺激を受けるし、生きがいや意欲も増します。私なんか
    交わり過ぎているかもしれませんね。
 
⑤ 電車・バスで出かける
    やはり無意識に歩いたり体を使うでしょうし、様々な情報が目や耳に
    飛び込んでくるからでしょう。
 
⑥ 日記をつける
    つまらないものでも、私のこうしたカキコミを続けているのもよいかも
    しれません。
 
⑦ 恋をする
    今さらという気がしないでもありませんが、自分自身にも関心や注意
    を払うからよいのでしょう。そうそう、奥様にもう一度、恋をすればよい
    わけですね。
 
以上のことから異常に綺麗好きや完ぺき主義もいけないみたいですね。またストレスはできる限り溜めないで発散することです。ボケてしまったら自分では分からないわけですから、やはり気をつけて人生を楽しみたいものです。


還暦

[2010年02月17日(水曜日)|No.1770]

やっと日本に2つのメダルをもたらしてくれました。沈みかけていた五輪への期待に、明るい灯を点してくれた長島選手、加藤選手に感謝!です。
 
さて我が事で大変お恥ずかしいのですが、今日は60回目の誕生日を迎えました。と言うよりは、迎えることができましたという方が当たっているかもしれません。
 
いわゆる還暦というもので、人生が一巡したわけです。改めてここで過去を振り返りたくはありませんが、やはり1つの節目でもあることから、意義あるものと思っています。
 
生まれて何年も経っていない頃、医者から脳膜炎でもう駄目だとも言われたと聞いています。そんなとき、何ぼも稼ぎのなかった父親が、当時高価で手に入りにくかった、ストレプトマイシンという薬を使うかどうか医者から打診されたそうです。
 
1本打つのに何万円も掛かり、当時の給料何ヶ月分にも相当していたからです。迷わず父親は構いませんからお願いしますと頼んだとのことです。こうしたお陰もあって今日を迎えることができているわけです。改めて生きていること、生かされていることに感謝しなければと強く思っています。
 
さて還暦を迎えたならばこれからは第2の人生とも言えるわけです。相変わらず中小企業のオヤジは抜け出すことができませんが、何もやる事がなく、ノホホンと暮らしている毎日より、大変かもしれませんが充実しているとも言えるものです。
 
そうした傍ら、少し自分の時間を意識的に作って、家内と温泉や旅行に行ったり、音楽や美術鑑賞等の芸術にも少しずつ触れていきながら、ゆとりを持った人生にしていきたいと思っています。
 
今週末と来週に掛けては、そのお祝いとして連日、旧PTAの仲間や家族ぐるみでお付き合いさせて頂いている方々が祝う会を催してくれます。
 
改めてこうした温かい方達との交流やサポ−トに感謝し、その気持ちを忘れないよう、これからもしっかりと生きていきたいと思っています。


バンク−バ−五輪開幕

[2010年02月15日(月曜日)|No.1769]

バンク−バ−五輪が開幕しました。開会式を少しテレビで眺めたのですが、五輪を重ねるごとにきらびやかで豪華な趣向となります。あれでは開会式というか、ほとんど練り上げられたショ−と言えるのではないでしょうか。
 
選手は入場行進後、観覧席で着席しながら眺めていましたが、とてもあのような時間では立ってはいられず、そうした配慮も頷けるというものです。
 
そして早速、競技が始まりましたが、日本勢のスタ-トがあまりよくないようです。ショ−トトラックやジャンプのノ−マルヒルでも期待の選手が十分、その実力を発揮できません。
 
まあ予想されたことかもしれませんが、これから続く有望選手のためには余分なプレッシャ−を掛けない意味でも、何とか幸先良いスタ−トを切りたかったのですが叶いませんでした。
 
そんな中、メダルを期待された上村愛子さんが惜しくも4位に終わってしまいました。初めて出場した長野五輪が7位、そしてソルトレークシティー6位、トリノ5位と続き、4回目の今回が4位と、一段ずつしか順位が上がらず、皮肉な結果となりメダルに手が届きませんでした。
 
でも本人が言っているようにベストを尽くしての結果です。胸を張って帰ってきてよいのではないでしょうか。聞くと上村さんにとってはこのバンク−バ−は思い出の地でもあるそうです。
 
第2の故郷とも言えるこの地を訪れたのは中学2年生の冬とのことです。小学校時代から続いていたいじめに絶えかね、スキ−部もやめて、自分の好きなことにもう一度目覚めて欲しいという母の願いがあって、一人旅へと送り出されたようです。
 
そして運命なのでしょう、この地で自分のスキ−板が盗まれたことにより、モ−グルに出会うわけです。そうした縁の深いこの地だけに、何とか勝たせてあげたかったのですが、残念ながら運命の神様は微笑んでくれませんでした。
 
本番でなかなか実力が出せない我ら日本人なのですが、中国や韓国の選手を見ていると全然違います。それゆえ、いっそう彼らが逞しく見えるのですが、いったい何がどう違うのでしょうか。
 
戦前の予想でも日本は金がなく、銀3つに終わるとも言われています。この銀には浅田真央ちゃんも入っているのでしょうが、そうした予想を覆し、一番高い表彰台に是非上り詰めてもらいたいものです。真央ちゃんに何とか私たちの溜飲を下げてもらえる、完璧な演技を期待したいと思います。
 
明日16日は出張工事で一日会社を留守にしますので、カキコミは休ませていただきます。


服装の乱れ

[2010年02月12日(金曜日)|No.1768]

スノ−ボ−ド・オリンピック日本代表の国母和宏選手の服装の乱れが騒がれました。ズボンを下げ、シャツを外に出した格好が問題になったのです。
 
一時は代表を辞退せよとの声まで上がったのですが、橋本聖子団長の裁量で何とか出場は取り付けることができました。それでも選手村への入村式は自粛させられたようです。
 
この問題、世代により意見は大きく分かれそうです。ある年代に達した人たちは「そんな格好はだらしなくて見っともない」と言うでしょうが、若者たちの間ではシャツを外に出して着るのが当たり前で、逆に中に入れていたりすると「ダサイ」とも言われそうです。
 
私もある時、一緒に遊びに出かけようとした折、娘たちから「お父さんシャツを外に出した方がいいよ」と言われたものの、なかなかその習慣がないためか、出して着るのは抵抗があったものです。
 
そしてこのスノ−ボ−ドという競技は若者から発生してきたためか、腰パンとまではいかなくても、全体的にズボンを下げ気味のいでたちで行っているようです。
 
ここからしてもう認識が違っているみたいです。こうした事情を酌んで考えてみると、その服装から全人格まで否定するようなことはちょっと可哀想なように思えます。
 
ただそうした注意や指摘を受けた際、彼も21歳にもなる大学生ですから、もっと大人の対応に配慮した方がよかったのではないでしょうか。「反省していま−す」の語尾を伸ばしたような表現は、いかにも言葉だけでの反省のようで、誤解を招きかねないからです。
 
この国母選手、プロボ−ダ−としても確固たる地位を築いているようです。ですから実力を備わっており、オリンピックだからと言ってどうこう騒ぐようなものではなく、いろいろある大会の1つに過ぎないようにも捉えているようです。
 
このくらい肝の座った選手なのですから、わざわざ自分から問題を余計大きくすることもなかったように思えます。逆に言えばこのくらいの選手でなければ、オリンピックで自分の実力をそのまま発揮できないのではないでしょうか。
 
国母選手は橋本聖子団長の次の言葉に心を動かされたようです。「日本でスノ−ボ−ドで五輪をめざしている子どもたちのために、雪の上で良い滑りを残して欲しい」。とにかく、何だかんだと言っても所詮は勝負の世界だと、私たちをもう一度ギャフンとさせる結果を残して欲しいものです。


王道・トヨタの大ピンチ

[2010年02月10日(水曜日)|No.1767]

あの世界に誇る技術を持つトヨタが大ピンチです。アメリカのアクセルペダルなどのリコ−ルに次いで、人気車・プリウスもブレ-キ等の欠陥ということで、とうとうリコ−ルとなりました。
 
対象車は約70カ国で約44万台が販売されており、国内でもこのプリウスはじめ4車種22万台がリコ−ルの対象となります。この問題は滑りやすい道でブレ-キをかける際に、タイヤのスリップを防ぐアンチロック・ブレ−キ・システム(ABS)の電子制御プログラムの設定が不適切とのことで、下記の症状が見られます。
 
1つにはブレ-キをかけている途中に、氷盤など滑りやすい部分を通過してABSが作動すると、ブレ-キが一瞬利かないように感じる空走感や制動の遅れが遅れる。
 
またそのままの力でブレ-キを踏み続けると、予測よりも制動距離が延びる恐れがあると言われています。トヨタ側は当初、こうした問題を運転感覚の問題だとしていましたが、相次ぐ指摘や20万台以上の車が10年以上乗り続けることから、リコ-ルに踏み切らないわけにはいかなくなったものと思われます。
 
アメリカのリコ-ル問題はアクセルペダルの上に被る厚いゴムマットや、日本のものより少し長くなったペダルの金具等のことがあり、少しトヨタには可哀想かなと思わせられる部分もないわけではありませんでした。
 
でも今回のブレ-キの問題では少しその対応が遅すぎたのではないでしょうか。新型プリウスは昨年日本カ-・オブ・ザ・イヤ−を受賞した車でもあります。低燃費で環境に優しく、手の届く価格で他の追随を許さない一人勝ちのようなところがありました。
 
それだけに油断やおごりが少しでもそこになかったものでしょうか。ある車は路面が一部凍結していた道路で、前の車にス−ッと滑り追突してしまいました。タイヤを冬用に換えていなかったためかと思ったのですが、この報道を聞き、トヨタの販売店で冬用に換えて実験してみました。
 
そうしたところ、同じように滑ってしまったのです。このようにもっと早く教えてくれたらという声が少なくないものでしょう。
 
トヨタの前社長はいつも色紙に「愚直」「地道」「徹底」という言葉を認め、、「モノづくりをしっかり、愚直なまでに、地道ではあるけれども徹底して進めていくことが大切だ、そういう意味でモノづくりの王道を歩んでいきたいと思います」と述べていたそうです。
 
日本のまさにリ−ディングカンパニ−であるトヨタは、世界に誇る日本人の技術や良心を問われるメ−カ−でもあるわけです。それだけにアメリカなどでは少しジャパンバッシングが過ぎるような傾向が見られてはいますが、トヨタ1社の都合だけでなく、日本の産業全体にとって責任ある立場であることを是非、自覚して欲しいものです。


ちょっと良い話part55

[2010年02月09日(火曜日)|No.1766]

ひさしぶりにちょっと良い話を紹介したいと思います。新聞に掲載されていた、ある主婦の投稿です。
 
「100円を落としたよ」。82歳の父が病院待合室で椅子をどかし始めた。その場から離れる隣の男性、驚き見つめる女性、本に目を落とす男性。場の空気が冷たくよどんだ。
 
「また認知症状か」と思いつつ一緒に椅子を動かす私。父は諦めきれないのか、なおも捜し続ける。その時、40代男性が椅子をどかし始めた。一緒に捜し始めてくれたのだ。
 
結局、見つからなかったが、周りの空気や父の心の中の何かが溶け始めたように思えた。落合恵子さんの新聞連載に心を打たれた。
 
「波間で手を振る人が、実は溺れて助けを求めていたのに、私は手を振り返してしまった」という内容の詩を引用、「近くで『手を振っている人』はいないか。手を振り返すことが我々の返事でいいか」と結んでいた。
 
誰にも聞こえない、真実の声を聞く人の存在の大切さを実感した。共に100円玉を捜してくれた人のように、心が溺れた人に手を差し伸べる人がいる社会であって、と思った。その日の父は機嫌も体調も良かった。そして100円玉は父の靴の中から出てきた。

 
隣の人は何するぞ、昔から見つめあい、支えあって生きてきたのが、私たち日本人の誇る文化だったのではないでしょうか。近年隣人が何しようが、電車の中でどんな事が起ころうが、全く関心を示さない人がいます。いや示さないというか、気がつかない振りをしているのでしょう。
 
降ってくるのが火の粉になるかもしれないと、掛からないようにしているだけです。しかし以前の日本は違いました。行き交う近所の子どもたちのことも、しっかりと見つめていたから、どこの誰か知っていたし、気がついたことがあれば注意もしていました。
 
それが最近では「かけこみ110番」なるものも作らなければいけないくらい、周囲にしっかりと観察してくれている人もなくなってしまいました。
 
時代がそうさせたと言ってしまえばそれまでなのですが、何度も言うようですが、人生はたった1回、もっと自分だけではなく、お互いのことに配慮して優しい目を注ぎたいものです。


うちの子に限って

[2010年02月08日(月曜日)|No.1765]

昨日、日曜日の夕方の出来事です。弊社の研修生のお世話をいただいている担当の方から電話があり、今では実習生となり立派に会社の戦力となっている劉くんが警察に連れて行かれたと言うのです。
 
聞いた途端「うちの子に限ってまさか」というのが正直な気持ちでした。それくらい真面目な彼のことですから、警察うんぬんとはとても似つかわしくない話だったのです。
 
詳しく聞いてみると彼には落ち度がなく、ややこしい話なのですが、とんだトバッチリを受けたようです。事の経緯は彼が自転車に乗って外出していたときに始まります。
 
いつものように外出にはお定まりの自転車で出掛けていたところ、警察官に呼び止められました。乗っていた自転車について問われたのです。
 
本人の持ち物かどうか問われたのでしょう。ところが最近自分の自転車がブレ-キが故障し、ライトも点かなかったすることから会社にあった別の自転車に乗り換えていました。これは以前いた弊社の研修生が乗っていた2台のうちの1台なのでした。
 
また運悪くこの1台は会社が当時彼らに買い与えたものではなく、途中から不具合が生じたのか、別の会社の研修生との間で自転車を交換していたのです。
 
警察官に言わせると、この自転車が盗難の届けの出ていた自転車の可能性が強いと言うのです。こんなことから警察で事情聴取される羽目になったのです。このような経緯を何も知らなかった劉君にとっては、とんだトバッチリで気の毒な出来事でもあったわけです。
 
そして関係者である、彼ら研修生の受け入れ担当者が警察に出向くことになり、私のところへ電話が入ったのでした。正直、事情を聞いたばかりのときには「なぜ、我が社の可愛い社員に対してなぜそんな仕打ちを」と腹立たしい思いがしていたのは事実です。
 
ですが、よ−く考えてみると、それだけこのような窃盗事件や不審な出来事が多いのでしょう。ある意味ではこれをしっかりと取り締まっている、日本の警察が優秀とも言えるものです。
 
必要となら私が直々に出掛けるからと伝えていたのですが、その必要もなく終わりました。後から聞いたところによると、こう言ったら語弊があるかもしれませんが、「普通の研修生と違って出来が良い子だね。初めはてっきり日本人だと思っていた」と警察の係官が言っていたそうです。
 
とんだトバッチリで可愛そうなことをしてしまいましたが、彼はそんなことはおくびにも出さず、「社長、いろいろとご迷惑を掛けて申し訳ありませんでした」と、その後すぐ電話を掛けてきてくれました。何と言ってもその素直さと礼儀正しさが彼の一番の魅力です。


朝青龍の引退

[2010年02月05日(金曜日)|No.1764]

横綱・朝青龍がついに引退しました。初場所の優勝力士だけに衝撃的な引退劇のように見えますが、やはり来るべきときが来たというのも正直な感じです。
 
母国・モンゴルでは一部には日本人力士の持つ、最多優勝記録を守るために相撲協会から切られたように伝えられていますが、はっきり言ってあまりにも問題が多すぎました。
 
過去においても、旭鷲山との土俵上でのトラブルやまげをつかんだ反則負けに始まり、巡業をずる休みとも取られても仕方ない、母国モンゴルでのサッカーに興じていたことや、土俵上でのガッツポーズなど、数えきれないほどの問題がありました。
 
そして今回の一般人への泥酔しての暴行事件です。これではいくら協会がその興行を考え、何とか庇おうとしても周りが許さず、庇えるものではありません。
 
聞くと、同じ日に行われるはずだった臨時の横綱審議委員会でも、引退勧告の決議が決まっていたようで、それを察して開かれた理事会では多数決で引退もしくは解雇処分が決まりました。
 
ですから急遽、親方と共に呼ばれた本人は引退のつもりはなかったのでしょうが、引退しなければ解雇処分になるわけで、功労金などは一切受け取ることができなくなってしまうのです。
 
これではもう引退せざるを得ません。まあ、自業自得かもしれず、はっきり言って、わがままが過ぎたかもしれません。一番強い横綱だからと言って、傍若無人に勝手に振舞ってよいというわけではありません。
 
そこで古来から、この最高位には品格というものが問われているのです。私の好きな言葉でもある、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」なんてことも当てはまるかもしれません。相撲ではずば抜けて強いかもしれませんが、そこに敗者に対する思いやりとか優しさを求められているのです。
 
こうした日本独特の文化をあまりにも知らな過ぎたように思え、また馴染めなかったものと思います。今回の事件にしたって、一番悪いのは本場所中ということです。そして酔っていて殴ったかどうかも判らないのでは救いようがないのではないでしょうか。
 
とにかくこれで相撲界にヒール(悪役)がいなくなってしまいました。ヒールがいるからこそ面白いということもあり、寂しくなるものです。
 
私たちのような周囲のうるさ雀は結構いい加減なもので、品格うんぬんで、とやかく言っていた横綱がこのようにいざいなくなってしまうと、拍子抜けしてしまうもので、これからの相撲の盛り上がりという点から懸念が出てしまいます。
 
かくなる上は残された力士、特に有望な日本人力士に期待するしかありません。それにしても不幸中の幸いかもしれませんが、貴乃花親方が理事に当選していてよかったと思います。そうでなければ、相撲界の火が消えかかるところでした。今回の不祥事にめげず、温故知新でこの新理事のユニークな前向きな改革に是非期待したいものです。


天皇陛下

[2010年02月04日(木曜日)|No.1763]

2月は少し仕事が動いてきました。2、8(ニッパチ)と言って、8月と並んで暇な時期の代名詞に使われていた2月ですが、忙しくなるのは本当に有難いことです。だからと言って、この先を見越した長期的展望が開けているわけではありませんが、とにかく目先のことだけでも、しっかりとその対応に努めたいと思っています。
 
今日は恐れ多いのですが、我が国の天皇陛下について少し触れさせていただきます。先週のテレビ・サンデ−プロジェクトでも、ずっと天皇陛下にお仕えしている、渡辺充前侍従長という方が、私たちの知らない素顔の天皇陛下やその仕事振りについて語られていました。
 
それによると、とにかく何よりも誠実で真面目に、物事に対して慎重に対処されている方だと伝えています。朝は6時に起きて皇居内を散歩する、規則正しい生活を送られているとのことです。
 
また昭和8年のお生まれですから現在は76歳になられるのでしょうか、今でもテニスをやると言います。また1つ面白いエピソ−ドを話されていました。
 
このお歳ですから後期高齢者になるわけですが、しっかりとその適性検査を受けて免許の更新を行っているそうです。そうした那須にご滞在のある日、ご自身で御用邸から運転して外へ出掛けたのですが、間もなく戻ってこられました。聞くと免許書を忘れたから取りに帰ったと言うのです。
 
天皇陛下が免許書不携帯でも誰も咎めないものと思いますが、このへんが律儀で真面目な性格が表われているのでしょう。
 
それからその職務は私たちの想像以上に大変のようです。私たちがのんびりと過ごす正月はほとんど休みがないみたいです。四方拝と言って、元旦の朝も5時30分から国民の幸せを祈って行う儀式に務めています。
 
また新嘗祭に至っては、暖房のないところで夕方から途中休みを挟んで深夜まで、4時間正座してその儀式に当たっているようです。また一般参賀にしても、お立ち台からしっかりと眺めているみたいで、車椅子の人が多いとか、気分の悪くなった人がいるなどと、しっかりこちら側の様子を観察しています。
 
このように気配りにも富んでいる方なのです。そして平和に対しても人一倍強い気持ちを持たれていて、日本の歴史にとっても一大事という、6/23、8/6、8/9、8/15の4日間についてはとても大切に思われているとのことです。
 
特に6/23の沖縄慰霊の日など、ある時アメリカに渡っていたのですが、ちょうど慰霊が始まる時間にぶつかり、ディナ−の時間をずらしてまで黙祷を捧げていたと言われています。
 
今の日本の繁栄と平和が築かれているのは、あの時代犠牲になった人たちのお陰だとの気持ちが強いようです。また少し前、中国要人との面会を1ヶ月ル-ルを破ってまでも強行に推し進めたことには、羽毛田宮内庁長官同様、渡辺さんもやはり異議を唱えています。
 
それは会いたがっている人がいれば、いつでも会うという方だからなのです。聞くと昨年一年に外国要人との面会は、国事行為26回を含め134回もあるそうです。
 
そして会うのには事前にその人がどういう人なのか知ろうとし、事前に学習を欠かさないと言われます。それだけに少しでも負担を軽くしてあげるよう、周囲が配慮しなければならないのです。
 
やはり日本国民の象徴なのですね。天皇陛下のあの優しい眼差しに触れたとき、勝手に自分たちの都合だけで利用することはできないはずです。国民ひとり一人を陛下が守ってくれているとのことですが、逆に私たち国民も陛下があまりオ−バ−ワ−クにならないよう、見守っていかなければならないのではないでしょうか。


貴乃花親方の理事当選

[2010年02月02日(火曜日)|No.1762]

貴乃花親方が理事に当選しました。大方の見方では各一門の締め付けがきつくなっていたことで、当選は難しいかなというのが戦前の予想でした。
 
それだけにこの劣勢を覆したことは画期的で、とても喜ばしいことではないでしょうか。相撲協会もまだまだ捨てたものではないというものです。
 
この理事選は定数10のところに貴乃花親方を含む11人が立候補し、8年ぶりに投票による選挙が行われました。今までは出羽の海、二所の関、立浪、時津風、高砂の各一門が事前にその定数に見合う理事候補を話し合いで決めて送り込んでいたのです。
 
こうした旧態依然としたやり方に意義を唱え、協会の改革を目指した貴乃花親方が慣例を破ったことから、支持してくれた6人の親方と共に、所属していた二所の関一門を破門になったのは周知のとおりです。
 
この自身の票を含む7票しかなかったわけですが、選挙では3票が上乗せとなり、10票を獲得して見事、当選致しました。当選した各親方の獲得票数から推測すると、所属していた二所の関一門から一人、さらに立浪一門から二人の賛同者を得たことになります。
 
これによって立浪一門から立候補していた大島親方(元大関・旭国)が落選したわけですから、勇気ある行動と言えるものではないでしょうか。
 
やはり若手評議員の中には協会改革を望む声が少なくないとも言えるものです。またそれと今回の選挙方法が文科省からのアドバイスもあり、公平な民主的選挙に徹したことも功を奏しています。
 
以前は目の前に各一門の親方衆が立会人として陣取って、投票をチェックしていましたが、今回は遠くから見守るだけで、投票用紙も候補者の名前の上に○印をつけるといった方法で実施されたようです。
 
また初場所の朝青龍の暴力問題も、協会体質を見直す材料になっていたのではないでしょうか。場所中に横綱が一般人に泥酔して暴力を振るうなんて、もっての他です。それを4日の理事会で結論を出すと言うことですが、今までのやり方はまさに臭いものに蓋的なものなのです。
 
こうして歴代5番目という37歳の若い理事が誕生したわけです。改革は生易しいものではないはずです。封建的なその体質を改革するのには大きな壁が立ちはだかることでしょう。
 
でも現在幕内力士42人のうち、日本人力士は17人という惨状です。貴乃花親方が言っているとおり、小中高への相撲普及という裾野の拡大が求められているものであり、それでなくては国技の乗っ取りということになってしまうものでしょう。
 
それだけにどんなに大きな抵抗が待ち構えていようと、改革の火を消さず、若者らしく突き進んでもらいたいものです。理事になったのはあくまでもスタート地点に立っただけです。貴乃花親方の今後に大いに注目し、期待したいと思います。
 
明日は一日、所用で会社を留守にするため、カキコミは休ませていただきます。