株式会社 アイソー




2009年11月の日記

ETC本四架橋を渡る旅その1

[2009年11月30日(月曜日)|No.1729]

早いもので先週の3連休から、もう1週間が過ぎました。その3連休は仲間で、思い切って車で遠乗りをさせてもらいました。地元近所で親しくお付き合いをさせていただいている、5組の夫婦のメンバ−です。
 
生憎、この内、1組のご夫婦で旦那さんだけが仕事で都合がつきませんでしたが、残り9人が2台の車に分かれて出発しました。こうしたことに備え、毎月ご婦人たちの間では決まった額の積み立てまでしているくらいですから、メンバ−は気心知れていて和気藹々で行ける間柄です。
 
かつてこのメンバ−で、ハワイとか沖縄、東北など、ちょうど3年に1回ぐらい積み立てが満期になると出掛けさせていただきました。今回はその満期を来年に控えているわけですので、まとまったお金があるわけではないのですが、手軽に旅ができるプランを少し考えてみました。
 
この3連休がもちろん休日に当たるわけですので、車で高速を使ったETC休日割引に着目したのです。そしてどうせなら日頃あまり渡ることのない本四架橋の3本を、この期間で全て渡ってみようと思ったのです。自画自賛のようですが、ちょっとそのプランを紹介させて下さい。
 
まず1日目は朝4時にこちらを出発し、東名、伊勢湾道、東名阪、新名神、京滋バイパス、名神、阪神、第2神明道路を経て、明石・鳴門大橋のある神戸淡路鳴門道を渡ったのです。
 

この道路の終点となる鳴門北ICで降りると、名物・鳴門の渦潮が見れます。ちょうど大潮の時間となる3時にはまだ1時間ぐらいある時間だったのですが、この渦の道と称する観光名所からの眺めは、ガラス張りの床などからも覗き込むことができ壮観でした。
そしてその日は更に高松東道、高松道、松山道と足を伸ばし、松山の街までやってきました。松山市内のホテルに着くや否や、路面電車で道後温泉へと出掛けたのです。
 
さすが、昨日から始まった”坂の上の雲”で賑わうこの街です。道後は若い人が多かったように思えましたが、いっぱいの観光客で溢れかえっていました。これではちょっと予約が遅かった私達には、道後温泉内のホテルの予約ができなかったわけです。
 
予め小豆島の父から聞いていたお陰で、道後温泉は2階休憩室つきの霊の湯という1200円の入浴券を求めました。案の定、1階の神の湯(通常の銭湯同様)は多くの人で芋洗い状態だったようです。
 
この入浴は400円、800円、1200円、1500円(3階個室休憩室付)の4段階に分かれていました。建物やお風呂にはさすが年季の入った風情を大いに感ずるものでしたが、ちょっと休憩室がいただけません。
 
ご婦人方の着替え場所も判らないような状態でしたし、やはり混んでいたこともあり、また1時間という時間制限がついていたためか、のんびりとその風情を楽しむということができませんでした。
 
それでもその後、ガイド付で案内していただいた館内の、かつて使われた皇室専用の浴室とか、控え室、お庭などはそれなりに楽しめるものでした。これも2階以上の券を求めないと見学できないようですから、多少割高の効果もあったというものではないでしょうか。続きはまた明日紹介させていただきます。


ちょっと良い話part53

[2009年11月26日(木曜日)|No.1728]

ちょうど1週間前の話です。その日は地元のゴルフコンペでした。私は仕事の都合で参加できなかったわけですが、このコンペには4組16人の参加を頂きました。
 
ゴルフ場の予約から組合せの作成・送付、また馬券表の作成、賞品の手配に至るまでのことは、全て地元では万年幹事的な立場である私の仕事です。
 
無事こうした仕事を済ませ、数日前に当日の幹事を引き継いでくれる方との打合せが終わり、やれやれの気持ちでしたが、1つだけ気になっていることがありました。それは父のことです。
 
もう半年ぐらい前から、めっきり脚が弱くなってきているのです。それでも永年親しんできている、このゴルフがなかなか捨てきれないのでしょう。と言うか、やはり地元の皆さんと、こういった形でいつまでも触れ合っていたいのでしょう。
 
参加をどうするかと問うと、何とか行ってみると言うのです。2ヶ月に1回開かれている別のコンペにも、前回参加しているのですが、たった3ホ−ルで歩けなくてリタイヤしたそうです。
 
こうしたことから、ちょっと心配だったのですが、いつも面倒見てくれる方もいないわけではないことから送り出しました。そして夜戻ってきたときの様子を眺めると、なぜかご機嫌なのです。
 
聞くと18ホ−ル全て回ってきたと言うのです。そして傍らにはブ−ビ−賞の賞品まで置かれているのです。ちょっと信じられなかったのですが、その裏にはゴルフ場の温かい配慮がありました。
 
同伴された方に伺うと、スタ−トホ−ルに向かう親父のおぼつかない足取りから、キャディさんがマスタ−室に引き返し、急遽、研修生と2人乗りのカ−トを用意してくれたそうです。
 
通常、今のカ−トはフェアウェイには入れず、予め設置されたコ−スの端を走っていくのがほとんどですが、この2人乗りカ−トはお構いなくフェアウェイの中にも入れるそうです。
 
このため打つ間際までこれに乗って行け、打つとまた乗り込むことができるのです。これなら何ぼも歩かなくてよいわけです。また所々キャディさんが抱えてくれたり、研修生がそれこそマンツ−マンで親切に面倒を見てくれたと言います。
 
さすが名門と言われたゴルフ場、ザ・ナショナルカントリ−クラブです。この話を聞いて本当に嬉しくなりました。もうここまで来たら、そう何回もゴルフができる親父ではありません。ひょっとしたら今回が最後になるかもしれません。
 
この親切なゴルフ場のお陰で、それでもいいと思ったくらいです。おまけに後でさぞ高いキャディ−フィ−を取られたのだろうと思って、明細を眺めたら少しも記入されていないのです。本当に信じられないくらいの厚い待遇だったのです。
 
このコ−スの性質上、そうお客さんは多くありません。また少ないお客の中には高齢の方の占める割合が少なくないものと思われます。そうしたことから扱い慣れていると言えるかもしれませんが、そう何回もゴルフができる人ではないだけに、とにかく高齢者に優しい、嬉しくなる対応でした。
  
もちろん、コ−スにはその旨、感謝の気持ちを綴った書状を送ったことは言うまでもありません。
 
明日は朝から一日、研修事業で会社を留守にするため、カキコミを休ませていただきます。


おもてなしの心

[2009年11月25日(水曜日)|No.1727]

会社見学をさせてもらうときに、普通だったら見学する方が勝手に自分たちの都合でやってくるのだから、いくらお見せする立場にあっても、そんなにどこまでも気遣って構ってはいられないはずです。
 
それが先日見学した山田製作所様の場合は、とことん違うのです。先日も紹介したように、まず歓迎の看板を前もって準備してくれています。誰だって予め、そうしたものを用意して頂いてあれば、悪い気がしないどころか、嬉しくなるものです。
 
そして朝礼ではわざわざ私達をその仲間の輪に入れて頂き、紹介を受けながら包み隠さず自社の内容を披露してくれています。
 
そのうえ、朝礼が終わると、見学コ−スが設けられていて、社員さんの一人(見学がある度に当番制になっているようです)が、私達を隈なくそのコ−スに沿って案内して頂けるのです。
 
もちろん、その社員の方はご自身の業務を放り出して、私達に付いてくれているのです。ですから自社の仕事がいくら忙しくてもこのシステムを変えることなく、およそ1時間半か2時間近く、丁寧に自社の3Sへの取り組みを紹介して頂きます。
 
これが終わると今度は見学資料まで用意してくれていて、社長が直々に徹底した3Sについてのお話をされます。それには清潔、躾を含んだ5Sという呼び方をしている所も多いものですが、徹底した3Sを実践していれば、自然にそれは備わってくるなど、貴重な内容が含まれ、そのノウハウを惜しみなくレクチャ−してくれています。
 
また会社内の写真は何も制限なく自由に撮ることができます。事ここに至るまで、10年の歳月と貴重な労力が掛かっていることと思われますが、そんなことはお構いなく公開しています。何とも太っ腹な小さなことには拘らない会社ではないでしょうか。
 
これが”おもてなしの心”というものなのでしょう。おもてなしと言えば、私事で恐縮ですが、この3連休に友人たちと出掛けた旅の2日目に立ち寄らせてもらった、小豆島の両親についても触れないわけにはいきません。
 
特にお父さんなど、予め友人たちのために観光資料まで用意してくれて出迎え、80歳になろうとしている身ながら、ご自分の車を運転して、紅葉の名所でもある寒霞渓や醤油工場などを案内してくれました。
 
こうしたことは決して身内の私達がいるからといったことばかりではなく、かつての教え子など、島にやって来て自分たちを訪れる、全ての人に対し共通していることです。
 
最終日、港を離れるフェリ−の私達に向かって、いつまでも手を振り続けている姿が忘れられません。それはもう27年以上も前のことになりますが、私が家内と結婚する前、初めてこの地を訪れ、本当に温かい歓迎を受け、港を離れるときの姿と何も変わっているものではありません。
 
そのときのとても温かい気持ちが嬉しくて、涙が止まらなかったことをすぐさま思い出しました。これが”おもてなしの心”と呼ぶものではないでしょうか。山田製作所様や、小豆島の両親から、人を迎え入れるのにはかくあるべきということを学びました。人から学んで良かったことは、是非また次の人に実践して伝えたいものです。


がんばる商店街その1

[2009年11月24日(火曜日)|No.1726]

11/20(金)は所用のため、カキコミができませんでした。ご容赦下さい。この3連休はいかがお過ごしだったでしょうか。またそれについては改めて触れたいと思いますが、冬の足音が一歩一歩近づいているこの頃です。暖冬とも言われていますが、いつものことながらこう寒くなると、暑かった夏が一段と恋しくなるものです。
 
さてユニ−クな商店街の取り組みをテレビで目にしました。静岡県の新居町にある商店会が葬儀ビジネスに乗り出しています。
 
東は浜松市、西は湖西市に隣接するこの町は、うなぎやしらすといった、おいしい食べ物や新居の関所でも知られた場所です。
 
近年、この新居町に限らず、地元商店会は大型ス−パ−などの進出で、価格競争や顧客誘致には勝負にならないほど苦戦を強いられています。このまま何の手も打たずにいたら、そう遠くない将来、淘汰されてしまうのは目に見えているような実情です。
 
そこでお互いが生き残りをかけて考え出したのが葬儀ビジネスです。やはり高齢化の影響でこの町でも葬儀が少なくありません。今までただ黙って眺めていたに過ぎなかった、この葬儀に着目し、自分たちの手で取り仕切ることを考え出したのです。
 
そう考えると確かに葬儀にはいろいろな店舗が関係します。生花の花屋さん、揚げものの果物屋さん、またお返しの品にはお茶をはじめ、衣料から各種雑貨に至るまでバラエティ−に富んでいます。もちろん仕出しをはじめとした、酒や食料品はこの儀式には欠かすことができません。
 
従ってこれに目をつけないこともないもので、こうした商品調達に限らず、祭壇設営や各種手配など、葬儀そのものを自分たちの手で行うようにしているのです。設立の際、出資金として20万円出し合った商店の店主である組合員が、葬儀を当番制で行っているのです。
 
この地元商店会による新しいサ−ビス事業は、大手葬祭業者より小回りが利いて、地域の風習や伝統を理解している関係で、よりきめ細かなサ−ビスを可能とします。
 
また祭壇や霊柩車、葬祭ホ−ルなどについては無理な投資をせず、全て町の施設を借用する形でスタ−トし、行政からの補助も一切受けなかったと言います。それは本気になって頑張るためで、変に保護を受けると甘えの構造が発生する怖れもあり、損失を最小限に抑える工夫とも言われています。
 
設立されて13年、その初年度に50%ものシェアを獲得した同サ−ビスは、3年で町内におけるシェアは95%まで伸ばしたということで、今では地元だけでなく、町外からも注目を集めているそうです。
 
またこれに着手していなければ、組合商店会の4〜5店舗は廃業せざるを得ない状態だったとも言われます。それが当初、組合員による無料奉仕だった業務に、報酬を払えるようになるまで、順調な運営に変わってきているのです。
 
こうした素晴らしい取り組みは、中小企業庁のがんばる商店街77選にも取り上げられています。やはり手をこまねいてはいけませんね。ちょっとした発想の変化や思い切った行動力で、新しい道が開けるものです。私たちも中小企業ならではの、ネットワ−クを生かした新事業が求められている時かもしれません。


同友会の良さ

[2009年11月19日(木曜日)|No.1725]

昨夜は中小企業家同友会沼津支部11月例会が開かれました。なぜか折悪しく6月例会以来、出席することができなかった関係で、久しぶりの例会は心ウキウキさせるものでした。
 
例会の報告者は同友会では大先輩のK社長です。ですから久しぶりにお聴きすることのできる、「わが経営を語る」報告にはとても楽しみでもありました。
 
このK社長、14年ぐらい前、私がこの会に入ったときには経営理念とは何かとか、その理念が経営には不可欠であるといったことを、何も知らなかった自分に全て教えて頂いた先生でもあったわけです。
 
そして例会での報告は、社長業の他に劇団にも所属するセミプロ級の役者でもあるK社長ゆえに、自身の歩んできた経営の40年の歴史を、芝居風に発表するプロロ−グから入りました。
 
パワ−ポイントにまとめ、プロジェクタ−で発表したその内容は紙芝居風でもあり、とても斬新で面白い企画でした。そのへんはさすが大先輩と思わせるもので、長くいろいろな葛藤があった自身の今日までの経緯を、短時間で紹介するのにはとても効果的なものに思えました。
 
しかし、お聴きしていて何か物足りないのです。今では20名近い社員を抱え、保険業界ではそれなりに知られた方だけに、こちらの期待度が大きいのです。やはり例外でない激変するその業界の変遷に、どのように手を打たれたのかとか、自社の強みをいかに活かしているのかなどをじっくりと語っていただきたいのです。
 
でも時間配分もあったことから、残念ながら十分その内容をお聴きすることが叶いませんでした。ですから少し消化不良に終わったわけです。しかし普通の会ならここであきらめてしまうものですが、そこは本音で語る同友会、このまま終わるわけにはいきません。
 
聞くとこれに向けてのリハ−サルも十分ではなかったと言います。私はすかさず大先輩ながら直言させてもらいました。「先輩は自分の語りで感動ある例会にしたいと思っていたのでしょうが、ご自身が話したいことと皆が聞きたいことは違います。それを組み立ててうまく引き出すのがリハ−サルではないでしょうか」と。
 
そして「事前に何回かそうしたことを繰り返し、少しでも良い例会にしようとしているのが沼津支部のル−ルです。そのル−ルを私を含めベテラン会員だからこそ、しっかりと守っていかなければいけないのではないでしょうか」と更に追い討ちをかけました。
 
ちょっと生意気とも思える私の発言でしたが、さすがはこの大先輩、素直に耳を貸していただきました。私にしても相手を陥れようとしていることでは決してありません。もちろんかつての先生でもあるわけで、敬意を表してお互いやこの会が少しでも良くなることを望んでのことです。
 
こうしたやりとりが、駆け引きなく本音で行われるのがこの会の良いところです。しっかりとこちらの言いたいことも伝わり、先方も少しもそれにより、どうのこうのということがありません。むしろお互いの絆が強まるかもしれません。
 
近年、少し気にかけているのがこうした本音でのやりとりが、若い人が増え減ってきたことです。当たり障りはよいかもしれませんが、なかなか本音の部分を引き出させないからです。
 
これは昨今の若い人の風潮かもしれませんが、相手に深く入り込むことがなく、自分が傷つくことを怖れています。しかし相手への愛さえあれば、もっともっと勇気をもって相手の懐へ飛び込んでいくことが必要ではないでしょうか。
 


青山繁晴氏講演会から

[2009年11月18日(水曜日)|No.1724]

法人会の会員表彰記念講演会で独立総合研究所の青山繁晴さんの講演をお聴きしました。青山さんは以前はテレビでよくお見かけしたのですが、最近はあまり見ることなく、ご本人の言われることには関西のテレビが多いからみたいです。
 
お聴きして一口でその感想を述べさせて頂くと、ものすごく熱い人だなというのが実感です。こうした講演会では時間通りに終るようなことはまずなく、今回も軽く30分ぐらいは超過していました。
 
いつもは放っておくと2〜3時間は優に超える講演になるとのことですが、この日は会場のその後の予定も詰まっており、もう少しだけと言い続けてもそのくらいの延長になったほどです。お陰で私はその後、清水で予定されていた講習会に遅刻して行ったくらいです。
 
ですから商売として割り切ってやっているのではなく、そのくらい何よりも自分の熱い想いを一人でも多くの人に伝えたいからではないかと思われます。
 
その想いとは戦争で尊い命を失った、今日の日本の繁栄の礎を築き上げてくれた先人たちの英霊への想いです。沖縄でよく知られている「ひめゆりの塔」は多くの人が訪れるものですが、「白梅の塔」という別の慰霊碑があるそうです。
 
何年か前まではこの塔を訪れる人がほとんどないことから、真っ白な遺骨が狭い穴倉にぎゅうぎゅう詰めになっているのがこの目で見えたくらいだと言います。
 
沖縄第2高等女学校の若き乙女たちの遺骨なのですが、その叫びが聞こえてくるようだと話されていました。またこの戦争で同じく玉砕した硫黄島についても触れていました。
 
なぜかこの島に渡るル−トは未だに全くなく、防衛庁に頼んでもなかなか許可が下りないと言います。それをやっとの思いで頼み込み、何とか渡ることができたのですが、飛行機が滑走路に着いた途端、自分の足が動かなくなったそうです。
 
この島で亡くなった人の多くは遺骨すら帰ってきません。それはここに基地を持つアメリカが多くの遺骨を収集することなく、その上に飛行場を作り、滑走路をひき詰めたからです。いわば、日本人の多くの英霊の上にコンクリ−トを流し込んだと言っているのです。
 
ですから飛行機が着くたびに彼らの痛みが聞こえてくるようだと話されていました。こうした経緯を私たちは絶対に忘れてはいけないと、講演の機会を得る度に全国津々浦々で話しているのでしょう。
 
もちろん、このことだけ話し続けていたわけではありません。時の政権である民主党のアキレス腱、なぜトヨタがF1から撤退したのか、また日中米の今後の関係、日本の持つ第4の埋蔵資源等、貴重な聞き逃すことのできない話も少なくありませんでした。
 
こうした講演の最中、周囲からはいくつかの不協和音が耳に入ってきました。「俺たちは今、目先の話が聞きたくて、こんな話を聞きに来たわけでない」とか「こんな話ならどんどん終わりにしてしまえ」などの声です。
 
少し耳障りだったのですが、こうした尊い先人たちがあったからこそ今が存在しているわけで、この話を素直に聞けない人に、果たして社員さん他、人の話をまともに聞く耳を持っているのだろうかと、訝しく思ったほどです。
 
やはり先人たちの功績に少しでも感謝の気持ちがあれば、とても異を唱えることはできないのではないでしょうか。


塩うがい

[2009年11月17日(火曜日)|No.1723]

朝晩はめっきり冷え込んできました。この時期、何と言っても頭の痛いのが風邪、特にこれからは季節型のインフルエンザが流行りだすときでもあります。それに加えて、今年はもっと厄介なことに、新型インフルエンザが猛威を振るっています。
 
新米教師を務める娘の学校などでもいち早く、学級閉鎖が既に行われたようです。学校やホ-ルなど、人がたくさん集まる所には、関係者のいろいろなご苦労がしのばれるものです。
 
さてこのインフルエンザの予防対策に、常々言われている手洗いとうがいの効果が改めて取り上げられています。これは手や喉についたウイルスを体内に侵入させないためのものなのですが、特にその中のうがいについて、「塩うがい」の効果が注目されています。
 
以下少しホ−ムペ−ジに載っていた記事を紹介させていただきます。
 
一昔前は、風邪防止のために「塩水でうがいする」のが当たり前だった。この「塩うがい」は、それに類似した方法が江戸時代の貝原益軒の「養生訓」で紹介されているなど、民間伝承的に知られている昔ながらの衛生習慣である。とはいうものの、これまで、その有効性の科学的根拠はあまり示されてこなかった。
 
「むかしながらのしおうがい」 ここに注目したのが、忠臣蔵で名高い赤穂の伝統的製塩技術を活かし、「赤穂の天塩」をはじめとする様々な塩商品を発売している赤穂化成株式会社である。同社は、2009年9月に塩うがい水「むかしながらのしおうがい」を発売するとともに、塩うがいの有効性についての研究成果を発表した。
 
研究で着目されたのは、唾液中に含まれる免疫物質である「S-IgA」。口腔の生体防御機構は、経口感染や経気道感染などの感染経路によって引き起こされる疾病を予防し、生体の恒常性を維持する上でも非常に重要であると考えられている。特に、「S-IgA」は、口腔の粘膜免疫機構の主役を果たしているとされている。
 
この研究では、ナトリウムを用いて調製した塩溶液、マグネシウムを主成分としたニガリを用いて調製した溶液の混合液を披験物として用い、対象物として水道水を使用。試験対象者が、被験物、対象物でうがい後、S-IgAを測定。その結果、ナトリウム45%、マグネシウム30%の濃度で、S-IgA量が増加することが認められた。
 
こうした研究成果に裏打ちされた商品として同社が発売したのが、天然にがりを含んだ海洋深層100%のうがい液「むかしながらのしおうがい」。その規定量を水に薄めてうがいを行うものである。
 
一説によると、ウイルスは30分で侵入すると言われており、それを阻止するには「うがい」も30分ごとと、かなり小まめにする必要があることになる。
 
インフルエンザは「これをしていれば絶対に罹らない」というものではないだろうが、同時に生活習慣の改善により、リスク低減を図れるのも事実。小まめな「塩うがい」、習慣にしてみてはいかが?

 
このように紹介されているわけですが、天然にがりと言えば、つい先日、母校沼津東高のグランドに届けたばかりです。ある会社のご好意で、無償で100個(1個25kg入)ほど頂いたのですが、グランドに使用すると砂ぼこりを抑えたり、その保水性からグランドの質を高めるものです。
 
本来は塩化カルシウムなどと混ぜて、グランド用にがりという粉体なのですが、頂いたのは天然にがりということですから液状のものです。その効果は既に東海大学などで実証済ですから何も問題ないのですが、頂いた後から食用にもなる高価なものだと知らされ恐縮しています。
 
話が逸れましたが、知られているように海水の成分である天然にがりが、人間の健康にとてもよいわけですから、インフルエンザにも塩が効果的だということが頷けるものです。とにかく自分の体は自分自身でしっかりと守っていきたいものです。


韓国の特殊な地域性

[2009年11月16日(月曜日)|No.1722]

あるチラシに書かれていたのですが、韓国の内部で根強い地域対立があることを初めて知りました。先に韓国は北朝鮮との激しい銃撃戦があったと伝えられたばかりですが、国内でもそうしたことがあるのでは、この国もなかなか複雑で大変だなと思ったしだいです。
 
その地域対立とは西部の全羅道と東部の慶尚道です。これはかなり有名な話みたいで、比較的人口の多い慶尚道出身の人間が政権の座に就くことが多いみたいで、少数派の全羅道の人々は長く虐げられてきたようです。
 
ですから結婚するときも親が心配するのは、まず相手の出身地だと言われています。一時期の日本でも、部落問題とか相手の国籍うんぬん等ありましたが、韓国ではこれがどうやら今でも続いている話のようです。
 
そしてこの小コラムには、地域対立が韓国プロ野球にも強く影響を及ぼしていることを紹介していました。それによると、今シ−ズン1位に輝いたKIAタイガ−スの本拠地である、全羅南道・光州市を訪れ、観戦したナイタ−試合のことについて触れていました。
 
光州とは、かつて全斗煥将軍らの新軍部に抵抗した、市民や学生が数多く殺害された光州事件が起こった場所です。タイガ−スの相手はソウルが本拠地のLGツインズです。
 
このツインズを迎え撃った光州での本拠地の球場に、異様な雰囲気が漂っていたそうです。筆者はやはり本拠地ゆえに熱狂的なファンの多い1塁側を避け、多少は相手方ファンがいるものと思い、静かに観戦しようと3塁側に陣取ったとのことです。
 
それが大間違いで、3塁側の周囲を見渡しても全てKIAのユニフォ−ムを着たり、帽子をかぶったタイガ−スファンばかりなのです。そして試合が始まると更にそれはヒ−トアップします。
 
KIAの攻撃となると、大声援が球場を包み、まるで観客席から球場全体に地鳴りがするようだったと記しています。ですから1塁側も3塁側も全てこの地元ファンばかりなので、LGファンがもし居たら生きた心地がしなかったのではないかとも表現しています。
 
このことは韓国の持つ、熱い国民性なのかもしれません。そう言えばオリンピックの声援でも、自国の選手には異常とも思えるものがありました。フィギアスケ−トのキム・ヨナ選手に対しての応援も然りのことです。
 
そして最後に、韓国にはソウルと釜山、慶州、済州島以外にはまともなホテルがないことに触れ、地域ごとに独立しているのが韓国、お互いに交流がないからホテルも要らないと結んでいました。
 
こうした国民性というか地域性が、自国よりその観光に近隣の日本を選んでいる理由の1つかもしれません。とにかく、ウォン安の影響からか、日本人の韓国への観光客が増えている中、上記に挙げたこの国の持つ、特殊な地域性は知っておいた方がよいかもしれません。
 
様々な日本におけるかつての複雑な事情から、出身地すら打ち明けることのできなかったことから、私も機会があれば、お世話になった方の出身地でもある、この全羅南道を、是非一度訪れてみたいと思っています。そうそう、日本人はこの”恨の思想”も決して忘れてはいけませんね。


大阪・山田製作所様見学その1

[2009年11月13日(金曜日)|No.1721]

昨日の12日は企業見学で大阪・山田製作所様に行ってまいりました。この山田製作所の山田茂社長とは8年ぐらいのお付き合いになるでしょうか、中小企業家同友会のお仲間で、福岡で開かれた全国総会で同じグル−プに属したことがきっかけで、以後親しくさせていただいている間柄です。
 
山田製作所様は「良い現場は最高のセ−ルスマン」と言われているとおり、徹底した3S活動を全社的に実践していることから、私たち中小企業家同友会会員のみならず、各種団体が全国から見学に訪れている素晴らしい会社です。
 
私も以前からそのことはよく知っており、一度伺う、伺うと言っていながらなかなか実現できず、今日に至ってしまいましたが、ようやくその約束を実現する機会を得ることができました。
 
体調不良の一部の社員やパ−トさんを除く、総勢6名で訪れました。事前に山田社長にこの旨、申し入れお願いをしたところ、どうせなら朝の始業前の清掃や朝礼から見ませんかとのお誘いをいただいたことから、それに間に合うよう、こちらを朝というか夜の2時に車で出発して向かいました。
 
そして高速も順調だったことから7時半には悠々、会社に入ることができたのですが、まず驚かされたのが入口に立て掛けられた看板です。
 

「歓迎、株式会社 アイソ−様」と記された、この素敵な看板には、その時間には既に出社し、わざわざ私たちを迎え入れてくれた山田社長はじめ皆さんの、温かいおもてなしの心が感じられ、嬉しくなるものでした。
 
そして7時55分から始まった「すみっこ清掃」や8時5分からの朝礼にも参加させていただきました。毎日3班に分かれロ−テイションで行われている清掃には、主に機械の隅や普段なかなか目が届かない部分の清掃を21箇所のブロックに分け、少なくとも1週間に1度はできるようにしています。
 
また元気な経営理念の唱和から始まる朝礼は、その日の連絡事項や業務確認の他、当番の方が行う3分間スピ−チやそれを受けたコメントにユニ−クなものを感ずることができました。
 
特にスピ−チの内容には制約を持たないそうですが、それに対するコメントは事前に用意できないものだけに、咄嗟の対応やそれぞれの受け取り方の違いなどを学習できる方法として、さすが中小企業家同友会で鍛えられている方だけに、良いと思ったことをふんだんに自社に採り入れているところを感じました。
 
それから社員である鈴木芳樹さんという方が、わざわざ自分の業務を放り出してまで、私たちの案内を務めていただきました。まさに見るものそれぞれが目を見張るものばかりです。整理・整頓の素晴らしさはとても一度には紹介できませんので、また次の機会に触れたいと思います。
 
とにかく無理してでも伺って良かったと本当に思える会社です。また詳しく後日触れますが、最後の社長の話の中にあった、現在社内ル−ルの1つである「白線を踏まない」という、過去からの経緯に基づく体験話が忘れられません。
 
お聴きしていて思わず胸がいっぱいになり、涙した弊社社員ばかりでなく、何回かお聴きしている私までもが「ああ、こんなよい会社になりたい」と、大きな深い感動に包まれたものでした。
 
改めてこのお客様に対するおもてなしの心や、少しもその労を惜しまないサ−ビス精神、また惜しまずそうしたノウハウを提供してくれる度量の大きさに富んだ、山田製作所様の姿勢にただただ敬服しています。いろいろとお世話になりましてありがとうございました。心より感謝申し上げます。


往生際の悪さ

[2009年11月11日(水曜日)|No.1720]

ついに市橋容疑者が逮捕されました。2年7ヶ月余りに及ぶ逃亡生活を繰り返していたわけですが、整形手術等でその変貌ぶりには驚かされるところです。
 
今回の事件についてはいろいろと考えさせられてしまいましたが、そこまでして生き延びたいのでしょうか。逮捕されたのはこれから沖縄へ向かおうとする、大阪南港のフェリ−乗り場と聞きます。
 
もし不審者と気がつかず、そのまま沖縄に向かっていたら海外逃亡の恐れもあったわけです。そう考えると、ここで情報の提供者などには、懸賞金として懸けられた1000万円が与えられるとのことですが、決して高くはありませんね。
 
とにかく捕まってよかったと思います。それにしても、大阪で1年以上、建設関係の仕事をして食い繋いでいたとのことですが、整形などできる金額がどこにあったのでしょうか。
 
事件直後、警察官の尋問を振り切り、その場から逃走して今日に至っているわけですが、逃げたのは裸足だったとも聞いています。まあ、家が医者と歯医者の両親と言いますから、普段から裕福な生活はしていたかもしれませんが、慌てて飛び出していっただけに、謎に包まれるところです。
 
この両親がインタビュ−に応じていました。こんな不肖な息子とは大違いで、潔い態度で自分たちの姿を何も隠すことなく、心境を述べていました。それが翌日になると、マスコミの方の都合なのでしょうか、顔を隠して写されていたのも、ちょっぴりおかしなものに思えましたが...
 
両親の言っている言葉を信じたいものですが、そうすると余計その逃走過程が不思議に思えるものです。ですが、社会的地位も高い、この両親のご苦労も人並みのものではなかったはずです。やはり信じてあげなければいけないでしょうね。
 
とにかく潔い両親に比べ、容疑者である大馬鹿息子の行動はいただけません。あまりにも往生際が悪すぎます。こうなったからには、素直に罪を認め、捜査が速やかに終了できるように早く刑に服してもらいたいものです。
 
カキコミの途中で、急な出張業務が発生したため、中座し失礼致しました。明日は社員と一緒に、全国からその見学に訪れている、大阪同友会・山田製作所様に工場見学のため出掛けますのでお休みとさせていただきます。


パニック障害

[2009年11月10日(火曜日)|No.1719]

日本シリ−ズで日本ハムの5番を打っていた、ひげの選手をご存知だと思います。無精ひげを生やして、一見昔の野武士風に見える選手ですが、小谷野栄一さんと言います。
 
この小谷野選手がずっと長いことパニック障害という病気に悩まされていたことを知りました。一見、そんなものとは全く縁がないように見える選手ですが、2軍暮らしが続いていた3年前から発症したと言われています。
 
パニック障害とは強い不安やストレスから起こる発作ですが、症状は吐き気のほか、めまい、動悸、呼吸困難など人によって千差万別と言われます。電車に乗れない人や飛行機に乗ると発作を起こす人など、いろいろなケースがあるそうです。
 
小谷野選手の場合は打席に入ろうとするたびに、吐き気に襲われ、たびたび嘔吐を繰り返していたとのことです。その小谷野選手を救ったのが、同チ−ムで打撃兼ヘッドコ−チを務める福良コ−チです。
 
2軍時代、コ−チとして指導していた福良さんですが、とにかくまじめな選手だったと言っています。ベンチでも度々吐いたり、代打や守備から帰ってきて次の打席が自分からというと、もうだめで審判に少し待ってもらっていたほどなのです。
 
こうした小谷野選手なのですが、その年の秋のフェニックスリ−グに選手の数が足りなかったこともあり、福良コ−チは使い続けたと言います。結果を恐れるばかりに発作に悩まされた同選手に、結果はどうでもいいから、あまり考えるなと言って励ましたそうです。
 
そして全試合出場したことからも少し自信が深まり、翌年の2007年からは1軍に定着して活躍するにまでなったのです。しかしながら、今でも全く解消されたわけではなく、2008年から1軍に上がり同行している福良コ−チは、なるべく多く声を掛けて不安を取り除いているみたいです。
 
ですから、本人は今でも不安と戦っている毎日なのですが、あれこれ悩むより、試合に臨む前に悔いのない練習をしようと前向きに考えるようにしているとのことです。
 
やはり人一倍真面目な人が陥りやすい病気なのでしょう。こうしたものを克服し、小谷野選手は日本シリ−ズで全試合でヒットを放ち、見事、優秀選手賞に輝きました。
 
またこれで大きく吹っ切れるものとなったのではないでしょうか。そして国内で100人に3人が罹っていると言われる、このやっかいなパニック障害を患う患者の方々にも、明るい希望と勇気を与えることになったのではないでしょうか。


直江兼続

[2009年11月09日(月曜日)|No.1718]

NHK大河ドラマ「天地人」がいよいよ、あと2回を残すところとなっています。珍しく今回の大河ドラマは年間通して観ることができました。例年最初は観るのですが、どうしても仕事とかいろいろな用事が重なり、途中から挫折してしまっていました。
 
それだけ仕事などが忙しくないとも言えるわけですから、喜ばしいことかどうかは分かりません。でもそのことは置いといて、その名前すら知らなかった、主人公・直江兼続という人にずいぶんと興味を持った人は多かったのではないでしょうか。
 
次回は「大阪冬の陣」ということですが、体面とか過去にこだわったばかりに豊臣家滅亡を招くのですが、ただ上杉家存続を願って知謀をめぐらした兼続の、対照的な生き方には興味深いものがあります。
 
ちょうど関が原の戦いのとき、兼続は徳川に味方していた、山形城の最上義光を攻め込み、落とすまであと一歩のところまで来ていました。そこに家康圧勝の報せが入り、急遽、その囲みを解き、兵を引き上げることを決断します。
 
そして直ちに家康のいる大阪城に向かい、面会を申し出るのです。周囲の冷ややかな目など少しも気にせず、ここで何とか上杉家の安泰を願い出ているのです。
 
こうして兼続に与えられていた、米沢三十万石だけはそのまま残すと言われたのですが、それも返上し上杉家に与えてもらいたいと逆に願い出て、その条件として家康の家臣・本多正信の息子・政重を自分の養子として跡目を継がせる約束を果たすのです。
 
兼続自身にも嫡男がいるのに、こうした苦汁の決断を図り、上杉家を何とか生き残りさせることになったのです。ですから兼続のこの器量や知謀には、主人の上杉景勝に限らず、秀吉や家康まで一目も二目も置いていたのです。
 
米沢藩と言ったら、後の世に出てくる上杉鷹山のことが多くに知られているのですが、元々は兼続のこの働きがなければ、後世には何も伝えられることがなかったというのも面白い話です。
 
ある意味では、この時代が今の世をそのまま映し出しているのかもしれません。ご存知の通り、昨今の厳しい時代、あの手この手を使い、必死になって会社存続を果たさなければなりません。
 
それは決していい加減なことをして存続を図るということではありませんが、予期せぬいろいろな事態にも対処できるように、会社と社員を守っていかなければなりません。
 
雑誌「到知」にも書かれていた、松下幸之助さんの言葉どおり、「人間は行きづまるということは絶対ない。行きづまるというのは、自分が”行きづまった”と思うだけのことである」ということなのでしょうか。
 
直江兼続に教えられるように、私を先頭に、世の経営者まだまだ努力が足りないと、諭されているようです。


日米の野球決戦から

[2009年11月06日(金曜日)|No.1717]

昨日のポ−トメッセ名古屋で開かれたビジネスフェア2009は大盛況でした。お陰様で弊社ブ−スにも、昨年の東京・ビジネスサミットよりずっと大勢の方がお越しいただきました。改めて感謝申し上げます。
 
やはり出展が2回目ということもあって、昨年より少しコツが呑み込めたというか、いくらかは余裕を持って接することができたように思えます。当日駆けつけてくれた家内が言ってくれたように、これからは呼び込みをしなくても、先方がこちらのブ−スを探し求めて来るような会社を目指したいと強く思ったものです。
 
さて今週は野球の話題ばかりで恐縮ですが、昨日の日本シリ−ズと、世界一となったヤンキ−スの松井選手の活躍に触れないわけにはいきません。
 
まず劇的なサヨナラホ−ムランで幕が下りた、昨夜の日本シリ−ズ第5戦です。やはりカギは8回表、好投を続けていた藤井投手に代打を送り、8回裏を投げさせなかったことではないでしょうか。
 
この藤井投手攻略に、巨人打線は7回まで手をこまねき打ちあぐんでいました。名古屋からの帰り、ラジオで聞いたのはそれまで99球と言っていましたが、後で85球とも伝えられています。この投球数でなぜ替えたのか、またせめて8回までのあと1回なぜ投げさせなかったのか、交代で流れが大きく変わってしまっただけに、悔やまれるところです。
 
ですから最後には、今シ−ズン不敗の抑えの武田投手がたった4球で沈んでしまいましたが、ある意味では流れが大きく変わったことによるものではなかったでしょうか。この梨田監督が言っているように、野球の恐ろしさを見せつけられた試合でした。
 
一方、優勝を決めた試合、ヤンキ−スの松井選手の大活躍には、日本人である私たちが大いに溜飲を下げることができました。先制の2ランに始まり、3安打6打点ですか、その得点のほとんどを自分一人で叩き出した活躍には恐れ入りました。
 
そして日本人初めてのワ−ルドシリ−ズMVPを獲得しました。フィリ−ズの本拠地に戻ってから代打しか出番がなく、やきもきさせていた私たちの思いを見事に晴らしてくれたものです。
 
ケガのあと、DHでしか起用がなく、なかなか多くの出場機会に恵まれないこともあって、なぜ守れないのかとか、ヤンキ−スのユニフォ−ムを着れるのも今シ−ズン限りなのかなど、少しストレスが溜まりそうなシ−ズン中でした。
 
そうした、モヤモヤをこのワ−ルドシリ−ズで見事に晴らしてくれました。これでたとえチ−ムとの契約が今シ−ズン限りで終わったとしても、気持ちの中では吹っ切れるものではないでしょうか。
 
私たち日本のファンからすれば、DHだけでなくやはり守っている姿も見たいし、それもまた可能だと思われます。とにかく本人の永年の夢も叶えられたし、その去就は判りませんが、来季からまた心機一転、新たなゴジラ・松井選手の勇姿を眺めてみたいと思っています。


ビジネスフェア2009出展のため休ませて下さい

[2009年11月03日(火曜日)|No.]

11/4〜5の2日間は、ポ−トメッセ名古屋で開かれるビジネスフェア2009に弊社出展のため、会社を留守に致しますので、カキコミは休ませていただきます。


理想の球団入り

[2009年11月02日(月曜日)|No.1716]

日本シリ−ズはダルビッシュ投手のふんばりで、1勝1敗のタイに持ち込みました。登板できるかどうか、危ぶまれていただけに、さすが日本を代表する投手です。これで俄然、シリ−ズが面白くなりました。
 
さて少し話題が色褪せてしまいましたが、花巻東・菊池雄星投手がドラフトで西武球団から指名を受けることになりました。大リ−グではなく、日本の球団に、しかも投手を育てるのには定評のある西武への入団は大賛成です。
 
ご存知のとおり、西武にはあの松坂投手という大先輩もいたことですし、涌井、岸と言った若手の投手の台頭も著しいものです。それだけに日本に踏みとどまらず、世界に躍進するためにも良い環境に恵まれたのではないかと思っています。
 
何しろ選手が日本の球団から大リ−グに移るのには、最低でも9年掛かってフリ−エ−ジェント(FA)権を取得するか、ポスティングシステムと言って、日本の所属球団が移籍を認めた場合に限って、大リ−グ球団による入札で決定し移籍する方法の2通りしかありません。
 
このポスティングシステムにより、FA権のない松坂投手でも8年の在籍でレッドソックスに移ったのです。そしてこの実績があるのがお目当ての西武球団で、60億円もの球団収入が得られたのは周知の通りです。

ですから、同じ柳の下のどじょうを狙ってのことでもないでしょうが、菊池投手にしたって十分その可能性があるのではないでしょうか。
 
それにしてもこの菊池投手、性格も素直でその評判も悪くありません。またこれだけ騒がれている身でありながら、学校では率先してトイレ掃除もやっているというから驚きです。
 
そして勉学態度も真面目で、野球などの専門書はもちろん、昔から伝えられる格言や人生における指南書にも興味を示していると聞きます。体がとにかく柔かい、野球での天性の素質と併せて、申し分ないのではないでしょうか。
 
松坂投手に始まり、ダルビッシュ、マ−君、そして今回の菊池投手と、人気の投手がこれで全てパリ−グに入りました。かつては人気のセ、実力のパなどと称されていましたが、ここまできたら看板返上です。
 
ますますエキサイティングな日本プロ野球を創り上げていく上でも、とても良い傾向ではないでしょうか。20年に一人とも言われている逸材だけに、大事に育て上げていって欲しいものです。