株式会社 アイソー




2008年10月の日記

障がい者との共生

[2008年10月31日(金曜日)|No.1518]

日本理化学工業?会長・大山泰弘さんのお話の続きを述べたいと思います。懇願する先生の3回目の来訪で、たった二人だからと同情的気持ちで就職を引き受けた大山会長の裏には、私たちがカバ−しますからという社員さんの熱い思いがあったからだと言われていました。
 
当時の一度ならずも二度まで無下に断ったことは、この会長の気持ちの中に大きく引っ掛かった部分があったようです。それを社員さんの方からそのように申し出てくれたことで、救われたのではないでしょうか。
 
それが今日の、障がい者で製造ラインをほとんど占める、素晴らしい会社に繋がっていった原動力なのでしょう。そして前回ご紹介した、人間にとっての4つの究極の幸せは施設が与えるのではなく、企業が与えなければいけないという強い思いが生まれ、このような知的障がい者でのモデル工場が作られていくことになったのです。
 
商品はダストレスチョ−クと言って、粉が出ないため害にならないものを扱っていて、景気不景気に左右されない商品だったからと謙遜されていましたが、やはり今に至った過程においては、様々なご苦労や工夫があったようです。
 
字が読めない、数が分からない彼らでも、会社に来るまでの道のりを一人でもしっかり来れるのは何かとまず考えました。そこで信号機の赤・黄・青の識別はできることに気がつき、工程の流れの中に色分けを導入し、計量の仕事でも簡単に取り組める仕組みを生み出していきます。
 
またその他にも砂時計で時間を読み取り、スイッチ操作などを行なうという、彼らの理解力の中で工程を考えていったとのことです。そして彼らの中からリ−ダ−を選出し、班長になって仕事を進めていくという、そのレベルの中で対応を考慮していったことにより、管理者は一人の職員で可能となっているそうです。
 
このように70年続いている同社ですが、50年前、こうした雇用をしたことにより、周囲の人たちが応援してくれて今日があると言われていました。
 
また障がい者雇用は一石三鳥にも繋がっていると述べています。企業にとっての利益と障がい者自身の大きな生きがい、そして社会保障費を大幅に削減していることです。そうした社会保障は一人2億とも言われているからです。
 
お話に感銘するだけで、その足下にはとても及べるものではありませんが、自分たちには関係ないなどと言ってては、とても済まされない思いにさせられました。やはり企業が存在する以上、こうした崇高な理念を是非持ちたいものです。


円高とドル高

[2008年10月30日(木曜日)|No.1517]

アメリカのサブプライム問題を起因とした世界金融恐慌はとどまるところを知らない動きを見せています。その影響で我が国では、バブル崩壊後最悪の株価の下落や急激な円高傾向を示しています。
 
この円高なのですが、私は当初ドルが安いためかなと思っていたのですが、どうもそうではないようです。このドルも日本を除く各国の通貨に対しては意外に強いのです。
 
ニュ−ヨ−クタイムズの見出しでも「ドル高及び円高現象と株安及びその他の各国通貨の下落」と掲げられたとおりです。
 
新聞によると、この1週間で円はドルに対し7%上昇したものの、そのドルもユ−ロその他の通貨に対しては軒並み急上昇しているとのことです。英国ポンドや韓国ウォンに対しては7%、ユーロ6%、オ−ストラリア・ドルには11%、ポ−ランド通貨に対しては13%もの大幅上昇を示しています。
 
この円高とドル高の現象は次の2つの要因から起きていると指摘していました。1つはヘッジファンドその他の投資家がアメリカや日本以外の国から投資を引き上げ、リスク回避の目的で、安全通貨としてのドルと円に投資を振り向けたということです。
 
2つ目は円のキャリ−トレ−ド(低利の日本から円を借りて他国に投資する手法)を解消する手段としての円買い現象が起きているという指摘です。
 
それ以前は韓国その他の発展途上国に投資していたり、大豆等の商品や原油を投機対象としていた投資家が一斉にドルや円に回帰したというのです。
 
しかしこの円高で、国内の主要産業であるトヨタなどの自動車産業やソニ−などの電器産業は、いつまでももたず収益の激減を余儀なくされる関係で、いずれは円売りに転じるのではないかという見通しがもたれています。
 
そしてそもそも、この金融恐慌をもたらした張本人であるアメリカの通貨であるドルが、世界の基軸通貨として使い続けられるのも何とも皮肉な現象だと最後に結んでいました。
 
円が他国の通貨に比べ、ただ強くなればよいというものではないという話も面白いものです。ドル建てで契約している輸出産業は大きな痛手を蒙ることになるわけです。一方、日本から海外へと旅行する人たちや輸入商品には円高差益のメリットが発生することになります。
 
新聞でも論じているとおり、何もかもこのドル基準で世界が回っているのも本当におかしな話です。この金融危機の真犯人である米国のペナルティ−は果たして何かないものでしょうか。


企業と福祉との協働

[2008年10月29日(水曜日)|No.1516]

始まる!企業と福祉との協働」という経済講演会に行ってまいりました。障がいのある人が地域で豊かに安心して暮らすことのできるシステムを、企業と一緒に考え、その繋がりを深める目的で、静岡県が主催した講演会です。
 
その第1部ではご存知、「日本でいちばん大切にしたい会社」という本も書かれている、法政大学教授・坂本光司さんの報告です。時間がないため、もっともっとそのお話を聞きたかったのですが、著書にもある触り的話しかお聞きすることができませんでした。
 
それでも、大切にしたいものの中でも二番目に挙げている、外注さんや協力会社のことに触れ、創業以来、一度も外注さんを変えたことのない会社や、合見積すら採ったことのないところが実際に会社として存続している話はびっくりさせられました。
 
業績はそうした考えに比例して、めざましい躍進を遂げているとのことです。大切にしたい会社と言われるだけのことはやはりあるものです。
 
そうした会社の中で、著書でも一番目に挙げている、日本理化学工業?会長・大山泰弘さんのお話がその第2部でした。大山さんのお話はまた改めて詳しく触れたいと思いますが、正社員74名の内、障がい者が何と55名も、製造ラインのほとんどを占める驚異的な素晴らしい会社です。
 
でも冒頭、雇用のきっかけとなった経緯には、大山さんご自身の大いなる反省から切り出されていました。今で言う特殊支援学校の先生なのでしょう、この先生が就職のお願いに再三会社を訪ねてきた経緯の話です。
 
一度ならずも二度までもにべなくお断りしてしまったのです。しかし3回目に訪れたとき、この先生の言葉に少し胸を打たれたのです。
 
子どもたちは施設に入ったら一生働くことを知らないでその生涯を終える、一生に一回でも働くことを教えてあげて下さい」との言葉にです。こうして最初はたった二人だからと、同情する思いで就職に繋がっていったのですが、ある法事の席で、住職の言葉に大きな説得力を見つけることができたのです。
 
人間は物やお金があったら幸せと思っていますかとの問いかけです。①人に愛されること ②人に褒められること ③人の役に立つこと ④人に必要とされること が究極の幸せだと説かれたのです。
 
こう話されていた大山会長のお顔は、やはり輝かしくまぶしく見えたものです。また人間は何のために生きているのかという目的も改めて気づかされました。私たちの知らないところで、こんなに頑張っている人たちがいることを知っただけでも、とても有意義な催し物だったと思います。


WBC日本監督

[2008年10月28日(火曜日)|No.1515]

来年3月に行われる第2回WBC(ワ−ルド・ベ−スボ−ル・クラシック)の日本監督にジャイアンツの原辰徳監督が指揮を執ることが決まりました。
 
すったもんだして、やっとその監督が決まったわけですが、いまいちすっきり、収まるところに収まったというような感じではどうもないようです。
 
ご存知の通り、最初はある球団の実力者オ−ナ−の一言で、北京五輪でも指揮を執った星野さんに白羽の矢が立ったわけですが、五輪でのふがいない結果やイチロ−選手の一言もあって、星野さんはこれを固辞しました。
 
イチロー選手は「最強のチームをつくるという一方で、現役監督から選ぶというのが難しいでは、本気で最強チームをつくろうとしているとは思えない」とコメントして、この監督問題に一石を投じていたのです。
 
こうした経緯を踏まえて行われた、昨日の第2回WBC体制検討会議で加藤コミッショナ−からの強い要請もあり、原監督が選ばれたのです。
 
この選考では満場一致のように伝えられていますが、どうやらいろいろな伏線があるようです。候補の一人に挙がっていた野村監督は冒頭、王監督の再任を強く望んだようです。
 
それを体調不良の理由で王監督が固辞し、返す刀で野村さんに「自分は“どう?”」と就任の意思確認をしていたみたいです。ところが正式要請でもないことから、“おれはいいよ”という言い方をしてその場は断わったようです。
 
ですからそれが野村監督の本心かどうかは解りません。しかしある程度のその場に作られた空気を読んでいたのではないでしょうか。本当かどうか定かではありませんが、あるオ−ナ−の強い働きかけによる、出来上がっていた場の雰囲気というものです。
 
皆が一番すっきり納得する選考は、これから行われる予定の日本シリ-ズでの勝利監督だったら何も問題なかったようにも思えます。
 
もっともある意味では選ばれた原監督がス−パ−軍団を率いるのに一番相応しいかもしれません。各球団にいたス−パ−スタ−ばかり集めている巨人という球団の監督を務めているからです。
 
とにかくこうと決まったからには、来年に向けてイチロ−選手や松坂投手まで加えた形で最善を尽くしてもらいたいものです。但しやってもらいたくないのは、一部の新聞には既に報道されましたが、原ジャパンというふうに呼んで欲しくないのです。
 
今まで星野ジャパンとか、岡田ジャパンとか、柳本...と呼ばれてきたチ-ムが勝ったことがあるでしょうか。見事、劇的な優勝を果たした女子ソフトは、決してそんな呼ばれ方をされていなかったはずです。難しいでしょうが日本の連覇を強く願っています。


沼津市長選挙から

[2008年10月27日(月曜日)|No.1514]

沼津市長選挙が終わりました。結果は元衆議院議員・栗原裕康氏が当選して、新しい市長となりました。残念ながら、私の入れた方は第3位に終わってしまいました。
 
もう結果が出てしまったのだから、今更どうこう言っても始まらない話ですが、全体的な感想を述べさせていただきます。
 
まず国政と同じように、ここでも2世議員がやはり強いというのが実感です。組織とか選挙手法に長けているものがあるのでしょうか。もっとも内閣総理大臣からして、我が国は世襲の方ですから、仕方がないとも言えるかもしれません。
 
栗原氏ご自身に関しては別に不平不満があるわけではないのですが、その施策としていた駅高架事業の推進には大きな疑問と不安がいつまでも解消されません。いくら国と県が1/3ずつ予算を取り付けると言っても、沼津市が全く出さなくてよいというものではありません。
 
金融不安が漂い、先行き不透明なこの時代、子々孫々の代まで大きなツケを回して果たしてよいのでしょうか。でも沼津市民は前回に引き続き、そのような選択をしてしまいました。正直、本当に私たちの将来、採るべき道を熟慮していたのか、今でも疑問に残っています。
 
でも対する候補、S氏が当選しなかったのが唯一の救いです。この方は一度、沼津市長の職にありながら、それを投げ捨てて国政に打って出て敗れた人です。それが前回の市長選挙に引き続き、今回も立候補してきたのです。
 
それも前回は高架化反対の立場で出ながら、今回は一転して推進派です。いったい信念がこの人にはあるのかと、訝ったものです。まあ、市長在任中の高齢者への敬老祝い金を廃止した問題も、選挙への影響が少なくなかったはずです。
 
負けた人をこれ以上鞭打ちたくありませんが、こうした問題をその時の若気の至りなどと言い逃れても、そこまで有権者は馬鹿ではないはずです。往生際の悪さを特に感じていたしだいです。
 
もっとも勝って欲しかった3番目の候補についても、少し疑問が残っています。もう終わり頃になってしまったのですが、初めて事務所を訪れた際の雰囲気があまりよくありませんでした。
 
事務所に入っていっても元気な挨拶が返ってくるわけでもなく、後援会長たる、ある先生は人の顔を見ても会釈もありません。何か元気が感じられなく、暗い雰囲気を感じてしまったからです。これで勝てるのかなと。
 
このようにして迎えた投票日の昨日、私は昔のPTAの仲間と愛鷹運動公園にいました。毎年のことですが、遊びの王国と言って、子どもたちにとって素敵なイベントがあり、私たちもその一部の設営に協力していたからです。
 
明るい子どもたちの将来を祈って、こうしたイベントに携わっている関係者の姿に、まだまだ捨てられない沼津市の良さが残っています。そこには何よりも楽しんでやっている姿が感じられるからです。全てに共通することですが、やはり自分たちから楽しんでやらなければ、素敵なものは生まれないのではないでしょうか。


企業の責任

[2008年10月24日(金曜日)|No.1513]

企業の責任はここまであるのかという問題が投げ掛けられています。マンナンライフという会社が出しているこんにゃくゼリ−についてです。
 
ご承知のとおり、お年寄りや小さなお子さんがこの商品を口に入れ、のどに詰まらせて死亡するという事故が起こっています。
 
これについて様々な意見が飛び交っています。ゼリ-という表現がかたい物を連想させる、餅を食べても喉に詰まらせる人はいっぱいいる、自己責任ではないか、また改善なき企業は淘汰されるべきで、直ちに販売を中止すべきだとの厳しいものまであります。
 
かなりのヒット商品だったと思われます。それが発売されてすぐにこうした問題が出てきたわけでなく、かなりの年月を経て、この試練に立たされている現状を知ると、やはり時代が変わってきているのでしょうか。
 
おそらく企業側も当初は予想もしていなかった問題のはずです。しかしここまでクロ−ズアップされると、現在自主的に企業が行っている、商品の製造と出荷を一時停止しているのもやむを得ないのかなと感じさせられます。
 
やはり何らかの改善を施さなければ消費者は納得してくれないでしょう。でも企業を決して擁護するわけではないのですが、今回の問題を通して、企業責任と自己責任は表裏一体のようなものに思えます。
 
ここまで十分考えて商品を送り出さなければいけない、企業の責任という問題は並大抵なことではありません。また順風満帆に時代を過ごしてきても、ある日突然荒波にさらされる恐れのある今の時代の多様化というものを強く感じさせられます。
 
昔と違って、価値観が比べようにならないほど多様化している現在は果たして住みよい世界と言えるのでしょうか。なぜか権利だけをふりかざしていて、人間としてもっと大切なものを失ってきているように、私には思えるのですが...


2008東京ビジネスサミットよりその1

[2008年10月23日(木曜日)|No.1512]

2008東京ビジネスサミットが終わりました。主催者からの連絡によると、出展企業が682社、21,22日の2日間で、来場者が何と27300人との発表がありました。
 
初めての出展で遠慮がちに対応していた弊社にとって、そんなに多くの方々が来ていたのかというのが実感ですが、やはり学ぶべきところは少なくありませんでした。
 
このビジネスサミットはどちらかというと、新商品・新開発という触れ込みはあるにしても、とても足元には及ばないといった画期的な取組みを展示している企業は多くなかったように思えます。
 
だから気楽に多くの企業が出展しているのでしょうが、人を引き付けるノウハウはやはりあるようです。
 
感じたのは私たち製造業では動きのあるものが欲しいということです。パネルや商品をただ展示するだけでなく、まずそのブ-スに立ち寄りたくなる仕掛けが欲しいものです。
 
商品の技術的な説明をすると、よく聞いていただけるのですが、ブ-スに立ち寄ってもらわないことには始まりません。その点、弊社ブ-スでは私とアルバイトで呼んだ大学生の娘、そして課長の3人が詰めていたのですが、立ち寄ってもらう積極的な働きかけは弱かったように思えます。
 

 

そういった意味では1日目の午後、他のブ-スの見学も兼ねて立ち寄った家内の働きは大きいものでした。いわゆる食いつきが自然なのでしょう。通りがかりの方々の懐に自然に入って、商品説明をし始めるのです。
 
聞いてもらって初めて、その内容にも突っ込めるというものです。ですからこちらからの働きかけがなければ、ただ通り過ぎてしまっても仕方がないとも言えます。
 
何しろ600数社も出展しているからには、見る方の立場になって考えればよく理解できるところですが、よほどインパクトや目的がなければ自分からは飛び込んではいかないことがよく分かりました。
 
また追って、学んだことや感想をいろいろと述べさせていただきますが、とにかく慣れないことですから疲れるものです。足が棒になったという表現がぴったりくるほど、2日間の展示会でしたが、お忙しいところ、わざわざ弊社ブ-スに寄っていただいた方々には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
 


ビジネスサミットへ出発

[2008年10月20日(月曜日)|No.1511]

秋晴れの絶好の天気となりました。今朝の富士山は雲ひとつなく、頂上付近に薄っすらと雪化粧をした、あでやかな姿です。明日から始まるビジネスサミットへの出展の準備で、これから出掛ける自分たちを象徴しているようで、絶好の励ましのように受け取っています。
 
私は自分勝手なように言われているB型ですが、まさにこのように、いつも自分の都合の良いように考えることにしています。ですからやはり血液型は嘘をつかないのでしょうか。
 
さて弊社にとって初めての出展となる、このビジネスサミットですが、いろいろと事前に貴重な経験をさせていただきました
 
もともとそのつもりはなかったのですが、金融機関からの強い要請で8月に入ってから急遽、出展することになりました。本当のところを言うと、この金融機関関係のビジネスチャレンジクラブのようなものがあって、何社かまとまると出展料の団体割引きがあるみたいです。
 
そして8月の時点で、どうしてもあと1社足りなかったみたいです。このため弊社に白羽の矢が立ち、先に県の経営革新計画申請時でもいろいろとお世話になっていた関係で、断りきれず出展に踏み切ったのです。
 
さあ、出ると決めたからにはそれからが大変です。やれ主催者側からの小間準備に関しての申請各種やら、チラシやパネル作り、展示品の製作等、やることは少なくありません。それに慣れないことが手伝って、結構精神的にも負担になってくるものです。
 
学生時代、いやそれ以前からそうだったのですが、私の性格からいつも追い込まれないと動き出さない悪い癖が、それに輪を掛けて準備を遅らせていたのです。
 
でも何とかかんとか関係者の協力もあり、ようやくその前日まで来ました。そうは言うものの、ついちょっと前まで来場者へのアンケ−トを作っていたわけですから、何をかいわんやのことです。
 
このようなわけで、明日から2日間、東京ビッグサイトでこの展示会が開かれます。弊社の小間番号は4K−55です。500社ぐらいの各種出展になりますから、結構、会場はごった返すかもしれませんが、機会があれば是非弊社ブ−スにもお越し下さい。
 
また終わった後に、全体的な感想やら自分なりの成果について述べさせていただきます。そんなわけですので21,22日の2日間はこのカキコミも休ませていただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。


ちょっと良い話part39

[2008年10月17日(金曜日)|No.1510]

バタバタと忙しく追い回され、カキコミが大変遅くなり申し訳ありません。16日は1日会社を留守にしましたので失礼致しました。
 
友達っていいね」という、ちょっと良い話を紹介します。
 
私は5歳の時、原因不明の高熱で右半身が不自由になりましたが、小中高と普通学級に通い、卒業することができました。それでも、体育の授業は見学が多く、クラスメ−トからにらまれることもありました。
 
小学校ではそれでよくても、中学、高校ともなるとペ−パ−試験だけではなく、実技試験の単位をとらなければ進学・進級ができなくなるため、私はできる範囲で授業に参加していました。
 
あれは高校3年のバスケットの授業中、3人でグル−プを組み、パスの試験が行われた時のことでした。他のグル−プは、いともあっさりとスム−ズにパスをこなしていくのに、私はというと、ボ−ルがあさっての方に行ってしまったり、うまくキャッチできなかったりと、グル−プの友人に迷惑をかけてばかりです。
 
そしていよいよ本番、テストは連帯責任です。1人の失敗も許されません。私は夢中でボ−ルを追いかけましたが、体が思うように動かず、結果は散々でした。
 
私は体中が熱くなり、額からは汗が流れ落ち、息はハアハアで、「どうしてこんな簡単なことが...」そう思うとあまりにも自分が情けなく、泣きたい気持ちでいっぱいでした。
 
「ごめんね」とつぶやいた私に、友人は「何言ってんの、友達でしょ!」と言ってくれたのです。今まで、そんなことを言ってくれる友人は1人もいませんでした。私は初めて友人のありがたさ、優しさや思いやりを受けたような気がしました。
 
熱いものがこみあげ、さっきまでの悔し涙はうれし涙にかわり、大声で泣きたい気持ちでいっぱいになりました。あれから10年、今でも彼女の優しさや思いやりは忘れることができません。

 
相手の立場になって考えたり、行動できる人は素晴らしいものです。得てして自分本位に考えがちになるものですが、ちょっとでも立ち止まって考えてみたいものです。
 
人の傷みを知らなければ優しくなれないかもしれません。そういった意味では全て順風満帆に生きてきた方には気がつかないかもしれません。そうすると悩んだり挫折を味わうのも、人間的に大きくステップアップする方法の1つだと前向きに考えていきたいものです。


孟子の教え

[2008年10月15日(水曜日)|No.1509]

孟子曰く、「人の道あるや、飽食煖衣、逸居(いっきょ)して教えなければ即ち禽獣(きんじゅう)に近し。聖人之を憂え、契(せつ)をして司徒たらしめ、教うるに人倫を以てす。父子親あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信ありと
 
月々送られてくるレポ−トに上記のような孟子の言葉が載っていました。その意味は次のようなことになります。
 
孟子は言った。人間の自然な生き方は、腹いっぱい食べ、暖かい衣服を身につけ、安逸な日を送るばかりで教育を施さなければ、動物と同じようになってしまう。
 
そこで昔の聖人の舜(しゅん)はこれを心配して契(せつ=舜の臣下で殷王朝の始祖)に命じて教育を司る司徒につけ、民に人の道を教えさせた。
 
父子の間には親愛の情、君臣の間には礼儀、夫婦の間には責任の分担、長幼の間には年齢による順序、友人の間には信頼という正しい道徳がこうして確立したしたのだ。
 
この5種類の徳目が後世になって五倫と呼ばれ、儒教倫理の基本として教育勅語の骨格にもなったそうです。
 
また孟子は次のようにも述べています。人間が鳥や動物と異なっている理由は極めて少ない。一般大衆はこの貴重なわずかなものを捨て去り、教養のある人はそれを心に持っている。舜は万物の道理を明らかにし、人間の道義心を洞察したのだと。
 
今、子どもは愛だけで育つという誤解がありますが、それでは足りません。それが周囲の人への「敬」が必要だと孟子が説いたと、レポ−トでは結んでいます。
 
改めて考えさせられるのが、孟子という人は先の時代まで読む、先見性に優れていた方だということです。人が美食飽食に酔い、何不自由なく毎日を過ごし、礼儀もわきまえず、ただ自分のことだけを考え生きている人の多い現代を象徴しているようにも思えます。
 
まさに動物同様、いや親が子を殺したり、子が親を殺める時代ですから、それ以下かもしれません。そういった意味でも人間が他の動物とは違う、何かを求めていかなくてはいけないという、孟子の教えを改めて私たちは紐解いていかなければなりません。


4人のノ−ベル賞受賞

[2008年10月14日(火曜日)|No.1508]

秋本番の素晴らしい天気に恵まれたこの3連休でした。お陰様で私たちの工事も無事終了し、一安心しています。昨日は秦野までちょっと出掛けたのですが、夕方246号とか東名の上り線は全然動かないほど車が列を作っていました。楽あれば苦ありで、家路がさぞ遠かったものと思われます。
 
さて先日発表のあったノ−ベル賞に日本人の4人もの方が選ばれました。物理学賞に小林誠教授(64)と益川敏英教授(68)、それに米シカゴ大の南部陽一郎教授(87)の3氏、また化学賞に米ボストン大の下村脩教授(80)の4氏です。
 
世界的な経済恐慌が起こっている今日、取り巻く周囲は暗い話題ばかりですが、久しぶりにこのニュ−スは日本中を明るく駆け巡ったものと思われます。
 
その対象としては、南部氏が質量の起源などを理論的に説明する「対称性の自発的破れ」、小林、益川の両氏が素粒子のクォークが少なくとも6種類あることを予言した「小林・益川理論」による素粒子物理学への貢献とのことですが、いったい何のことだかさっぱり解らないほどの難しい分野です。
 
小林・益川理論というのが生まれたのが面白くて、研究を始めて1ヶ月ほど経ったある日、風呂で益川さんが思いついたというのです。それから30年余り過ぎてから正しさが認められ、やっと受賞に結びつくというのもご本人たちが言われるほど、またびっくりのことだったと思います。
 
何かここに来てイタリアから少しクレ−ムが突きかかっていますが、そんなことを吹き飛ばしてしまうほど、この益川さんという人はユニ−クな方です。
 
受賞当日の「今日はそれほどうれしくない」という言葉も、この人ならではの“名言”です。それを野球を観戦して、ひいきのチームが勝った、そんなようなことだと思うというふうに喩えています。
 
また授賞式に出ますかの問いかけに、「行かなけりゃあ、しゃあないだろう」と、軽くいなしています。きっとシャイな方なのでしょう。でも私たちからすれば、これぞ研究者という、ガチガチな人でなくて安心しました。
 
やはり全てに通ずることだと思うのですが、この分野でいっぱい、いっぱいでなく、遊び心を持っていなければダメだということではないでしょうか。日本もまだまだ捨てたものではないと、これからの若者たちに大きな教訓を残した、4氏のノ−ベル賞受賞は爽やかでした。
 


首位陥落

[2008年10月09日(木曜日)|No.1507]

プレッシャ−とはこんなものを言うのでしょうか。一時期13ゲ-ムも離れていたその差が一気に縮まり、そしてとうとう昨夜のゲ-ムで首位陥落してしまったのです。
 
敢えて言わせてもらうと、情けない阪神タイガ−ス!いつまでその地位が持つかと、冷や冷やしていた昨今でしたが、残念ながらやっぱりメイクドラマの再現となってしまいました。
 
やはりプレッシャ-でしょうか、選手の動きが硬いですね。対する巨人の方はと言うと、追う者の強みでしょうね。こちらは千載一遇のチャンスとばかり、元々拾ったようなものですから、この時とばかり、がむしゃらに進んでいて勢いが違います。
 
追うものと、必死に守ろうとする立場の違いが出てしまいました。アンチ巨人のこちらとしては、負け惜しみではないのですが、元々オ−ルスタ−軍団のような戦力を揃えている巨人がなぜ勝てないのか、不思議で仕方がありませんでした。
 
ですからいつかは出てくるだろうと思ってはいましたが、これだけ離れているから、今シ-ズンはまず大丈夫だろうと思っていました。それが思ってもみなかった終盤の巻き返しにあったのです。
 
まあ、ここまできたらもう巨人の方が有利でしょうね。全くの同率首位の場合は対戦相手に勝率が良い方が1位との決まりがあります。阪神は巨人に今シ-ズン、あまり分が良くないのです。
 
こうなったら隠れヤクルトファンの私としては、あと巨人と2試合残っているヤクルトスワロ−ズに意地を見せてもらいたいと思っています。
 
シ−ズン初め、主砲のラミネスとエ−ス・グライシンガ−を巨人に無理矢理引き抜かれたチ-ムの意地です。でもカモにされっぱなしのチ-ムですから、それもあまり期待が持てないかもしれません。
 
とにかくペナントレ−スとしては、巨人の大逆襲で俄然盛り上がりました。このような試合がずっと続いてくれれば日本のプロ野球も面白いのですが...海の向こうのリ−グ決定戦やワ−ルドシリ−ズ同様、今後クライマックスシリ-ズに掛けてエキサイティングゲ-ムを期待したいものです。
 
明日10日より2日間、工事で出張のためカキコミをお休みします。よろしくお願い申し上げます。


変革は経営者自らが招くもの

[2008年10月08日(水曜日)|No.1506]

先週末の4,5日の2日間、沼津のウェルサンピア休暇センタ−(旧厚生年金)で開かれた経営指針を創る会1泊2日研修に参加してきました。
 
迎えること、今回は第5期とのことですから、2期以降運営側のスタッフとして出続けている自分にとっても、毎度お馴染みなものになりやすいものですが、参加するたびに大きな刺激とまた新たな学びを深めることができるものです。
 
今回は最終の指針発表会ではなく、まず主に理念について深めることが大きな目的となっていましたが、今期の受講生のレベルが高いこともあって一部戦略や計画にまで突っ込んでそれぞれの話ができました。
 
今回の大きな学びは聞くことの大切さを教えられたことにあるように思えます。参加者にいろいろな経営者の方々がいるわけですから、その経営手法も十人十色で様々です。ですから他人に言われるまでもなく、その人なりに精一杯手は尽くしているはずです。
 
でも社員さんのこととなると、どうしても不平不満が出てしまいます。自分はこんなに彼らのことを思い、してやっているのにと。手を尽くしているはずなのに、なぜか不満や不足を覚える言葉が口に出ます。
 
これはやはり経営者と社員さんの思いに大きな隔たりがあるからではないでしょうか。経営者側では一方的にこんなに思ったり、してやっているのにと思っていても、片方にはそれが何も伝わっていないかもしれません。そうした思い込みが強いと、他人のアドバイスまで耳を閉ざすことにもなりかねません。
 
一度社員さんとじっくりお互いの胸を開いてみることが必要かもしれません。このような会に出て来る経営者は全て真面目な方です。真面目な方ゆえ、見えないことがあるかもしれません。
  
会社を良くしたい、今までと変えたいと願って、私を含め皆、こうした会に入って学んでいることと思われます。結局この会社の変革は私たち経営者自身に大きく関わっているのではないでしょうか。
 
経営指針を成文化しても、実行に繋げていかなければ会社は何も変わるものではありません。また謙虚に社員さんの意見にも耳を傾けなければ彼らの思いも伝わってきません。そうした同友会が説くところの、共育や人間尊重の経営を自社に採り入れていくのも、全て私たち経営者の手にかかっています。
 
言ってみれば私たち自身が変わらなければ会社は何も変わらないのです。その意味でも、もう1回初心に帰って謙虚に学ぶ、また人の意見を素直に聞くことの大切さを学ぶことができた今回の研修でした。


平成の水戸黄門

[2008年10月06日(月曜日)|No.1505]

平成の水戸黄門ってご存知ですか。自民党の代議士・小野晋也さんが一部ではそう呼ばれているらしいです。
 
まだ解散が決まったわけではないのですが、来る総選挙にここで不出馬宣言した、愛媛県選出の代議士です。秘書の方のブログによると、政治家になったときから50歳ぐらいで引退を考えていたみたいですが、先に不出馬を表明した、前国交相とはその趣きが異なるようです。
 
今の時代に国民を偽って政治をやっていられないと言うのです。言い換えれば、「真の政治」を目指すことの困難さに、正直、失望にも似た虚無感を覚えていたような感じがすると言っているのです。
 
この方のエピソ−ドをここで紹介しているのですが、地元の他の某先生がこう愚痴をこぼしたそうです。小野晋也は有権者の面倒を見ない、だからこっちが全部処理してやってんだと。
 
有権者の面倒ってどういうことですかと尋ねたら、それは就職とか企業の面倒とかいろいろあるだろうとの答えが返ってきました。
 
でもこの代議士は、世界中で起こっている戦争も、紛争も、飢餓も、貧困も、そして人々の間で巻き起こる様々な哀しみも苦しみも、それらを解決するには、どうしたらいいのだろうか、ということを心から苦悩し、我が微力さにも悩み続けながら尽くし抜きたいと願ってきた人だと紹介されています。
 
ですから、誰かの利益のためだけに権力をかざすなどということには、何を言われようとも批判を受けようとも、毅然と反論し続けてきたと言うのです。
 
このことを全てそのまま鵜呑みにするわけではないのですが、周囲にいる政治家のほとんどにきっと失望しているのではないかと思われます。そのほとんどが私利私欲、国家のためというよりは党利党略で、いわばその活動が政治の名前を借りているに過ぎないからです。
 
そして在野の政治家として、「野に放たれた虎」となって、新たにその活動の幅を広げていきたいと決心して不出馬を決めたとのことです。だから平成の水戸黄門になるわけです。
 
もっともこの水戸黄門さん、テレビで取り上げているほど、本物は善人でもなかったとも言われていますが、小野晋也さんみたいな政治家も奇特な存在です。言い換えれば、奇特な人ではなかなか務まらない、今の政治の世界ではないでしょうか。
 
明日は軽井沢に工事の現場調査で出張のため、カキコミは休ませていただきます。
 


ねじれの所信表明

[2008年10月03日(金曜日)|No.1504]

中山国交相の早々の辞任という、予期もしない事態がありましたが麻生政権が何とかスタ−トを切りました。その所信表明演説で面白い現象がありました。
 
政府側を代表する麻生首相が、これからどう舵をとっていくのかを述べる所信表明というよりは、対立政党である民主党のことを激しく攻撃に出たのです。この中で民主党の提唱するマニフェストにまで触れ、逆に問い質しています。
 
一方、それを受けて代表質問に立った民主党・小沢代表はそんな質問にはお構いなく、民主党が政権を獲ったらこのようにしますという、むしろこちらの方が所信表明に近いような形で壇上で述べたのです。
 
衆参のねじれ現象に似た、全く今までの反対のケ−スです。内容は新しい生活をつくる五つの約束として、子ども手当(月額2万6000円)創設や高速道路無料化、また農家の戸別所得補償等の政策を掲げました。
 
さて、果たしてこの公約を実現できる財源があるかどうかはちょっと心配なところですが、私たち国民にとっては期待の持てる話です。もっとも高速道路が無料化したら車が増えて渋滞の問題等、別の問題が発生することにもなりますが...
 
それでも我が党が政権を獲ったらこのようにしますと、今回に関してはいつもと違ってはっきり述べています。そこがいつにもなく力の入っているところが感じられます。おそらく小沢さんにとっては最後のチャンスとして賭けているからでしょう。
 
巷ではこのやりとりをイチロ−くんとタロ−ちゃんの戦いなどと称して、面白おかしく揶揄していますが、私はダメで元々でいいから、こうなったら一度民主党に政権を獲らせてやってみるのも面白いのでないかと思います。
 
官僚政治も一度は払拭できるでしょうし、その成り行きを国民が今までになく注目することになります。これは政治に関心を持つということにも繋がるわけですし、意味のあることだと考えます。
 
ここにきて麻生さんは解散より何より景気回復をなどと、ちょっぴり選挙に後ろ向きになっているようですが、支持率や党利党略のことも考えながらそのタイミングを計っているのでしょう。とにかく、補正予算を成立させたら、この際だから変に引き伸ばすことなく、国民の審判をしっかりと仰いでもらいたいものです。


なぜインド人は数学が得意なのか

[2008年10月02日(木曜日)|No.1503]

なぜインド人は数学が得意なのか、という記事が新聞に載っていました。公式を使って暗算で簡単に答えを出す、インド式計算が日本にも紹介されて、インド=数学というイメ-ジが定着しているみたいです。
 
二桁どおしの掛け算でも、例えば85×48みたいな問題でも簡単に答えを出してしまいます。地元の8歳から10歳ぐらいが学ぶ、公立学校の算数の得意な特別クラスでは、この設問に15秒ぐらいでほぼ全員が手を挙げると言われています。
 
子どもたちはまるでそれを楽しんでいるかの様子とのことです。3桁どおしでも同様の暗算で、まるで手品のように答えを出すそうです。
 
また幼児クラスでも、遊びの中にこの数をうまく取り入れたゲ-ムを行うことにより、数に対する概念が自然に身についているみたいです。
 
でもインド人が皆そうかと言うとそれも違うとのことです。何しろその人口が11億7千万人もいる国ですから、そのようにできる人も少なくないわけです。
 
要は国民のめざす人気職業が、稼げることのできる技術者、医者、宇宙飛行士といった理工系職業であり、尊敬されているからです。そしてその夢を叶えるためにはこの数学が必須なのです。
 
理工系離れしている傾向にある日本との違いはここにあるのではないでしょうか。ややこしい数式や論理・証明問題をとことん考え抜くことを避け、ただ安易に暗記問題だけをやって通り過ぎてきた人との差が出てきてしまったのです。
 
こう考えると日本の将来は深刻です。若者がただ、きらびやかなものだけに偏重している、今の日本では、今後の世界に置ける地位と果たす役割はどうなっていくのでしょうか。失言で辞任した前国交相が言う、決して日教組だけの問題でもないと思うのですが...


魚市場の競り見学

[2008年10月01日(水曜日)|No.1502]

先々週の日曜日の朝、沼津の魚市場に行ってまいりました。中小企業家同友会沼津支部会員でもある、羽野水産?・羽野さんのお世話により、魚市場の競りの様子を見せていただけるというからです。
 
この魚が豊富な沼津に住んでいるというものの、競りの光景など今まで一度も見たことがありません。よくテレビなどの画面に映し出されるのは見たことがあっても、ホンモノは体験したことがなかったのです。
 
朝5時にこの魚市場に集合し、出された長靴に履き替え、胸に見学者許可証プレ−トを吊り下げてから早速この市場の見学です。
 
この沼津の魚市場、新しい所はイ−ノと呼ばれるものですが、昨年できたばかりでまだ1年経つか経たないくらいの最新鋭の施設です。このため入るときも長靴の消毒や手洗いを済まさなければなりません。
 
また本来の見学コ−スは1階のこの競りの現場には入れず、2階のフロア−から下を覗き込むだけですが、羽野さんのお陰で実際の競りを目のあたりにして眺めることができました。
 

 

やはり迫力があるものです。競りをやっている人たちにとっては、10数名で押し寄せた、門外漢である私たちが邪魔くさかったかもしれませんが、貴重な体験をさせてもらいました。
 
さすがに市場だけあって新鮮な魚がいろいろと並べられているものです。別室ではマグロまで並べられ、尻尾の部分を一部切り取ったものが添えられていました。油の乗り具合とか中身の状態を確かめるためです。

 
間近で眺めた感想ですが、こうした光景をもっと多くの人たちが眺めることができれば、新鮮な魚の良さが解るのではないかということです。特にその嗜好が魚より肉に傾いている子どもたちにとっては、また反応が変わってくるのではないかと思われます。
 
とにかく、枯渇してきていると言われている魚資源ですが、さすがは魚市場、豊富な取引量とその新鮮さにすっかり目を奪われてしまいました。