株式会社 アイソー




2008年08月の日記

二人の佐藤選手

[2008年08月29日(金曜日)|No.1482]

今日は打合せ及び現場調査で秦野まで行ってきた関係で、カキコミが遅くなりました。各地でゲリラ雨が猛威を振るっているみたいです。被災された方には心よりお見舞い申し上げます。
 
北京五輪の裏話をちょっと紹介したいと思います。取材したのが明暗をはっきり分けたソフトボ−ルと野球で、感銘を受けたのがたまたま偶然にも、二人の佐藤選手だったという話が載っていました。
 
そのひとりはソフトボ−ルの5番・一塁、佐藤理恵選手です。次のように書かれていました。
 
初めて代表入りしたアテネ五輪では、代走のみの出場でしたが、帰国後、自分の力不足を痛感したそうです。以後、日本代表の声がかかっても辞退し続け、弱点の筋力と瞬発力を鍛えなおそうと、基礎トレーニングを繰り返し、自分を追い込んだとのことです。
 
またどんな悪い状況でも、逆境でも自分を育ててくれると思い、前向きな気持ちをいつでも持ち続けようとグラブに「逆にサンキュー」と刺繍していたそうです。
 
そうして対ベネズエラ戦では、この4年間でつけた瞬発力と体幹の力を証明するような、内角の球を鋭く振り抜いての右翼席へ先制3ランを放ちました。体の軸を後ろに残して鋭く回転する打法が、地道な鍛錬のたまものだったのではないかと指摘しています。
 
それからもう一人、野球のG・G佐藤選手の姿勢にも感銘を受けたとのことです。肝心なところでエラ−をしてしまった同選手の記事が印象的で素晴らしかったので紹介させて頂きます。
 
韓国戦で2つのエラーを犯した佐藤選手は、試合後に、がっくりと肩を落とし、阿部選手に支えられて宿舎にもどった。あまりの憔悴した姿に取材団は誰も取材エリアで声がかけられなかったほどだった。
 
佐藤選手は、そのことが心理的にトラウマになっていたのだろうか。米国との3位決定戦でも高く上がったフライを落としてしまった。
 
佐藤選手をかばうわけではないが、この日の北京は雲ひとつ無い快晴で、右翼から左翼に風が吹いていた。試合時間が昼前で、太陽が真上にあり、このフライは捕りづらかっただろうと思う。
 
試合後、佐藤選手の談話をとろうと待っていたが、私を含めた取材団はほとんどあきらめていた。ところが、「G・Gさん」と控えめに呼びかけたら、佐藤選手はしっかりと取材団の前に歩いてきた。そして、しっかりと前を向いて話し始めたのだ。
 
「守りについては、全力でやった結果ですが、皆さんに迷惑をかけてしまいました。自分の力不足です。(風があり空に雲がなかったので難しいフライだったろうが?)それをいいわけにはできません。すべて自分の力不足。いいことも悪いこともあった五輪。いい経験をさせてもらった。正直、試合に出してもらったことは感謝しています」
 
佐藤選手は、記者団のすべての質問に答えてロッカールームに帰っていった。立派だった。記者団からは「あいつ、大したもんだなあ」という声が上がっていた。
 
私は、この選手が将来この経験に対して「逆にサンキュー」と思える日が来ることを願わずにはいられない。五輪での野球は終わってしまったが、まだWBCがあるではないか。逆転のチャンスはまだまだあるはずだ。
 
私はG・G佐藤のファンになった。今度、西武球場に家族を連れて応援に行こうと思う。帰国後に日本で受けるであろう沢山の罵声を肥やしに、将来の日本野球を背負って立つ日が来ることを祈っている。

 
この記者が感じたとおり、今回の試練とも言える、貴重な経験を是非、次に活かしてもらいたいものです。こうしてみると、やっぱり潔いプロですね。変な言い訳もしないところに好感を持てるものです。


ちょっと良い話part36

[2008年08月28日(木曜日)|No.1481]

雨が降り出すと、メチャクチャ降ることがこのところよくあります。一部にはこれをゲリラ雨とも形容していました。何ともピッタリな表現に感心したものです。
 
それにしてもゲリラと言えば、アフガニスタンで拉致された、NGO派遣の伊藤さんが遺体で見つかったのはお気の毒な話です。現地のためを思い身を捧げてやっていただけに、何ともやり切れません。ご冥福をお祈りします。
 
すすだらけの笑顔」というちょっと良い話を紹介させていただきます。
 
愛車が若葉の薫る浜街道に出ると、どこからともなくオ−トバイが出現し、私の車と併走を始めました。一見、暴走族タイプの少年なので素知らぬ顔でいると、長い手でドアをたたきます。無視する私に何か叫びましたが、あきらめたらしく視界から消えました。
 
その時、カ−ラジオの下の方では、パリパリ音がしていました。雑音にしては異様だなと思う間もなく全体に広がり、きな臭いにおいが充満します。
 
急いで道路わきに停車すると、ヒュ−ズの下から発火。炎は車体の左を走り息がつまりそう。ガソリンもある。爆発が恐ろしい。早く消さねばと思いますが体が動きません。
 
そこへ先ほどの少年が来てくれました。消化器がないので二人は服を脱いで火を押さえ、たたき、靴で踏み、手に火傷を負いながら懸命に消火しました。
 
ダッシュボ−ド下の配線を焼きましたがガソリンへの引火はなく、他への類焼を免れ、安堵の胸をなでおろせば、煙とすすで汚れた童顔が、「おじさん、大事にならずによかったね」と荒い息の下から白い歯をこぼします。
 
「ありがとう、おかげで助かりました。一人だったらどうなっていたか」天使のような笑顔に向かいお礼を述べるうち、うれし涙がこぼれました。
 
「おじさんの車に異状を感じ、声をかけたのですが...」そうだったのか。親切な心遣いを嫌がらせと早合点した自分が恥ずかしい。
 
人を外見だけで判断していた私は、現代の若者気質のあたたかい一端に触れて、負うた子に道を教えられる気がいたしました。

 
人は見かけによらないという、昔からよく言われるとおりの話です。多様化された時代で、人との付き合いが益々難しくなってきているのが昨今ですが、できれば性善説を信じて、明るく楽しく多くの人たちと関わっていきたいものです。


鍵山秀三郎さんの言葉から

[2008年08月27日(水曜日)|No.1480]

トイレ掃除に学ぶでよく知られている、イエロ−ハットの鍵山秀三郎さんの言葉をいくつか紹介したいと思います。どれも皆、味わい深い言葉ばかりです。
 
① もともと世の中には雑事というものはございません。小さなことを雑事と錯覚し、雑におこなうから雑事なのです。
 
実践というのはもともと野暮ったいようなもので、口で言うほど行っていないものです。足元のゴミ1つ拾うことや挨拶1つできない人間にそれらしき実践はできないのではないでしょうか。
 
② 物事はなんでも「小さく始めて大きく育てる」という考え方を持つ方がいいと思います。最初から大々的にやろうというふうに考えると、えてして失敗してしまいます。
 
まさにロ−マは1日にして成らずです。小さな積み重ねなしに大きな仕事をやろうと思っても、言われるとおりのことになりがちです。でも凡人は想いだけがやたらに強く、えてして段階を踏まずに結果だけを夢見て、小さなことをおろそかにしがちなものと思っています。
 
③ 車の掃除を徹底しますと、車も傷まず、故障も少なく事故が起こりません。雨の中でもきれいに洗った車で出かけると、心構えが違います。
 
この心構えですね。よい結果を得るのには用意周到な心の準備も必要です。間に合わせで済まさず、こうした心構えを見習いたいものです。
 
④ 交差点などで停車する時は、前に止まっている車の後輪が見えるように間隔をとって止めます。こうしたちょっとしたゆとりが、大事ですね。
 
前の車の後輪が見える位置で止まっていれば、もし前の車が何らかのアクシデントに見舞われても、その場での転回ができるものです。私が免許証を取ったのは今から40年前ですが、そのときに父親から教えられたのがこの言葉です。ですから今でもこの事はしっかり励行できているものです。
 
どれも人間としての生き方を教えられる言葉ばかりです。人間は一人では生きられません。それゆえに偉大なる先人の教えを大切に生きていきたいものです。


環境改善は私たち次第

[2008年08月26日(火曜日)|No.1479]

北京五輪を観ていて意外だったのが、事前に問題視されていた大気汚染が少なかったことです。マラソンなど2時間以上も走ることから、選手に与える影響も少なくないのではないかと思っていたのですが、幸いなことに杞憂に終わりました。
 
この期間中、北京市内では、交通渋滞や大気汚染を解消するため、ナンバープレート末尾が奇数の車は、奇数の日しか走行できない車両規制が実施されました。
 
この結果、200万台ぐらいの車が毎日乗り入れることができず、五輪期間中にはバスや地下鉄などの公共交通機関で、1日当たり約2000万人近くを運んだと言われています。
 
弊社の実習生である王くん、徐くんが日本に来たばかりのとき、美しい日本の青空を眺めて中国ではこんな空を見たことがないと、言っていたのが今でも忘れられません。
 
彼らが言っていたのは、この大都市である北京の空ではなく、自分たちの生まれ故郷である河南省であるにもかかわらずにの話でした。それくらい中国の空は汚染しきっていたのです。
 
それがどうでしょう、たった1ヶ月ぐらいの規制をやっただけで、こんなにも本来の空を取り戻すことができるのです。やはり人間の仕業によってこんなにも自然や地球環境を破壊していたのです。
 
またすっかり過ごしやすくなってきた昨今ですが、もっと日中暑かったときから今年は窓をフルオ−プンで走っている車を、思いのほか見つけました。自分がそのようにしていたからかもしれませんが、注意して眺めていると、結構その数があったように思えます。
 
これもエアコンをかけず、いくらかでも燃料代を節約しようとの思いからだと思います。そこには暑さからの我慢などが伴うものですが、こんなにもガソリン代が上がったことにより、少しでもできるところから採った自衛手段に過ぎません。
 
でも小さな力が結集すれば大きなものを生み出すことにも繋がるわけです。まさに「一小燈、一隅を照らす」という教えです。暑い時、エアコンをかければ一時的に凌げるでしょうが、それでは我慢というものが生まれません。
 
マラソンで勝ったワンジル選手はこの日本で育まれ、勝因を我慢という言葉に表しました。ひとり一人が豊かさからもう一度原点に返って、厳しく自分を見つめ直したとき、新たに生まれる何かがあるのではないでしょうか。全ては私たち人間の為せる業しだいだと考えます。


ちょっと良い話part35

[2008年08月25日(月曜日)|No.1478]

北京五輪が閉幕しました。テロとか妨害するようなことが何も起こらず、本当によかったと思っています。そんな中、新聞の片隅でこんな美談を見つけましたので紹介します。
 
陸上競技の男子100m、200m、4×100mリレーで世界記録を更新し、3個の金メダルを獲得したジャマイカのボルト選手の話題です。このたびボルト選手は中国赤十字基金会を通じて、四川大地震被災地の児童に5万ドルの義援金を寄せたとのことです。
 
ボルト選手はこの日、北京で地震で怪我をした児童を見舞い、「中国の人々が五輪から力を得て、地震の悲しみを克服するよう望んでいる」と述べ、6人の児童をジャマイカ旅行に招待した。
 
また、同選手は「中国に滞在する時間は長くないが、中国人の優しさに非常に感動した。200mで金メダルを獲得した時、競技場の9万人の観客が自分のために誕生日を祝う歌を歌ってくれたことは一生忘れられない思い出になる」と述べた。

 
このような記事が掲載されていました。何とも素晴らしい話ではないでしょうか。そう言ったら失礼かもしれませんが、今回このボルト選手の活躍でメダル獲得数も一気に伸ばしたジャマイカですが、内情は決して豊かではないはずです。
 
そういった国内事情にもかかわらず、こうした温かい手を差し伸べてくれるのは、やはりボルト選手自身の人間性の豊かさ所以のことからでしょう。オリンピックどころでなかった被災者にとって、大きな励ましと勇気を与えていただいたのではないでしょうか。
 
話は違いますが、結果を出せなかった野球やサッカ−に対して、選手団長から厳しい意見が出されていました。特別扱いをしすぎだと。選手村にも入らず、高級ホテル滞在で、しかもお茶を濁したような事前準備態勢では勝てるわけがないとの指摘です。
 
勝てば官軍で、勝っていればこんなことまで言われることはなかったのでしょうが、ヤクルトの宮本選手が言っていたように、勝つことへの執念の違いではなかったかと思われます。
 
韓国はメダルを獲れば兵役免除、アメリカはメダルも獲れず負けたら本国には帰れないと、真剣に選手同士が思っていたそうです。一方の、負けても非難はあるものの、難なく元の鞘に納まることのできる、安定した境遇と、高くない危機感の違いでは結果はおのずから明白ではないでしょうか。
 
ここにも豊か過ぎる日本の弊害があるようにも思えます。今回のことである意味では日本野球はピンチに立たされることになるでしょう。捲土重来を期すのには、ボルト選手のような純粋な精神と、ハングリ−な弛みないチャレンジの積み重ねが大切ではないでしょうか。


北京オリンピックからその3

[2008年08月22日(金曜日)|No.1477]

朝晩はめっきり涼しくなりました。タオルケット1枚で窓を開け、網戸で寝ていたら、朝方寒くてタオルケットに包まらなければいけないような季節に変わってきました。依然として日差しの強い日中以外はすっかり過ごしやすくなってきたものです。
 
さて時節柄、今週はスポ-ツ尽くめのカキコミになってしまいましたが、今朝は何と言ってもこの話題を避けて通るわけにはいかないでしょう。私たちソフトボ-ルや野球を愛するファンにとっては願ってもない話題です。
 
日本中がその一戦に注目し、歓喜に包まれた女子ソフトボ-ルの金メダルです。何度やっても勝てることのなかったアメリカを見事、決勝戦で倒し、悲願の金メダルを獲得したのです。19時半から始まったテレビ放送にかじりつき、なでしこジャパンの奮闘と併せ、多くの国民が熱い声援を送ったものと思われます。
 
初回から打たれてはいないのですが、不運な安打等で満塁とされ、いきなりピンチを迎えたのですが、上野投手は落ち着いた投球でこのピンチを凌ぎました。やはり何度も言うようですが、ピンチの後にはチャンスが来るものです。
 
初回から4人連続三振、2回まで5三振と、全く相手投手を打てなかった日本が3回先頭の三科選手の初安打となる2塁打で出塁すると、脚の早い1番狩野選手の遊撃内野安打でまず1点。続く4回には主将・山田選手の見事なセンタ-への本塁打で2点目をあげ、日本が先制したのです。
 
その後、雨で中断後、アメリカの4番・ブストスの1発を打たれたものの、6回の再度の1死満塁のピンチも見事、上野投手が内野フライ2本で抑えてアメリカの反撃を凌ぎました。そして7回にも1点を追加し、見事宿敵アメリカを破る大金星を挙げたのです。
 
日本チ-ム全員による団結の勝利には違いないところですが、この快挙の原動力は何と言っても上野投手の大活躍によるものでしょう。何しろ前日の準決勝アメリカ戦と3位決定戦のオ−ストラリア戦を1人で投げぬき、何と21イニング318球を投げたのです。
 
そればかりか決勝のこの日も連投で1人で投げ抜き、併せれば413球と気の遠くなる球数です。それも全く疲れた素振りも見せることなく、投げきったのは恐れ入る見事なピッチングと精神力でした。おそらく、自分の体などどうなっても構わないと、開き直って悲願達成だけを考えての結果だったと思われます。
 
テレビで解説していた宇津木元監督も涙ながらに本当に嬉しそうでした。所属チ-ムである・ルネサス高崎の総監督でもあることから上野投手は秘蔵っ子にも当たります。試合前のメ-ルでも「アメリカの打者は高低の攻めではダメ、左右をうまく使うように」とのアドバイスを送っていたそうです。
 
愛弟子の快挙にこの宇津木さんだけではなく、多くのそのファンが感動で胸を熱くしたのではないでしょうか。4年後のロンドンではなくなると言われている、このソフトボ-ル競技ですが、8年後是非また復活してもらいたいものです。とにかく、このス−パ−レディのお陰で、久しぶりに大いに溜飲を下げ、すこぶる心地よい思いで床につけたものです。


北京オリンピックからその2

[2008年08月21日(木曜日)|No.1476]

「最高でも金、最低でも金」と言ってシドニ−を、また結婚して「谷でも金」と掲げてアテネを連覇し、そして「ママでも金」と挑んだ今大会で惜しくもその夢は潰えてしまいました。ご存知、柔ちゃんこと谷亮子選手の話です。
 
両者2つずつの指導で迎えた後半残り30秒の時間帯で、なぜか谷選手だけに指導が来て、結局時間切れで挽回することができず敗れてしまいました。なぜ谷だけと観ていた私たちも訝(いぶか)る判定だったのですが、積極性に欠けていたのも事実です。
 
正直、全盛期のこの柔ちゃんの強さを知っているだけに、準決勝戦の試合ぶりは物足りなかったとも言えました。相手の戦略にはまったとも言えるかもしれませんが、一向に組み合わないし、ほとんど技らしい技も出ませんでした。
 
やはり出産し、育児をしながら世界一を目指すというのは、私たちの想像を超える壮絶な世界だったのかもしれません。それに日本での代表選考会とも言える大会の決勝で、敗れたのにもかかわらず、実績とその名前で北京代表についたプレッシャ−も少なくなかったのでしょう。
 
当時、抗議やら不満のメ-ルが3000件近くあったと言われています。一部えげつないものもあったのでしょう。そうしたものを乗り越え、この北京に挑んだだけに勝たせてやりたいと思っていました。でもその天性の素質だけではどうにもならないところまできていたのかもしれません。
 
しかし胸を張っていい立派な銅メダルではないでしょうか。これで銀2、金2、銅1の5大会連続のメダル獲得です。世界の第1人者に20年以上君臨しているのです。もうそれで十分ではないでしょうか。
 
こうした彼女をしっかりと支えてきた夫の巨人軍・谷選手のコメントがまた素晴らしいもので、感動させられました。
 
子供が産まれてからは、子育て中心の生活に追われながら、決して弱音を吐かずに練習に打ち込む姿にパワーをもらっていたのは、近くで見ていた僕だけではないはず。メダルの色は違ったけれど、僕には金色に輝いて見える。これからも彼女が選んだ道を全力でサポートしたい」と労ったのです。
 
何とも素晴らしいコメントではないでしょうか。夫唱婦随とか、立場は違いますが内助の功という、日本には良き夫婦関係が生み出す言葉として、古くから言い伝えられています。やはり1人の力が倍になるだけでなく、計り知れない増幅したものを生み出していくのではないでしょうか。まさに「仲良きことは美しきかな」ですね。


球児達の夏終わる

[2008年08月20日(水曜日)|No.1475]

夏の甲子園が終わってしまいました。いつもながら感ずることですが、甲子園の高校野球が終わるとなぜか物寂しい気持ちに駆られます。また今年はちょうど北京五輪と重なった影響もあったのですが、何となくせかされて進行しているようにも思えたものです。
 
こんな中、我が静岡県代表の常葉菊川高が堂々の準優勝を飾りました。決勝戦では予想のほか、0−17の完敗を喫したものの、それまでの戦いは見事なものだったと思います。
 
今でも印象に残っているのが3回戦の倉敷商戦です。ちょうどテレビをつけたとき、まだ前半でしたが0−6で負けていました。これはちょっとしんどいかなと思ったのですが、なぜか菊川の選手達には余裕が感じられるのです。
 
そして観はじめてすぐ、一挙7点をあげひっくり返したのです。これも連打連打の猛攻です。そののびのび野球は知られたところですが、この菊川打線というのは、火がついたら止まらないような勢いを秘めているのを改めて強く知らされました。
 
これがフルスイングの怖さというものでしょうか。静岡県予選で我が母校と対戦したとき、試合後0−3で負けていた展開のとき、少しもあせりはなかったとのコメントが新聞に載っていました。
 
これを見たとき、何を強がりを言っているのかと思ったものですが、今になってようやく理解できました。おそらくその通りだったのでしょう。でなければ甲子園で6点リ-ドされ、たった1回でそれをひっくり返すことはできないはずです。
 
それから意外に知られていないのが堅守ということです。予選から感じていたのですが、センタ-の伊藤くんなんかも本当に守備範囲が広いものです。打った瞬間、これは抜けると思った左中間の当たりでも簡単に追いつき処理していました。その取り方からして余裕があるのです。
 
おそらく一歩目のスタ-トや脚力もずば抜けているのでしょう。また我が町・沼津静浦出身の二塁手・町田くんのうまさにも目を魅かれました。準々決勝の智弁和歌山戦にしたって、9回の同校の猛攻を凌いだのもこの町田くんのス−パ−プレ−とも言えるダブルプレ−ではなかったかと思われます。
 
やはりこうしてみると、野球は打力だけでは勝ち上がれないものです。そこに堅守を兼ね備えていればこそしっかり戦えるというものです。試合だけとってみれば、この常葉菊川に敗れた数あるチ-ムの中で我が母校が一番善戦したかもしれません。
 
でも間違って我が母校がたとえ勝っていたにしても、常葉のようにこれだけ勝ち上がれるかと言ったら、残念ながらはっきり言って絶対無理としか言いようがありません。それが野球というこのスポ−ツの妙味なのです。蛇足ながら、こうした全国レベルの学校を相手に、我が後輩達が本当によくやってくれたと改めて今、その思いを噛みしめているものです。


北京オリンピックからその1

[2008年08月19日(火曜日)|No.1474]

久しぶりにカキコミします。猛暑の中、続いた夏期工事もようやく終わろうとしています。今年はその対象が同じところではなく、何箇所かが細切れで続きました。私も会社で待機することが多かったのですが、それでも完全に休ませていただいたのが9,10,14日の3日間だけでした。
 
奮闘してくれた社員のお陰でつつがなく順調に工事も進みました。まずは何よりも社員の皆さんに感謝!します。こうして時を経ているうちに、よいことに朝晩の風はめっきり涼しくなってきました。もうすぐそこに秋がやってきているのかもしれません。
 
やはり今の時期、話題の中心は北京五輪でしょう。まだ終わっているわけではありませんが、私が感じたいくつかに触れてみたいと思います。まずはあっぱれ銀メダルの柔道女子78キロ超級の塚田真希選手です。
 
誰もが残り10秒足らずで、金メダル獲得を間違いないものと思ったはずです。それがあの巨漢があっという間に投げ飛ばされてしまったのです。何か信じられないものを見たような気持ちでした。
 
でも眺めていた私たち以上に本人の悔しさは比べようもないほどのものです。とにかく打倒・地元中国のトウブンを目指し、この日に賭けてきてそれが九分九厘手中に収めていたからです。
 
しかし悔しい負け方に違いないものでしたが、なぜかテレビ観戦していた私たちの胸には、爽やかなものが去来していました。まさにこれが本当の柔道を見たという思いです。
 
どうでしょう、それまでに観ていたほとんどの柔道が本来のものだったのでしょうか。私は柔道のことはよく解りませんが、ちょっとポイントをリ-ドすると腰を引いて消極的になり時間稼ぎをする、この最近のジュ−ド−が面白くありませんでした。
 
また本来の襟をつかんでしっかりと組み合う形もとらず、まるでレスリングのように差し手争いのまま、時間が過ぎていく試合も少なくありません。ひどいものになると、この襟も掴みにくくするため、柔道着にも加工が施されているとも言われています。
 
まさにこれでは柔道ではありません。そういった意味でも最後まで攻め続けた塚田選手の試合は価値あるものではなかったでしょうか。姑息にただ金メダルを取れればいいといった、近年の周囲の風潮の中で、金を超える、あっぱれ銀メダルとも言えるものではないでしょうか。


夏休み前に

[2008年08月07日(木曜日)|No.1473]

さあ、いよいよ北京五輪です。昨日は開会式前だと言うのに、なでしこジャパンが早々に対ニュ−ジ−ランド戦に挑みました。惜しくも引き分け、ちょっぴり残念でしたが、今日からは男子サッカ−も始まります。
 
柔道、水泳、マラソン、野球、女子重量挙げなど、一番輝けるメダル獲得の期待が膨らむところですが、お盆休みを挟み、これから一層テレビにかじりつくことが多くなるのではないでしょうか。また高校野球も佳境に入り、ますます目が離せなくなるものです。
 
私たちはそういった間隙を縫って、お客様への夏季工事に入ります。これも他社との差別化の一つには違いありませんが、今年はこの期間、ずっとということでもなく、何日か休みもいただけます。貴重な間での休みも有効に活かせることができたらと願っています。
 
昨日も一日、小田原工場に出張でした。久しぶりに流れる汗をかきました。この時期、屋外はもちろんのこと、屋内も工事等ではなかなか大変です。
 
嬉しいことにお客様の配慮があり、休憩室には冷房も完備され、ポカリスウェットなどの飲料水やシオタブなども用意してくれてあります。熱中症対策からでしょうが、こうした配慮にお応えできるよう、安全で何事もなく工事に対処したいと思っています。
 
こんなわけで、明日から18日までの間、夏季工事に入ります。この間、カキコミは休ませていただきますのでご了承下さい。それではこの厳しい暑さに負けないよう、くれぐれもご自愛下さい。


エスカレ−タ事故

[2008年08月06日(水曜日)|No.1472]

名古屋の地下鉄に続き、またビッグサイトでもエスカレ−タ事故が起きてしまいました。事故が起こったのはどちらも同型機とのことで、急停止した後、逆走しています。
 
名古屋のときはモーターを支える台座のボルトが破損していたとのことですが、今回はそのようなことはないとのメ−カ−からの回答です。
 
人々が折り重なるように倒れながら逆送する光景を、ちょうど居合わせたカメラ映像が捉えていましたが、何とも恐ろしくなるものでした。まさに逃げ場を失った人たちがパニックになり、下のフロアに次々転倒している様子は気の毒としか言いようがありませんでした。
 
でもどうでしょうか、この事故、人災と言えないものでしょうか。ご承知のとおり、エレベ−タには定員というものがあり、それ以上の人間が乗り込むとブザ-等で警告を知らせます。
 
しかし、このエスカレ-タにも定員というものがあるのでしょうが、何の警告や制御もなされていないのが現状です。事故の起こった名古屋やビッグサイトでも、多くの人たちがこのエスカレ−タに乗り合わせていました。おそらく定員を超えていた重量だったものと思われます。
 
ましてビッグサイトのエスカレ-タは通常の倍以上あるような高さを、1本の長いエスカレ-タで繋いでいます。これでは如何せん無理というものではないでしょうか。
 
この動力となっているのはモ−タです。もちろん大きな容量のモ-タを使用しているものと思われますが、大勢の人間が押し掛け、ある一定以上の重量を超えると、その重さに耐えかね過電流となるモ-タを保護するため、当然停止させる制御が働くことになります。
 
これは私たち制御を扱っているところでは常識的な話なのですが、大事なのはそこまでいく過程での問題です。なぜ重量超過となる段階で乗り込む人々に知らせることができないものなのでしょうか。
 
「ただ今混み合っています。少し乗車をお持ち下さい」という音声メッセ-ジだって流せるはずです。明らかに今回の事故を見る限り、安全という観点で、こうした配慮が欠けていたのではないでしょうか。
 
このように本当に今の世の中、何が起こるか判りません。備えあれば憂いなしとも昔から言われていますが、備えすらできないのが昨今の事故です。くれぐれも自分の身は自分自身で守っていくよう、心がけたいものです。


ちょっと良い話part34

[2008年08月05日(火曜日)|No.1471]

すがすがしい女先生」という、ちょっと良い話です。
 
私の会社は時差通勤を採用しており、朝、乗車する電車で、遠足に行く生徒達と一緒になることがよくあります。
 
子供達は実によくしゃべり、よく動きまわります。正直言って、彼らが乗ってくると、私達乗客はイライラのしどおしです。
 
先日、乗ってきた小学校低学年の遠足も、まったくいつもと同じような光景で、彼らが降りたときは、実際ホッとしたものでした。
 
その時です。引率してきた若い1人の女の先生が、子供達が出たドアに戻ってきたかと思うと、中にいる私達乗客に向かって、「みなさん、お騒がせして本当にすみませんでした」と大声で叫び、そして深々とおじぎをして去りました。
 
遠足の引率の先生を数多く見てきましたが、私達乗客にあいさつをして去っていった先生は初めてでした。
 
私は実にすがすがしい気持ちでこの若い先生を見送りながら、「こんな先生に教わる子供達は幸せだ。きっと良い子に育つにちがいない」と思いました。

 
何度も言うようですが、挨拶は人との交わりで欠かせない基本です。私も毎朝の散歩で、擦れ違う人にはできる限り多く声を掛けるよう心がけています。
 
中には声すら掛けられるのが本当に迷惑そうな方もいらっしゃいますが、嫌なことよりかむしろ嬉しくなることの方が多いものです。
 
ある時間帯、ちょっと粋がった若いお兄さんにもお会いするのですが、初めは面倒くさがって頭をちょこんと下げるだけだったのが、今ではしっかりと「おはようございます」の声が返ってきます。
 
これですよね。人との出会いの多さにより、また自分自身の人生も広がり豊かになるというものです。挨拶が嫌で変に縮こまっているより、思い切って自分から声を掛けてみるよう心がけてみませんか。きっと何かが変わってくるはずです。


高校野球に学ぶこと

[2008年08月04日(月曜日)|No.1470]

土曜日は高校全体の同窓会総会、そして昨日は炎天下の中、好きなソフトボ−ルの試合があった関係で、お定まりの事後の一杯と、なかなか体、特に肝臓の休まる暇がありません。
 
無理ができない年齢になってきていますが、やはり好きなものには勝てません。ある意味では、よく食べ、よく飲めなくなったらお終いかもしれません。
 
さて2日から夏の高校野球選手権大会が始まりました。テレビで久しぶりに開会式を観ましたが、いつ眺めてもワクワクさせられます。この高校野球、いつもながら真剣なプレ−の中から大きな感動と教訓をいただけるものです。
 
今日はちょっと視点を変えて、高校野球に学びたいことをいくつか挙げてみたいと思います。まず第一に絶対あきらめてはいけないことです。野球同様、人生もミラクルではないでしょうか。最後の最後になっても土壇場で大逆転のドラマを生み、人々の胸を打ちます。
 
9回の裏、何点リ-ドされていようと球児たちは絶対試合をあきらめません。昨日も逆転の報徳学園が出ていましたが、こうした2死からひっくり返していったゲ-ムが決して少ないものではないはずです。私たちの生き方においても、しっかりと見習わなければいけないのではないでしょうか。
 
それから甲子園に出てくるチ-ムは、ただ野球だけ一芸に秀でていればよいというものではありません。当然人間力を兼ね備えていなければいけないし、折り目正しく先輩を敬い、仲間とも強調を図っていかなければなりません。
 
桐生一高の補欠選手の犯した行為は問題外ですが、これにより同校の選手諸君が巻き添えを食らわずよかったと思っています。とにかく個人の能力だけでなく、皆の力が結集されて大きな増幅作用をもたらすものです。
 
また、ここ一番での集中力の大切さも学べます。人間はいつもピ−ンと張り詰めているわけではないから、大事な局面でいかに自分の力を最大限に引き出せるかが大切です。
 
大袈裟に言えば、ここ一番の大事な局面でそれが出せるか出せないかで、その人の運命までも変えるかもしれません。引き出せるのには日頃の弛まない精進はもちろんのこと、強い精神力を養っていくことにあると思われます。
 
昨日勝った宮崎商というチ-ムの、取り組みの素晴らしさを熱湯甲子園で紹介していました。甲子園に行ってからも、毎朝宿舎周辺等、選手たちがゴミ拾いをしているのです。またこのチ-ムは学校でも部活と併せ、トイレ掃除が日課となっているそうです。
 
そんな話を伺うと、このチ-ムを応援したくなりました。大切なのは嫌々やらされているのではなく、本人たちの気持ちです。ある選手がこのように語っていました。「掃除すると、とても気持ちがよい。心まで洗われているようです」ここ一番での集中力に、きっと寄せ付けない何かを持っているのではないでしょうか。目が離せなくなるものです。


イチロ-選手の秘訣

[2008年08月01日(金曜日)|No.1469]

イチロ−選手がとうとう日米通算3000本安打を記録しました。まずは心より祝福したいと思います。日本のオリックスでの9年間で1278本、そして2001年アメリカに渡った後1722本と、8年目でのこの偉業達成は何とも凄いものです。
 
日米で試合数こそ違うものの、1試合当たりの安打数は1.4数本と、むしろアメリカに来てからの方が率が上がっています。とても一朝一夕でできるものではありませんが、技術はもちろんのこと、本人の徹底した自己管理が成せる業ではないでしょうか。
 
皆さんお馴染みの打席に入る前の準備運動なども、それなりの理由があってやっているとのことです。股(こ)関節を開いて両肩を入れる柔軟体操は「打撃で上半身と下半身を連動させて効率よくパワーを生み出すため」、打席へ入る際のひざの屈伸と足首を回す動作は「筋肉をリラックスさせトップスピードで走るため」と言われています。
 
またシーズン中の昼食として、地元シアトルで試合がある時は自宅で妻弓子さん手作りのカレー、遠征先では某チェーン店のピザを、基本的に毎日食べているそうです。朝起きてから試合に臨むまでの自分のリズムを崩さないように心がけているのです。
 
それからバッタ−の生命線である目やバットの管理も人一倍徹底しています。日差しが強い所では必ずサングラスを着用し、バットはその重さの変化を好まないことから、湿気を防ぐため、乾燥剤とともにジュラルミンケースに入れ持ち歩いているそうです。
 
ベンチに戻ってきたとき、誰にも触らせず一人で大事そうにバットをしまう姿はよく見かけるものと思います。このように、活躍できる裏にはそれなりの厳しい自己や道具の管理がやはりあるのです。
 
オリックス時代から同行する森本トレ−ナ−という方が、「17年経っても衰えていない、むしろ進化している」と言われている体ですから、まだまだ3000本は単なる通過点です。
 
更なる高い目標に向かって歩み続けてもらいたいものです。蛇足ながらイチロ−選手の中学3年生のときの成績はほとんどオ−ル5に近いものだったと言われています。
 
野球か勉強かの選択を迫られたとき、本人は迷わず愛工大名電への野球の道を選びました。当時の周囲からはもったいないとの言葉を多く投げ掛けられたそうですが、今になって本人ははっきり言っています。
 
あっちもこっちも選ぼうとすると、どちらも中途半端に終わりかねない」まさか今の栄光の姿を予想していたものではないでしょうが、潔い決断と絶え間ない練習、そして徹底した自己管理がもたらしたものではないでしょうか。唯一それ以外の日本人で3000本以上打っている張本さんではないのですが、「あっぱれ」な偉業です。