株式会社 アイソー




2008年05月の日記

おコメが足りない

[2008年05月30日(金曜日)|No.1429]

今週で5月も終わりです。緑萌える、爽やかな季節のはずが、この停滞している景気と同じで、いまいちパッとしなかったような気がします。来月からはガソリンも更に10円上がり、いよいよ170円台となりそうです。
 
新聞の漫画に載っていたとおり、昨年同時期の価格が135、そして今が170という数字がそのまま、自分の血圧指数にも相通ずる、危機的なものようにも感じます。
 
私たち消費者にとっては、本当に頭の痛い話です。こうなったら、いよいよ自衛策を取るしかありません。来月からは必要以外は車に乗らないということで、通勤の際は歩くか自転車利用を少し試してみたいと思っています。どこまで続くか分かりませんが、やってみる価値はありそうな気がします。
 
そんな昨今ですが、私たちの主食としている、お米が足りないという記事が載っていました。一番身近なことだけに由々しき問題なのですが、その卸売り業者が困惑しているというのです。
 
その消費量は年々減少傾向にあるようですが、一方では供給量が昨年に比べて16万トンも増えていると言います。それならダブついているということなのに、なぜなのでしょう。1つには小麦価格の高騰が原因です。小麦の高騰により、供給過剰で価格の割安感がある、コメの人気が再燃しているというのです。
 
それとコメが不足している最大の要因は、政府が大量の「備蓄米」を積み増していることにあると指摘しています。ご存知のとおり、このおコメを作っている農家は政府・自民党の大票田です。この農家の懐事情が続いている供給過剰で、火の車状態だと言われています。
 
そんな農家からの怒涛の突き上げが農水省に向けられているのです。こうして昨年の参議院選挙惨敗の後、選挙協力体制を磐石にしようとの思いもあり、政府によりコメ価格安定の目的で買い上げが行われたというのです。
 
そして積み上げられた備蓄米がまだそのままで、売り出されていないことにより、このような事態を招いていると指摘しています。いわゆる政府による備蓄米のコントロールといった、日本の食糧供給システムがもたらせている問題なのです。
 
政局は一向に改善されず不安定のままです。この政治を象徴するかのように派生した食糧問題です。食料自給率の問題もあり、これから先の対応を長期的視野に立って考えていかなければなりません。
 
かつてのオイルショック等、周囲の条件ですぐ左右されやすい日本人のことだけに、この主食の問題はしっかりと対応していかなければならないことです。さしずめ、私たちにできることは、いつも言うことなのですが、食べ残しや食べ散らかしなど大きな無駄をなくすことではないでしょうか。 
 


会社に誇りを持てること

[2008年05月29日(木曜日)|No.1428]

会社の書棚の隅に眠っていた「経営指針で会社が伸びる」という本が見事に蘇りました。これは、一昨日、お聴きする機会のあった、東大阪の(株)アオキ代表取締役・青木豊彦氏の講演の中で触れられたからです。
 
ご存知の方も多いことと思いますが、氏は中小企業の技術力が結集している、モノづくりの街・東大阪において、若者達が集まる元気な街にしようとの強い想いで、宇宙開発協同組合を設立し、来年あたりに人工衛星「まいど1号」の打ち上げを目指している、壮大な取り組みの中心的な人物です。
 
講演はこの熱い情熱がほとばしり、涙ながらに語っていただいた感動的な素晴らしいものでしたが、その最後にこの本について触れられました。本は我らが学ぶ中小企業家同友会でもお馴染みの丸山博先生が書かれたものです。
 
その本の冒頭にある、次の一節を講師は読み上げました。ある研修での話です。建設会社の中小企業に勤める24歳の男性社員A君が、意見発表のとき次のような話をしました。
 
勤めている会社のそばに、最近とてもきれいな居酒屋ができた。その居酒屋には自分達以外にも、銀行や大きな会社の若い社員達もやってくる。若い世代ですから気軽に声をかけ合います。男の子が女の子に声を掛けたりして親しくなると、女性の側からも男性側に、どこに勤めているのか、会社はどこかと質問するんだそうです。
 
さて、そのときに聞かれた男のほうはどういう態度をとるか、これがA君の発表の要点でした。こんなとき一部上場の大企業に勤めている新入社員はどうするか?そう聞かれるや、おもむろに名刺を取り出すんです。もらったばかりのピッカピッカの名刺です。
 
あたり構わず、やたら配って歩き、もちろん女の子にも「ここに勤めているから、たまには電話をしてよ。今度は二人で飲みに行こうね」なんて言って名刺を渡すわけです。
 
ところがA君のような中小企業に勤めている連中は、こんなときに何と答えるのでしょうか?女の子が「どちらにお勤めですか」と聞くと、中小企業の社員は照れくさそうに頭に手をやって答えます。「ちょっとね...」この「ちょっとね」というのは、実はある暗号なのです。
 
若者同士の会話では、「これ以上聞いてくれるな」という意味なんだそうです。ですが、A君の話にはまだ先があるのです。中小企業に勤めている仲間の多くは、そうやって会社の名前を伏せてしまうけれど、自分は違う。「僕は○○建設の工事課のAです」というふうに胸を張って答えると言うのです。
 
するとどうなるのか、周りの視線が彼に集まり、一瞬、辺りがシ−ンとなる。しかしA君はひるまない。周りの女の子の目を見ながら「ね、知ってる?」と順番に聞いてまわるんだそうです。聞かれた方は大変微妙な顔をするんだそうです。A君はこの微妙な顔を見るのが、また楽しいと言うんです。
 
ちょっと屈折した喜びのようですが、ここで終わりではなく、さらにこう付け加えるんだそうです。「
そう、知らないだろう。知らなくていいんだ。この俺が知っているんだから。俺が知っているいい会社なんだから、そのうちきっときみたちにも知ってもらえるような会社になるはずだ」と。
 
するとどうなるのか、もう一度周りがシ−ンとする。一同唖然といったところでしょう。ところが、そのあと思いがけないことが起こったと言います。さっきまで名刺を配っていた大企業の新入社員が、A君の目をじっと見ながら、パチパチと大きな音を出して拍手をしたんだそうです。その拍手につられるかのように女の子たちも拍手をしてくれた。
 
その大企業に勤めている人が、あとでこう言ったそうです。「きみはうらやましいな。俺は入社して間もなく1年になろうとしているけど、実は大しておもしろい仕事をしていると思えない。きみはいいよね。入社3年目で自分と同い年だけれど、誰が知らなくても俺が知っているいい会社に勤めている。そういう誇りをもって話ができるなんて」その後、二人は何度か飲みに行って、大変いい友達になったということです。

 
この話を目に涙をいっぱい溜めながら読んでいた講師の顔が、今でも忘れられません。やはり凄い仕事をやり遂げる人は、持っている熱き想いも半端ではありません。こういったA君のような社員を一人でも多く生み出し、育て上げていくのが、中小企業が生き残る道であると強く教えられました。


日本の治安

[2008年05月28日(水曜日)|No.1427]

マンションの同じ階に住む女性を殺害しておきながら、何食わぬ顔でマスコミのインタビュ−に応えていた隣人の男が逮捕されました。また殺害後も骨などを砕き、遺体をバラバラにしてトイレに流したという、信じられない供述までしています。
 
本当に物騒な世相を象徴しているかのような事件なのですが、新聞に「防犯アドバイス」として下記のような記載がありました。
 
エレベーターについての防犯アドバイスです。それによると、まず動き出すと密室になると指摘しています。不審者と遭遇する危険性もあり、特に子どもや女性は性被害を受けやすいと言います。
 
被害を避けるためには「乗る前」「乗ってから」「降りるとき」の各段階で安全確認を心がけ、建物に入るまでは「つけられていないか」を確認しながら歩くことと警告します。
 
また建物に着いたら非常口や階段、集合郵便受けの周辺などの目に付きにくいスペースに不審者がいないか、必ずチェックすること。そしてエレベーターには原則として一人で乗ることとし、見覚えのない人物が乗り込んできて不安に感じたら、用事を思い出したふりなどをして降りることとアドバイスしています。
 
またこの他にも、乗り込んだらまず閉ボタンを押し、ドアが閉まってから降りる階のボタンを押せよとのことです。もし続けて誰かが乗り込んできた場合、自宅のある階を知られるのを避けるためと言います。
 
そしてまだまだ、エレベーター内ではいつでもボタンを押せるようにしておき、途中で乗り込んできた人に不審を感じたら、直ちに降りることなど、細かな注意がいっぱい続きます。
 
ここまで書いてきただけでも、もう限界を感ずるほど、防犯アドバイスは細かな部分にまでさらに及びますが、これを聞いて何か異質なものを感じていないでしょうか。
 
まるで周囲の人間が全て悪人かの扱いです。そしてそういった人間に追われているかのような対応です。こんな時代になってしまったからと言ってしまえば、それで終わりですが、こうしたマニュアルがさも当たり前のように出てくるのも奇異な話です。
 
と言っても何かあってからでは取り返しがつきません。せめてこうしたエレベーターや家に入るときぐらいは何の気遣いもなく、安心して生活できる以前のような時代に戻りたいものです。
 
そう言えば、一昔前、治安が悪く、この国は大変だなと私たちが感じていたアメリカのような国に、我が国もだんだん近づいてきたということなのでしょうか。


横綱の品格

[2008年05月27日(火曜日)|No.1426]

大相撲夏場所は大関・琴欧州が14勝1敗で見事な初優勝を飾りました。角界のベッカムと呼ばれているくらい、端正なマスクの持ち主ですが、大関になるまでの破竹の勢いがここのところ忘れ去られていたほど、少し長い低迷が続いていました。
 
でも大関になるまでの出世が群を抜いていたわけですから、持って生まれた素質は並外れているものがあるはずです。やっとここでその芽が少し開いたわけですが、モンゴル勢で占められている横綱の一角に是非割り込んでもらいたいものです。
 
さてこの琴欧州の初優勝に水を差すようなことが起きてしまいました。千秋楽の結びの一番での出来事です。手をついて敗れた白鵬に、追い討ちを掛けるように朝青龍が突っかけたのです。これで怒った白鵬が起き上がるときに、相手の胸を肩で突き返したため、両者土俵上でにらみ合い、一触即発の雰囲気になったのです。
 
まあ、どっちもどっちですが、このことでまた横綱の品格たるものが問われる騒ぎになっているのです。私の結論から申し上げると、品格というものはいくらその地位が醸し出すものと言ったって、根っからの日本人でなければ無理ではないかということです。
 
ある人がこう言っていました。そういった根底にあるものを理解できない二人ですから、このような事態も「俺はこれだけ真剣に一生懸命やっているんだ」という、ある意味では逆にファンサ−ビスの精神が招いたものと指摘しています。
 
でも心情的には北の湖理事長とは異なり、何となく白鵬の肩を持ちたくなるものです。朝青龍はこの相撲に限らず、もう負けている相手にとどめを差すことがあまりにも多いからです。大相撲では余分なケガを防ぐため、必要以上の追撃を禁止しているはずなのに、この人の相撲に関してはあまりにもそれが目立ちます。
 
それから人間の持つ可愛げの部分でしょうか。この可愛げという要素は馬鹿にしたものではありません。その人が自然に醸し出いている、そうしたものに惹かれるものです。こうした思わず引き寄せられ、応援したくなる魅力があるか否かで、人の進むその道も変わってくるというものです。
 
こう考えると、最近めっきりとその支持率を下げている、どこかの国の首相にも聞かせたくなります。それなりの能力があっても、ただ杓子定規なだけで、人間としての魅力が乏しければつまらないものです。やはり可愛げは必要ですね。
 
ブルガリア出身という、外国人には違いありませんが、なぜかこの可愛げの少なからぬ感じられる琴欧州関に、横綱への期待とその品格を大いに求めたくなってきたものです。
 


人を裁くということ

[2008年05月26日(月曜日)|No.1425]

女性に繰り返しメ-ルを送るなどスト−カ−行為を繰り返していたとして、現職裁判官が逮捕されました。法の下で裁く裁判官に限らず、その取締りをする警察官にしても、とんでもない輩がいるわけですから、別に驚かれることはないかもしれませんが、いったい世の中どうなっているのでしょうか。
 
この判事は年齢も55歳と言いますから、奥さんもいるのでしょう。また子どももいるかもしれません。そうした家族を抱え、ましてや人を裁く裁判官の身でありながら、いったい何を考えて今まで生きてきたのでしょうか。
 
こうした事件が起こると、裁判官そのものの存在まで疑いが出てきて、民間人の裁判登用制度がさも効果的のように思う方がいるかもしれませんが、果たして1年後にその実施が予定されている、この制度は大丈夫でしょうか。
 
一応選りすぐられてなった裁判官でさえ、このような不祥事を起こすくらいですから、不特定多数の民間人にまでそのエリアを広げてしまったら、果たして人を公平に裁くことなどできるものでしょうか。
 
それと一時的でも依頼された民間陪審員に対しても負担が多すぎます。会社等を休んでその職務に就くことはもちろん、それ以外でも裁判そのものについても調査研究に少なくない時間を掛けなければなりません。
 
また人を裁くことって、すごく難しいのではないでしょうか。考え方の違いによるものもあるでしょうが、本職として永年、審理を追求している裁判官だって間違いがないとは言えません。冤罪等聞かれるのもそのためです。
 
こう考えてくると、果たして1年先などに早急に実施して大丈夫なものでしょうか。そもそも、なぜこうした制度の導入が必要なのか、十分その理由が伝えられていないようにも思えます。たった1回しかない人生だけに間違ったのでは取り返しがつきません。くれぐれも十分な審議がこれこそ必要に思えるものです。


四川省大地震からその後

[2008年05月23日(金曜日)|No.1424]

中国・四川省での大地震による被害は、死者がとうとう5万人を超えてしまいました。こうした中、日本から送られた緊急災害援助チ-ムや医療班が、現地当局の意向でいまいち機能を果たせていないようで残念です。
 
折角の優れた技術を持つメンバ-だけに、もう少し受け入れ側の柔軟な姿勢が望まれるところです。また現地は2次災害等の影響で、なかなか犠牲者の救出や収容がはかどらず、遺体の腐敗等が進むことから感染症の発生が危惧されています。
 
こうした悲惨な現状の中、記事の中に胸の熱くなるようなものを見つけましたので紹介します。
 
「お母さんのことを忘れないで」。身をていして赤ちゃんを守り、冷たくなった母親の手にあった携帯電話には、最後の力を振り絞った1行の遺書が残されていた。20日の国営新華社通信が報じた。
 
この母親は最大被災地の一つ、四川省綿陽市北川(ほくせん)県で、地震発生翌日の13日、四つんばいになった格好で遺体で発見された。遺体は倒壊した建物に圧迫されており、救援隊は立ち去りかけたが、何となく気になり、ふと遺体の下のすき間に手を差し入れたところ、温かいものに手がふれた。
 
「赤ちゃんが生きている!」。救援隊員が叫び、救出作業が再開。生後3〜4カ月とみられる無傷の男の赤ちゃんが毛布にくるまれて発見された。
 
救援隊員が母親の体を調べると手に握られた携帯電話の画面に、1行のショートメールが残っていた。「
赤ちゃん、もし生き伸びてくれているのなら、私があなたを愛していたことを絶対忘れないで…」子を思う母親の愛の深さに、救援隊員も思わず涙を落としたという。
 
母が子を想う気持ちって、やはり果てしなく広く大きなものを、改めて感じさせられます。自分の子どもに何かあったとき、この身を犠牲にしてでも助けたいのは、私たち父親も何ら変わらないところですが、やはり母親の愛情にはとても敵いません。これ以上の被害が拡大しないことをただただ祈っています。


ちょっと良い話part30

[2008年05月21日(水曜日)|No.1423]

こんな感動的な、素敵な話を見つけましたので紹介致します。長文ですので、途中何箇所か割愛させていただいております。ニッケルの指輪という題です。
 
お隣の息子さんは19歳の若さで戦死した、昔の神風特攻隊であった。飛行機ごと敵艦に突っ込むのだから、当然、何も残らない。だから遺骨の箱は空っぽのはず。なのにその遺骨箱は、傾けた拍子に、ことりと音がした。何か入っているらしい。
 
好奇心にかられて「開けてみようか」と言いましたが、ご主人より妻の政子さんが「遺骨箱を開けるのは、お墓を暴くのと同じで仏を侮辱することです、やめてください」と目の色変えて反対したそうである。
 
戦死した息子さんの生みの母は、息子さんが3歳の時に亡くなって、今の政子さんは継母だったのである。つまり、生さぬ仲の母子で、神経質に気を使っていると思った。それで、遺骨はそのままで50年が過ぎた。
 
この地方の慣例で、遺骨箱は50年は仏壇に供えておくが、50年忌がくると、先祖累代の墓地に移されることになっていた。法要の長々とした読経のあとで、墓に移す前に、遺骨の箱を開けてみようと提案された。
 
ご主人はすでに亡くなっていたので、継母の政子さんも、多勢に押されてしぶしぶ同意した。こうしてお坊さんの手で箱は開けられた。出てきたのは1枚の便箋紙にくるまれた、ニッケルの女物の指輪だった。
 
「あら、それは若い頃に紛失したまま、忘れていた私の指輪やが」と政子さんが言った。そして便箋には、ペン字の走り書きで、次のようなことが書いてあった。

 
僕は3歳の時から育てられて、心の中ではすまないと思いながら、ついにお母さんと呼べなかった臆病者でした。出生する時お母さんの鏡台から、そっと持っていったこの指輪、お母さんと思って肌身離さず大切にしていましたが、出撃命令を受けた今、修羅の海に沈めたくないので、お返しします。そして今こそ、呼ばしてもらいます。お母さん!僕は19年3ヶ月と、短い命でしたが、お母さんは僕の分まで長生きしてください。これが最初で最後です。お母さん!さようなら。
 
強烈な感動が、みんなをおし包んだ。息子さんが頑なに、お母さんと呼ばなかったことは皆も知っていた。「冷たくするからなづかんのか、なづかんから冷たくするのか、生さぬ仲とは妙なもの」ぐらいに、傍は思っていたが、子どもの心はそうではなかった。
 
初めて知った継子の純情に政子さんは手放しで泣いた。みんな泣いた、私も泣いた、あの感動は今も忘れない。

 
とても心が揺さぶられる話です。このようにもっともっと生きたいのに、若くして散ってしまった、無念の最期を遂げなければいけなかった尊い命が、この現代までの日本を支えてきたとも言えるものです。
 
それだけに硫化水素だか何だか知りませんが、現在の変な流行のようになってしまった、簡単に自分で自分の命を絶つような馬鹿な真似は、絶対にしてはいけません。そんなことをしたのでは、生きたくても生きられなかった、その時代の人たちにあまりにも失礼とも言え、申し開きができないのではないでしょうか。
 
明日は1日、お客様の接待で会社を留守にしますので、カキコミは休ませていただきます。


ゴルフ版アメリカンドリ−ム

[2008年05月20日(火曜日)|No.1422]

日本人3人目の快挙です。アメリカプロゴルフツア-で今田竜二選手が見事、初優勝を飾りました。まさにゴルフ版アメリカンドリ-ムを叶えたような、その経歴の持ち主です。
 
まずアメリカに渡ったのが14歳のときです。あと1年で日本の中学も卒業できることから、両親はじめ周囲は渡米に大反対だったのですが、本人がそれも強引に押し切り、アメリカにゴルフ留学という形で渡ったのです。
 
以来14年間、本人しか分からない様々な苦労があったものと思われますが、見事大きな花を咲かせることができました。アメリカに渡りすぐにティ−チングプロに従事し、アマチュア生活を経て9年前にプロ転向し、やっと4年前から本格的な米ツア-への参戦が可能となりました。
 
そして一度プレ−オフで敗れた昨年の口惜しい思いから、今年こそと臨んでいた矢先の出来事になったのですが、本人もまさかこんな早く勝てると思っていなかったと言っているくらいです。
 
先輩プロに当たる、日本の深堀圭一郎プロがかつてこの今田選手の米ツア−優勝を予言したことがあるそうです。やはり日本に比べてそのプレ−条件がずっと難しいからです。日本に比べてアメリカの芝はくせがあり、ボールが曲がりやすくなっているとのことです。
 
さらにラフは深く、グリーンの傾斜はきつく、ピンの位置は難易度が高くなっています。パワーや技術に加え、そうしたタフなコースを攻略するには慣れが不可欠だと指摘しているからです。
 
このように聞くと、日本で注目の石川遼選手なども、早くからアメリカに渡った方がよいかもしれません。そのずば抜けた素質に磨きをかける意味でも、やさしい日本でぬくぬくと育てられているより、ずっと悲願の日本人メジャ−制覇の夢に近づくかもしれません。
 
これで今田選手は夢に見ていた、来年のマスタ−ズト−ナメント出場資格を得ることができました。小さい頃、早起きの苦手な彼にとって、唯一、朝早くからテレビにかじりついていたのがこのマスタ-ズだったそうです。やはりあきらめなければ夢は叶うのですね。
 
こうなったらいっそのこと、今度はその優勝目指して、是非頑張ってもらいたいものです。テニスの錦織(にしこり)選手などもそうですが、早くから突き放して他人の飯を喰わなければ大成できないかもしれません。これが昔から言われているような、「可愛い子には旅をさせよ」ということなのでしょうか。


使い回しから思うこと

[2008年05月19日(月曜日)|No.1421]

もうそんなことはどうでもよいと、思われるかもしれませんが、船場吉兆の事件から改めて経営理念ということについて考えさせられます。
 
私たちが学ぶ同友会では経営理念の定義を、企業の目的とは何かを考え、経営にあたっての根本的な考え方を明示するものと言っています。
 
もう少し平たくお話しすると、企業の目的とはいったいなんだろうか、それを根底にして私たちはどのような企業を目指すべきか、企業の目的・使命と存在意義と、顧客、社員等、企業経営上のキ−ファクタ−に対して企業が持つべき共通の基本姿勢、行動基準を定めたものが経営理念です。
 
今回の吉兆の使い回し事件が発覚したのは、私はそこに働く社員さんからのリークではないかと考えます。なぜかと言うと、働いていて、もうそんなことには耐えられない、良心が咎めて仕方がないといった、人間としての素直な気持ちから出ているのではないでしょうか。
 
それはそうでしょう。お客の食べ残したものを、いくら箸をつけていないからと言って、洗ったり揚げ直したりして、また別のお客さんに何食わない顔をして出すのです。
 
出された方もたまったものではありませんが、上から言いつけられ、それを出す方にしても、言うに言えぬ苦しいものがあるものと思われます。従って、人間としてこんなことをしていて果たしてよいのだろうかという、至極当たり前に吐露したものではないでしょうか。
 
経営者は二重の罪を犯しているものです。そこで働く社員さんにまで誇りやプライドを捨てさせているからです。やはり企業にとって一番大切なことは、ただ利益を上げることでは決してなく、その存在で世の中に対して何らかのお役立ちを図り、共に働く仲間の生きがいを生み出していくものと考えます。
 
我が社もちっぽけでもいいから、社員さんが胸を張って生きがいの持てる職場をめざして頑張っていきます。 


最高の言い訳・最低の言い逃れ

[2008年05月16日(金曜日)|No.1420]

Webに標題の、最高の言い訳・最低の言い逃れという記事が載っていましたので紹介させていただきます。
 
まず前者として評価されているのが日本コカ・コーラ社の言い訳です。長野で行われた北京五輪の聖火リレーのスポンサ-を辞退したのは、「警備強化で隊列が長くなりPR効果が薄まったから。政治的理由はない」という説明です。
 
チベット問題に敢えて踏み込まず、自社の都合であるとしたのがよいとされています。ビジネスライクな説明に終始一貫として徹し、中国や関連団体に配慮したところは企業の模範解答とまで言われています。
 
また、いただけない言い訳としては、いま最もサラリーマンに嫌われている経営者とも指摘される、日本電産の永守重信社長の言葉です。
 
先月の決算発表会見で、「社員全員が休日返上で働くから成長できる」「休みたいなら辞めればいい」と発言したと新聞などに報じられたからです。その後、連合の会長などにも猛批判されたことから、慌ててHPで「休みたい社員は辞めろなどとは言っていません」と弁解しているのです。
 
この社長、起業時に「人の倍働けるのか。人と同じようにしか働けへんのやったら、やめたほうがええ」という母の言いつけを忠実に守り、現在も元日の午前中しか休まないモ−レツ人間とのことです。だが反論の際、騒動を詫びる文言が一切なかったために、開き直っているとも受け取られたのです。
 
また、サラリーマンの言い訳の極意として、こんな興味深い話も載っていました。
  
あるレストランでの出来事です。若者グループがやってきて食事にガラスが入っていると怒り出した。すると女性店員が『申し訳ございません!』『すぐ病院へ行きましょう』と大声ですっ飛んできた。この迫力に若者は気後れし、それ以上は言えませんでした。全身全霊で謝り、相手の機先を制する方法もある」と指摘するのです。また
 
コツは“間”だ。恋人とのデートに遅れた際、「ごめん、出がけに電話が来て」と続けて言うより、「ごめん……」「何で遅れたの?」「電話が来て……」と手順を踏むと、言い訳が説明に変わる。要は、相手が聞いたことだけをしゃべればいいのだ。とも言っています。
 
そして最高の言い訳のポイントとして以下の5つを挙げています。
 
1)謝罪コメントは文頭
(2)主観を入れず、事実を説明
(3)カラダ全体を使う 
(4)気の毒に思われるほどしょげ返る
(5)今後の対処法を説明

 
以上のポイントが大切なようです。それにしても、何よりも言い訳などしなくてすむ生き方が一番です。とかく、そういったものが多くなっている現代だけに、言い訳をしなければならなくなる失言などには、くれぐれも気をつけたいものです。私にとっても、とても耳の痛い話です。


ちょっと変だなNO.7

[2008年05月15日(木曜日)|No.1419]

北京五輪での水泳競技における水着の問題にちょっと触れさせていただきます。ご承知のとおり、日本を除く各国はスピ−ド社で開発された水着を、たぶん着用することと思われます。このスピ−ド社で開発された水着が各地で世界新記録を生み出しているからです。
 
一方、我が国はどうかと言うと、国内3社(ミズノ、デサント、アシックス)との契約の問題から、スピ−ド社の水着は着用できないことになっています。そのため国内でこれから、それに負けない水着を創り出していかなければなりません。
 
ですがお先真っ暗で全く灯りが閉ざされているわけではありません。従業員70人ぐらいの山本化学工業という会社が今、注目を浴びています。その素材に摩擦抵抗の低さを考慮した、スピ−ド社の素材に対抗できる製品を創り出しているからです。
 
ここでも中小企業ここにありといった、その技術と存在が活かされているわけですが、それはともかくとして、あと3ヶ月に迫った本番に、この素材を使った各社の水着の開発が間に合うものなのでしょうか。
 
しかしちょっと変だなと感じさせられるのが、こうした素材や水着によってタイムが大きく変わってしまうということです。果たしてスポ-ツの世界で、ましてやアマチュアの最高峰とも言えるオリンピックの舞台で、個人の技量を争う上でフェアと言えるものでしょうか。
 
そもそも同じ人間がそうしたものを身につけ、タイムが上がるということ自体、おかしいような気がします。それなら昔のように、そんな体全体を包むようなものはやめさせ、パンツ1枚でやらせるべきではないでしょうか。そう言っても女子の水着について指摘されれば、ちょっと困ってしまいます。
 
難しい問題ですね。そもそも、そこからこうした新製品開発が生まれているものと思われますが、道具等で記録が大きく変わるのでは、人間が持つ本来の技術の優劣ではありません。ちょっと改善する余地はあるでしょうね。
 
そうは言ってもめざす北京五輪はもうすぐやってきます。お互いの公平さという観点から、こうなったら日本の3社にもスピ−ド社の技術をしのぐ、画期的な水着を開発してもらいたいものです。少なくとも北島選手等、メダルの期待の持てる選手を多く擁する日本にとって、技術ではなく、水着に負けたということだけはないように願いたいものです。


四川省大地震

[2008年05月14日(水曜日)|No.1418]

中国で大変な地震の被害が出てしまいました。つい先日もミャンマ−で、サイクロンにより3万人以上が亡くなり、それを遥かに超える方々が行方不明となっている矢先、今度は中国の四川省での大地震です。
 
こちらも死者は既に1万人を超え、これ以上の多くの方が生き埋めとなり、崩壊した建物の中などに取り残されています。この地震を知った後、中国での地理が少し不案内でしたので、弊社の実習生達の家族の安否を確かめました。
 
ちょうど四川省とは北東の位置にある、家族が住む河南省では幸いなことに被害はありませんでした。それでも鄭州などの街ではこの地震により大きな揺れを感じたとのことです。
 
よく分かりませんが、日本と違ってこの地域はそんなにしょっちゅう地震には見舞われていないのではないでしょうか。地震に対する備えなども薄いみたいで、建物そのものも日本と違って耐震構造にはなっていないようです。学校などが多く崩壊しているのもそのためではないでしょうか。
 
たった1回しか訪れていませんが、そういえば中国の田舎の家って、ほとんど泥壁のような土でできているような建物が多かったように思えます。こうした地域に、そのエネルギ-としては阪神大地震の数倍の地震が来てはひとたまりもありません。
 
いち早く世界中の救援の声が現地には届けられ、人々の間では感動と感謝に包まれているとも伝えられています。ちょうどこの地域はチベット紛争の起こったチベット族が多く住む場所でもあります。いち早く中国政府は温家宝首相を現地に送り、陣頭指揮をしながら何よりも救援優先の姿勢を強調しています。
 
このような大きな被害に際しては政治云々などと言っている場合ではありません。国内のみならず、世界中から多くの救援の人々を直ちに受け入れ、何よりも人命救助を優先しなければなりません。従ってこの際ですから排他的な民族主義を捨て、もっと広く世界を受け入れるべきです。
 
その絶好な機会でもありますし、国際社会との関係修復ができるチャンスでもないでしょうか。それにしてもこの大地震の起こる数日前、数十万匹のヒキガエルの大移動があったそうです。これがよく言われる動物の第六感というものでしょうか。被害に遭われた人々のいち早い救出やご回復を祈っています。


テンツクマンさんの講演会その2

[2008年05月13日(火曜日)|No.1417]

テンツクマンさんの講演会の続きです。前回は素敵な言葉をいっぱい紹介させていただきましたが、その活動も素晴らしいものがあります。
 
1ヶ月毎日フルマラソンに関しては前回触れましたが、これも不思議なところがあるそうです。1〜2日で足がパンパンになって、4日目ぐらいになるとほとんど動けなくなるそうですが、それでもあきらめず何とか無理やりでも動かしていると、11日目ぐらいになると普通に歩けるようになると言います。
 
やはり、やるかやらないかによって道は大きく分かれるものです。それから全てをネタに変えようということで、「107+1天国は作るもの」という映画を製作しました。この作る資金の捻出にも、いろいろとエピソ-ドがあるのですが、ここでは省略させていただきます。
 
映画にはそのテ-マとして、3つのポイントを挙げていました。1つには地球環境の問題です。ゴミ拾いをテ-マとしたのです。また2番目としてはアフガンにマフラ−を編んで届けようという運動です。
 
この地域では寒さで困っている人たちが少なくないため、それぞれが手編みでマフラ−をこしらえ、皆の合作品、いわゆるレインボ−マフラ-を届けるのです。
 
また3つ目としては沖縄から鹿児島まで手漕ぎの船で渡る挑戦です。手漕ぎですから想像以上の大変さがあるものでしょうが、果敢にあきらめず挑戦している姿を紹介しています。
 
また最近ではカンボジアでの食品海外支援を続けているとのことです。それと併せ、現地では泥水のような水を生活用水にしているため、井戸も掘っているそうです。こうした活動で訪れるたびに、本当に喜んでいただける姿に接し、震えるような幸せを感ずると言います。
 
これも全て今までがあったからこそ、現在を迎えられているという、過去の全ておかげと言い切ります。それから現在は世界中で雨が降らなくなっていると指摘していました。イラク戦争は油の奪い合いの戦争ですが、今後は水の奪い合いの戦争が起こるのではないかと危惧します。
 
また内モンゴルなどでも植林活動も続け、4年余りでその数も31万本と言われていました。この活動には末期がんを宣告された人も加わり、本人のみならず、周囲の人たちにも少なくない感動と刺激を与えているとのことです。
 
ガンになってから、初めて「ありがとう」という言葉を素直に言えるようにもなり、余命1年との宣告にも関わらず、翌年にも参加できたそうです。このように、それぞれが動くことによって奇跡が起こると指摘しています。
 
一握りの人たちかもしれませんが、その活動が広がっていけば、やがては大きな力となり奇跡も呼べるとのことです。やはり私たち一人ひとりが動かなければいけないことを強く知らされた講演会でもありました。


ちょっと良い話part29

[2008年05月12日(月曜日)|No.1416]

過日も触れましたが、鉄人・金本選手の活躍には本当に恐れ入ります。先日の巨人戦、木佐貫投手の死球を頭に受けて倒れました。およそ5分ぐらいだったでしょうか、倒れてからベンチ奥で治療を受けて、元気にグランドに出てきたのです。
 
誰もがこれで全イニング連続試合出場記録が途切れるかと、危ぶまれた矢先のことだっただけに、胸を撫で下ろしたのではないでしょうか。何と今日まで1220試合以上、連続フルイニング出場が続いているからです。
 
ベンチ裏に治療で引っ込んだとき、トレ−ナ−他周囲の判断は交代だったそうです。頭への衝撃は時間が経つほど気分が悪くなったりするからです。その空気をいち早く察した本人は、氷のうを頭に当てながら「大丈夫じゃけえ」と言って機先を制したそうです。
 
それにしてもこの人の凄さは続く次の打席、何と右翼席へホ-ムランを打ち込んだのです。普通なら頭に当てられたら無意識にボ-ルを怖がるものです。それをこの人は逆に「ピッチャ−は前の打席のことがあるから絶対近めを攻めてこない」と読んで、外角よりの球を踏み込んで打ったのです。
 
やはりプロですね。そこまでの読みと不屈な精神力を備えています。それにもう1つ凄いのは翌日のことです。当てた木佐貫投手が試合前の練習時、金本選手に謝りに訪れたそうです。そうしたところ、「気にするな。これに怖がることなく、思い切って投げてこいよ」と明るく笑いながら、逆に励ましたとのことです。
 
親分・金本選手の真骨頂とも言える光景です。昨日のTBS・サンデ−モ−ニングで張本さんが冗談半分に、俺なら「二度とするな。今度やったら承知しないから」と、脅かすところだがと言っていた正反対の爽やかな姿です。
 
やはり全てに、このくらいの泰然自若とした余裕を持ちたいものです。そのように考えてみると、記録や大事業というものは、技術など小手先だけのもので生み出していくものではなく、人そのものが創り出すものなのですね。


テンツクマンさんの講演会

[2008年05月09日(金曜日)|No.1415]

三島の倫理法人会が主催した、テンツクマンさんの講演会を聴かせていただきました。一口に申し上げると、見掛けとは全く違い、凄い人だなというのが何よりの感想です。ですから、久しぶりに感動して帰って来ることができました。
 
題名に挙げられたとおりの、あきらめらなければ夢は開く、素晴らしい生き方を紹介していただきました。講演の中で飛び交っていた、素敵な言葉をいくつか紹介したいと思います。
 
比べた瞬間に幸福が消えてしまう。人は比べられて生きるものではない。小さい頃から優秀だった兄貴と、とかく比べられがちでしたが、それぞれのよいところは必ずあるもので、比べられると傷つくものである。
 
未来は決まっていない。たった一人が今日動くことによって人生は変わっていく。やる前からあきらめるのが一番もったいないこと。今日という日は残りの人生の始まりの日だ。
 
苦しいときこそ挑戦する
。こうして1ヶ月(結果的には32日実施)毎日フルマラソンに挑戦します。支えていたのが、途中であきらめたら生きていても仕方がない、という開き直った強い気持ちです。こうして絶対無理と思えていたものでも、見えない力がサポ−トしてくれて不可能を可能としてくれます。
 
このように人間は慣れる生き物。全てはやってみなければわからない。また、全ての成功者はあきらめなかった人、とも言えるもの。心配するな、人は絶対死ぬ。全てはやるか、やらないか、にかかっています。
 
友人がいつも言って支えてくれたのは、いつか伝わるよ、という言葉です。腹をくくった瞬間、いっぱい出会いをもらった。昨日の自分を毎日越えよ。今、落ち込んでいる時間があったら越えるように努めろ。自分に誇りを持ったとき必ず花が咲く。全ての出会いは最高のタイミングでやってくる
 
本当に素晴らしい言葉ばかりです。まさにその生き方も言葉とは裏腹でない、見事な生き方をされています。講演の後半で紹介された、その素晴らしい取り組みはまた次回紹介させていただきます。
 
とにかく講演でも言われていた、現在があるのが、全て過去のおかげ、全部幸せに繋がるという前向きな生き方をいつもしていたいものです。


生者必滅

[2008年05月08日(木曜日)|No.1414]

尊敬している先輩経営者の奥様がお亡くなりになったことから、朝からその葬儀に参列し、3時ごろ家に戻ってきた途端、今度は親戚の訃報を受けました。いつも不思議に思うのですが、こうしたことは比較的重なりやすいものです。そんなわけでカキコミがすっかり遅くなりました。
 
先輩知人の奥様はすい臓がんとのことです。昨年暮れだったでしょうか、県立ガンセンタ-にやはり肺がんの手術をした叔母が入院して通っていたとき、偶然にこのご夫婦にお会いしました。
 
お会いした場所が場所だけに、あまり立ち入ったことまではお聞きできませんでしたが、奥様が少し悪いのかなと察し、正直あまりよい気持ちではありませんでした。そしてそれからも家内が同じ病院で、車椅子の姿を見掛けたとも聞いていましたので、少し心配もしていたわけです。
 
そしてこの連休が明けた朝、FAXで訃報が届けられているのを目にしました。ああ、やっぱりと思ったのですが、それにしても突然の報せだったのです。
 
葬儀の一番最後に、喪主として先輩知人のお礼の挨拶がありました。それによると、夫婦二人できっぱりとその告知を受け、半年あまり、その戦いの日々が続いたとのことです。そうは言ってもご主人の方でも、はじめの2ヶ月ぐらいは割り切れず、自分自身にも整理がつかなかったそうです。
 
友人の弔辞にもありましたが、昨年の秋には、友人達と揃って家族ぐるみの信州旅行に参加し、何の前触れもなく楽しく過ごしてきたからです。遺影として飾られた写真は、その時のもので、二人して屈託なく笑っている、最後のものとなってしまったそうです。
 
お聞きしていて、夫婦としてのお互いの信頼の厚さや、多くの人たちに愛されている人間性の豊かさ、そして残された人たちにもしっかりと伝えている尊い教えの大切さを知らされました。
 
こんなわけで友人達の心の本当にこもった弔辞や、孫たち6人による感謝の言葉、また葬儀を取り仕切ったご住職の涙ながらのお別れの言葉までありましたから、式は3時間あまりにも及びましたが、すこぶる感動的なものでした。
 
やはりその人の偉大さというものは亡くなってみて改めて知らされるものです。先輩知人のお人柄の良さばかりがとかく目立ちますが、今となってみればもう故人となってしまいました、支えた奥様の凄さを十二分に知らされたものです。謹んでお悔やみ申し上げます。合掌


常識、良識を取り戻す

[2008年05月07日(水曜日)|No.1413]

連休はいかがお過ごしだったでしょうか。零細企業のはかなさとも言える、暦どおりの休日で、とてもゴ-ルデンウィ−クとは言えない今年の連休でしたが、私は工事の試運転等もあって、2日間だけ何とか休みを取れて終わりました。
 
そのうちの1日、浜松祭りにひさしぶりに出掛けてきましたが、やはりそのパワ-の凄さに感動して帰って来ました。また写真などと併せ、改めて触れさせていただきます。
 
イエロ-ハットの鍵山秀三郎さんが致知の6月号に書かれていたことを少し紹介させて下さい。さすがに全て説得力のあるお話です。(本文から抜粋のため、一部省略させて頂いてあります)
 
どなたか30年くらい前に「日本の民主主義はいずれ勝手主義になる」と言われた方がありました。今の日本を見ると、残念ながらその言葉どおりの国になってしまったという印象を持たざるを得ません。
 
法律には反していないからともっともらしい理屈をつけて、周囲の迷惑も省みず自分勝手な振る舞いを平然と繰り返す人が増えました。高い学歴を得て、社会的に重要な地位に就いている人の中にも、そういう行為をする人が見受けられることは、誠に嘆かわしいことです。
 
法律や規則は、どんなにきめ細かくつくっても隙間ができるものです。その隙間を埋めてきたのが、常識、良識だと私は思います。日本人も半世紀くらい前までは、法律など知らなくても、法律より遥かに遠いところで自らを律して生きる人が数多くいたように思います。
 
私たちは今一度こうした姿勢を取り戻さなければならないと思うのです。会社の提供するサ-ビスには、プラス面のサ-ビスとマイナス面のサ-ビスがあります。プラス面のサ-ビスは人様に喜ばれるサ-ビスで、それを行ってお礼を言われるたびに信頼が積み重なっていきます。
 
これとは逆のマイナス面のサ-ビスは、せっかく積み重ねてきた信頼を裏切るような行為です。それによって信頼が損なわれる時には、ただの引き算ではなく、掛け算で損なわれていきます。従って過去に積み上げた信頼が大きければ大きいほど、マイナスが大きくなります。
 
無知、未熟であるがゆえに犯してしまった過ちはカバ−できます。しかし、知っていて犯した過ちは、回復不可能なくらい大きなダメ−ジとなって跳ね返ってきます。ですから会社というのは、新入社員、若手社員の行いで大打撃を受けるようなことはほとんどなく、経験を積み、物事をよくわきまえたベテランが過ちを犯せば、壊滅的な打撃を受けることがあり得ることを、しっかり自覚しておかなければなりません。
 
いま会社がそのような危険な道を歩んでいないかどうかを確認する方法があります。それは、
当たり前ではないことを当たり前にしていないかということです。本当は常識に反するようなことであるにもかかわらず、いつの間にか会社の中では普通になってしまっていないかということです。
 
全て心にずっしりと響いてくる言葉ばかりです。触れたくありませんが、偽装という不祥事のあった名門、船場吉兆でまたあってはならないことが起こりました。客の食べ残したものを別の客に廻したというのです。
 
いったい何を考えているのでしょうか。かつての反省が少しも活かされていないのなら、もう二度と失われた信頼は戻ってこないと断言できるもので、とても残念な出来事です。


母校野球部のために

[2008年05月01日(木曜日)|No.1412]

とうとう母校・沼津東高野球部OB会の会長になることが決まりました。先の26日の同総会において役員改選時期に当たることから、前会長の意向により引き継ぐことになったわけです。
 
100年以上の歴史と伝統を持つ野球部だけにとても名誉なことだと思い、その責任の重さを実感しています。が正直なところ、あと2年待っていただけたらと思っていたのが事実です。自社の地盤固めはもちろんのこと、いろいろな役職が重なっていたからです。
 
でもその歴史の割には背に腹を代えれない事実が存在していて、こちらの希望を汲んでいただくほど猶予は許されませんでした。また私の回期以降は以前から若手などと、その中では言われ続けていましたが、あと2年で60に手が届く年代ゆえ、いつまでも若手では通用しなかったからです。
 
私がこの会に首を突っ込むようになったのは、今から25年ぐらい前です。期待に反して不甲斐ない結果と終わった現役時代のこともあって、後輩たちともあまり接触のない時代をしばらくは続けていたのですが、ある時1級下の現役当時の仲間のお誘いもあって、初めてこの総会に出席しました。
 
当時は総会と言っても20数名ぐらいしか出席していなかったのではないでしょうか。この切り回しから事務局的業務を一切引き受けていたのが、私より5級上の同じ中学出身の先輩でした。この姿を見た途端、見てみぬ振りができなくなってしまったのです。
 
以来、事務局を引継ぎ、幹事長的立場も10年以上務め、今日に至っているのです。とにかく願いはただ1つ、母校・沼津東高の甲子園出場です。これはOBのみならず同窓生の悲願とも言えるものですが、その夢に向かって微力ながら努めていきます。
 
今年は入試選抜制度も少し変わり、文武両道に優れた選手も何人か入っているとのことです。またその迎える学校側の体制も監督、部長等今までで最高な布陣とも言えるものです。OB会とも極めて風通しがよくなっているゆえ、悲願達成に向かい、物心両面の援助を円滑に図れるよう精一杯努めていきたいと思っています。
 
明日2日は急遽、出張が入りましたので会社を留守にします。カキコミを休ませて下さい。