株式会社 アイソー




2007年03月の日記

支部総会記念講演

[2007年03月30日(金曜日)|No.1187]

4月に入ると、どちらも総会シ−ズンで忙しくなるのではないでしょうか。ご他聞に洩れず、我ら中小企業家同友会沼津支部総会も来る4月7日に開催されます。2年前私が企画委員長になったときから、この総会時での記念講演を発案させて頂きました。
 
おざなりの総会のみの開催だけではなく、少しでも折角集まった方々にとって有意義な時を過ごすことができたらという願いからです。それに講演の開催により、できる限り多くのメンバ−に出席して頂きたいからです。一昨年は県筆頭代表理事、また昨年が地元先進企業の社長に務めていただきました。
 
そして今年は熱い願いが聞き入れられ、大阪同友会代表理事の岡本利雄社長にお越しいただくことが決まっています。総会と言えども、県ではなく一支部の総会にこのような方が来て頂けるのは本当に有難いことです。
 
それと言うのも、ちょうど10年前になるでしょうか、静岡県同友会で開催した役員研修会でこの岡本さんの講演をお聴きしたことに始まります。当時支部の運営の中核を占めていた何人ものメンバ−が、この岡本さんのお話を聴いて、大きく心揺さぶられたのです。
 
私もその内のひとりですが、「同友会活動と自社の経営は車の両輪である」という内容でしたが、支部での毎月開催の例会は何のために作られているのか、また役員はそれに向けどのような姿勢が求められているのか、支部活動の中心は?、また自社の経営との関わり等、お話の一つひとつはどれも大きな説得力を持つものでした。
 
手前味噌ですが、こうしたことによってその後、沼津支部の例会創りが比較的近隣支部と比べても、内容やその準備に時間を掛けているものに変わっていったような気がします。結果だけがただ良いとした、いわゆるお茶を濁したような例会は意味がないことも知ったのです。
 
そして10年の時が過ぎ、今役員の中枢は岡本さんのお話をほとんどが聴いてない、若い世代の方々に変わろうとしています。かつて私達が大きな感動をいただいたのと同じく、私達の言葉では伝えることのできない同友会の本質を是非知ってもらい、新しい何かがまた生まれてくれたらと願っています
 
本日電話でも、岡本代表理事とその詳細を打合せさせて頂いたのですが、有難いことにとても前向きにこの講演に取り組んでいただいています。7日の記念講演がとても楽しみで待ち遠しい限りです。かごはやはり乗る人より担ぐほうが楽しみが増えるものですね。


植木等さんの死

[2007年03月29日(木曜日)|No.1186]

ちょいと一杯のつもりで飲んで、いつの間にやらはしご酒、気が付きゃホ−ムのベンチでごろ寝、これじゃ体にいいわきゃないよ、分かっちゃいるけどやめられない...ご存知ス−ダラ節の一説ですが、あの植木等さんがお亡くなりになりました。よく私は植木さんの映画を観ました。あのワッハッハッハッ〜という独特の笑い声が今でも忘れられないものです。
 
もう80歳になっていたんですね。本当に植木さんが出てくるだけで、周りがパア−ッと明るくなったものです。もうかなり前のテレビですが、シャボン玉ホリデ−という番組が好きでよく観ました。その中でも特に好きだったのが、植木さんの「お呼びじゃない」でした。毎週出てくる、様々な場違いの格好やらコメントに惹きつけられたものです。
 
こうした私達の青春の1ペ−ジを飾った一人だっただけに、やはりその死は寂しいものです。植木さんという人、映画では無責任男を何本もやっていましたが、本当は真面目なおとなしい方で、カメラが向けられるとガラッと変わったと言われています。それからス−ダラ節は酔っ払い男ですが、このお酒も一滴もやらなかったそうです。人は見かけによらないものですね。
 
これでハナ肇さん、青島幸男さんとこの植木さんの3人が天国で揃いました。さぞかしあちらは賑やかになっていることでしょう。長い間、茶の間を十分楽しませて頂いたことに感謝すると共に、そのご冥福をお祈り申し上げます。


あなたなら?

[2007年03月28日(水曜日)|No.1185]

大阪の同友会の友人から毎週送っていただいているメルマガに、こんな興味深い話が載っていましたのでちょっと紹介させて下さい。澤田ふじ子さんという著者の書かれた本である、公事宿事件書留帳の中の「買うて候えども」という一遍に触れています。途中一部省略させて紹介させて頂きます。
 
京都の小間物屋に奉公した清三は、真面目に日々の仕事を務め上げていた。そのころの店は、給金を全額本人に支払わず、その多くを店で積み立てし、退職するときとか、見事暖簾分けしてもらう時に、その全額を頂くという仕組みになっていた。それは博打や女に溺れて身を持ち崩さないための知恵であった。
  
その清三は、小間物の商いとして得意先を回る一方で、将来の暖簾分けを楽しみに、その時に役に立つために、日頃からコツコツと幅広い知識を蓄えていた。そしていつの間にか骨董にも目が利くようになっていた。9歳で、近江安土の近くの村から出て来て、今年23歳になっていた。ある日、骨董屋の店先で、野々村仁清の焼いた「色絵の筒胡ぐいの掛け花生け」を見つける。値段は5両。真贋分かりかねるということで5両である。本物と分かっていれば、百両でも二百両でも出そうという粋人は数多く居る。
 
しかし3両しか手元の蓄え金がない。店に預けているお金は16両あるが、花生け一つに5両等というそんな大金を出すと言えば、主人に怒られるに決まって居る。しかし欲しい。天井の低い手代部屋の柱に掛けて、一輪のボタンでも生けたら、どんなに心が和むだろう。欲しい。何としても欲しい。思い悩んだ末に、奉公するときに請け人になってくれた、同じ村から京都に出てきている4歳年上の、太物屋の大店の今や番頭見習いをしている栄次郎に相談し、2両の借金を申し込む。すでに手付けとして1両入れてある。それくらいにその花生けが気に入ったのである。
 
始めは他の良からぬことに使うのではないかと疑っていた栄次郎も、日頃の清三の真面目さを知っているので、最後には、一両はやんごとなき入用のときのためと3両を貸してやる。因みに江戸後期の三両とは、手代程度の立場では二年間の給金に匹敵する。借りた金のうち二両と自分の残り金二両を持って清三は骨董屋に向かった。しかし、骨董屋の主人はこう言った。「あれから後に偉いお武家さんが参られて百両出すとおっしゃったんです」
 
「私は手代さんに一両の手付けを貰っているので他には売れませんと言ったのですが、それでは百五十両出す。あとの50両は詫び料としてその手代に渡してくれ。50両の侘び料ならイヤとは言わんだろうと。私も手代さんとの約束を破るのは悪いとは思いましたが、私も儲けたいです。それに手代さんも50両も侘び料を貰ったら、一軒店がもてまっしゃろ。これは喜んでもらえると思い、売ってしまいました。これは手付けの一両でこれが侘び料の50両です。どうぞ収めとくなはぁれ」と、骨董屋の主人は胸を張ってそう申し述べた。
 
ここで作者は、もともと仁清が作の花生けなど、手代風情が贅沢品。スパッと諦めて50両をいただくのか、それとも骨董屋の主人の商人としての間違ったやり方に苦情を言い、手付けは戻してもらうものの、50両は受け取らず、横取りしていった偉いお武家さんとやらの住所と名前を教えてもらい、人間としての道理に反していることを抗議するか、どちらを貴方なら選びますか、と訊いています。
 
清三は後者を選んだ。清三は思った。額に汗せず、濡れ手で粟と受け取った大金は、絶対身に付かず、努力することを忘れ、放蕩し、身を持ち崩すのがオチである。やがて店の一軒は持ちたいが、コツコツと働いたそのお金を貯めて、小さいが魂の入った店を持ちたい。第一濡れ手で泡の50両を得たと店主に知れたら、そんな不心得な男はいりまへんと店を追い出されるがな。であった。
 
それを聞いた骨董屋の主人は吃驚した。「今時、若いのにそんな考えのお人が居たのか」そのことであった。横取りするように買って行ったのは、鍋島藩の京屋敷のお留守役であった。その名前を聞いた清三は、「そんな偉い人では歯が立たない」と落胆し、抗議を諦めて手付けの一両を返してもらい、意気消沈してお店に戻るのである。ここで主人公田村菊太郎の登場となる。これを聞いた菊太郎は、清三を伴い鍋島藩京屋敷にお留守役を尋ね、菊太郎が清三に代わって抗議する。
 
留守居役も、そんな気持ちで買ったのではない。我が鍋島藩は磁器で生きている藩。有田焼、伊万里焼きをもって殖産政策と致しております。そこにこの花生けをみて、これは何としても買い求め、今後の手本とするべきと存知買い求めた次第。しかしながら金にモノを言わせてと映るような自分の軽率さを反省しております。と謝る。
 
そこで清三が言う。「仁清の花生けなど私ごときものには身分不相応。身の程を知らぬ諸行をお笑いください。この花生けは、鍋島藩にこそ必要な品でございます」と引き下がるのである。さすがお留守居役は、清三の心根に感心し、清三の勤める小間物屋と栄次郎の務める太物屋を、これを機会に鍋島藩の御用商人の仲間に入れることを決めるのであった。

 

そしてこのメルマガの著者はこのように結んでいます。
 
商売は「牛の涎」と言う。細いが粘っこく引っ張るのである。一つ一つの小さな仕事をしっかりと仕上げていくと、紹介してくれる先が出てくる口コミである。濡れ手で粟の儲けは真の商人にとっては必要ないもの。とは私が講演に行くために「近江商人」のことを勉強したときに感じたことである。近江商人は「三方良し」を商売の要諦としている。売り手良し、買い手良し、世間良しの三方よしである。自分だけが良かったらいい商売は長続きはしない。売り手と買い手の当事者だけがよかっても、世間で通用しない条件や、やり方では、良いとは言えない。
 
まさにその通りだと思います。一攫千金などをどうしても夢見たくなりますが、商売の原点はまさにこのご指摘どおりです。自分さえよければいいと思ってていては、長続きするはずがありません。コツコツと積み上げていくことですね。とかくおいしい話があると、私もその気になりがちのところもありますので、自分への教訓の意味も込めて、敢えてこの素敵なメルマガの一節を紹介させて頂きました。


真央ちゃんの一言

[2007年03月27日(火曜日)|No.1184]

先週の土曜日は浅田真央ちゃんのフィギュア女子フリ−やら、シンクロのチ−ムフリ−の決勝、またオシムサッカ−等、テレビのチャンネル選択が忙しかったのではないでしょうか。
 
私も、はしごしながらそれぞれを眺めたわけですが、その中でもフィギュアのフリ−対決は見所がありましたね。前日のショ−トプログラムを終え、完璧な演技で1位だったライバルの金選手がいまいちで、思いのほか点数が伸びず、いよいよ浅田選手の登場です。
 
前日はジャンプのミスがあり5位に甘んじましたが、この日はトリプルアクセルを決めるなど見事な演技を見せてくれた結果、この金選手を抜いてトップに躍り出たのです。演技を終えた真央ちゃんはこれで優勝を確信したのでしょう、込み上げてくる涙を抑えることができなかったくらいです。
 
でも運命の女神のいたずらか、これで勝負は決まりませんでした。最後に登場したミキティこと安藤美姫選手が、大事をとって得意の4回転こそ見せませんでしたが、ミスのない完璧な演技をして、合計で浅田選手を上回ったのです。
 
その差は0.64という僅差でしたが、やはり前日のショ−トプログラムの差がそのまま影響したのです。私達観ている側の立場では、日本人選手がワン・ツ−・フィニッシュしたのですから、何も言うことがなく万々歳の結果です。
 
でも真央ちゃんはまさか抜かれるとは思っていなかったのでしょう。後で聞いたのですが、2位という結果が出てからトイレでひとり号泣したそうです。このくらいの負けず嫌いでなければ、やはり世界の第一人者として君臨することはできないものと思います。是非お伝えしたいと思い、よかったのが次の一言です。「年をとると涙もろくなるのですね」真央ちゃんはやはり大物です。


選択

[2007年03月26日(月曜日)|No.1183]

私事ながら、ちょっとお話しさせていただきます。末っ子の長男の大学進路が決まり、先日も日帰りで大阪まで行ってきたことは既に申し上げました。結果的には兄弟3人とも同じ大学を選ぶことになり、家内などは3人目は割引が利くかどうか学校側に聞いてみたいとの、冗談まで飛び出しているくらいです。
 
でも最後の彼はやはりプライドがあることと思われます。姉達二人が推薦でぬくぬくと入学したのに比べ、自分がこれから進みたい好きな道から、学部を選びその専門がある大学を何校か志望校に決めたのです。でも志とは裏腹に終始マイペ−スなところから、受験勉強もやっているのかどうか、判断がつかないような状態でしたので、目指した公立は残念ながら入ることができませんでしたが、一緒に受験していた私学が合格していたのです。

そして最終的には、自分が大学に入って何をやりたいのかでその選択をしました。受かっていた外国語系の関西の私学の中から、熟慮の末決めたのです。結構迷ったみたいですが、最終的な決め手は留学のチャンスが多いか少ないかによりました。
 
少なくとも1年、できれば2年ぐらいドイツに行きたいとの夢があったからです。私達はこの彼の選択に一切口を挟みませんでした。むしろ嬉しい悩みみたいで、羨ましかったところもあるくらいです。近年大学に入って何をやりたいのか判らずに、ただその名前だけで受験をし、入った途端目的が達成されたためか、だらしなく緩んでしまって遊び呆けて出てくる学生が少なくありません。
 
それに比べれば、決して成績は特別よいわけではありませんが、学ぶ目的があって価値があるのではないでしょうか。愚息ながら、こう言っている私自身もしっかり考えて目指したわけではないので、その選択にある種畏敬の念すら少し抱いているところもあるくらいです。
 
若い人にはどんどん夢を追いかけてもらいたいものです。目的があるのとそうでないのではやはり違いが出ます。大切なのは良い大学を出てくることではなく、そこで何を学んだかによるものです。決して今更どうのこうのと、未練たらしく過去を振り返るわけではありませんが、自分自身が夢を追いかけることができなかったので、長男にはとことん追いかけて欲しいと、人一倍願っているものです。


生活改善と学力向上その2

[2007年03月23日(金曜日)|No.1182 ]

先日紹介した脳のパワ−アップの続きです。これには生活改善の他に、読み・書き・計算に代表される学力向上の3要素があります。昔から読み・書き・そろばんと言われていたとおりのものです。
 
とにかくこの反復学習が良き効果をもたらすと指摘しています。先にあげた小学校ではこの音読練習がカリキュラムに組み込まれていて、子ども達は大きな声で平家物語や枕草子などの一説を読みあげています。
 
声を出すことはとてもよいことだと言われています。ですからアナウンサ−とか、話す商売の方はぼけにくいし、年をとらないそうです。また意味がよく解らなくても、声に出して読んでいればそれなりの効果があるとのことです。小学校のとき、この音読に親しんだ子ども達は、高校になって古典をやっても違和感がなく、すんなり解けこめると指摘していました。
 
また百マス計算と言って、縦横四方の計算をしながら空いているマスに数字を入れながら埋めていく、計算練習にも効果は少なくありません。タイムを計りながら、できる限り早く行う計算に脳の活性化が促されるのでしょう。
 
書くことは自分の経験からもよく理解できるところです。昔は憶えたいと思ったときにはよく書き出したものです。読んで素通りするよりか、自分の手で何かに書き留めた方が、頭の中に残るというものです。自分も比較的漢字は苦手ではない方ですが、これも小学校4年から6年生ぐらいまでの間、クラスで競い合って漢字のテスト等やったお陰かなと、懐かしく思い出したしだいです。
 
とにかく、こうしたパワ−アップには先にあげた、早寝・早起き・朝ごはんの生活改善が何よりもその前提となるところです。これにはまず家庭において、体からよいリズムを作り上げていくことです。最後にしつけについて述べていましたがこれも難しいことではありません。
 
掃除をしてきれいにする。挨拶をする。時間や約束をしっかりと守る。この3つの基本的なことをしっかりと教え行動に移していけばよいのです。ですから教育基本法云々などと難しいことはいいから、家庭でこの躾さえ、それぞれが実践していけば目指す成果は上がるのではないのでしょうか。でもこれすらできない大人が多いのですから、率先垂範でまず見本は大人からですね。
 


プロ野球の行方

[2007年03月22日(木曜日)|No.1181]

一昨日の午後3時過ぎ、珍しく会社を早退させて頂きました。やはり鬼の攪乱と呼ぶのでしょうか、朝から妙に寒気がすると思ったら、少し熱が高かったのです。この日の夜も自分がお願いした研修会がありましたが、家内の勧めもあり大事をとって休むことにしました。
 
毎日仕事以外の件でも出ることが多く、知らず知らずのうちに疲れが溜まっているのでしょうね。年は取りたくないものです。だんだん無理が利かない年齢になってしまいました。でも翌日は休みでしたが、処理しなければいけない仕事もありましたので、元気に出社しましたからもう大丈夫です。
 
さて、昨日行われたプロ野球代表者会議の結果についてですが、正直がっかり致しました。先日も触れたとおり、大方の予想に見合ってドラフトの希望枠は撤廃ということになったのですが、なんと実施されるのが今シ−ズン終了後ではなく、来年からとのことです。
 
これに各球団合意したとのことですが、どこの球団からも反対がなかったというのもおかしな話です。これではまさに、今年の希望枠についてはどこの球団も既に下交渉済みで、獲得選手の目途を付けていると証明したようなものです。
 
西武の裏金の問題は何だったのでしょうか。たとえ裏金を渡してなくても、これでは各球団とも希望選手とベッタリの関係を示しているようなものです。まさに希望枠が不正の温床と呼ばれる所以です。
 
これでは一斉に反発しているアマチュア野球界やプロ野球選手会の当事者たちだけではなく、一般の野球ファンからもそっぽを向かれることになるでしょう。果たして本当に改革の意志があるのでしょうか。こうしたいつまでも自浄作用のない体質構造では、日本のプロ野球も近い将来危機的なものを本当に迎えるようになるのではないでしょうか。そうならないことを願いたいのですが...


生活改善と学力向上その1

[2007年03月20日(火曜日)|No.1180]

日曜日、テレビで脳のパワ−アップには、生活改善と学力向上が不可欠であると取り上げていました。これは陰山方式とも呼ばれていて、子ども達の間でも少しずつ浸透しているもので、一部の学校では既に昨年から実験的に採り入れ、その成果を確かめています。
 
まず生活改善には早寝・早起き・朝ごはんの3要素が欠かせないと言われています。山陽小野田市の小学校では昨年5月から、後で挙げる学力向上の3要素と併せ、この実践に踏み切っています。
 
それによると、子ども達から採取しているデ−タでは、夜8時から9時の間に寝る子が一番成績がよいそうです。後はこの時間が遅くなるに連れ、比例して成績が悪くなっているとのことです。それでは早く休むための一番の障害でもあるテレビについてですが、観る時間が2時間以内の子に良い結果が表われているそうです。テレビを観すぎるとこの睡眠時間が削られるし、読書のような時間も持てなくなるからです。
 
またせめて学校に行く1時間前までに起きなければと指摘しています。朝ごはんをゆっくり食べれないからです。この朝ごはんと知能指数との間には密接な関係があり、朝ごはんをきちんと食べるようになってから、知能指数が10以上も上がったという事実も存在するくらいです。そういった意味では、朝ごはんをしっかりと食べさせない親は、ある意味では虐待していると言えるかもしれません。
 
それから夜遅くまで勉強していても、大した効果がないと言われます。疲れた脳は学習を受け付けないからです。それよりも朝早く起きて勉強する方がずっと効果が上がるそうです。これは私達企業にも言えることでもあり、残業の多い会社は傾くとの言葉もあるくらいです。
 
早速、弊社も昨日の朝礼で、このことにつき私から提案しました。忙しい中、今まで遅くまでやっていた残業をそのまま早出として、早朝の時間帯に移したらどうかと。これは決して私からの強制ではなく、社員全員で考えてもらいたいと付け加えておきました。さあどうなることかは後のお楽しみですが、私自身も本当に仕事を処理したいときは早朝出社しています。
 
それだけに惰性で流されているようなものではなく、ここまでしか仕事ができないとなったら、もっと意識も変わるし時間の使い方もうまくなるのではないでしょうか。話が少し横道にずれてしまいましたが、学力向上の要素他続きはまた後日お話しさせて頂きます。


忙しいシ−ズン

[2007年03月19日(月曜日)|No.1179]

3月というこの時期は年度末ということもあって、卒業式やら入学手続き、引越し等、いろいろと何かがあり忙しいものです。私も長女の卒業式の送迎と併せ、たまたま下の息子も同じ大学に入ることが決まりましたので、彼の引越しも兼ね大阪まで日帰りで行ってきました。
 
この土曜日、1日お休みを頂き、まず少しでも安くとのことで、深夜ETC割引を使い東名沼津ICには朝4時前にゲ−トを潜りました。少し眠い時間帯ですが、前夜はこれに備え早めに休みましたから体調は万全です。体さえシャンとしていれば、東名もこの時間帯の方が渋滞もないし、かえって走りやすいというものです。
 
こうして8時半には目的地の大阪・枚方に着くことができました。細かな話ですが、通常では8900円のところを6350円で行けるのですから、これでちょっとした食事代ぐらい捻出できるのではないでしょうか。枚方に着くや否や、卒業式の準備のため1日前に現地に乗り込み、美容院でおめかししていた娘の送迎です。
 
父親というものは、このようにアッシ−くんでいいように使われても、娘の艶やかな姿に見とれて、ただ鼻の下を伸ばしているだけに過ぎず、いい気なものですが情けない存在でもあるわけです。やはり娘には何だかんだと言っても、極めて弱いものですね。
 
一方、息子の方はと言うと、ずいぶんと便利で使い勝手のよい部屋があるものです。男子、女子と棟は分かれていますが、たまたま同じところに真ん中の次女が移り住んでいたことから、ここの所在を知ることができました。
 
部屋は一人用ですからそんなに広くはありませんが、壁などに収納用のケ−スやクロ−ゼットなどが付いており、エアコン、冷蔵庫、オ−ブント−スタ−やベッドに至るまで完備されています。ですから大きな荷物の運び入れもなく、こちらは案外スム−ズにその作業を終わらせることができました。
 
住めば都とはよく言ったものです。おそらく彼の今までの人生で、初めての体験とも言える、誰にも邪魔されない、たった一人きりの生活が始まるだけに、大きな期待と微かな不安が交錯しているのでしょう。週末に予定されている大学での試験があるため、大阪に残ることを決めた彼の顔にはそのような複雑な思いが感じられたものです。
 
この春からは長女が晴れて社会人、そして新たに加わった息子も含め大学生が二人、それぞれの新たな出発です。だんだん私達親からはその距離を隔てていくわけですが、自立というかその成長が楽しみなものでもあるわけです。可能な限り、子ども達にはせめてその望んでいる通りの道をと、以前から考えた通り進んでいる過程に、少し心が満たされるものがあったためか、自宅への帰途は午前2時を過ぎることになりましたが、少しも苦にはならないものでした。


肩身の狭い愛煙家

[2007年03月16日(金曜日)|No.1178]

今度の日曜日の3月18日より、新幹線や特急列車が全面禁煙となるそうです。もう既に3年前より指定席や自由席それぞれの喫煙車両が、1両ずつに減らされているということも今回初めて知ったのですが、それが全くなくなるということを聞かされ、とても可哀想に思っています。
 
私はタバコを吸いませんが、愛煙家の立場になったらどうなのでしょうか。例えば東京から大阪まで行くのに、一番速いのぞみで2時間半ですか。この間、ずっと吸えないで閉じ込められているのも、気の毒のような気がします。
 
弊社ももう少し経ったら仕事に一区切り付け、1泊2日の慰安旅行で京都までの旅を予定しています。たまにはバスなどの決められた旅ではなく、新幹線でのんびりと行くフリ−プランもよいかなと考えたからです。そして弊社研修生(ここで1年経ち、実習生に格上げとなりましたが)の二人が、まだ日本に来てから新幹線に乗ったことがないと聞いたことも手伝ったからです。
 
三島からのんびりと、こだま号で出掛けるわけですが、京都までは2時間40分です。たぶんこうした旅では他のお客様の迷惑にならない程度に、お酒なども入りきっと盛り上がることでしょう。こうした中、愛煙家にとって、全然タバコを口にできないというのも極めて辛い話ではないでしょうか。
 
中には弊社会長のように、タバコがなかったら仕事をしていても張り合いがないという人も少なくないはずです。そのような人にとって、本人はタバコを吸うことによる弊害云々などというより、むしろ吸えないことによるストレスなどの影響の方がずっと強いはずです。
 
JR東日本のこれに関しての説明を読むと、列車内は密閉された限られた空間であり、完全な「分煙」を実施することが困難であると書かれていますが、それは現在多数を占める、タバコを吸わせない側からの理屈だけのようにも聞こえます。
 
かつてはのんびりと、このタバコをおいしく、くねらせながら旅を楽しんだ時期もあるだけに、せめて限られた特定車両の空間ぐらい、残しておいてやるのも、愛煙家への思いやりというか優しさのようにも感じられます。
 
それはある意味では、子どもに悪いと言って、何でもかんでも取り上げてしまう大人の理屈のようにも見えるものです。かく言う私が、最大顧客でもあるJTさんに仕事でお世話になっているからといって、決して述べているわけではないと思うのですが...
 


光熱水費問題

[2007年03月15日(木曜日)|No.1177]

安倍内閣も相変わらずのドタバタ劇が続いています。子どもを産む機械発言が何とか収束に向かっていると思ったら、今度は松岡農相の光熱水費問題です。
 
無償の議員会館に事務所を置く松岡農相が、多額の光熱水費を政治資金収支報告書に計上していた問題です。2005年に約507万円、同年までの5年間で約2880万円の同諸費用を計上していました。
 
この問題を追及してからか、その後の対応もしっくりいかないことがどうも多いようです。水道水なんかどこの家庭でも飲んではいないのではないかと言ってみたり、慌てて買い求めたのかどうか知りませんが、何とか還元水を飲んでいるとか苦しい弁明をしています。私達のように普通に水道水を飲んでいる人間はいったい何だと言うのでしょうか。
 
でも500mlで5250円もする、何とか還元水を誰が飲むというのでしょうか。もしそれを定期的に飲んでいるのが本当だとしても、その事実そのものが異常です。そんな非日常的で庶民感覚から大きく外れている人に、私達の身近な食糧問題など担当している農水相など務まるものでしょうか。
 
しかし野党も情けないですね。追求していったら、自分達の仲間からボロが出てきました。民主党の何とか議員さんも3年間で同高熱水費が1070万円と言われています。また年間100万円を超える費用を計上していたのが10人もいるそうです。
 
何ともその言葉がありません。この民主党を指して、ブ−メラン政党と呼ぶ人がいるそうです。問題を追及しても自分のところに必ず返ってくるからです。野党第1党として、国民に対しても大きな責任と期待が持たれているというのに、いったいどうしたと言うのでしょうか。
 
とにかく庶民感情からあまりにも遊離しているような人は、大臣はもちろん議員としてもどうかと思われます。そんな人に国民が望んでいることが十分理解できるわけがありません。安倍首相も就任当初よりずっと自分の色を出してきたと言われているだけに、毅然とした姿勢が求められるものです。そうでもないと、今度の参議院選は思わぬ結果になるかもしれないと、老婆心ながら忠告しておきたいと思っています。


見事な胴体着陸

[2007年03月14日(水曜日)|No.1176]

昨日は何と言っても胴体着陸の話題ではないでしょうか。高知空港で前輪が出なかった、全日空DHC8−400型機(ボンバルディア社)が一人のけが人も出さず、無事着陸できたことです。
 
とにかく大きな事故に繋がらず、何よりもよかったと思っています。ニュ−スでその着陸の模様を眺めたのですが、本当に見事なランディングで、感動して胸が熱くなったほどです。
 
この飛行機は大阪・伊丹空港を飛び立った後、1時間ぐらいで前輪が出ないことに気づき、緊急マニュアルに切り替えても不可能のため、タッチアンドゴ−と言って、着陸態勢に入り後輪を滑走路に接触させ衝撃で前輪を出す方法を試みたのですが、それでも駄目でとうとう胴体着陸せざるを得なくなったとのことです。
 
それにしても、もちろん地上からの指示があるというものの、燃料を使い切るために上空を約2時間旋回していたり、主脚から着地し、ぎりぎりまでスピ−ドを下げた後、機首を下げ機体を滑走路につけた技術といい、冷静沈着な機長の判断と技量がうかがえます。
 
でも乗っていた人たちは怖かったものと思われます。ニュ−スでも名刺にいっぱいその状況やら心境を書きとめていた人を紹介していました。しかし機内での冷静なアナウンスや、急旋回やタッチアンドゴ−など最大限の車輪を出すトライをしただけに、後は混乱もなく機長に全てを任せるしかなかったのでしょう。
 
この機長、36歳とのことで、それなりの経験は積んでいるものの、若いのに大したものです。緊急時のマニュアル通りにやっただけと述べていますが、異常時だけになかなか平常のことができなくなるものです。それにしても日本ではこの20年間、この飛行機での死者は0人とも聞きました。そうしてみると案外陸よりも空の方が安全なのですね。この全日空の今里機長に感謝と敬意を表します。


裏金問題

[2007年03月13日(火曜日)|No.1175]

荒れる春場所ですか、よく言ったものです。横綱・朝青龍が初日から2連敗をしました。八百長疑惑うんぬんが囁かれているときだけに、肩に力が入りすぎているのではないでしょうか。この後が見ものです。
 
さてプロ野球開幕を前にして、野球ファンにとっては何とも残念なことが起こってしまいました。西武ライオンズがアマチュアの東京ガス投手と、早大内野手の二人に払っていた裏金問題です。
 
以前、現楽天球団の一場投手の獲得に向け、3球団が金銭の供与を行い、それぞれのオ−ナ−が辞任するという騒動がありました。これ以来、各球団がスカウト活動の不正防止を目的で、倫理行動宣言なるものを交わして、再発はないものと誓い合っていたのにもかかわらずにです。
 
何ともお粗末な話です。これが西武球団と聞き、あの松坂投手の60億があったからと思ったのですが、それよりもずっと以前に事は起こっていました。そうしてみると、この球団はやはりお金がある球団なのですね。でも楽天の野村監督は、こんなことは氷山の一角だろうと言っているくらいですから、西武に限ったことではないかもしれません。
 
こうなると、やはり現行のドラフト制度を見直さなければなりません。大学生、社会人の希望選手枠というものがあるため、一部にはどうしても事前での球団と対象選手及び関係者との接触が濃くなり、癒着にもなりかねません。今回の早大選手の出身高校の監督についても、いろいろとその噂が絶えないほどです。
 
従って今回のことで、球団相互の信頼が大きく崩れてしまった以上、この希望選手枠というものを撤廃した、完全ウェ−バ−制(前年度の成績下位チ−ムから順番に選手を指名していく方法)を実施していく他に方法がないのではないでしょうか。
 
またヤクルトの古田監督が言われているように、野球のうまい12人だけに職業選択の自由を与えるとも考えればおかしな話です。そして金の力にものを言わせた、一部球団だけに有力選手が偏るのではなく、戦力均等の上からも公平で理に適っています。
 
昔から言われているとおり、ただ臭いものに蓋をするのではなく、やはり元から絶たなければいけないのではないでしょうか。それにしても、こうした機構の約束や取り決め事項って、あまりにも有名無実なものであきれてしまうものです。


ありがとう

[2007年03月09日(金曜日)|No.1174]

ありがとう」とは本当に良い言葉ですね。今日3月9日はこの「ありがとうの日」とのことです。サン・キュ−から採ったのでしょう。以前にも触れた雑誌「致知」での田端俊久さんの対談で、ありがとうについてこう述べられています。
 
よく「ありがとう」という言葉を使いますが、漢字にすると「有り難う」つまり「難が有る」と書きますでしょう。それが感謝の言葉になるということは、災難や困難に出遭うことは本当にありがたいことなんだと。それに出遭って初めて自分というものが見えてくる。つまり自分の「分」が見えてくるわけです。
 
そして続けてここまで指摘しています。
 
よく経営者から社員教育を頼まれることがあるんです。その時に「今の社長さんの”分”でいまの社員さんのレベルですよ。社員さんのレベルだけ上げたら、みんなここを離れていきますよ」と言うんです。やはり世の中は分相応ですよ。しかし多くの方は分不相応の結果を求めるから苦しむのです。だからまずは自分の分を知ること。そして高める努力をすることが大切だと思います。
 
ご指摘のように、必ずしもそれぞれの人生は順風満帆にはいかないものです。禍福は糾える縄の如しの言葉の通り、良いことがあれば必ずまた悪いことや不都合なことも生じます。そうしたとき、いかに対処するかが問われているのではないでしょうか。
 
「運が悪かった、なぜ私ばかりにこんなことが起こるのだろう」と思うのか、それとも「これはもっともっと自分を成長させるために与えられた試練なんだ。これを乗り越えたときには、きっと学ぶべきものがあるはず」と言い聞かすのでは大きな違いが出てくるものです。そして後者には自分は生かされているという、感謝の気持ちが潜んでいるはずです。
 
人生は良くも悪しくもたった1回、それなら、くよくよと後ろばかりを振り返らず、果敢に前向きに生きたいものです。それにはこの「ありがとう」という言葉は、生きていく上でのなくてはならない必需品ではないでしょうか。
 
3月12日(月)は急に出張工事が入ったため、朝から1日出掛けることになりました。このカキコミを休ませて頂きますのでご了承下さい。

 


これでいいのかニッポンその3

[2007年03月08日(木曜日)|No.1173]

小田原への出張時、またまたラジオから拾った話題です。まず極め付きお弁当の話です。いろいろな母親がいるものです。学校や幼稚園に持っていくお弁当の中身ですが、以前では考えられないものが詰め込まれているみたいです。
 
私はよく知らないのですが、トンカツなどに似せたお菓子のものがあるそうです。それをそのままお弁当に詰めていったり、焼きそばパンに入れられている焼きそばだけを引っぱり出し、おかずとして詰めているケ−スもあると言います。またレンジでチンしなければ食べられない弁当もあるそうです。
 
元々このお弁当は母親の愛情がいっぱい詰め込まれていたはずです。以前にも触れましたが、我が息子のお弁当など、羨ましいくらい見た目も綺麗な彩りで、おかずもふんだんに詰め込まれているもので、思わず見とれてしまうほどですが、どこのご家庭でもこれと似たりよったりのことが言えるのではないでしょうか。それがいったいどうしたと言うのでしょうか。
 
また家庭からまな板や包丁が消えているという話も聞きました。今では野菜など何でも切って、1回の分量などに小分けして売られているからです。よくトントントンという、台所から聞こえていた、夕食などを告げる、あの独特な響きが聞こえないというのも寂しい話です。
 
それから通常の学校参観日に、ビデオを構えている母親がいるとの話も聞きました。運動会や卒業式ならいざ知らず、学校の授業中にビデオを構えられたことには、対する先生もたまったものではありません。またあるピアノ教師の話では、習いに来ている子どもに靴の脱ぎ方を注意したら、同伴の母親から「先生はピアノだけ教えてくれればいいのです」と、嘘みたいな返事が返ってきたとの話にもびっくりさせられました。
 
こうした、いかに子どもに時間と手を掛けたかで、その成長に違いが出てくるものです。自分の子どもぐらいしっかりと見守り、躾をしなければいけないところですが、以下に挙げるこんな指摘もありました。水道の蛇口がひねられない、自分の服をたためない、ひもを結べない、服のボタンをとめれない等です。
 
手を抜いたとまでは言いませんが、おそらくボタンのないトレ−ナ−などばかり着せていたり、マジックテ−プのついた靴を履かせていたのでしょう。ちょっと聞き過ごすことのできない話ばかりです。昔、こんな女に誰がしたという流行歌の歌詞がありましたが、それこそ「こんな私に誰がした」という大人がいっぱい現れるかもしれません。合理性や利便性ばかり求めるのもいいのですが、せめて自分達の子どもぐらい、親らしい躾をしっかりと行いたいものです。
 


都知事選

[2007年03月07日(水曜日)|No.1172]

とうとう浅野さんが東京都知事選に出馬を決めました。宮城県知事を3期12年務めた、この浅野史郎さんは改革派の知事としても知られた方です。また地方分権を問われている今日、全国地方自治体の中でその中心的役割を果たさなければいけない、東京都が何も機能を果たしていないとが、出馬の大きな理由です。
 
もちろん少なくない、石原都政はもううんざりだとの声に応えての出馬には違いありません。この石原都知事、まだまだ若いと思っていたら、もう70過ぎているのですね。私も以前からあまり好きではなかった人ですが、最近の言動は本当に鼻持ちならないものがあります。
 
いわゆる庶民感覚から外れ過ぎているのでしょう。何か自分のやることが全て正しくて、それから外れている人の意見を素直に聞けないようにも感じます。ですから1泊数十万円のホテルに泊まろうと、平然としていられるのは、私達が感じている普通ではないという、バランス感覚が欠如しているためでしょう。
 
やはり東国原知事に見られるように、いつも意識してでも庶民の方を向いていなければなりません。浅野さんという人、結構気骨なところがあるようで、宮城県知事時代にも、県警の捜査協力金と称した、領収書のないその資金の使われ方のうやむやさに、とうとう最後まで判こを押さず、ずっと県警と確執が続いたとも聞いています。
 
正義感が強いのでしょう。また情報開示も当時の宮城県が全国でトップとも言われていました。一方の石原東京都はダントツの下位とのことです。さてこの浅野さんの出馬で少し面白くなった都知事選ですが、石原モンスタ−を崩すことができるのでしょうか。不敵に構える現知事だけに、まだまだ足下を崩すのには時間が掛かるようにも思えますが、その理詰めの主義主張で是非、切り開いていってもらいたいと思っています。


勝つということ

[2007年03月06日(火曜日)|No.1171]

今日は啓蟄の日、冬の間、土の中で眠っていた虫クンたちが動き出し、外に出て来る日とも言われています。ちなみに弊社の創立記念日でもあります。何年か前までは仕事を休み、何らかの行事を入れたりして休業にしていたのですが、いつの間にやら通常勤務に戻ってしまいました。こういうところも零細企業の悪いところですね。
 
こうして春本番を迎えようとしている今日この頃ですが、昨日の天気はいったい何だったのでしょうか。気温は高かったのですが、強い風が吹き、時折どしゃ降りになったりしていた、本当におかしな天気でした。今週はこれから寒い日がやって来るとも言われています。暖かくなったり、また寒かったりで、どうぞご自愛いただきたいと思っています。
 
さて久しぶりの休みだった日曜日、午後からゆっくりとゴルフのテレビ観戦を決め込みました。ご存知、女子プロの宮里藍ちゃんの活躍を見たかったからです。昨年からアメリカに渡って、LPGAツア−に本格参戦している藍ちゃんですが、日本での開幕戦であるこの試合はしっかりと出場してくれました。
 
こうした藍ちゃん効果もあり、ギャラリ−の数は半端ではなかったですね。やはり人気者が一人でも二人でも出てくれると、テレビの前もそうですが、観る張り合いがあるというものです。この藍ちゃんは最終日少しスコアを伸ばしたのですが、爆発的とまでいかなく、残念ながら優勝には手が届きませんでした。
 
優勝争いは比較的無名の辻村明須香選手と米山みどりさんに絞られていました。米山さんは何回か勝っているし、片方の辻村さんはまだシ−ド権はないし未勝利とのことで、またスラッとした美人でもあることから、判官びいきの(?)こちらとしてみれば、どうしても後者に応援したくなるものです。
 
しかし残念ながら最終ホ−ルで追いつかれ、プレ−オフの末敗れてしまいました。明らかに優勝経験のないキャリアの差が出てしまったのです。勝てば優勝賞金で一気に来年のシ−ド権は獲得できるし、今シ−ズンのこれからの試合への出場が保障されます。
 
こうしてあと2ホ−ル残して2打差、誰もがこのまま逃げ切ってもらいたいと願ったいた中、そのプレッシャ−が少なくなかったのでしょう、それ以前と明らかに違いが出てきてしまいました。ショットは右に飛び出し、パットも思うように手が動かないのです。後でのニュ−スによると手が震えて動かなくなったそうです。
 
これが勝つということなのでしょうか。よく無心とか無欲の勝利と言われています。全く予想もしていないところで、先に爆発的スコアを出し上がっていて結果的に優勝ということはありますが、目の前に優勝という文字がチラついてくると、やはり無心にはなれないのでしょう。まして未勝利の人では尚更のことだと思われます。
 
こうした勝つことの難しさをまざまざと見せつけられたゲ−ムでもありました。でも負けるが勝ちという言葉もあります。これで少なからず何人かのファンもついたことでしょう。また誰もが通ってきたように、口惜しいでしょうが、この1回の貴重な経験がきっと無駄にはならず、次に繋がるというものです。是非、捲土重来を期してもらいたいものです。それにしても、ただの人ならここまで取り上げられることもないのに、美人さんは本当に得なものですね。


捨てる

[2007年03月05日(月曜日)|No.1170]

昨日は私にとっても久しぶりの休みの日曜日でした。1月以来本当に久しぶりで、またそれを祝うようかの暖かい、本格的な春が来たような陽気でもありました。朝からちょっと長めの愛犬との散歩に始まり、大好きなソフトボ−ルの練習やら、地域全体で行った保安林の一斉清掃等、一日のんびりと過ごさせて頂きました。やはり人間、切替は絶対必要なものですね。
 
さて今年の弊社の年間目標にもある、3Sの徹底ということですが、この整理・整頓に欠かせない中には”捨てる”という要素もあるのではないでしょうか。これは私の一番苦手な部分でもあることですが、捨てなければ一向に片付かないのも事実です。
 
私達、団塊の世代に育っている年代では、多くの人たちがこの捨てるということに抵抗があるのではないでしょうか。もっとも裕福に育っている方々は別ですが、私などは昔からどうしても捨てるということになると、”もったいない”とか、”後で何かに使えるのではないか”と思ってしまいがちです。
 
こうしてどんどん、結果的には不要なものが貯まっていくことになるわけです。でも後で使えると思っていても、結局使った試しはなく、ひどいものになると、折角使うときのためにとっておいたものが何処にあるのか判らなくなってしまう始末です。これでは何にもならなくなってしまうのです。
 
ワンガリ・マ−タイさんが提唱している、”もったいない”とはよく理解できるところですが、やはり物によりけりです。先日の職場の教養でも、この物に限らず、過去へのしがらみとか他人からの評価、また将来への不安などをキレイさっぱり捨てることで、ありのままの自分を見つめ直すことができると載っていました。捨てる勇気を持ちたいものです。


噺家が喋れなくなったら

[2007年03月02日(金曜日)|No.1169]

噺家(はなしか)が思うように喋れなくなったらどうでしょうか。それは翼をもがれた鳥のようなものなのでしょう。他人よりも一段と長けているその話術だけに、思うように言葉が出てこなくなったら、それは死ねと言われているようなものだと思われます。
 
三遊亭円楽さんが、先日の高座を最後に引退を決意しました。円楽さんはご存知のとおり、日曜日の夕方に放映される、人気番組・笑点の司会を20年以上も務めてきた方です。しかし一昨年脳梗塞に倒れ、一時は復帰したのですが、やはりしんどかったのでしょう、昨年の10月を最後に、この笑点の司会も勇退せざるを得なくなっていたのです。
 
引退を決意することになったのは、国立演芸場で開かれた落語会だったのですが、この日のトリで得意ネタの「芝浜」を約45分間演じたとのことです。満員の観客からは大きな拍手を浴びたそうですが、本人はその出来栄えにいたって不満足だったようです。
 
それと言うのも、これに向け半年以上前から、1日3回もの稽古を積んで準備をしてきたからです。思うようにろれつが回らず、これ以上恥をかきたくないとがその理由です。また慈善事業ならまだしも、高いお金を取ってお客様に聞いてもらうには忍びないと、高いレベルを求めるご本人のプライドが許さなかったようです。
 
こんなことなら、その得意ネタの芝浜を是非一度、生で聴いてみたかったものです。また歌丸さんなどによく言われていた、あの長い顔が見れなくなるのも寂しい話です。まだ74歳、噺家としてまだまだ若すぎる引退のように思えますが、脳梗塞だけでなく、20年間入れ歯の不具合に悩んでいたり、週3回も人工透析に通うような満身創痍の体だったと聞きます。くれぐれもご自愛に努め、これから続く後進の指導に励んで頂きたいと思っています。大変長い間お疲れ様でした。


その後の研修生達

[2007年03月01日(木曜日)|No.1168]

一口に言って、彼らは弊社にとって大きな戦力となり、今後の財産になろうとしています。この3月15日が来ればちょうど入社して1年が経過し、晴れて契約上、今までの研修生から実習生となることができるのです。
 
この実習生の名前となれば、今までとは違い残業もその制度上認められるのです。従ってハングリ−な彼達のことですから、会社が彼らの力を認め、求めれば、もっともっと本来の力を発揮してくれることになることと思われます。
 
とにかく真面目です。しかも勉強熱心なところは私達が逆に見習わなければなりません。今年の暮れに予定されている日本語の検定試験に合格するために、仕事が終わってからもアパ−トに帰り、これに向けて熱心に学習しています。従ってその意欲に伴い、日本語の習得も早いわけです。
 
来た当時、ほとんど筆談と電子辞書を頼りにしていた毎日でしたが、今ではそんなこともなく、こちらの日本語もきっちりと理解しますし、彼らの話す言葉にしたって格段に上達しています。もし私達が中国に行って逆の立場になった場合、果たしてどうでしょうか。きっとこんなに早くには、習得できないでしょうから大したものです。
 
先日の17日には自宅に招待し、家内の手料理を味わってもらいました。旧暦のちょうど大晦日に当たる日であり、彼らの母国では新年を迎える日だったからです。その日は私自身の誕生日でもあったことから、関係者も少し集まり、賑やかにワイワイと一緒に祝ったものです。
 
こうしたことも、彼らが仕事に一生懸命に取り組んでいることから生まれるものです。そこには日本人とか中国人とかいった分け隔ては一切なく、可愛い社員以外の何ものもありません。かえって国を離れ、母国で迎えているはずの正月を味わえない彼らに、少しでもこちらの気持ちを伝えることができたらと願う思いすら生じているわけです。
 
お互いの信頼関係はこうしたことから生まれるのではないでしょうか。そしてこうした制度の一部に見られる、研修生に対してのただコスト重視だけということではなく、彼らをいかに育ててその気にさせるかという、こちら受け入れ側の姿勢によるものではないでしょうか。私達の会社は彼らに対して、こうした財産的発想に基づいているからこそ、その力を引き出すことができ、将来的にも大きな戦力になるものと確信しています。