会長の”三行日記”

2014.12.11

ゴルフ賞金王 No.2660

 今年のゴルフ賞金王に小田孔明選手が輝きました。いかつい風貌なのですが、最終戦の日本シリ-ズで3位となり、賞金王が確定したあとインタビュ-を受けたのですが、胸いっぱいみたいで目に涙さえ浮かべていました。結構、ここまでの道のりが苦しかったのでしょうね。

この小田孔明選手に対して、同じプロ仲間からも、本場アメリカで十分通用する技術を持っている人だと絶賛する声が挙がっています。何しろドライバ-は飛んで曲がらないし、その上アイアンの切れが凄いみたいです。

そのアイアンの球筋が低い弾道ゆえ、風とかの影響を受けにくいからです。ある日一緒にラウンドした、本人も憧れるジャンボ尾崎選手からも、「お前のアイアンは一流だ」と言われて感動したとも言われています。

でもここまで至るのには必ずしも順風満帆ではなかったみたいです。ゴルフとの出会いは先の日本プロゴルフ選手権で優勝した手嶋多一さんとの出会いからです。手嶋さんは中学、高校とアマチュアでは九州に手嶋ありと知られた方だったのですが、手嶋さんの実家が経営していたゴルフ練習場でその姿を見たのが始まりです。

それも小学1年生の時、父親に連れて行かれたのがきっかけで、練習する手嶋さんの上手さに心奪われたみたいです。そして手嶋さんの父親の勧めもあって、それから小田さんの父親とのマンツ-マンの練習が始まったのです。

練習は想像以上に厳しいもので、学校から帰ったら、腹筋、腕立て、スクワット、鉄アレイを毎日300回ずつ、それが終わるまでは遊びにも行けないし、晩御飯も食べられないような超スパルタ教育のものでした。

その練習を小学校2年生から続けたそうですが、初めのころは晩ゴハンにありつけるのは9時ごろだったと言います。でも振り返ってみると、その練習があったからこそ人一倍強靭な今の体力ができたと、本人は語っています。

そして小学校の卒業時、大人になったら何になるかという問い掛けで、賞金をいっぱい稼げるプロゴルファ-になりたいと言ったところ、クラス中の皆に笑われたそうです。このクラスの嘲笑には本人もかなり口惜しかったみたいで、その後の闘志に少なからぬ影響があったみたいです。

こうして2000年ゴルフ場の研修生からプロテストに受かり、プレイヤ-としてのゴルフ人生が始まるわけですが、ツア-デビュ-が2003年、それからシ-ドを獲れるまでには3~4年の期間を要しているくらい、必ずしも順調なスタ-トとは言えなかったものです。

でもシ-ズンのほぼ全試合に出場できるようになってからは、先輩のプロゴルファ-達からも自分のゴルフを褒めてくれるようになり、それがまた自信と変わっていき、本来持ち前の才能が徐々に頭角を現わして現在に至ったのです。

こうして今年初めて賞金王に輝いたわけですが、冒頭触れたようにパワ-があるゆえ長い距離の本場アメリカでも苦にならないものと思え、海外ツア-での期待が高まります。その意味では今シ-ズンの実績と大きな自信は今後のゴルフ人生に大きなプラスとなるのではないでしょうか。とにかくメジャ-ト-ナメントで日本人のプレイヤ-が一人でも多く活躍することを願いたいものです。