会長の”三行日記”

2014.01.20

行事も番付社会 No.2513

 新年が明けたと思ったら、もう20日が過ぎました。本当に時が過ぎるのは早いものです。大相撲の世界では日本人横綱誕生かと期待されていた稀勢の里関が、早々にその夢が破れる取りこぼしをしてしまいました。やはり精神的な問題なのでしょうか。

さてこの大相撲なのですが、土俵を支える脇役として行司がいます。この行司という役もなかなか大変で、昨日もテレビで観た取組の中で力士のまわしが緩むのを行司が締め直す場面を見ました。ところがこのまわしを締めるのにはやはり力がいるのでしょう。

一度締めたはずのまわしが再開した途端、また緩んでしまったのです。見兼ねた控えの力士が隣の審判員に促されたのでしょう。土俵に上がってきて手伝うと言っているのですが、行司にもプライドがあるのか、追い返して自分でまた締め直していた、何とも珍しい場面だったのです。

こうした大変な役を引き受ける行司にも力士同様、番付があると聞きました。番付が1枚でも下なら、風呂も食事も後回しとなるのが大相撲の世界ですが、これが行司の世界にもあるというのです。

そして力士と違って才能や努力が優れていても、まず出世で先輩を追い越すことがないと言われているから大変です。入門順で65歳までの序列が決まる年功主義は力士より厳しいと言われているのです。

そんな行司の世界にあって、どちらも36歳になる二人の青年のことを取り上げている記事を読みました。一人は木村吉二郎さん、もう一人は木村勘九郎さんという方です。吉二郎さんは小学6年生で母をなくし、演歌歌手の司会を務める父に育ててもらいました。

この吉二郎という名前も、父が専属司会を務めていた歌手の渥美二郎さんが名付け親とのことですが、中学卒業と同時にこの世界に入りました。現在は本場所中に土俵裁きの他に、土俵入りでしこ名や出身地などを読み上げるアナウンスも務めているそうです。

その吉二郎さんが今場所から十両格に出世したというのです。年齢的には遅咲きみたいですが、行司の世界ではそれまでの幕下格とこの十両格ではずいぶん違いがあるということなのです。幕下までは足袋を履くのも許されず、袴の下を膝下で結い裸足で土俵を裁くのです。

ですからこの出世は大変喜ばしいことですが、吉二郎さんは一切喜びを口にしません。というのも同期の勘九郎さんのことを思ってのことからです。今まで理不尽な先輩からの要求や叱責に何度も挫けそうになったのですが、その都度、お互い同期同士で慰めあって耐えてきたのです。

お互いの存在があったからこそ、今日があると言っているのです。しかしながら行司の序列は入門の早い順、次に生年月日で決まるとのことです。それゆえ1977年12月10日生まれの吉二郎さんに比べ、わずか15日遅く生まれた勘九郎さんはずっとその後を追うことになるのです。

そして将来的に順当に行けば、吉二郎さんは2041年名古屋場所以降に最高格の庄之助に昇進出来るのですが、定年が重なる勘九郎さんはそこまでの出世ができないのです。その勘九郎さんを思えばこそ、ぐっと喜びを秘めているのです。でも昇進が決まった後、真っ先に祝ってくれたのがこの盟友・勘九郎さんだったのです。厳しい番付社会に秘める、とても良い話ではないでしょうか。