会長の”三行日記”

2013.08.21

ちょっと良い話その110 No.2446

 夏の工事も納品等が残っていた出張で昨日まで掛かってしまいましたが、お陰さまで無事終了することができました。と言っても、社員2名は昨夜も明け方まで深夜の切替工事で、東京銀座に出張してくれていました。

今朝、会社に出たら彼らの荷物が工場に置かれていましたから、無事終えて戻ってこれたのでしょう。今日はゆっくり休んでもらうことになっていますので、会うことはできませんでしたが、本当に暑い毎日の中、彼らの頑張りにただただ感謝しています。

さて私たちが工事で会社を留守にしている間、熱闘甲子園もついに準決勝まで進んでいます。ベスト4に残った学校はいずれが勝っても初優勝という、いつになくフレッシュな顔ぶれとなっています。

そんな中、今年は東北勢の頑張りが一際目立っているものですが、青森代表の弘前学院聖愛高校もその1つです。この聖愛高校にこんなちょっと良い話がありましたので紹介したいと思います。

青森県の予選で八戸学院光星や青森山田といった、強豪の常連校を破っただけのことはある実力を示した同校ですが、3回戦で惜しくも宮崎・延岡学園に破れてしまいました。でも初出場ながら堂々たる2勝を挙げての16強入りは見事なものです。

この聖愛高校の監督を務める原田さんにこんな美談がありましたので、一部省略してありますが紹介いたします。

県内出身の部員ばかり39人で戦った聖愛(青森)の寮は「県人だけで甲子園」の夢をかなえる力になった。広い青森で、交通の便が悪い所の選手も入学できるようにと、原田一範監督(35)が自腹で買った。

寮は、弘前市にある学校から約1キロの2階建て中古アパート。原田監督が「津軽から日本一」という目標から逃げない覚悟のもと、5年前にローンを組んで約1200万円で購入した。甲子園常連校では学校が寮を整備するのが当たり前だが、当時の聖愛は県大会4強が最高。「学校はお金を出してくれなかった」

1階が原田監督の自宅で2階が寮。監督と妻の佳澄さん(35)、娘3人、料理を作る寮母役の義母、葛西タエ子さん(60)の一家と、選手11人が暮らす。「娘たちにとっては、生徒がお兄さんのような存在。みんなまとめて原田家」と監督。鍋や焼き肉では「一家」全員が居間に集まる。

監督の狙い通り、寮には通学が難しい遠方から部員が集まった。車でも1時間ほどかかる五所川原市出身の佐々木志門君(1年)は、やはり40分はかかるつがる市育ちの山崎照太君(2年)と相部屋だ。寝る前はいつも2段ベッドの上下で野球の話。2人で打撃のタイミングの取り方を考え、青森大会4回戦で「同部屋本塁打」を放った。

親の仕事の関係で家族が引っ越し、今年4月に入寮した藤元蓮君(2年)は168センチ58キロだった。あだ名は「きゃしゃ」。食べ残しが許されない寮で米を1日9合食べ、体重は6キロ増加。夏の県大会から外野に打球が飛ぶようになった。

秋田県境の深浦町出身の松井佑人君(3年)はこの日、試合に出た寮仲間6人をベンチから大声で励まし続けた。試合後、「寮があったから仲間と野球が出来た。ありがたかった」と話した。

この原田監督、とても研究熱心で、野球人としてはただ一人、星陵高校の監督を務めた山下さんの講演会に出掛けたそうです。主に経営者を対象とした講演会だったのですが、山下監督の持論である「花よりも花を咲かせる土になれ」と教わり、生徒達に心を教えられる監督だと見込まれたとのことです。

そのくらい、人一倍情熱のほとばしる人だったのでしょう。普通は強くなりたいのなら、何でも学校に依頼するのが当たり前の世の中ですが、ダメなら自分でやろうという人はなかなかいないものです。青森代表でも県外の人間が多数占めている他の学校と違って、青森県人もさぞかし今回は応援のし甲斐があったのではないでしょうか。アッパレです。