会長の”三行日記”

2013.01.15

体罰指導 No.2339

我が地域では、ほとんどのところが13日の日曜日に成人式を済ませたからよかったのですが、昨日の冷たい雨や雪では折角の成人式がかわいそうというものです。お天気の良い日にさせてあげたかったものです。
 
さて、大阪の市立高校で、バスケットボ-ル部主将の男子生徒が、顧問の教諭による体罰指導で自殺するという悲しい事件が起こってしまいました。いじめなどと同様に、こうした自分自身でその命を絶ってしまうことは、つくづく残念に思う出来事です。
 
推測されるのは、この学校はたぶん市立といえども、この競技が強かったのではないかと思われます。それにより顧問がその規定よりずっと長い期間、同じ学校に赴任していたのでしょう。
 
こうした一部には、部活が強ければ能力があり、良い先生だと評価されるふしがあるものです。従って多少のことは目を瞑られ、指導教諭のやり方が独断専行されるというのが比較的多いのではないでしょうか。
 
でも結果さえ出せば何をやってもよいというものではありません。まして尊い命が絶たれるようなことがあっては、そのやり方にやはり異議を唱えなければいけないもので、指導教諭の責任は少なくありません。
 
新聞に元巨人軍の桑田真澄さんが自身の体験を述べていました。それによると、大きくクロ-ズアップされた高校時代より、むしろそれ以前の小学・中学時代の方が、この体罰があったと言われています。
 
そして注目すべきは、体罰のあったその期間より、なくなった高校時代のほうがずっと自分自身が技術的にも成長し、結果を残すことができたと述べている点です。ですから体罰は子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねないと言うのです。
 
桑田さんは中学まで毎日のように練習で殴られていたそうです。それは小学3年で既に6年生のチ-ムに入り、中学では1年生からエ-スとなっていたからです。そうしたことから上級生のやっかみもあり、そんな毎日を今でも思い出したくないとまで言われています。
 
体罰が必要ないというのは、絶対に仕返しがないという上下関係の構図から起こるわけで、スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為だからと言っています。選手がミスして殴られても、監督が采配ミスをしたからといって殴られることはありません。
 
この殴られるのが嫌で辞めていった選手を多く見ていて、それはこの世界の損失だとも言っています。また暴力により失明したり大怪我をして選手生命を失うかもしれません。その責任を誰が取るというのでしょうか。
 
私も野球をやっていた中学時代には先輩からよく殴られました。面白くないと言って、顔を見ただけでも殴る上級生もいました。また高校時代にはあるOBから、毎年恒例だと後から知ったことですが、訳もなく主将だった私が殴られることもありました。
 
なぜ殴られるのか、全然解っていないだけに、それによって愛情など全く感ずることもないし、いつまでもその理不尽さに腹が立つものです。
 
桑田さんが言われるように、スポ-ツ医学も、道具も、戦術もいろいろと進化している時代だけに、今回の残念な問題が、未だに立ち遅れている指導者が変わる、大きな契機になることを願いたいものです。