会長の”三行日記”

2011.11.04

ちょっと良い話part84 No.2103

昨日は文化の日でした。この11月3日という日は本当に雨の降らない日ですね。近年、この日が雨だった記憶はほとんどありません。また今年は11月だというに、まだまだ暖かな日が続いています。これもやはり異常気象なのでしょうか。
 
大好きな母さんへ」という、ちょっと良い話です。話というか、いちばん自分の思いを伝えたい相手への強いメッセ-ジなのですが、新聞に載っていた恋文大賞から記載させていただきました。
 
僕が大学受験で上京する時、30cm四方もある巨大な弁当を持たせてくれましたね。それはありとあらゆるおかずの詰まっている、弁当の百科事典のような華やかさでした。

僕は巨大な弁当に注がれる周囲の客の視線を気にしながら、フタを少しだけ持ち上げ箸を突っ込み、わずか三口か四口食べただけで網棚に仕舞い込んだのでした。

恥ずかしさのあまり東京駅で風呂敷ごと捨ててしまった僕は、今になって、あの巨大な弁当に込められた母さんの計り知れない大きな愛を感じています。

商売がなかなか軌道に乗らず、どんなつらい苦しい思いをしたか、当時の僕には想像もつきませんでした。生意気盛りの反抗期の僕は、母さんが風呂の燃料用にと魚屋からもらった古い魚箱を、リヤカ-で運ぶこともせず、斧で割ることもしませんでした。

滞納した授業料を催促する僕に、どんな思いで「もう少し待ちなさい」と言ったことでしょう。二千円の通学定期も満足に買えなかった貧乏の中で独立する、新聞奨学生となって大学に行くと宣言した僕を、金銭的援助の出来なかった母さんは、どんな思いで駅のホ-ムから見送ったことでしょう。

僕が上京してから服やお菓子を送ってくれた時、一緒に入れてあった五千円札が思い出されます。毎回判で押したような母さんの生活上の注意の手紙が思い出されます。

母さんの愛を僕はずいぶん裏切りました。でも、それでもなお、母さんは僕を愛し続けてくれました。その愛情の深さに僕はおびえるほどです。

そして今、53歳の息子が泣きながら、鼻をかみながら、この手紙を書いていることで、親不孝の何分の一かでも許してほしいと思っているのです。

 
本当に母の子どもを思う気持ちは、あの大きな海よりも深く、山の頂きよりも高いものです。この文を読んで自分の中学時代を思い出しました。弁当のおかずと言ったら、じゃがいもや、ひじきなどの煮たものがたった1色しか入っていないものでした。
 
今のお母さんが子どもに作って持たせているような、きらびやかな彩りのものとは、とても似ても似つかないものだったのです。ですから腹は空いているものの、そんな母親の弁当をとても友達には見せびらかして食べれなかったものです。
 
でも今思うと、母親はそれでも精一杯作っていたのでしょうね。今更ながら、晩年、認知で苦しんでいた亡き母親にもう少し親孝行らしきことができなかったか、気持ちの中で一抹の寂しさを覚えるものです。
 
7日の月曜日はお客様のお伴で、1日留守にするためカキコミは休ませていただきます。